74.ゆらぐ境界線上の恋

文字数 3,717文字




コツン……コツン……コツン……。


靴音(くつおと)(いし)(ゆか)反響(はんきょう)して、不安(ふあん)(さび)しげな音色(ねいろ)()てている。


(あたしはなんでこんな場所(ばしょ)まで()げてきてしまったんだろう……?) 


アナベルはうす(くら)地下都市(ちかとし)通路(つうろ)を、あてもなく一人(ひとり)さまよい(ある)いていた。


最初(さいしょ)はわけもわからず無我夢中(むがむちゅう)()けていたせいか、大聖堂(だいせいどう)からほぼ一直線(いっちょくせん)とはいえ、かなり(はな)れた場所(ばしょ)まで()てしまっていた。


静寂(せいじゃく)(つつ)まれた石造(いしづく)りの回廊(かいろう)をひた(すす)むと、()()巨大(きょだい)石室(せきしつ)らしき空間(くうかん)()えてきた。


とりあえずそこまで()ってみようと決意(けつい)して、その(おく)()をこらすと彼女(かのじょ)(いき)()んだ。


(ふる)びた棺桶(かんおけ)(やま)幾層(いくそう)()(かさ)なって()(ふさ)がり、彼女(かのじょ)視界(しかい)をさえぎっている。


()()てた墓場(はかば)のようなおぞましい光景(こうけい)に、アナベルはうす気味悪(きみわる)さを(おぼ)えて身震(みぶる)いした。


急激(きゅうげき)(おそ)ってきた後悔(こうかい)心細(こころぼそ)さのあまり、彼女(かのじょ)期待(きたい)をこめてちらりと背後(はいご)をふり(かえ)った。


(だれ)()ってきていないのを確認(かくにん)すると、失望(しつぼう)のあまり(かた)からため(いき)をついた。


(こんなときに()いかけてきてもくれないのね……)


なんとも(たよ)りない相手(あいて)に、自分(じぶん)(こい)()ちてしまったようだ。


とはいえ、(かれ)先刻(せんこく)まで手遅(ておく)れになるほどの深手(ふかで)()い、(いのち)危機(きき)(ひん)していたのだ。


すぐに()けつけることができるほど、(かれ)容態(ようだい)回復(かいふく)していないのかもしれない。 


そう(おも)うと、いくら衝撃的(しょうげきてき)場面(ばめん)()()ってしまったとはいえ、ロジオンの無事(ぶじ)姿(すがた)(たし)かめもせずに()()してきてしまったのは、あまりに軽率(けいそつ)無神経(むしんけい)行動(こうどう)だったといえる。


(……だけど、ようやく(もど)ってきた第一声(だいいっせい)があれじゃあ幻滅(げんめつ)もするわよ……)


意識(いしき)をとり(もど)したロジオンが(はな)った唐突(とうとつ)(あい)告白(こくはく)


()けられた相手(あいて)自分(じぶん)ではなく、その()にいたもう一人(ひとり)女性(じょせい)だった。


だが、衝撃(しょうげき)()けながらも意識(いしき)(そこ)では理解(りかい)していたのだ。


それが自分(じぶん)()けられたものであると。


(……だって、あたしは()ってる……。(いま)までの(かれ)(おも)いも、なにげない(かれ)仕草(しぐさ)もくせも、特徴(とくちょう)も……あたしは()ってるんだもの……)


(かれ)()()左手(ひだりて)だということにも、とっくに()づいていた。


なんということもない。


食事中(しょくじちゅう)(となり)(せき)にいるロジオンと、(ひじ)がぶつかったのだ。


何度(なんど)かぶつかれば違和感(いわかん)にも()づく。


注意(ちゅうい)してみると(かれ)はナイフやスプーンに(かぎ)らず、(つえ)筆記具(ひっきぐ)左手(ひだりて)(にぎ)っていた。


あの(とき)もたまたま左側(ひだりがわ)()()っていたグランシアの()(にぎ)ったのだとしたら。


まだ視界(しかい)()かないうちに無意識(むいしき)に、()()でつかんでいたのだとしたら。


あの言葉(ことば)はまちがいなく自分(じぶん)()けられたものだったのだ。


だけど──


(あたしはその間違(まちが)えたことがゆるせなかったんだわ……)


つくづく自分(じぶん)狭量(きょうりょう)人間(にんげん)だとうんざりする。


あのまま理由(りゆう)もなくわきあがってくる嫉妬(しっと)(いか)りや混乱(こんらん)などの感情(かんじょう)


そのいっさいがっさいすべての感情(かんじょう)に、(せん)をしてがまんして居座(いすわ)っていれば、その忍耐(にんたい)(りょく)さえ自分(じぶん)にあれば……。


いまごろ(こと)顛末(てんまつ)()ったロジオンは、あわてて彼女(かのじょ)失言(しつげん)()び、きっと(またた)()誤解(ごかい)()けていたのではないかと(おも)うのだ。


「……あたしって、どうしようもない馬鹿(ばか)ね……」


彼女(かのじょ)一人(ひとり)つぶやくと、()(みち)()(かえ)したくなる誘惑(ゆうわく)にかられつつ(まえ)(すす)んだ。

        ☆

(むかし)、めずらしく屋敷(やしき)滞在(たいざい)していた(おんな)がこんな(はなし)をしていた。


(つか)まえられちゃったらもうそこでおしまいなのよ。だから上手(じょうず)にかわさないとね」


生活感(せいかつかん)のない白魚(しらうお)のような指先(ゆびさき)が、()れきった果実(かじつ)をつまんだ。


およそ労働(ろうどう)とは無縁(むえん)女特有(おんなとくゆう)の、(きず)ひとつないぬらりとした()


「……それが(こい)()()き?なんだか()いかけっこみたい」


亜麻色(あまいろ)(かみ)()()みに()った(あね)が、まだ(おさな)さの(のこ)(くち)ぶりで意見(いけん)をのべる。


「そうね、子供(こども)(あそ)びに()ているかもしれないわ。無邪気(むじゃき)でちょっと残酷(ざんこく)(こい)のお遊戯(ゆうぎ)。いくつになってもそんな幼稚(ようち)(あそ)びに、()りもせず夢中(むちゅう)になれるなんて、大人(おとな)馬鹿(ばか)みたいよね」


少女(しょうじょ)はまだ(おさな)すぎて意味(いみ)はよくわからなかったが、なにか母親(ははおや)として不誠実(ふせいじつ)なものを()ぎとってしまったようで、かすかな不快感(ふかいかん)(のこ)った。


そうして(おんな)()きつけられた離縁状(りえんじょう)にサインひとつせずに、豪華(ごうか)客船(きゃくせん)()りこんで各地(かくち)放浪(ほうろう)し、やがて(かえ)ってこなくなった。


当初(とうしょ)金持(かねも)ちの有閑夫人(ゆうかんふじん)たちとの豪遊(ごうゆう)だった船旅(ふなたび)も、いつの()にか様相(ようそう)()えていた。


父親(ちちおや)とはちがう(おとこ)にしなだれかかり、(とろ)けるような(あつ)視線(しせん)()びせる。


()うたびにいつも(ちが)顔立(かおだ)ちの愛人(あいじん)(そば)にべったりとはべらせて、()(ほこ)ったかのような微笑(びしょう)満足(まんぞく)げにうかべる。


(むすめ)たちの(まえ)生々(なまなま)しい(おんな)としての(せい)をむき()しにして、(わる)びれることもないその姿(すがた)に、アナベルは臓腑(ぞうふ)(そこ)から嫌悪(けんお)(おぼ)えていた。


こんな(おんな)にだけはなりたくないと、少女(しょうじょ)決意(けつい)(かた)める。


永遠(えいえん)(おんな)のままで()(つづ)けようとする、彼女(かのじょ)母親(ははおや)のようには。


(それなのにあたし……ロジオンの()()こうとして、こんな(ところ)まで()げてきたんだわ……)


(おんな)見本(みほん)として()むべきあの(おんな)に、無意識(むいしき)のうちに行動(こうどう)()てきている。


その事実(じじつ)愕然(がくぜん)とする。


(おな)(わだち)()まないためにも、もっと自分(じぶん)(こころ)素直(すなお)にならなくてはいけない。


それなのに──


(まえ)(すす)もうとする(あし)()まらない……なんでなんだろう?)


()(まえ)には不気味(ぶきみ)(ひつぎ)()()げた、陰鬱(いんうつ)空間(くうかん)(ひろ)がりをみせている。


好奇心旺盛(こうきしんおうせい)少女(しょうじょ)もたちまちひるませてしまうような、石造(いしづく)りの殺伐(さつばつ)とした地下墓所(ちかぼしょ)


意外(いがい)にもオカルト()きな(あね)に、面白半分(おもしろはんぶん)にからかわれた経験(けいけん)があるせいか、アナベルは怨霊(おんりょう)のたぐいに(よわ)かった。


()まずいけれど、いっそのこと()(かえ)してしまいたい。


ロジオンやグランシアのいる場所(ばしょ)に。


それなのにどうして、この(あし)()まらないのだろう。


なにより背後(はいご)をふりむくのを(おそ)れているのだろう……?


(すこ)(まえ)から彼女(かのじょ)は、こちらに(ちか)づいてくる足音(あしおと)()づいていた。そして……


「……アナベルッ……!!」


せっぱつまったような(さけ)(ごえ)(ひび)く。


同時(どうじ)(はし)りづめで、(いき)()れたような(みだ)れた呼吸音(こきゅうおん)も。


まだ身体(からだ)本調子(ほんちょうし)ではないのだろう。


少年(しょうねん)片手(かたて)(かべ)につけてもたれかかると、()()(あせ)金糸(きんし)(かみ)()りついていた(ひたい)()(こう)でぬぐった。


その()()んだにもかかわらず、()(まえ)
()
ちすくむ少女(しょうじょ)はふり(かえ)りもしない。


少女(しょうじょ)数秒(すうびょう)のためらいののち、薄暗(うすぐら)石室(せきしつ)のなかに()けこんでいった。


「──()って!お(ねが)いだから(はなし)()いてくれ──!」


()いすがるようにして、少年(しょうねん)少女(しょうじょ)(つづ)く。


その空間(くうかん)には見覚(みおぼ)えがあった。


(しかばね)怨霊(おんりょう)グロリオーザ』の司教(しきょう)サルヴァルと司祭(しさい)コーネリア、そして大量(たいりょう)()ける(しかばね)たちと(たたか)いを(まじ)えた場所(ばしょ)


(そういえばここでラグシードたちと(わか)れたんだ……。とっくに(かれ)らの決着(けっちゃく)はついているはず。もしサルヴァルたちが勝利(しょうり)したなら即座(そくざ)教主(きょうしゅ)のもとに()けつけている。そうできなかったということは、たぶんラグシードたちが阻止(そし)したんだ。でもその後二人(あとふたり)はどこにいったんだ?もしかして相打(あいう)ちにでもなって、まだこの場所(ばしょ)(たお)れているなんてことは……!?)


背筋(せすじ)(こお)るような(おも)いがして、狼狽(ろうばい)しながら周囲(しゅうい)()まわす。


大量(たいりょう)()ける(しかばね)は、司教(しきょう)たちの()せた(まぼろし)だったのだろうか。


すでに死骸(しがい)はなく、(から)棺桶(かんおけ)(やま)となってうず(たか)()まれている。


(ゆか)血痕(けっこん)がところどころ(のこ)ってはいるが、(かれ)らが(たお)した死霊(しりょう)(かず)とはまるで一致(いっち)しない。


心当(こころあ)たりがあるとすれば、教主(きょうしゅ)にとどめを()したときに(はな)たれた(せい)なる(ひかり)


その(きよ)らかな(ひかり)大聖堂(だいせいどう)だけではなく、地下都市(ちかとし)全体(ぜんたい)(きよ)めたのかもしれない……。


「どこを(さが)してるの……?」


こちらを(とが)めるようでいながら、どこか(うつ)ろな(こえ)がすぐそばで(ひび)いた。


ロジオンは反射的(はんしゃてき)彼女(かのじょ)(うで)をつかもうと(うご)き……むなしく空振(からぶ)りした。


「……どうして()げるんだよっ!?(おこ)ってるんだったら(あやま)るよ……だからっ」


「……(うそ)つき……!」


「だからさっきから()ってるだろ。(はなし)()けって!(きみ)はかんちがいしてるんだよ……!」


「そんなことは()ってるわ……」


「じゃあなんで()げるんだよ!意味(いみ)がわからないよっ!!」


「だって、こうでもしないとあなたの(あい)(たし)かめられないから……っ!」


「アナベル……!」


自信(じしん)がないの。不安(ふあん)なのよ……!また()いてかれるんじゃないかって」


彼女(かのじょ)脳裏(のうり)にまたたく()(とお)()情景(じょうけい)がうかぶ。


これから出航(しゅっこう)してゆく帆船(はんせん)が、太陽(たいよう)()にうけて巨人(きょじん)のような(かげ)(みなと)()としている。


巨大(きょだい)客船(きゃくせん)(かぜ)()にはらんで、(そら)(うみ)(ふた)つの境界線上(きょうかいせんじょう)不安定(ふあんてい)にゆれている。


(そら)(あお)(うみ)(あお)


どちらもぬけるように(あお)いのに、この(ふた)つの(あお)はけして()ざらない。


(そら)(うみ)も、永遠(えいえん)(まじ)わることはない。


その事実(じじつ)(おさな)少女(しょうじょ)不安(ふあん)にさせる。


無意識(むいしき)のうちに反発(はんぱつ)しあう両親(りょうしん)のことを連想(れんそう)させるからだろうか。


すぐ(もど)ってくるわとその(おんな)()った。


旅先(たびさき)でもあなたのことをずっと見守(みまも)っていると。


口先(くちさき)だけの(あま)言葉(ことば)をお(まも)()わりに、少女(しょうじょ)成長(せいちょう)し、やがて(こい)をする年頃(としごろ)になった。


その少年(しょうねん)少女(しょうじょ)(まも)るために、記憶(きおく)封印(ふういん)してまで彼女(かのじょ)(とお)ざけようとした。


(はや)(もど)ってきてと()いすがる少女(しょうじょ)()()りにして、少年(しょうねん)意識不明(いしきふめい)姿(すがた)になってようやく(もど)ってきた。


(いのち)()としてしまったら、永遠(えいえん)(もど)ってこれなくなるというのに。


もう言葉(ことば)だけでは、お(まも)()わりにはならない。


少女(しょうじょ)()いかける。


どうして(あい)する(ひと)はあたしを()いて、平気(へいき)でどこかへいなくなれるの?



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