「もう
限界だわ……!」
うめくような
絶望的な
声音が、
夜の
静寂に
吸いこまれていった。
まるでこの
世の
終わり。とでもいうように
天を
仰ぐ。
アナベルはそれまで
自分に、
辛抱強く
言い
聞かせてこらえていた
不満を
爆発させた。
「きっと、あたしのことなんかすっかり
忘れてるのよ……!こんな
場所に
女の
子を
平気で
待たせるなんて、ロジオンなんかもうっ、
信じられない!!」
恋する
乙女から
一転して
態度を
豹変させた
少女は、
立ち
上がるなり
大聖堂の
回廊を、
落ち
着きなく
行ったり
来たりしはじめた。
彼がいなくなってから、どれほどの
時が
経過したのだろう。
おそらくいつもならば、ふんわりとした
天蓋のベッドで
熟睡しているころだ。
(……
一分一秒でも
早く
戻ってくるって、
約束したのに……。
嘘つき……!)
胸中で
拗ねてはみたものの、
少女のなかでロジオンを
心配する
気持ちと、なにもできずに
待つしかないもどかしさが、
焦燥感とあいまって
行き
場のない
怒りに
変わっていた。
しかし、
言葉のうえではロジオンを
責めてはいるが、なにを
隠そうアナベルは
自分自身に、もっともイラだちを
感じていたのだ。
(あたしなんてみんなみたいに
魔法も
使えないし、『
黒い
蛇』の
刺客は
強敵ぞろいで
自慢の
武術だって
歯が
立たない。いつも
守ってもらってばかりでホントにお
荷物よね……。
『エレプシアの乙女』になったのはいいけど、これからロジオンの
役に
立てるのかな……)
注意しないと、マイナス
思考の
底なし
沼に
引きずりこまれてしまいそうだ。
それにしても
今日は、ほんとうにあきれるくらい
長い
一日である。
正確には
日付をまたいでいるから、すでに
二日目に
突入しているのだが……。
時間の
感覚が
麻痺してしまっているため、もはやそんなことはどうでもよかった。
いっそのこと
眠ってしまえれば、
気も
休まるし
楽なのかもしれない。
だが、ここは
薄暗い
地下にある、なかば
崩壊した
大聖堂。
しかも
女二人きりである。
いつ
何者かに
襲われはしないかという
不安と、わけのわからない
緊張感で
心の
糸がピンとはりつめ、
眠気すら
起こりはしなかった。
「あの、ひとつ
聞いてもいいですか……?」
アナベルのようすをうかがいながら、おずおずと
遠慮がちにグランシアが
口をはさんだ。
ロジオンとの
死闘を
繰り
広げたグロリオーザ
教主・マティルデが、
悪霊と
契約して
憑依していた
娘である。
乗り
移られていたときの
記憶はなく、
先刻までアナベルは、
自分の
知りうる
限りのことがらを
彼女に
話していた。
だが、それでもまだ
説明不足は
否めない。
ただ、ひたすらにロジオンの
帰還を
待たなければならないのは、
彼女も
同様なのだった。
「ちょうど
暇だし、なにを
聞いてくれてもかまわないわよ」
それまでの
剣幕はどこへやら、アナベルは
気さくに
応じた。
おもむろにグランシアの
隣りにやって
来ると、
壁にもたれて
腰かける。
記憶を
喪失していて
心もとないとはいえ、
今のアナベルにとってグランシアの
存在はありがたかった。
ひとりぼっちで
廃墟にとり
残されたなら、きっと
耐えられなかったに
違いない。
「
私たちが
待っているその……ロジオンさんという
人は、どんな
方なんですか?」
グランシアは
部分的に
記憶をなくしているなりに、
唯一自分の
空白の
時間を
知るロジオンに
興味をもったようである。
「……
誠実そうな
顔をして、わりと
平然と
嘘をつくような
人よ……」
にがにがしい
表情をうかべて、
彼女にしては
低い
声でつぶやく。
「えっと
性格とかではなくてですね。
出自というかなにをなさっている
方なのかとか、アナベルさんとのご
関係とか……?」
「……
優柔不断だし、ネクラだし、
意外と
自分勝手だし、そのうえ
逃亡癖もあるし……」
なおも
質問を
無視して、アナベルは
一人ぶつぶつと
文句をつぶやいている。
そのようすを
見て、グランシアはある
確信を
覚えた。
かつて、このような
症状に
陥っていた
友人が
身近にいたので、
彼女もそうなのではないかと
察したのだ。
「わかりました。アナベルさんにとって、とても
大切な
人なんですね……」
まるでたおやかに
咲く
百合のように、
微笑したグランシアの
顔をぼんやりとながめながら、アナベルは
胸中で
密かにその
言葉を
反芻していた。
(あたしにとって、とても
大切な
人……か……)
大切な
人、
想い
人、
好きな
人、
恋人……。
今の
自分たちを
例えるならば、いったいどの
言葉がしっくりとなじむのだろう?
そのどれもが
当てはまるようであり、また
当てはまらないような
気がした。
むしろ
二人の
関係性を、たったひとつの
言葉で
表現するのは
難しいとすら
感じた。
そんな
自分は
思いあがっているのだろうか?
彼のことを
想うだけで、いつも
心の
奥が
暖かなもので
満たされる。
同時に
胸をかきむしられるほど、
心の
奥が
狂おしく
切ないものではち
切れそうになるときもある。
どちらともカタチは
違えど『
愛』という
感情なのだろう。
いずれにせよ、
知りあって
間もない
相手にさえ
気づかれてしまうほどに……。
彼への
想いは、
決壊を
起こしてあふれだしたコップの
水のように、
手に
負えなくなっているのかもしれない。
(
暴走する
感情は
危険……でも、それを
止められないのよね……)
そっと
少女が
吐息をついたとき。
森閑と
静まりかえった
大聖堂に、
翼がはためく
音が
反響して、アナベルの
鼓膜をふるわせた。
はっと
我にかえると、
彼女は
星の
光がこぼれる
天井の
裂け
目を
見上げていた。
そこには
燦然と
輝く
白金の
使い
魔が、
数刻ぶりにその
姿を
少女の
前にあらわしていた。
宙に
舞ったセルフィンは、なにかを
気遣うようにゆっくりと
降下してくる。
弾かれたように
駆け
寄ろうとしたアナベルは、なぜかいったん
踏みとどまり
足を
止めた。
やがて、
瞳を
細めてじっと
見つめているうちに、セルフィンが
速度をおとした
理由に
気づくと、
彼女は
慄然とした。
「──ロジオンッ!!」
せつないまでに
悲痛な
叫びが、
彼女の
細い
喉から
発せられる。
(あたしは……あたしはなんて
馬鹿だったんだろう……!?)
アナベルは
自分の
頭に
冷たい
水でもぶっかけてやりたいほど、さっきまで
彼のことをなじっていた
自分を
激しく
後悔していた。
(こんなに……こんなにぼろぼろになってまで、
戦ってくれていたっていうのに!!)
セルフィンの
背には、
口から
血を
流して
横たわるロジオンの
姿があった。
血の
気がなく
蒼白な
顔は、
苦悶の
表情を
刻んだまま
時を
止めているかのように
見えた。