71.嘘つきだけれど大切な人

文字数 2,553文字




「もう限界(げんかい)だわ……!」


うめくような絶望的(ぜつぼうてき)声音(こわね)が、(よる)静寂(しじま)()いこまれていった。


まるでこの()()わり。とでもいうように(てん)(あお)ぐ。


アナベルはそれまで自分(じぶん)に、辛抱強(しんぼうづよ)()()かせてこらえていた不満(ふまん)爆発(ばくはつ)させた。


「きっと、あたしのことなんかすっかり(わす)れてるのよ……!こんな場所(ばしょ)(おんな)()平気(へいき)()たせるなんて、ロジオンなんかもうっ、(しん)じられない!!」


(こい)する乙女(おとめ)から一転(いってん)して態度(たいど)豹変(ひょうへん)させた少女(しょうじょ)は、()()がるなり大聖堂(だいせいどう)回廊(かいろう)を、()()きなく()ったり()たりしはじめた。


(かれ)がいなくなってから、どれほどの(とき)経過(けいか)したのだろう。


おそらくいつもならば、ふんわりとした天蓋(てんがい)のベッドで熟睡(じゅくすい)しているころだ。


(……一分一秒(いっぷんいちびょう)でも(はや)(もど)ってくるって、約束(やくそく)したのに……。(うそ)つき……!)


胸中(きょうちゅう)()ねてはみたものの、少女(しょうじょ)のなかでロジオンを心配(しんぱい)する気持(きも)ちと、なにもできずに()つしかないもどかしさが、焦燥感(しょうそうかん)とあいまって()()のない(いか)りに()わっていた。


しかし、言葉(ことば)のうえではロジオンを()めてはいるが、なにを(かく)そうアナベルは自分自身(じぶんじしん)に、もっともイラだちを(かん)じていたのだ。


(あたしなんてみんなみたいに魔法(まほう)使(つか)えないし、『(くろ)(へび)』の刺客(しかく)強敵(きょうてき)ぞろいで自慢(じまん)武術(ぶじゅつ)だって()()たない。いつも(まも)ってもらってばかりでホントにお荷物(にもつ)よね……。『エレプシアの乙女(おとめ)になったのはいいけど、これからロジオンの(やく)()てるのかな……)


注意(ちゅうい)しないと、マイナス思考(しこう)(そこ)なし(ぬま)(ひk)きずりこまれてしまいそうだ。


それにしても今日(きょう)は、ほんとうにあきれるくらい(なが)一日(いちにち)である。


正確(せいかく)には日付(ひづけ)をまたいでいるから、すでに二日目(ふつかめ)突入(とつにゅう)しているのだが……。


時間(じかん)感覚(かんかく)麻痺(まひ)してしまっているため、もはやそんなことはどうでもよかった。


いっそのこと(ねむ)ってしまえれば、()(やす)まるし(らく)なのかもしれない。


だが、ここは薄暗(うすぐら)地下(ちか)にある、なかば崩壊(ほうかい)した大聖堂(だいせいどう)


しかも女二人(おんなふたり)きりである。


いつ何者(なにもの)かに(おそ)われはしないかという不安(ふあん)と、わけのわからない緊張感(きんちょうかん)(こころ)(いと)がピンとはりつめ、眠気(ねむけ)すら()こりはしなかった。


「あの、ひとつ()いてもいいですか……?」


アナベルのようすをうかがいながら、おずおずと遠慮(えんりょ)がちにグランシアが(くち)をはさんだ。


ロジオンとの死闘(しとう)()(ひろ)げたグロリオーザ教主(きょうしゅ)・マティルデが、悪霊(あくりょう)契約(けいやく)して憑依(ひょうい)していた(むすめ)である。


()(うつ)られていたときの記憶(きおく)はなく、先刻(せんこく)までアナベルは、自分(じぶん)()りうる(かぎ)りのことがらを彼女(かのじょ)(はな)していた。


だが、それでもまだ説明不足(せつめいぶそく)(いな)めない。


ただ、ひたすらにロジオンの帰還(きかん)()たなければならないのは、彼女(かのじょ)同様(どうよう)なのだった。


「ちょうど(ひま)だし、なにを()いてくれてもかまわないわよ」


それまでの剣幕(けんまく)はどこへやら、アナベルは()さくに(おう)じた。


おもむろにグランシアの(とな)りにやって()ると、(かべ)にもたれて(こし)かける。


記憶(きおく)喪失(そうしつ)していて(こころ)もとないとはいえ、(いま)のアナベルにとってグランシアの存在(そんざい)はありがたかった。


ひとりぼっちで廃墟(はいきょ)にとり(のこ)されたなら、きっと()えられなかったに(ちが)いない。


(わたし)たちが()っているその……ロジオンさんという(ひと)は、どんな(かた)なんですか?」


グランシアは部分的(ぶぶんてき)記憶(きおく)をなくしているなりに、唯一(ゆいいつ)自分(じぶん)空白(くうはく)時間(じかん)()るロジオンに興味(きょうみ)をもったようである。


「……誠実(せいじつ)そうな(かお)をして、わりと平然(へいぜん)(うそ)をつくような(ひと)よ……」


にがにがしい表情(ひょうじょう)をうかべて、彼女(かのじょ)にしては(ひく)(こえ)でつぶやく。


「えっと性格(せいかく)とかではなくてですね。出自(しゅつじ)というかなにをなさっている(かた)なのかとか、アナベルさんとのご関係(かんけい)とか……?」


「……優柔不断(ゆうじゅうふだん)だし、ネクラだし、意外(いがい)自分勝手(じぶんかって)だし、そのうえ逃亡癖(とうぼうへき)もあるし……」


なおも質問(しつもん)無視(むし)して、アナベルは一人(ひとり)ぶつぶつと文句(もんく)をつぶやいている。


そのようすを()て、グランシアはある確信(かくしん)(おぼ)えた。


かつて、このような症状(しょうじょう)(おちい)っていた友人(ゆうじん)身近(みぢか)にいたので、彼女(かのじょ)もそうなのではないかと(さっ)したのだ。


「わかりました。アナベルさんにとって、とても大切(たいせつ)(ひと)なんですね……」


まるでたおやかに()百合(ゆり)のように、微笑(びしょう)したグランシアの(かお)をぼんやりとながめながら、アナベルは胸中(きょうちゅう)(ひそ)かにその言葉(ことば)反芻(はんすう)していた。


(あたしにとって、とても大切(たいせつ)(ひと)……か……)


大切(たいせつ)(ひと)(おも)(びと)()きな(ひと)恋人(こいびと)……。


(いま)自分(じぶん)たちを(たと)えるならば、いったいどの言葉(ことば)がしっくりとなじむのだろう?


そのどれもが()てはまるようであり、また()てはまらないような()がした。


むしろ二人(ふたり)関係性(かんけいせい)を、たったひとつの言葉(ことば)表現(ひょうげん)するのは(むずか)しいとすら(かん)じた。


そんな自分(じぶん)(おも)いあがっているのだろうか?


(かれ)のことを(おも)うだけで、いつも(こころ)(おく)(あたた)かなもので()たされる。


同時(どうじ)(むね)をかきむしられるほど、(こころ)(おく)(くる)おしく(せつ)ないものではち()れそうになるときもある。


どちらともカタチは(ちが)えど『(あい)』という感情(かんじょう)なのだろう。


いずれにせよ、()りあって()もない相手(あいて)にさえ()づかれてしまうほどに……。


(かれ)への(おも)いは、決壊(けっかい)()こしてあふれだしたコップの(みず)のように、()()えなくなっているのかもしれない。


暴走(ぼうそう)する感情(かんじょう)危険(きけん)……でも、それを()められないのよね……)


そっと少女(しょうじょ)吐息(といき)をついたとき。


森閑(しんかん)(しず)まりかえった大聖堂(だいせいどう)に、(つばさ)がはためく(おと)反響(はんきょう)して、アナベルの鼓膜(こまく)をふるわせた。


はっと(われ)にかえると、彼女(かのじょ)(ほし)(ひかり)がこぼれる天井(てんじょう)()()見上(みあ)げていた。


そこには燦然(もうぜん)(かがや)白金(しろがね)使(つか)()が、数刻(すうこく)ぶりにその姿(すがた)少女(しょうじょ)(まえ)にあらわしていた。


(ちゅう)()ったセルフィンは、なにかを気遣(きづか)うようにゆっくりと降下(こうか)してくる。


(はじ)かれたように()()ろうとしたアナベルは、なぜかいったん()みとどまり(あし)()めた。


やがて、()(ほそ)めてじっと()つめているうちに、セルフィンが速度(そくど)をおとした理由(りゆう)()づくと、彼女(かのじょ)慄然(りつぜん)とした。


「──ロジオンッ!!」


せつないまでに悲痛(ひつう)(さけ)びが、彼女(かのじょ)(ほそ)(のど)から(はっ)せられる。


(あたしは……あたしはなんて馬鹿(ばか)だったんだろう……!?)


アナベルは自分(じぶん)(あたま)(つめ)たい(みず)でもぶっかけてやりたいほど、さっきまで(かれ)のことをなじっていた自分(じぶん)(はげ)しく後悔(こうかい)していた。


(こんなに……こんなにぼろぼろになってまで、(たたか)ってくれていたっていうのに!!)


セルフィンの()には、(くち)から()(なが)して(よこ)たわるロジオンの姿(すがた)があった。


()()がなく蒼白(そうはく)(かお)は、苦悶(くもん)表情(ひょうじょう)(きざ)んだまま(とき)()めているかのように()えた。



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