65.星の記憶、幼き日のはかない真実 

文字数 2,710文字




それは膨大(ぼうだい)(ほし)(ひかり)(うず)だった。


(ひかり)埋没(まいぼつ)してゆく感覚(かんかく)とともに、少年(しょうねん)(とき)をさかのぼっていた──


(なんだろう……この感覚(かんかく)……ひどく(なつ)かしい……)


そこには見慣(みな)れた庭園(ていえん)が、視界(しかい)悠々(ゆうゆう)(ひろ)がっている。


おそろしく世界(せかい)(おお)きく(かん)じるのは、自分(じぶん)()(ちぢ)んでしまったせいだろう。


「かあさま……。にいさまがぼくのたいせつなおもちゃかえしてくれないの……!」


三歳(さんさい)になったばかりのロジオンは、舌足(したた)らずな(こえ)椅子(いす)(こし)かけた義母(ぎぼ)()びかけた。


(そうだ。かすかに(おぼ)えている……。このとき(ぼく)はまだ、マティルデ義母(かあ)さんのことを本当(ほんとう)のお(かあ)さんだと(おも)っていた……)


「ほんとうに(わる)いお(にい)さまね……(すこ)(しか)ってやらなくては……」


眉根(まゆね)()せてため(いき)をこぼしながら、義母(ぎぼ)(ふく)らんできた腹部(ふくぶ)(まも)るように、()をあててゆっくりと()()がった。


このときすでに腹違(はらちが)いの(いもうと)、レクシーナを胎内(たいない)宿(やど)していた。


(レクシーナ……(ぼく)(いもうと)……。(にい)さんと義母(かあ)さんを()くしてから、屋敷(やしき)()きこもるようになってしまった。かわいそうなレクシーナ。ぜんぶ(ぼく)のせいだ……)


まだ(しあわ)せだったころの家族(かぞく)(おも)()


自分(じぶん)だけが異質(いしつ)存在(そんざい)だということに、()づかないでいられた(おさな)日々(ひび)


砂上(さじょう)楼閣(ろうかく)のように、もろく(はかな)幻想(げんそう)


幸福(こうふく)だった日常(にちじょう)崩壊(ほうかい)するとき──


きっかけはいつだって、ささいな一言(ひとこと)からはじまる。  


「ねぇ、どうしてかあさまはにいさまのことはしかるけど、ぼくのことはしからないの……?」


それは子供(こども)のどうということもない素朴(そぼく)疑問(ぎもん)のはずだった。


だが、その言葉(ことば)(はっ)せられるやいなや、(きゅう)におそろしいほどの静寂(せいじゃく)が、少年(しょうねん)のちいさな世界(せかい)支配(しはい)した。


あきらかに義母(ぎぼ)動揺(どうよう)しているのが、幼心(おさなごころ)にもひしひしと(つた)わってきた。


ときとしてなにげない一言(ひとこと)が、運命(うんめい)()めるスイッチを()してしまうことがある。


(すこ)しの逡巡(しゅんじゅん)のあと、義母(ぎぼ)決意(けつい)(かた)めたように(しず)かな口調(くちょう)()げた。


(まえ)から()おうと(おも)っていたのだけど……。(わたし)はね、あなたの本当(ほんとう)のお(かあ)さまじゃないの」


ロジオンは意味(いみ)がわからずぼうぜんとしていたのだろう。


(おさな)さゆえに、なにも()えずに棒立(ぼうだ)ちになっていた。


「だからあなたには遠慮(えんりょ)しているの。だって、()がつながっていないのだから……」


義母(ぎぼ)(くち)からそれまで(ふう)()めていた言葉(ことば)が、(せき)()ったように次々(つぎつぎ)にあふれだした。


「あなたのお(かあ)さまはね、あなたを()んで()んでしまったの。(わたし)から(おっと)をうばった(ばつ)……!」


「かあさま……?」


何度言(なんどい)わせるの?(わたし)はあなたのお(かあ)さまじゃないのよ……」


それまで()いたこともないような義母(ぎぼ)(こえ)だった。


()(はな)されたことで、(はじ)めて(かれ)はさとった。


「セルフィンに大切(たいせつ)なおもちゃを()りあげられて、あなたは(かな)しかったでしょう?(にい)さまをうらんだでしょう?(わたし)もおんなじ。あなたのお(かあ)さまに大切(たいせつ)なものをとられて(くる)しかったの。(うら)んでいるの……!(うら)んでも(うら)みきれないくらいに」


(こころ)(ふか)場所(ばしょ)に、ずんと(ひび)いてくる真実(しんじつ)(おも)さが少年(しょうねん)(おそ)った。


自分(じぶん)(のぞ)まれた存在(そんざい)ではないという、それどころか(うら)まれてさえいるという罪人(つみびと)烙印(らくいん)を。


「あなたのお(かあ)さまはとっても意地悪(いじわる)なことをしたのよ」


とどめを()されたように、ロジオンは(くさ)むらを()けだしていった。


()(まえ)から(とお)ざかってゆく少年(しょうねん)を、マティルデは()()めることもなく見送(みおく)った。


──残酷(ざんこく)すぎたかもしれない。


でも、それはいつか()出生(しゅっせい)真実(しんじつ)であり、()えられない宿命(しゅくめい)でもある。


(ぼく)(つみ)意識(いしき)は、あのとき(はじ)めて()()けられたのかもしれない……。生前(せいぜん)義母(かあ)さんが本心(ほんしん)をさらけ()したのは、あれが最初(さいしょ)()間際(まぎわ)最後(さいご)だった……)


数分後(すうふんご)(いき)(はず)ませ、(にわ)()えた大樹(たいじゅ)根元(ねもと)から()(かえ)してきたロジオンは、けんめいに義母(ぎぼ)姿(すがた)(さが)した。


幼心(おさなごころ)に、(きず)ついた(むね)(いた)みや(かな)しみは()えなかった。


だが、それ以上(いじょう)(かれ)には、どうしても義母(ぎぼ)につたえなければいけないことがあった。 


(そうだ、(おぼ)えてる。あのときのこと……(ぼく)真実(しんじつ)から()()したんじゃなかった……!)


そして()けずりまわった()てに、ようやく()つけた義母(ぎぼ)(うし)姿(すがた)


そこには、(ふか)(かな)しみがはりついていた。


彼女(かのじょ)はうちひしがれていた。


よわい自分(じぶん)に。


なにより他人(ひと)をゆるせない自分(じぶん)に。


ただひたすらに、息子(むすこ)(きず)つけた自分(じぶん)に。


もうずいぶん(なが)(あいだ)彼女(かのじょ)自分(じぶん)自分(じぶん)がゆるせなかった。


その(つみ)意識(いしき)(おも)さ……。


見知(みし)った家族(かぞく)におとずれた、微妙(びみょう)異変(いへん)()ぎとったのだろう。


その()()けつけた少年(しょうねん)は、ひるんだように()ちすくむ。


一瞬(いっしゅん)にして年老(としお)いたようなその背中(せなか)に、少年(しょうねん)勇気(ゆうき)()(しぼ)って(こえ)をかけた。


「かあさま……これあげる……」


(ちい)さな()のひらに(にぎ)られた(ぎん)のロザリオ。


太陽(たいよう)女神(めがみ)祝福(しゅくふく)がこめられた十字架(じゅうじか)


マティルデの(ひとみ)見開(みひら)かれる。


家族(かぞく)(だれ)よりも信心深(しんしんぶか)彼女(かのじょ)だった。


教会(きょうかい)でひたむきに(いの)姿(すがた)(うつく)しかった。


「ぼくね、いちばんたいせつなものは、だれにもとられないようにひみつのばしょにかくしてるの。だからぶじだったんだ。……ぼくのたからもの。かあさまがいじわるされたなら、ぼくはやさしくする。ぼくはやさしいこになる。だからなかないで……なかないでかあさま……」

        ☆

マティルデはいっさいの抵抗(ていこう)()せず、ひと(おも)いに(けん)(むね)()しつらぬかれていた。


(しろ)(ほお)一筋(ひとすじ)(しずく)をしたたらせ、その(かお)微笑(ほほえ)んでいるようにも()えた。


(あるじ)をうしなった黒曜石(こくようせき)祭壇(さいだん)に、(またた)()亀裂(きれつ)(はし)り、こなごなに(くだ)()った──


教団(きょうだん)象徴(しょうちょう)であった『(くろ)(へび)』のレリーフが、(おと)もなく(くず)()った。


セルフィンと(たたか)っていた二匹(にひき)大蛇(だいじゃ)が、雄叫(おたけ)びを(とどろ)かせ(ひかり)(なか)埋没(まいぼつ)消滅(しょうめつ)した。


胎内(たいない)のようにピンク一色(いっしょく)()めつくされた大聖堂(だいせいどう)が、(またた)()(しろ)(きよ)められてゆく。


(……義母(かあ)さん……?)


ふいに修道女(しゅうどうじょ)から()()した(ちい)さな(ひかり)


もと教主(きょうしゅ)であり、ひとりの母親(ははおや)だった(おんな)(たましい)


その(ひかり)天高(てんたか)()(のぼ)ると、(そら)()いこまれるように消失(しょうしつ)した。


()けの明星(みょうじょう)()らされて、金色(こんじき)(かみ)()少年(しょうねん)一人静(ひとりしず)かにたたずんでいた──


結界(けっかい)()かれたことに()がついたアナベルは、(いそ)いでロジオンのもとへ()()った。


()(ほそ)めて地底(ちてい)(ひら)いた(あな)から天空(てんくう)見上(みあ)げると、(かれ)過去(かこ)(かえり)みるようにつぶやいた。


「これで……よかったのかな……」


「……あなたはお義母(かあ)さんの(たましい)(すく)ったのよ……」


ロジオンのまっすぐな(あお)(ひとみ)()けとめると、(はげ)ますようにアナベルが()った。


「……それと、(いのち)()けて(まも)ってくれてありがとう」


乙女(おとめ)(はな)(せい)のように微笑(ほほえ)むなり、(いと)しい少年(しょうねん)(うで)(なか)(いきお)いよく()びこんでいった。


()きつかれたロジオンは動揺(どうよう)し、硬直(こうちょく)すると赤面(せきめん)したまま(こえ)()せずにいた。


なつかしい()だまりのような(にお)いが鼻腔(びこう)をくすぐる。


深呼吸(しんこきゅう)して気持(きも)ちを()()かせると、今度(こんど)はしっかりと彼女(かのじょ)()()めた。



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