「あそこが
例の
教会なんだね」
やや
日も
傾きはじめた
東街の
片隅。
朽ちかけた
廃墟を
遠景に
眺めながら、ロジオンは
建物の
隙間に
潜みつつ、
声を
落として
傍らの
青年にたずねた。
「ああ、おそらくグロリオーザの
連中が
潜伏しているとみて、
間違いないぜ」
ラグシードの
口調は
意に
反して
軽いものだったが、それでもロジオンの
心に
暗い
不安の
影を
落とした。
少しでも
緊張をほぐそうと、
彼は
救いを
求めるように
視線を
真横に
走らせた。
そこには
合成獣化したセルフィンが、
翼をたたみ
行儀よく
石畳に
寝そべっていた。
正午すぎのやわらかな
光を
浴びて、
気持ちよさそうにうたた
寝をしている。
そのようすを
目を
細めてながめていたロジオンが、
戯れにセルフィンの
首筋をなでてやると、
愛嬌のある
仕草でぱたぱたとしっぽが
左右にゆれた。
ふさふさした
白いたてがみの
感触が、
敵地に
挑まんとするロジオンの
張りつめた
神経をなごませてくれた。
セルフィンを
同行させるかどうか、
直前まで
真剣になやんだ。
だが、
結局連れてゆくことに
決めた。
『
黒い
蛇』のアジトに
潜入するにあたり、
戦力が
必要だったこともあるが、ぽっかりと
空いた
心の
隙間を、なにか
温もりのあるもので
埋めたかったような
気がする。
ふれている
手のひらを
通して、セルフィンの
生命の
輝きが
熱の
塊のように
伝わってくる。
主人への
信頼を
宿したオッドアイの
瞳が、つかの
間彼を
癒してくれた。
そんなふうに
自分を
慕ってくれている
使い
魔に
依存してしまうほど、
彼はとてつもなく
寂しかったのかもしれない。
「それにしても
短期間でよく
情報を
集められたね」
壁にもたれていた
黒髪の
青年は、いつになく
自信に
満ちた
物腰で
静かにうなずいた。
「そりゃあ
多少の
荒療治は
必要だったさ。それとつてをたどって、
元信者の
女を
口説き
落としたのも
大きかったけどな。
一度親密になりゃあ
女なんて、こっちの
聞いてないことまでペラペラしゃべってくれるからな」
ロジオンは
少しでもラグシードを
見直したことを
後悔していた。
(でもまあ、そのお
陰で
今こうして、
敵のアジトに
潜入する
機会が
得られたんだけどね……)
内心複雑な
想いで、
相棒の
功績をたたえていたちょうどその
時……
「きゃっ!
放してくださいっ!」
瞬間、
耳に
飛びこんできたただならぬ
声に
驚いて
我に
返ると、ロジオンは
悲鳴があがった
方角へ
視線を
走らせた。
すると
教会の
扉から
締めだされた
若い
娘が、
乱暴に
路地にたたきつけられて
転倒した。
「………うぅ………」
「ったく!
手荒なまねを。
大丈夫か?
娘さん」
本能的に
救助に
駆け
寄ったラグシードがすばやく
娘を
抱き
起こした。
白い
装束を
身にまとい
一輪の
百合のように
清楚なその
娘は、
思わず
見惚れてしまうような
端整な
顔立ちをしていた。
「──お
願いです!
助けてください……
妹が……
黒装束の
男に
連れていかれたんです!」
懇願するように
瞳を
潤ませた
声の
主は、
年のころ
二十歳くらいの
修道女だった。
透き
通るような
白い
肌に、
凛としたつぶらな
瞳が
印象的だ。
「どうする?ロジオン。どっちみち
俺たちもこれから
中に
潜入するところだ」
「
放ってはおけないよね。お
嬢さん、
危険なのであなたはここで
待っていてください。
僕たちが
妹さんを
助けられるよう……
最善をつくします」
「いいえ!
一緒に
行かせてください」
見かけによらず
気迫の
満ちた
表情で、
修道女はロジオンにつめよった。
「
君、
正気で
言っているの?これから
僕たちが
潜入する
場所は、
状況しだいでは
生きて
帰ってこれないかもしれない
邪教徒の
巣窟なんだよ」
「つまり
俺たちは
自分のことで
精一杯で、あんたを
守りきる
保障はできないんだ」
なんとか
娘を
説得しようと、ラグシードは
厳しい
現実を
突きつけた。
「
危険なことくらいわかっています……!でも、
私はどうしても
妹を
助けたいんです」
敬虔な
信徒が
身につける
銀のロザリオが、
彼女の
決意をあらわすように
光輝いた。
「これでも
修道院で
『太陽の女神』様のもと
修行を
積み、
高位の
神聖魔法を
習得しました」
「へぇ」と
感心したように、ラグシードが
意外そうに
修道女を
見つめた。
「だから
自分の
身くらいは
守れます。けしてご
迷惑はかけません!それと
以前……いけないとは
思ったのですが、
妹に
誘われるままに
集会に
参加したことがあるんです。なので
少しは
内部にくわしいかと……」
「
道案内してくれるっていうの?」
ロジオンがたずねると、
娘は
力強く
首をたてにふった。
ラグシードが
調達してきた
地下都市の
古地図だけでは、
探索するのは
少々心もとないと
思っていたところだったのだ。
「
決まり、だな?」
「
危険は
承知で──それでも
僕たちに
同行したいんですね?」
娘は
無言のまま、
真剣な
表情でこくりとうなずいた。
「じゃ、
手短に
自己紹介を。
俺は
剣士でラグシードっていうんだ。こいつの
護衛をしてる」
「
僕は
魔法使いのロジオン。とある
事情で
僕たちは『
黒い
蛇』グロリオーザの
教主を
探してるんだ」
「そうですか──
私の
名はグランシア。アトゥーアンの
大聖堂に
仕える
修道女です」
☆
扉を
開けると
教会はすでにもぬけの
殻だった。
礼拝堂を
一直線にのびる
回廊を
進むと、グランシアは
祭壇上にあった
左右の
燭台を
手にとった。
そして、
慎重に
中央の
幾何学的な
紋様のくぼみにはめこんだ。
瞬間、
地鳴りのような
轟音とともに
石の
床が
開き、
通路とおぼしき
階段が
出現した。
ひゅうという
歓声のようなラグシードの
口笛が
響く。
地下に
吹きだまった
冷気が、こちらに
容赦なく
吹きつけてくる。ロジオンは
思わずぶるぶるっと
身をすくめた。
「とにかく
下りるしか
手はないみたいだ」
三人はセルフィンをお
供に
連れて、
慎重に
地下通路への
階段を
下りていった。
「うわっ。あんのじょう、まっ
暗闇だな……」
セルフィンの
目が
闇の
中でそこだけ
光っている。さすが
獣だけあって
目が
利くのだ。
『フォーチュン・タブレット第五篇・星の魔法円』
ロジオンは
背中からロッドを
抜き
取り、
灯火の
魔法を
唱えた。
【 漆黒の闇を照らす暁星! 】
魔法石が
炎のように
妖しくゆらめき、
周囲をまぶしく
照らし
出した。
視界が
明るくひらけて
見えると、
地下都市のほとんどが
石造りで
出来ているようだった。
思いのほか
内部は
広大な
規模をほこっており、さながら
迷宮のようだった。
彼らの
行く
手には、
歳月を
経た
石壁の
通路が
直線上にえんえんと
続いている。
「
私の
憶測ですが、
妹が
連れ
去られた
場所はおそらく
主祭壇の
間。
信者たちの
集いの
場であるだけではなく、
信仰のために……その…
供物を……」
それ
以上言わなくてもいい、というようにロジオンはグランシアの
言葉を
制した。
「
案内してください。きっと
僕の
探している
人物もそこにいるはず……!」
「あなたも
誰か
大切な
人を
奪われたのですか?」
ふいにかけられたその
言葉に、
遠き
日に
犠牲となった
兄や
義母の
姿を
想い
起こして、
彼はひどく
神妙な
気分におちいった。
「──いや、とうの
昔に
亡くしました。
今日はその
弔いです」
修道女はそれ
以上口を
挟まず、
沈黙を
守ったまま
足早に
先を
急いだ。