31.キスは別れのはじまり

文字数 2,198文字




(そら)(あか)()まっている。


(しろ)円柱(えんちゅう)夕陽色(ゆうひいろ)()()えて、今日(きょう)()()れようとしていた。


中庭(なかにわ)のベンチに(すわ)り、アナベルは噴水(ふんすい)をながめていた。


一人物想(ひとりものおも)いにふけっているのだろうか。その横顔(よこがお)夕陽(ゆうひ)()びて、少女(しょうじょ)魅惑的(みわくてき)(かげ)()としている。


いつもとはちがうアナベルの姿(すがた)に、ロジオンは戸惑(とまど)いしばらく言葉(ことば)(うしな)っていた。だが、(かれ)覚悟(かくご)()めて(あゆ)()った。


水面(みなも)(うつ)夕陽(ゆうひ)綺麗(きれい)だね」


ふいに(こえ)をかけられ、アナベルは(いき)がつまりそうになった。


噴水(ふんすい)(うつ)ったロジオンの(かげ)が、(かぜ)微妙(びみょう)にゆらいでいる。


(かれ)(しず)かにとなりに(すわ)ると、しばらく沈黙(ちんもく)(まも)っていた。やがて(かお)をこちらに(かたむ)けると、じっと(ひとみ)()つめてくる。


その視線(しせん)がいつもより(あつ)(かん)じられた。


「………どうかしたの?」


緊張(きんちょう)心細(こころぼそ)いあまり、アナベルは言葉少(ことばすく)なにそうたずねた。


「これからどこかに()かないか?」


その言葉(ことば)独特(どくとく)浮遊感(ふゆうかん)をもって彼女(かのじょ)(みみ)()びこんできた。


()(のぞ)んでいたはずの言葉(ことば)をささやかれ、有頂天(うちょうてん)になってもいいはずなのに、(こころ)はどこか()めていた。


アナベルはふと親友(しんゆう)()われた言葉(ことば)(おも)()していた。


(かれ)旅人(たびびと)で………すぐにあなたの(まえ)から姿(すがた)()すのよ。そんな相手(あいて)本気(ほんき)(あい)するつもり?』


出逢(であ)ってから、まだ数日(すうじつ)しか()っていなかった。


にも(かか)わらずこの()きずりの少年(しょうねん)(たい)して、(むかし)からとなりにいるような愛着(あいちゃく)(いだ)いてしまっていた。


(ちか)将来(しょうらい)(かれ)()(まえ)から()えてしまったら、違和感(いわかん)すら(おぼ)えるだろう。


(むね)(おく)がツンとするような(いた)みとともに。


(かれ)がいなくなるなんてこと、(いま)のあたしには想像(そうぞう)すらできない………!いつまでロジオンと一緒(いっしょ)()ごせるんだろう。そして(かれ)はそのことも承知(しょうち)であたしを(さそ)っているの?)


たちまち混乱(こんらん)(うず)にのみこまれそうになる。


(いま)までも漠然(ばくぜん)とした不安(ふあん)(かか)えながら、それを(つと)めて(おもて)()さず、アナベルは陽気(ようき)にふるまっていた。


そうでもしないと平静(へいせい)ではいられなかった。


ちょうどぽっかりと()いていた彼女(かのじょ)(こころ)隙間(すきま)()める最後(さいご)のピース。


やっと()つけたその貴重(きちょう)なひとかけらを、いとも簡単(かんたん)(うしな)ってしまうかもしれない(こわ)さに、アナベルは()えられなかったのだ。


想像(そうぞう)したくないことは、できるだけ(さき)のばしにする。彼女(かのじょ)(むかし)からの(わる)いくせだった。


(こい)はまるで媚薬(びやく)のようだ。


(あらが)おうとすればするほど、無意識(むいしき)(ふち)からゆさぶりをかけてくる。


じわじわと(こころ)のひだに()りそい、(すき)をうかがいながらゆるやかに()()発揮(はっき)する。


そして最後(さいご)(ねら)いすました(こい)()で、容赦(ようしゃ)なく急所(きゅうしょ)()ぬこうとするのだ。

        ☆

「どうして(だま)ってるの」


(きみ)らしくないとでもいうようにロジオンは(あお)()んだその(ひとみ)で、心配(しんぱい)そうに少女(しょうじょ)(かお)をのぞきこんだ。


どくんっと心臓(しんぞう)波打(なみう)った。


(そんな()であたしを()ないで………)


いつもの(あか)るい表情(ひょうじょう)(つく)れない。
快活(かいかつ)なアナベルを(えん)じられない。


自分(じぶん)自分(じぶん)制御(せいぎょ)できず、彼女(かのじょ)はたじろいでいた。


(なんなの?この気持(きも)ち………。あたしがあたしでなくなっちゃうみたい)


狼狽(ろうばい)するアナベルをよそに、永遠(えいえん)漂泊(ひょうはく)する旅人(たびびと)のように(うれ)いをふくんだまなざしで、(かれ)(しず)かにかたわらでたたずんでいる。


その視線(しせん)はさりげなく彼女(かのじょ)(ゆび)にそそがれた。


指輪(ゆびわ)、してくれてるんだね」


ささやいたロジオンの(こえ)は、うれしそうな(ひび)きをふくんでいた。


アナベルの左手(ひだりて)人差(ひとさ)(ゆび)に、それははめられていた。


小鳥(ことり)植物(しょくぶつ)紋様(もんよう)()られた(きん)のリング。
ロジオンからの大切(たいせつ)(おく)(もの)


「あんまり(やさ)しくしないで………」


(こころ)とはうらはらな言葉(ことば)が、(おも)わず(くち)をついて()ていた。


「アナベル?」


「どうせ、すぐどこかにいなくなっちゃうんでしょう?あたしのことなんかすぐに(わす)れてしまうんでしょ!だったら中途半端(ちゅうとはんぱ)(さそ)ったりなんかしないでよっ!」


(おも)いもよらぬ(はげ)しい拒絶(きょぜつ)言葉(ことば)に、ロジオンは衝撃(しょうげき)()(かえ)言葉(ことば)(うしな)っていた。


だが、自分(じぶん)()()けて(はし)()ろうとしている少女(しょうじょ)(うで)を、(かれ)無意識(むいしき)のうちにしっかりとつかんでいた。


(わす)れない………(わす)れられるわけないだろ………?」


ささやきながらアナベルを背後(はいご)から()きしめる。


全身(ぜんしん)火照(ほて)ったように(あつ)くなり、(むね)がきゅうっと(くる)しくなる。


いたたまれなくなるような(くる)おしさに(つつ)まれて、アナベルは急速(きゅうそく)(ちから)()けてゆくのを(かん)じていた。


二人(ふたり)()すくめられたように、そのままの姿(すがた)(うご)けないでいた。


(だめだ………このままじゃ、(きみ)(はな)れられなくなってしまう)


自分(じぶん)(うで)(なか)(ちい)さくふるえている(いとお)しい(いのち)


(まも)りたいと(おも)少女(しょうじょ)のぬくもり。


(うで)のなかで彼女(かのじょ)()きを()えると、正面(しょうめん)から()をあずけてきた。


「お(ねが)い………。もう(すこ)しだけあたしのそばにいて………!」


(いま)、この瞬間(しゅんかん)彼女(かのじょ)自分(じぶん)必要(ひつよう)だと()ってくれている。


じかに()れている彼女(かのじょ)(あつ)体温(たいおん)が、その(おも)いがいつわりではないことを(つた)えてくれている。そのことにロジオンは(ふか)感動(かんどう)(おぼ)えていた。


(………(きみ)()きだよ、アナベル。でも、(ぼく)のそばにいたらきっと(いのち)がいくつあったって()りやしない。そんな危険(きけん)(たび)に………(きみ)()れてゆくわけにはいかないんだ………)


(なが)沈黙(ちんもく)()りたあと、ロジオンは(みずか)らに()ばえた(おも)いをふり()るように、少女(しょうじょ)(ほお)にそっと(くちびる)()しあてた。


(おどろ)きのあまり、少女(しょうじょ)のからだがぴくりと(ふる)えた。


「………(きみ)のことは絶対(ぜったい)(わす)れない。だけど……(きみ)との約束(やくそく)(まも)れそうにない………」


(かれ)(しず)かに彼女(かのじょ)から(はな)れると、さびしそうに微笑(ほほえ)んで(わか)れの言葉(ことば)()げた。


「さよなら、アナベル。明日(あした)(ぼく)()()くよ」





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