空が
赤く
染まっている。
白い
円柱を
夕陽色に
塗り
変えて、
今日も
陽が
暮れようとしていた。
中庭のベンチに
座り、アナベルは
噴水をながめていた。
一人物想いにふけっているのだろうか。その
横顔は
夕陽を
浴びて、
少女に
魅惑的な
影を
落としている。
いつもとはちがうアナベルの
姿に、ロジオンは
戸惑いしばらく
言葉を
失っていた。だが、
彼は
覚悟を
決めて
歩み
寄った。
「
水面に
映る
夕陽も
綺麗だね」
ふいに
声をかけられ、アナベルは
息がつまりそうになった。
噴水に
映ったロジオンの
影が、
風で
微妙にゆらいでいる。
彼は
静かにとなりに
座ると、しばらく
沈黙を
守っていた。やがて
顔をこちらに
傾けると、じっと
瞳を
見つめてくる。
その
視線がいつもより
熱く
感じられた。
「………どうかしたの?」
緊張で
心細いあまり、アナベルは
言葉少なにそうたずねた。
「これからどこかに
行かないか?」
その
言葉は
独特の
浮遊感をもって
彼女の
耳に
飛びこんできた。
待ち
望んでいたはずの
言葉をささやかれ、
有頂天になってもいいはずなのに、
心はどこか
冷めていた。
アナベルはふと
親友に
言われた
言葉を
思い
出していた。
『
彼は
旅人で………すぐにあなたの
前から
姿を
消すのよ。そんな
相手を
本気で
愛するつもり?』
出逢ってから、まだ
数日しか
経っていなかった。
にも
関わらずこの
行きずりの
少年に
対して、
昔からとなりにいるような
愛着を
抱いてしまっていた。
近い
将来、
彼が
目の
前から
消えてしまったら、
違和感すら
憶えるだろう。
胸の
奥がツンとするような
痛みとともに。
(
彼がいなくなるなんてこと、
今のあたしには
想像すらできない………!いつまでロジオンと
一緒に
過ごせるんだろう。そして
彼はそのことも
承知であたしを
誘っているの?)
たちまち
混乱の
渦にのみこまれそうになる。
今までも
漠然とした
不安を
抱えながら、それを
努めて
表に
出さず、アナベルは
陽気にふるまっていた。
そうでもしないと
平静ではいられなかった。
ちょうどぽっかりと
空いていた
彼女の
心の
隙間を
埋める
最後のピース。
やっと
見つけたその
貴重なひとかけらを、いとも
簡単に
失ってしまうかもしれない
怖さに、アナベルは
耐えられなかったのだ。
想像したくないことは、できるだけ
先のばしにする。
彼女の
昔からの
悪いくせだった。
恋はまるで
媚薬のようだ。
抗おうとすればするほど、
無意識の
淵からゆさぶりをかけてくる。
じわじわと
心のひだに
寄りそい、
隙をうかがいながらゆるやかに
効き
目を
発揮する。
そして
最後に
狙いすました
恋の
矢で、
容赦なく
急所を
射ぬこうとするのだ。
☆
「どうして
黙ってるの」
君らしくないとでもいうようにロジオンは
碧く
澄んだその
瞳で、
心配そうに
少女の
顔をのぞきこんだ。
どくんっと
心臓が
波打った。
(そんな
瞳であたしを
見ないで………)
いつもの
明るい
表情が
作れない。
快活なアナベルを
演じられない。
自分で
自分が
制御できず、
彼女はたじろいでいた。
(なんなの?この
気持ち………。あたしがあたしでなくなっちゃうみたい)
狼狽するアナベルをよそに、
永遠に
漂泊する
旅人のように
憂いをふくんだまなざしで、
彼は
静かにかたわらでたたずんでいる。
その
視線はさりげなく
彼女の
指にそそがれた。
「
指輪、してくれてるんだね」
ささやいたロジオンの
声は、うれしそうな
響きをふくんでいた。
アナベルの
左手の
人差し
指に、それははめられていた。
小鳥と
植物の
紋様が
彫られた
金のリング。
ロジオンからの
大切な
贈り
物。
「あんまり
優しくしないで………」
心とはうらはらな
言葉が、
思わず
口をついて
出ていた。
「アナベル?」
「どうせ、すぐどこかにいなくなっちゃうんでしょう?あたしのことなんかすぐに
忘れてしまうんでしょ!だったら
中途半端に
誘ったりなんかしないでよっ!」
思いもよらぬ
激しい
拒絶の
言葉に、ロジオンは
衝撃を
受け
返す
言葉も
失っていた。
だが、
自分に
背を
向けて
走り
去ろうとしている
少女の
腕を、
彼は
無意識のうちにしっかりとつかんでいた。
「
忘れない………
忘れられるわけないだろ………?」
ささやきながらアナベルを
背後から
抱きしめる。
全身が
火照ったように
熱くなり、
胸がきゅうっと
苦しくなる。
いたたまれなくなるような
狂おしさに
包まれて、アナベルは
急速に
力が
抜けてゆくのを
感じていた。
二人は
射すくめられたように、そのままの
姿で
動けないでいた。
(だめだ………このままじゃ、
君と
離れられなくなってしまう)
自分の
腕の
中で
小さくふるえている
愛しい
命。
守りたいと
思う
少女のぬくもり。
腕のなかで
彼女は
向きを
変えると、
正面から
身をあずけてきた。
「お
願い………。もう
少しだけあたしのそばにいて………!」
今、この
瞬間、
彼女は
自分を
必要だと
言ってくれている。
じかに
触れている
彼女の
熱い
体温が、その
想いがいつわりではないことを
伝えてくれている。そのことにロジオンは
深い
感動を
覚えていた。
(………
君が
好きだよ、アナベル。でも、
僕のそばにいたらきっと
命がいくつあったって
足りやしない。そんな
危険な
旅に………
君を
連れてゆくわけにはいかないんだ………)
長い
沈黙が
降りたあと、ロジオンは
自らに
芽ばえた
想いをふり
切るように、
少女の
頬にそっと
唇を
押しあてた。
驚きのあまり、
少女のからだがぴくりと
震えた。
「………
君のことは
絶対に
忘れない。だけど……
君との
約束は
守れそうにない………」
彼は
静かに
彼女から
離れると、さびしそうに
微笑んで
別れの
言葉を
告げた。
「さよなら、アナベル。
明日僕は
出て
行くよ」