8.こっそり隠しておきたいレクシーナの背徳日記(わかりやすいように加筆しました)

文字数 4,400文字




(おれ)名前(なまえ)なんか、()かないほうが……。そのほうがあんたの()のためだよ」


限界(げんかい)まで(あま)(むしば)むように、その(ひと)はわたしの(こころ)不可侵領域(ふかしんりょういき)侵入(しんにゅう)してきました。


このままでは、いけない──
(かれ)野放図(のほうず)自分(じぶん)(まえ)で、()きなように君臨(くんりん)させていてはいけない。


そう(あたま)ではわかっているのに、わたしは(かれ)をあまやかしてしまいました。


青年(せいねん)変幻(へんげん)自在(じざい)で、たわむれに(あらわ)れたり()えたりして。()のひらの(うえ)(おど)るわたしを、(こま)らせて(たの)しんでいるようにも()えました。


だから、わたしは──


()いつめられた獲物(えもの)になった気分(きぶん)で、どこか(おび)えながらも一緒(いっしょ)にいるときは、不思議(ふしぎ)(くら)高揚感(こうようかん)をおぼえていました。


わたしはすっかり()わってしまった──
名前(なまえ)()らない『(かれ)』と出逢(であ)ったあの()から。


あの()。あの()もわたしはあらゆることから(のが)れようとして、故郷(こきょう)である最果(さいは)ての城塞(じょうさい)()じこもっていました。


たとえばそれが悪者(わるもの)幽閉(ゆうへい)されている()(うえ)ならば、殿方(とのがた)にとっては素晴(すば)らしく魅力的(みりょくてき)(むすめ)()えたことでしょう。


でも、わたしは(みずか)(のぞ)んで(かべ)(なか)にとどまり、その()から一歩(いっぽ)()()そうとはしなかった。


(きず)つきたくないばかりに──
慎重(しんちょう)に『(こころ)(とびら)』に(かぎ)()けて。


(すき)のないように──
喪服(もふく)連想(れんそう)させる質素(しっそ)な『(くろ)(ふく)』に()(つつ)んで。


気持(きも)ちのうえだけでも──
誰一人(だれひとり)()()らせないようにして。


(とら)われの姫君(ひめぎみ)(すく)王子様(おうじさま)も、あきれ()てて()()ってしまうほどの頑固(がんこ)さで、わたしは日常(にちじょう)(なが)されるように()きていました。


わたしが(めぐ)まれた()(うえ)でいなければ、とっくにどこかで野垂(のた)()に、この(いのち)はとうにつき()てていたかもしれません。


(わか)くして世捨(よす)(びと)のようなわたしの(まえ)に、あなたはとつぜん彗星(すいせい)のようにあらわれました。


真昼(まひる)なのに深夜(しんや)連想(れんそう)させる漆黒(しっこく)のローブをはためかせて、異国(いこく)旅人(たびびと)である青年(せいねん)絶望(ぜつぼう)していたわたしの(まえ)に、こつぜんと姿(すがた)をあらわしたのです。


わたしの不注意(ふちゅうい)で、鳥籠(とりかご)から()()してしまった(あお)小鳥(ことり)──


不自由(ふじゆう)牢獄(ろうごく)()じこめられていたのは、わたしではなくあわれな小鳥(ことり)のほうでした。


自由(じゆう)(もと)めて()ばたこうとした(あお)小鳥(ことり)は、(からす)襲撃(しゅうげき)をうけ()(なが)し、大地(だいち)(ちから)つきようとしていました。


そんな瀕死(ひんし)小鳥(ことり)(まえ)にして旅人(たびびと)は、ほかの(ひと)がするように冷酷(れいこく)()()りませんでした。それどころか奇跡(きせき)()こしたのです──


まるで(かみ)がかったような幻想的(げんそうてき)翠色(みどりいろ)(ひかり)(はな)たれると、生死(せいし)(ふち)をさまよっていた(あわ)れな小鳥(ことり)がたちどころに(よみがえ)り、それはもう()()きとさえずっていました。


その奇跡(きせき)目撃(もくげき)して、わたしは──うまく言葉(ことば)ではあらわせない興奮(こうふん)(つつ)まれました。


まるで一瞬(いっしゅん)にして(こころ)(あら)(きよ)められるようでした。


(からす)にいじめられて(きず)ついた小鳥(ことり)は、ひょっとすると自分(じぶん)自身(じしん)だったのかもしれません。


バルコニーの(うえ)でおろおろするばかりだったわたしに、(かれ)はこともなげに()いかけました。


「あんたの(とり)?」


それから(かれ)との交流(こうりゅう)がはじまりました。元気(げんき)になった(あお)小鳥(ことり)が、わたしと青年(せいねん)との()(はし)になってくれました。


その小鳥(ことり)(すく)った報酬(ほうしゅう)として(かれ)がもとめたのは、()くなった(あに)セルフィンが継承(けいしょう)していた三日月の曲刀(クレッセント・ダガー)でした。


(かれ)のために懸命(けんめい)屋敷(やしき)(さが)しましたが、ついに()つけることがかなわず──


唯一手(ゆいいつて)がかりを(にぎ)っているであろう(ちち)は、(りん)(ごく)()(おもむ)いたまま(いま)(かえ)らず、宝刀(ほうとう)のありかを()るすべがなく今日(こんにち)にいたります。


せっかく来訪(らいほう)してくださっても、なにも()()げることができないので、せめてもと美味(おい)しいお(ちゃ)やお菓子(かし)をふる()っていましたが。


そんなある()──


青年(せいねん)聖者(せいじゃ)のような(おこな)いをしながら、愚者(ぐしゃ)のような側面(そくめん)()つことを、わたしに()らしめる出来事(できごと)がありました。


あるとき(かれ)()(にお)いを()(なが)しながら、わたしの部屋(へや)をおとずれました。


わたしはおそろしくて(たず)ねることなどできませんでしたが。なにより黒装束(くろしょうぞく)についた()生々(なまなま)しさが雄弁(ゆうべん)物語(ものがた)っていました。


さっきまで(かれ)が、死体(したい)(そば)にいたのだということを──


そんな(ひと)来訪(らいほう)()ちわびることになるなんて、(ころ)がり()ちるように(こい)(おぼ)れるようになるなんて、(おも)いもしませんでした。


(かれ)はいつも(なぞ)めいていて、目隠(めかく)しされたまま漆黒(しっこく)のマントに(いだ)かれているような気分(きぶん)になった──


(おな)空間(くうかん)にいるだけでそわそわと()()かないような、淫靡(いんび)(なや)ましい気持(きも)ちにさいなまれます。


(おれ)がいると緊張(きんちょう)する?」


ときどき(はな)たれる見透(みす)かされたような言動(げんどう)にどきっとします。


でもそれは(うし)ろめたいけれど白状(はくじょう)してしまえば、(てん)にも(のぼ)りそうな心地(ここち)──


わたしは正常(せいじょう)ではなくなってしまったのかもしれない。そんな不安定(ふあんてい)感情(かんじょう)(なみ)()しよせてきて、たびたびわたしを()いつめます。


それほどまでにわたしは()わってしまった。はじめは見知(みし)らぬ旅人(たびびと)にすぎなかったあなたに、これほどまでに警戒心(けいかいしん)()くつもりなどなかったのに──


わたしの(こころ)魔法(まほう)でも使(つか)わなければ、(あし)()()れることすらできない。


()えない(たか)(かべ)がはりめぐらされた、いわば絶対(ぜったい)不可侵(ふかしん)領域(りょういき)です。


でも不思議(ふしぎ)なことに(かれ)は、自然(しぜん)()けこむように馴染(なじ)んでしまった。


(かたく)なだったわたしの(こころ)錠前(じょうまえ)が、いともすんなり(はず)されてしまったのは。


おそらく──


(おれ)名前(なまえ)なんか、()かないほうが……。そのほうがあんたの()のためだよ」


つぶやいた(かれ)横顔(よこがお)が、ひどく孤独(こどく)(かん)じられる瞬間(しゅんかん)があったから。


(とな)りに(すわ)っていて、わたしとおなじ孤独(こどく)(かれ)背負(せお)っているような。孤独(こどく)(とお)してつながっているような()がしたのです。


名前(なまえ)()らない。
(おし)えてもくれないあなた──


(かれ)天使(てんし)なのか悪魔(あくま)なのか、そのどちらでもないのか──(いま)だにわかりませんが。


それでも、わたしはあなたをひとり()ちわびています。





()いに()てくれない日々(ひび)が、あなたのいない日常(にちじょう)(つづ)いて──。


そのせいでしょうか、このところあなたの姿(すがた)(ゆめ)()てばかりいます。


自分(じぶん)気持(きも)ちがあまりにも(つよ)くなりすぎて、自分(じぶん)自分(じぶん)がこわくなります。


(こころ)平衡(へいこう)(たも)つのが(せい)いっぱいで、バランスがとれなくてよろめいてばかりいます。


あなたがわたしの(まえ)(あらわ)れてから、運命(うんめい)歯車(はぐるま)予想外(よそうがい)のほうに(ころ)がってしまった。(ころ)がるだけ(ころ)がって、地平線(ちへいせん)のはるか彼方(かなた)(とお)ざかってしまいました。


もう()めることはできないでしょう。


あなたから残酷(ざんこく)判決(はんけつ)(くだ)されない(かぎ)り、わたしの(こい)(やまい)永遠(えいえん)()えることはない。


あなたに(とら)われたように始終恋焦(しじゅうこいこ)がれているからでしょうか。目覚(めざ)めたあと動悸(どうき)がおさまらないような、(すこ)しはしたない(ゆめ)まで()てしまうようになりました。


(おも)()すと()ずかしさのあまり()(すく)みます……。一瞬消(いっしゅんき)えてしまいたくなるほど。


でも、(ゆめ)記憶(きおく)呼吸(こきゅう)をくりかえすだけで、容赦(ようしゃ)なく(うば)われてゆきます。


日々(ひび)()らしに埋没(まいぼつ)しているうちに、どんなに(あま)幻想(げんそう)残念(ざんねん)なことにすっかり(わす)()ってしまうのです。


わたしはこの(ゆめ)(わす)れずに(のこ)しておきたいと(おも)ったので、()(けっ)して()(しる)しておくことにしました。


()(ひと)によっては品性(ひんせい)(うたが)われてもしょうがないような、奇妙(きみょう)不可思議(ふかしぎ)恋愛(れんあい)小説(しょうせつ)のように(かん)じられるかも。


()いたら(だれ)にも()られない場所(ばしょ)に、こっそり(かく)しておかなくては………。

        ☆

(こころ)空洞(くうどう)()める方法(ほうほう)()っている』(かれ)()っていた。その言葉(ことば)があまりにも印象的(いんしょうてき)だったからでしょうか。


青年(せいねん)はそれから幾度(いくど)(ゆめ)(なか)にまで(あらわ)れて──(なが)れるような黒髪(くろかみ)をそばに(かん)じさせるほどの近距離(きんきょり)で、わたしに(あま)(ささや)いた。


「あんたの(こころ)(しん)じられないくらいに(から)っぽだから、(おれ)()たしてやるよ」


それには是非(ぜひ)ともあんたの協力(きょうりょく)必要(ひつよう)なんだと(かれ)はつづけた。


ああ、わたしが(なが)いあいだ(かか)えつづけてきた孤独(こどく)風穴(かざあな)を、さみしさの()()まりを、あなたは(いや)してくれようとしている。


(ゆめ)のなかだったけれど無性(むしょう)感激(かんげき)して、(おも)わず(かれ)につめ()っていました。


「──どうすればいいの?」


でも期待(きたい)一緒(いっしょ)不安(ふあん)もこみあげてきて、わたしの双眸(そうぼう)はゆらゆらと(はかな)げな(ひかり)(はな)ちながら、()えずまばたきをくり(かえ)していました。


「──どうすれば、いいの──?」


すがるような視線(しせん)にその人は、めずらしく戸惑(とまど)ったようでした。


(おし)えてほしいなら、ちょっとは()()いてくれよ?」


そんな(ふう)にたしなめられてやっと、臆病(おくびょう)なわたしは安心(あんしん)することができました。だけどそれでも勇気(ゆうき)()りずに、うつむいたまま懇願(こんがん)しました。


「……あなたに……おしえて、ほしい……。(すこ)し……こわいけど……」


(おも)いきってそう()げると青年(せいねん)は、いつもの悪戯(いたずら)()のようなあどけなさで、ふてぶてしいまでに不敵(ふてき)()みをこぼしました。


(かれ)泰然(たいぜん)としたようすを(くず)さずに、すっと人差(ひとさ)(ゆび)をわたしの(むね)(うえ)、ちょうど心臓(しんぞう)のあたりに移動(いどう)させると、


「ここに気持(きも)ちを集中(しゅうちゅう)させて」


とわたしの耳朶(じだ)にくちびるを()せてささやいた。


わたしは(ほお)(あか)らめながら()われるがまま、(かれ)指先(ゆびさき)()れている場所(ばしょ)意識(いしき)()ける。


からだ(じゅう)()心臓(しんぞう)めがけて加速(かそく)()してゆく。()奔流(ほんりゅう)(すさ)まじいほどの血流(けつりゅう)


──(くる)おしいほどに。
それだけで自分(じぶん)がどうにかなってしまいそうだった。


「それから……どうすれば……?」


(いき)()()えにその(さき)をたずねられて、青年(せいねん)愉快(ゆかい)そうに(わら)いながら(こた)えた。


「──あんたの(こころ)(なか)に、(おれ)()れればいいのさ」


青年(せいねん)はどうってことないさとばかりに、真上(まうえ)からわたしの(ひとみ)()らえてはなさずにそう()(はな)った。


おだやかな悪魔(あくま)のような視線(しせん)が、(たの)しそうな(ひかり)宿(やど)してわたしを見下(みお)ろしている。


「そうすれば(おれ)(やさ)しいばかりじゃないってこと、いやでも(おも)()ることになるぜ。異物(いぶつ)だらけで心臓(しんぞう)から()(なが)すことになるかもしれない。それでもあんたは()えられるの?」


わたしは悲鳴(ひめい)をあげたくなった。
(かれ)(たい)する恐怖(きょうふ)から?


──いいえ、そうじゃない。
そうじゃないの……。


だってあなたに()われる(まえ)に、そんな(こと)とっくの(むかし)にしていたからだ。


あなたはわたしのなかにいる。
()めやかな(こころ)(とびら)奥深(おくふか)くに……。


そう。あなたはもう()だらけで、(きず)だらけのわたしの(こころ)(なか)()んでいるんだもの……。


「こわくなった?」


(やさ)しくないはずの(かれ)が、奇妙(きみょう)(やさ)しい声音(こわね)でそう()いかける。


わたしは(しず)かに(くび)左右(さゆう)にふってこたえる。


──いいえ。
こわいけど、こわくないわ。


そこは(だれ)をも拒絶(きょぜつ)する。
わたしの(こころ)不可侵(ふかしん)領域(りょういき)


(しん)じられないことだけれど、あなたはそこに(まよ)いこんだ。たったひとりの侵入者(しんにゅうしゃ)


瞬時(しゅんじ)にわたしの(こころ)(ぬす)んでいった。
まるで恋泥棒(こいどろぼう)のような俊敏(しゅんびん)さで。


(こい)(まえ)ではだれもが無力(むりょく)になってしまう──
()きな(ひと)(まえ)にして、その()えわたった支配力(しはいりょく)にうちひしがれてしまう。


いびつな(かたち)にゆがめられた迷宮(めいきゅう)奥底(おくそこ)で、心細(こころぼそ)いようすで(たたず)んでいる奴隷(どれい)のような少女(しょうじょ)がいる。


あなたに「(あい)して」と(おも)いを(つた)えられなくて、沈黙(ちんもく)(つらぬ)くしかないみじめなわたしがいる。


その異様(いよう)ともいえる熱量(ねつりょう)がなぜか、(かれ)()()いたらしい──


青年(せいねん)貴族(きぞく)のように()をさしのべて、(あま)()わせるような一瞥(いちべつ)をくれるのだった。


「──あんたを(くる)わせたくなった。つきあってよ、(おれ)狂想曲(きょうそうきょく)に」



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