77.幸福になる資格

文字数 2,875文字




「じゃあ、あの悪天候(あくてんこう)(なか)(きみ)(もり)(はい)って()ったんだね?」


「ええ。そして天罰(てんばつ)(くだ)りました。あなたがたの姿(すがた)見失(みうしな)って(もり)をさまよい(ある)くうちに、(かえ)(みち)どころか時間(じかん)感覚(かんかく)さえわからなくなりました」


「あの()土砂降(どしゃぶ)りの(あめ)だったから……」


「そのうえ日中(にっちゅう)でさえ薄暗(うすぐら)(もり)(なか)ですから。どれほどの(とき)経過(けいか)したのか……。憔悴(しょうすい)しきった(わたし)放心(ほうしん)したように大木(だいぼく)()りかかって(すわ)りこみ、やがて睡魔(すいま)(おそ)われました。(わたし)意識(いしき)朦朧(もうろう)とし、()づくと黒装束(くろしょうぞく)集団(しゅうだん)()(かこ)まれていました。……それからのことは、ほとんど(おぼ)えていません」


グランシアは(かな)しげに微笑(ほほえ)むと、そっと視線(しせん)聖堂内(せいどうない)にさまよわせた。


(ぼく)義母(かあ)さんが悪霊(あくりょう)()()きして、(きみ)身体(からだ)()(うつ)ったんだ」


聖職者(せいしょくしゃ)でありながら、(こい)にうつつを()かした(ばつ)です。(こころ)(すき)悪霊(あくりょう)利用(りよう)されたんですわ」


(みずか)らを(いまし)めるように(きび)しい口調(くちょう)()げると、ロジオンに()かって真剣(しんけん)(ひとみ)()いかけた。


「あの(あと)、セルフィン(さま)は……?」


少年(しょうねん)一瞬言(いっしゅんい)いよどむと、困惑(こんわく)(あら)わにしたのち覚悟(かくご)()めた。


(きみ)()らないかもしれないけど……あの(とき)(にい)さんは……」


「やはり、そうでしたか……」


あらかじめ予測(よそく)していたことだったのだろう。


()いよどんだ言葉(ことば)(つづ)きを(さっ)して、グランシアは気落(きお)ちしたようにうつむいた。


そして慎重(しんちょう)言葉(ことば)(えら)んでいたのだろう。こちらに配慮(はいりょ)するように(はなし)をつづけた。


(わたし)としての記憶(きおく)はなくても、あなたのお義母様(かあさま)同化(どうか)してからの記憶(きおく)が、ぼんやりとですが(こころ)片隅(かたすみ)(のこ)っています。母親(ははおや)として無念(むねん)気持(きも)ちが、(わたし)にも(いた)いくらいに(つた)わってきますわ。……お母様(かあさま)(わたし)も、(かれ)(あい)していましたから」


グランシアの(かた)りを()()え、ロジオンとアナベルは(かた)()としてしばらくしんみりとした。


瞬間(しゅんかん)、ふとした(はず)みでロジオンの脳裏(のうり)に、(なつ)かしい記憶(きおく)(よみがえ)ってきた。

        ☆

最近(さいきん)、しょっちゅう礼拝(れいはい)()くよね。(にい)さんってそんなに信仰心(しんこうしん)(あつ)かったっけ?」


あれは兄弟(きょうだい)で、デルスブルクの(まち)散策(さんさく)している(とき)のことだった。


(きゅう)(あし)しげく教会(きょうかい)(かよ)うようになった(あに)不審(ふしん)(おも)い、つい(おとうと)詮索(せんさく)するように(かる)気持(きも)ちで疑問(ぎもん)をぶつけてみた。


(たん)なる好奇心(こうきしん)から(はっ)せられた()いかけだったが、(おも)いのほか(あに)動揺(どうよう)させる質問(しつもん)だったらしい。


いつもならば(にく)らしいくらいに余裕(よゆう)たっぷりで、どんなきわどい言葉(ことば)にも器用(きよう)におどけて対応(たいおう)してみせる(あに)だったが、その(とき)ばかりは(ちが)っていた。


ふいを()かれたのか、溌剌(はつらつ)として大人(おとな)びて()えたその横顔(よこがお)が、瞬時(しゅんじ)()れくさそうな健全(けんぜん)少年(しょうねん)(かお)()わっていた。


(その姿(すがた)が、なぜか印象的(いんしょうてき)(おぼ)えていたんだ……)


(あに)(はる)陽光(ようこう)()りそそぐ天上(てんじょう)をまぶしそうに見上(みあ)げながら、みずみずしく若葉(わかば)芽吹(めぶ)新緑(しんりょく)(なか)、うれしそうに(おとうと)()(かえ)ってこう(こた)えたのだ。


(おれ)(なか)女神様(めがみさま)()つけたんだよ」

        ☆

「……これからは故郷(こきょう)(もど)り、(みずか)らの(つみ)をつぐなって、お二人(ふたり)のご冥福(めいふく)(いの)りたいと(おも)いますわ」


二人(ふたり)(しず)かに目礼(もくれい)すると()()がり、修道女(しゅうどうじょ)聖堂(せいどう)()ていこうとした。


そのグランシアの背中(せなか)()かって、ロジオンは大声(おおごえ)()びかけた。


(にい)さんは……たぶん、(きみ)のことを()きだったと(おも)うよ!!」


白装束(しろしょうぞく)(かぜ)にゆれ、修道女(しゅうどうじょ)(むね)()かれたように()()まった。


そして彼女(かのじょ)ははっとしたように(おも)いをめぐらすと、(しず)かにこちらに()(かえ)してきた。


「……ごめんなさい。(わたし)ったらすこしそそっかしいの。大切(たいせつ)なものを(わた)すのを(わす)れるところでした」


そっと(かれ)手渡(てわた)されたのは、なつかしいあの(ぎん)のロザリオだった。


「これはあなたのお義母(かあ)さまの(もの)じゃありませんか?」


幼少(ようしょう)自分(じぶん)義母(ぎぼ)をなぐさめるために(おく)った、太陽(たいよう)女神(めがみ)十字架(じゅうじか)……。


マティルデがずっと()てずに()っていてくれたのかと(おも)うと、えもいわれず(むね)がつまった。


「あなたのお義母様(かあさま)はきっと、()きている(あいだ)あなたのことを一生懸命(いっしょうけんめい)(そだ)てていたと(おも)います。(しん)じていたからこそ(いさぎよ)(やいば)()()れた……。最期(さいご)瞬間(しゅんかん)(わたし)(たましい)()()わるほんのわずかな時間(じかん)でしたが、彼女(かのじょ)(こころ)はあなたへの感謝(かんしゃ)(やす)らぎに()ちていましたわ……」


「……………………」


「あなたが(しあわ)せになるようにと、ひたむきに(かみ)(いの)っていらっしゃいました。あの()(くる)しみをぜんぶ背負(せお)ってしまうから()きづらいだろうと」


それを()いてロジオンは複雑(ふくざつ)表情(ひょうじょう)をうかべた。


「……(ぼく)(しあわ)せになる資格(しかく)があるんだろうか……?」


なにげなくつぶやいた言葉(ことば)に、(かれ)()きざまが(かさ)なって()えた。


「あなたがそう(のぞ)むのなら。あなたには見守(みまも)ってくれる(ひと)がいるのですから」


少年(しょうねん)真摯(しんし)()いかけにも(どう)じることなく、グランシアはおだやかに()いきった。


(かれ)(あたま)のなかに、すでに()くなってしまった(もの)たちの面影(おもかげ)がうかんでは()えた。


その姿(すがた)(かれ)()まれてすぐに(いき)()きとった母親(ははおや)からはじまって、故郷(こきょう)(おか)(うえ)でたたずむ義母(ぎぼ)(あに)とつづいた。


(ぼく)のために犠牲(ぎせい)になった(ひと)たちは……ゆるしてくれるんだろうか……」


つぶやいて天井(てんじょう)()()から(そら)見上(みあ)げる。


永遠(えいえん)()ざされた暗闇(くらやみ)にも、やがて(ひかり)()すように夜明(よあ)けが(ちか)づいていた。


あたたかな(しろ)(ひかり)(くら)(こころ)深淵(しんえん)までも払拭(ふっしょく)していくようだ。


ふと、奇跡(きせき)()()りたかのように、ある言葉(ことば)がとうとつに(かれ)脳裏(のうり)()びこんできた。


それは()くなった(あに)、セルフィンの最期(さいご)言葉(ことば)だった。


自分(じぶん)犠牲(ぎせい)となって(いのち)()らした(あに)


(かれ)自分(じぶん)をうらんでいるのだと、(こころ)(おく)でずっと執拗(しつよう)(おも)(つづ)けてきた。


しかし、本当(ほんとう)自分(じぶん)をうらんでいたのは、(あに)ではなく自分自身(じぶんじしん)だったのではないか……?


(あに)義母(ぎぼ)(いのち)(おも)さを()()けて、()(つづ)ける(おも)さに()えきれず()()した(よわ)自分(じぶん)


そんな自分(じぶん)がなにより自分(じぶん)をゆるせなくて、(みずか)らにかけた(とお)()呪縛(じゅばく)


『こんなに(ひと)不幸(ふこう)にした人間(にんげん)は、一生不幸(いっしょうふこう)のまま()(つづ)けなければいけない』


幸福(こうふく)になってはいけない。


まちがっても自分(じぶん)なんかが、(しあわ)せを(もと)めてはいけないのだ。


それが真実(しんじつ)なのだと(おも)(つづ)けて()きてきた。


だけど……!


『もっと幸福(こうふく)(あじ)わえ、(おれ)(ぶん)まで……()きのびろ……』


それは(あに)自分(じぶん)との(わか)(ぎわ)(はっ)した言葉(ことば)だった。


(かれ)(いのち)()けてまで(おとうと)(つた)えたかった(おも)い。


すっかり(わす)()っていたその言葉(ことば)(おも)(かえ)して、ロジオンはそれまで(おさ)えていた感情(かんじょう)(せき)をきったようにあふれ()るのを(かん)じていた。


(もう、はじまったときからすでに……ゆるされていたのか……)


こらえきれなかった。


もう、こらえる必要(ひつよう)もなかった。


すがっていもいい、(あい)する(ひと)(そば)にいてくれるのだから──


(……(にい)さん……。(ぼく)(しあわ)せになる資格(しかく)をもらっても、いいんだよね……?)


「……ロジオン……?」


異変(いへん)()づいたのか、アナベルが心配(しんぱい)そうに(ちか)づいてきた。


その足音(あしおと)()きながら、少年(しょうねん)幸福(こううふく)(ある)いてきてくれたのだと実感(じっかん)した。


(かれ)はいっさいの(こえ)()てずに()(くず)れた。


その身体(からだ)をとまどいながらも、少女(しょうじょ)(やさ)しく(ささ)えてやっている。


(かみ)よ。(わか)いお二人(ふたり)にどうか祝福(しゅくふく)を……)


()()二人(ふたり)姿(すがた)(ひとみ)()きつけると、修道女(しゅうどうじょ)(むね)(うち)(いの)りをささげた。


(かな)わなかった自分(じぶん)(こい)(なつ)かしく(おも)()すように(まぶた)()じる。


やがて(かぶり)()ると、(しず)かにその()()っていった。



ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み