少年は
丹精をこめて
職人に
作られた
人形みたいだ。
くるくると
表情が
変わる。ゆたかに
気まぐれに……それでいて
愛くるしい。
ストレートの
艶やかな
頭髪をやさしく
撫でてやると、
少年は
気持ちよさそうに
目をつぶった。
めずらしく
無言になって、
大人しく
撫でられるままでいた。
血統書つきの
犬か
猫か……。
毛並みの
良い
動物をブラッシングしているような、ゆったりと
心癒される
時間。
陶酔にちかい
気持ちになって、レクシーナは
瞼を
閉じた。
うとうとと、まどろむように。
でも、
男の
子は
言葉をもたない
動物とはちがい、
意思疎通できる
人間の
子だ。
だから、しっとりとした
沈黙の
時間は、しょせん
永くは
続かない。
「……たいくつ……」
少年がぽつりとつぶやいた。
不満をもらすように。
「ごめんなさい。
退屈でしょ。わたしといると……」
「そうじゃなくて!」
悲鳴のような
声で
言葉をさえぎると、
卑屈すぎる
少女の
態度が
気に
食わないとばかりに、
軽くからだを
押しのけた。
「……あ……」
拒絶されたような
気がして、
少女の
心の
中をさびしい
風が
吹き
抜けた。
気むずかしいところのある
少年なのだ。なついたかと
思って
油断すると、
急に
牙をむいて
襲いかかってくるような。
独特の
不安定さがある。
こちらを
一方的に
搔き
乱してくるのは、なぜなのか……。
少女は
知らない。
「お
姉ちゃんはさ、なんでさっき
泣いてたの?」
ずっと
心の
隅で
引っかかっていたのだろう。
少年は
今さらのように
気になっていたことを
口にした。
「なんでって……」
たずねられて、
彼女は
口ごもった。
少年の
言葉に
喚起されたように、すっかり
忘れ
去っていたはずの
胸の
痛みが、うずくようにして
甦ってきた。
名前も
知らない
青年の
姿が
瞼にうかんで、たちまちに
一瞬にして
消えた。
レクシーナは
苦い
物を
食べてしまった
直後のような、
辛いような
苦しいような、なんとも
複雑な
表情をうかべた。
「どうして
黙ってるの?
言いたくないことなの?ねえ、おしえてよ……!」
はぐらかそうとしても、
男の
子はしつこく
食いさがってくる。
駄々をこねるのは
子供と
一部の
女性の
特権だ。
自分は
不器用でこのところ、さっぱり
行使できたためしがないが……。
少女は
肩でため
息をつくと、
少年を
見つめて
途方に
暮れた。
暇つぶしのネタを
与えられたとばかりに、
好奇心に
満ち
満ちた
瞳でこちらを
見ている。
彼にあきらめるような
兆しは、ほんの
少しもうかがえなかった。
(……どうしようか……。でも、まだこんなに
幼いんだもの。
言ってもわからないわよね……)
心のどこかで、そう
高をくくってしまっていたのだろう。
子供のわりに
聡いこの
少年に、
彼女は
気づくと
口をすべらせてしまっていた。
「……
夢を、
見ていたの」
「どんな
夢?」
「すこしだけ、せつない
夢……。
夢の
中の
人とお
別れして、ちょっとさみしかったの」
それだけ
言って、しずかに
微笑む。
「へぇ、それって
好きな
人?」
間髪入れずに
答えがかえってきて、レクシーナは
思わず
動揺した。
「ちがうの!
最近、
逢えてなくて……それで……」
声が
震えて、
予想外に
少女はとまどう。
そのようすを
首をかたむけて
少年は、おもしろそうに
眺めている。
「なんでそんなに
赤くなってるの?」
「──っ!?──」
優越感にあふれたエメラルドの
瞳が、
満足気にすっと
細められた。
少女は
思わず
赤面してしまった
自分を
恥じたが、なんとか
心を
冷静にして
言葉をつづけた。
「
夢のこともあるけど、
泣いていたのはそれだけじゃなくて……」
「なくて?」
「このところ
久しぶりに、ずっと
一人きりでさみしかったの。お
父様が
遠出してまだ
帰らないし……。それに、お
兄様も
旅立ってしまって……。
逢わないままもう
二年が
経つわ」
そう
告げると
少年は、
目をまるくしてあきれたように
言った。
「……そんなに
長いあいだ
帰ってこないの?
一度も?」
「ええ。だけど、しょうがないのよ」
「しょうがなくないよ。ほったらかしでしょ?お
姉ちゃんのこと……」
少年は
怒ったように、
急に
親身になってつぶやく。
「
手紙を
書いても、あまり
返事もくれないのは、どうかと
思うけど……」
つられて、レクシーナも
本音が
口をついて
出る。
「ずいぶん
勝手だね。
薄情者だよ。そいつ……」
「ちがうわ。
優しい
人なのよ。でも、
優しすぎるからこの
場所にいられなくて──」
「──
臆病なだけさ。きっと
逃げだしたんだ。お
姉ちゃんをほうりだして、
自分だけ
外の
世界に
救いをもとめて
飛びだしたのさ」
「………………」
信じたくはなかったが、どこか
正論をついているような
気がして、レクシーナは
黙りこんだ。
「やさしそうに
見えるヤツって、トクだよね。まわりにいいように
誤解してもらえてさ」
少年は
吐き
捨てるようにそれだけ
言って、しばらく
黙りこんだ。
ずいぶんとひねた……
大人びた
考え
方をするものだ。
幼いときから
大人の
社会でもまれた
子供にまれに
見られる
特徴であったが。それにしても……と、レクシーナは
困惑した。
「……ありがとう。お
姉ちゃんのおかげで、いろいろとお
腹がいっぱいになったよ。なにかお
礼をしなくちゃね……」
「いいのよ。そんな
気をつかわなくても……」
急にあらたまったような
少年の
態度に
驚きながらも、こんな
子供にお
返しなどはじめから
求めてはいないと、やんわり
断ろうとした。
その
時──
そのまま
軽く
弾かれるようにして、ソファーに
突き
倒された。
少年はなにごともなかったかのような
涼しい
顔で、
少女の
両腕を
押さえつけた。
「……さびしいんでしょ?ぼくがお
姉ちゃんの
孤独をいやしてあげるよ……」
あまりのことにぼうぜんとしていると、
少年の
瞳の
奥に
妖しげな
光がともった。
「
女のひとが
喜ぶようなことをしてあげる……。ぼくからのプレゼントだよ?」
少女の
瞳が、
一瞬だけ
不安そうにゆらめいた。
「……いらない……ほしくないわ……」
ふるえながらも、めずらしくキッパリと
拒絶する。
「どうかな?たいていの
女は、これをほしがったけど……。お
姉ちゃんだけは『
例外』なのかな」
少年が
伸しかかってきた。ソファーがどんどん
沈んでゆく。
「いらなくても、ぼくがしたいんだ。お
姉ちゃんを
気持ちよくしてあげるよ……」
その
姿は
幼くとも
狂気にあふれていた。
これまで
見せていた
無邪気で、それでいて
傷ついた
繊細な
少年の
姿は、かりそめだったのだろうか?
それとも──
黒いワンピースのリボンがほどかれた。たじろぐ
間もなく
上から
順にボタンが
外されてゆく。
喉元から
胸にかけて
白い
肌が
露わになり、レクシーナは
愕然とした。
(こんなに
幼いうちから……!なぜ……?)
大人がこんなことを、こんな
小さなうちから
教えこんだのか?
こんな
子供に──
そう
思うとたまらなくやりきれなくなり、
少女は
絶望的な
気持ちにさいなまれた。
(こんな
子供にいいようにされて……このままじゃいけない……!!)
臆病な
自分でも
奮起しなければ──。
黙っていいなりになるわけにはいかない!
レクシーナはとっさに
少年の
頬を
強くはった。
ひどく
乾いた
音が、
部屋に
響きわたった。
こんな
臆病な
女にあらがうことはできやしないと、あなどっていたのか。
すくなくともこんなふうに、
抵抗されるとは
思っていなかったのだろう。はかなげな
姿にあざむかれ、
少年はショックを
隠せないようだった。
レクシーナは
少年を
突き
飛ばして
立ちあがると、すばやくその
場から
逃れた。
心臓がどくどく
脈打っていて、
呼吸がくるしい。
外されていたボタンを
震える
指で
留めると、
少女は
哀しそうな
顔で
少年を
見つめた。
「……ッ……!?」
とっさに
頬をおさえてキッとしたまなざしで、
彼は
獣のようにこちらを
睨みつけた。
「……きらいになっただろうね。ぼくのこと……」
「……………………」
「だけど、ぼくはけっこう
気に
入ってるんだ。お
姉ちゃんのこと……だから……」
「……………………」
「……ぼくをあいして……。せめて、きらいにならないで……」
そうして
目を
反らせると、
気まずそうに
少年は
肩を
落としてうなだれた。
なにも
答えることができなかった。
不思議なほど
胸がいっぱいになってしまって、
一言も……。
少女はぎこちない
仕草で、かわりにおおきく
一度だけうなずいた。
まごころをこめて──
はっとしたように、
少年の
目が
見開かれる。
「お
人よしだね。お
姉ちゃんは……ほんとにさ」
あきれながらも
満足そうにほほえむ。
それだけ
告げると、
少年は
気がすんだようだった。
「じゃ、さよなら……」
くるりと
背をむけて、
彼は
扉の
外に
消えた。
「──
待って!!」
レクシーナは
扉を
開け
放つと、
彼の
姿を
追いかけていた。
見知らぬ
少年と
短いけれど、
秘密のような
時間を
共有して……なんだか
離れがたいような
気持ちに
襲われていた。
「また……
逢えるかしら?」
「あうことはないよ。
二度とね……」
ぷいと
顔を
背けて、
少年はそっけなく
言った。
「そう……。さみしいな。せっかく
知りあえたのに」
はかなげに
微笑んだレクシーナの
姿が、
少年の
心を
動かしたのだろう。
彼は
彼なりに、
説明をこころみた。
「たぶん、もうこれない。
一度きり、
一度きりなんだよ……」
ほんとうは
覚悟していた。この
少年とは
二度とあえないだろうと。
ならばせめて……この
想いをなにかの
形で
伝えたい──
「……これを……」
少女は
首から
下げたペンダントを
外して、ちいさな
手のひらにそっと
握らせた。
それは
彼の
瞳と
同じ
色の、エメラルドの
宝石がはめこまれていた。
☆
青年はベットに
横たわりながら、
自分の
眼前にペンダントをぶらさげて
見つめていた。
(……
俺は、どうしてこんな
物を
持ってたんだ……?)
繊細な
装飾がほどこされた
金属の
縁に、
澄んだ
輝きを
放つエメラルドの
宝玉がおさまっている。
意識をたどってみても、なにも
思いだせそうもない。
『
治験薬を
飲んだせいで
時間が
退行し、
一時的に
子供になっていた』
そう
後になって、フローメンシスから
説明を
受けたものの……。
その
間の
記憶はどうあがいても、
一片たりとも
甦ってきそうにはなかった。
(……
最近の
俺は、どうかしてる……)
その
元凶がすべて、この
澄んだ
宝石のなかにひそんでいるような
気がして──なぜだか、
心がひどくざわついた。
ムスタインは
腹の
底から
憎しみがこみあげてきた。
おそらく
本物の
宝石だ。
売ればそれなりの
価値はあるだろう。だが、
今となってはどうしようもなく
目ざわりでしょうがなかった。
一秒たりとも
持っていたくなかった──
一瞬、ある
少女の
面影がふっと
重なって……
おそらく
生温い
感傷のようなものが、
胸のうちからこみあげてくるからだろう。
(そんな
感情は
不要だ──)
生きるか
死ぬかの
世界で、そんなものは
命取りになるだけだった。
彼は
吐き
気がするとばかりに、
一度顔をしかめると。
煮えきれない
感情を
断ち
切るようにして、そのペンダントを
屑かごに
投げ
捨てた。