1.世界の果てに想いをはせて

文字数 1,911文字




「……ほんとうはまだ、(かえ)りたくはないんだ……故郷(こきょう)には」


少年(しょうねん)はどこか(とお)くを()すえながら、視線(しせん)(ちゅう)にさまよわせた。


わずかに眉間(みけん)(きざ)まれた(ちい)さな(しわ)


その端正(たんせい)横顔(よこがお)には、現在(げんざい)複雑(ふくざつ)心境(しんきょう)()(かく)れしている。


「えぇっ!?あたしは()てみたいんだけどな。ロジオンの(そだ)った場所(ばしょ)


あからさまに落胆(らくたん)したような(こえ)をあげて、少女(しょうじょ)地面(じめん)()った。


庭土(にわつち)彼女(かのじょ)可憐(かれん)爪先(つまさき)をほんのすこし茶色(ちゃいろ)にそめた。


せっかくのお()()りの(くつ)(だい)なしだ。
でも、そんなことはぜんぜん()にならなかった。


さわやかな初夏(しょか)(かぜ)()きすぎてゆく。


二人(ふたり)生垣(いけがき)(みどり)がまぶしいマインスター()庭園(ていえん)散策中(さんさくちゅう)なのだった。


「きっと、ステキなところなんでしょうね……」


うっとりしたような陶酔(とうすい)表情(ひょうじょう)で、アナベルが(むね)のまえで()()みあわせていると……。


幻想(げんそう)をぶちこわすような容赦(ようしゃ)ない横槍(よこやり)(はい)った。


「──デルスブルクがかい?ここよりずっと田舎(いなか)で、自然(しぜん)にかこまれてる以外(いがい)は、とりたてて()どころのない(ちい)さな(くに)だよ」


ロジオンは自分(じぶん)故郷(こきょう)について(かた)るとき、いつもなんとはなしに消極的(しょうきょくてき)でそっけない言動(げんどう)になる。


そのことがアナベルにとっては、(なが)いこと()()ちなかった。


それは都会育(とかいそだ)ちの彼女(かのじょ)には、理解(りかい)しがたい心情(しんじょう)であるかもしれない。


都会(とかい)ならいいってもんじゃないわ。それに(うつく)しい自然(しぜん)(まさ)るものはないわよ。まるで世界(せかい)()てみたいな景観(けいかん)(ひろ)がってるっていうじゃない!」


「……世界(せかい)()てっていうと、壮大(そうだい)(かん)じがするけどさ……」


ロジオンは卑屈(ひくつ)(かん)じで、やや(かた)()としてつぶやいた。


(かれ)故郷(こきょう)デルスブルクは、実際(じっさい)最果(さいは)ての()揶揄(やゆ)されるような辺境(へんきょう)土地(とち)なのだ。


(ひと)自分(じぶん)環境(かんきょう)からかけ(はな)れれば、(はな)れるほど。


外界(がいかい)から隔絶(かくぜつ)された土地(とち)にほど、()()れないロマンを(いだ)いてしまうのかもしれない。


「とにかくとうぶん(かえ)るつもりはないんだ。──がっかりした?」


彼女(かのじょ)機嫌(きげん)をうかがうように、ちらりとその表情(ひょうじょう)(ぬす)()る。


(おも)いのほか少女(しょうじょ)(かお)()れやかだった。


そのことに安堵(あんど)しながらも、不思議(ふしぎ)(おも)ってじっと(ひとみ)()つめていると、彼女(かのじょ)はすこし()れたように(わら)った。


「そりゃあ(おとず)れてみたかったけど……。ちょっと(こころ)準備(じゅんび)必要(ひつよう)かなぁとも(おも)うし、いつか()れてってくれる()()ってるとしかいいようがないわ。それに──」


()いかけてアナベルはふいに()ちどまった。


それにつられるようにして、ロジオンも()ちどまる。


「あなたが()くところなら、ほんとうは何処(どこ)だっていいの」


真顔(まがお)ですごいことをさらりと()ってのける。


こういうところがかなわないよなと、ロジオンはささやかな(よろこ)びを胸中(きょうちゅう)でかみしめた。


「──お二人(ふたり)とも、こちらにおいででしたか……」


(とお)くからかけられた(こえ)同時(どうじ)にふり(かえ)ると、(いき)()らしながら執事(しつじ)であるブライトンが()()ってきた。


もう齢六十五(よわいろくじゅうご)をこえる老体(ろうたい)だったが、現役(げんえき)引退(いんたい)するそぶりさえ()せず、マインスター()(つか)える忠実(ちゅうじつ)かつ老練(ろうれん)執事(しつじ)だ。


当主様(とうしゅさま)仕事(しごと)合間(あいま)に、ロジオン(さま)にお()にかかりたいそうです」


執事(しつじ)二人(ふたり)(まえ)()ると、うやうやしく(こうべ)をたれてそう()べた。


「きっと、あの返事(へんじ)だわ……!!」


アナベルが興奮(こうふん)したように瞳孔(どうこう)(おお)きく見開(みひら)いて、ロジオンの()両手(りょうて)(つつ)むようにして(かた)くにぎりしめた。


「あたしもついてっちゃ、だめ?」


「お一人(ひとり)でお()しくださいとのことです」


淡々(たんたん)とブライトンが()げると、少女(しょうじょ)(ほお)をぶすっとふくらませて執事(しつじ)をにらんだ。


「ロジオン、あたしがいなくても大丈夫(だいじょうぶ)?」


(かれ)(うで)にそっと()()いながら、(すこ)不安(ふあん)そうにアナベルが()いかけた。


彼女(かのじょ)終始(しゅうし)そわそわとして、()()かないようすになるのも無理(むり)はない。


これからおもむく父親(ちちおや)との面談(めんだん)は、二人(ふたり)にとっては今後(こんご)人生(じんせい)()める、きわめて重要(じゅうよう)(はな)()いになるからだ。


「お父様(とうさま)はなかなかに手強(てごわ)いから、やっぱりあたしの援護(えんご)射撃(しゃげき)があったほうがいいと(おも)うんだけど?」


(きみ)のお(とう)さんは、(ぼく)一対(いったい)(いち)(はな)したいと()ってくださってるんだよ」


アナベルの発言(はつげん)にいっとき(なご)んだように微笑(びしょう)すると、ロジオンは彼女(かのじょ)をたしなめるように()った。


「……そうね。じゃあ、がんばって、ね……?」


まだ、どこかぎこちない表情(ひょうじょう)をうかべるアナベルの、ふっくらとした(ほお)両手(りょうて)(やさ)しく(つつ)む。


安心(あんしん)して。きっと説得(せっとく)してみせるよ」


そうしてじっと(ひとみ)(おく)まで()つめると、ようやく安堵(あんど)したのか、少女(しょうじょ)はほころんだ笑顔(えがお)()せた。


仲睦(なかむつ)まじいところ恐縮(きょうしゅく)ですが、当主様(とうしゅさま)はお(いそが)しく、お時間(じかん)があまりありませんので……」


しばらく動向(どうこう)見守(みまも)っていたブライトンが、遠慮(えんりょ)がちに催促(さいそく)する。


ロジオンは覚悟(かくご)()めたようにすうっと(いき)をすいこんだのち、()(まえ)執事(しつじ)()かって()った。


「──わかりました。(いま)からうかがいます──」



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