その
男は
遠くからでも
人目を
惹いた。
黒いインナーに
白いジャケットを
羽織り、
暑いからか
両方の
袖をまくって、
腰のポケットに
無造作に
手を
突っこんでいる。
野生動物のように
敏捷に
動く
琥珀色の
瞳。
全身が
引き
締まって
見えるのは、
職業柄鍛えているからにほかならない。
軽薄そうに
見えても、
日頃の
鍛錬は
怠らず。
そうでもしなければ
務まらない。
腕一本で
稼がなければならないのだ。
傭兵稼業はそう
甘くはない。
はず、なのだが……。
「ごめんね。
約束の
時間より
先に
来てくれてたんだ。……
待った?」
街灯の
下うつむいて
立っていた
若い
女に、そっと
優しく
声をかける。
はじかれたように
顔をあげて、
彼女は
嘘をつく。
「ううん。
今来たところ!」
女は
頭をふると
弾んだ
声をあげて、
男の
腕に
自分の
腕をからませた。
そして
二人は
歩き
出す。
真昼にはまだ
早い。
だが
朝と
呼ぶにはもう
遅い。
そんな
中途半端な
時間帯ではあったが……。
アトゥーアンの
中央広場は、
地元住民や
観光客が
絶えず
行き
交い、
周辺は
盛況に
満ちている。
混雑していた
屋台にならび、ようやくお
目当てのサンドを
購入することができた。
ロジオンは
顔をほころばせて、
恋人が
待つ
噴水の
前まで
歩いてきた。
「ごめんね。
待った?」
その
問いかけにも
答えず、アナベルが
大きな
目を
見開いて、がくぜんとしたようすで
立ちつくしていた。
その
瞳は
彼を
通りこして、はるか
遠くを
凝視している。
「……ど、どうしたの……??」
困惑したようすで
彼がたずねると、
彼女もまた
困惑したようすで
答えた。
「
見まちがいかもしれないんだけど……。ラグシードっぽい
人がいたの」
「へえ」
思わず
力の
抜けたような
返事をかえすと、ロジオンは
人ちがいなんじゃないかと
口に
出そうとして、アナベルに
先をこされた。
「
人ちがいなんかじゃないと
思うわ。あたしけっこう
視力はいいほうだから」
「じゃあ、
本人なんだと
思うよ。
同じ
街にいるんだから、
遭遇することはめずらしくもなんともない……」
「……
女の
人と
一緒だったの!
仲良さそうに
腕を
組んで……あっちの
角を
曲がって
通りすぎて
行ったわ!」
実際に
目撃してしまったのは、
初めてなせいか
衝撃が
強かったのだろう。
方角を
指ししめしながら、アナベルは
興奮したように
息巻いている。
「ほっとこう。いつものことじゃないか……」
遠い
目をしてしらけた
口調でつぶやく。
二年ほどの
付き
合いで
彼の
行動パターンのおおよそは
把握できている。
「ええっ!?
気になるじゃない。
後をついてってみようよ!」
「
追跡しても、ろくなことにならないと
思うけど……」
深追いは
野暮……。そうアナベルを
説得しようとして、ロジオンは
彼女の
肩をつかんで
引きとめた。
「
今日は
僕につきあってくれるっていう
約束だよね」
「それはわかってるんだけど、ちょっと
気がかりなことがあって……」
歯切れ
悪そうにして、
少女は
彼を
見上げる。
「ラグのことで、なんで
君が
心配する
必要があるんだよ」
少しムッとしたようすでロジオンが
言うと、
「ちがうの。たしか
営業のおそいパン
屋さんが……」
「はあ?」
わけのわからないことをアナベルが
言い
出した。それを
怪訝なようすで
見守っていると、
「そうよ!この
通りだわ。ちょうどこの
時間に
店開きするパンのお
店があるんだけど」
「それと
今回のことと、なにか
関係でもあるの?」
「
大ありよ!リームがそこの
常連なの。お
気に
入りのパンが
売り
切れないうちに、よく
開店直前にならぶって
聞いてたんだけど……」
なんとなくアナベルが
不安に
思っていることが
想像できてきた。
「その
店がある
通りを、さっき
二人が
曲がって
行ったから。もしかして、ひょっとすると……」
「……はちあわせするかも、しれないね……」
ロジオンはうめいた。
「でも、
別に
見かけたって、リームさんは
気にしないんじゃないかな。この
混雑だし
気づかないかもしれないよ……?」
「リームの
勘の
良さを
甘く
見ちゃだめ!エルフだから
五感が
鋭いし、なんたって
占い
師なのよ!」
彼の
腕をがっしりとつかむと、
少女は
険しい
形相でこちらを
見つめた。
彼女は
意外にも
腕力が
強いのでけっこう
痛い。
そのおかげで
必死さが
伝わってくるのだが。
「いや、まあそうだけどさ……。だけどさ、だいたい
二人は
付き
合ってるわけじゃないんだし」
気圧されたように
一度は
同意しつつ、そのあと
即座に
否定すると。
「ああ
見えて
気になってはいるのよ。
好きかどうかは
別として……」
アナベルは
冗談ともつかない
口ぶりで、こちらを
見ようともせずに
言った。それが
妙に
真に
迫っていた。
「そう……なんだ……。だとしたら、ラグはなんて
罪深いことを……」
彼はなんとなく
衝撃を
受けて
口をつぐんだ。
(……リームさんってもしかして、
質の
悪い
男に
引っかかりやすいのかな……?)
まともそうに
見える
彼女の
意外な
一面を
垣間見たような
気がして、ロジオンは
複雑な
面持ちをして、そう
胸中でつぶやいた。
ひとまずその
疑惑は
脇に
置いておくとして、
問題は
彼らを
尾行するかどうかだ。
(……アナベルは
気になってしょうがないんだろうけど、
僕はこれから
君を……)
連れていきたい
場所があるんだ。という
言葉をロジオンは
内心飲みこんだ。
まだ
日は
高い。
日照時間の
長い
季節だけあって、
夕方でもおそらく
明るいだろう。
そう
考えると
心配しなくても、
時間の
余裕は
思ったよりもあるような
気がした。
「……しょうがないな。
心配だからついてってみようか」
観念したようすでため
息まじりにそう
言うと、それまでそわそわした
素振りをみせて、
四方八方をうかがっていたアナベルが、
途端にうれしそうにこちらをふり
返った。
その
瞳が
待っていました!とばかりに、
好奇心に
満ちあふれてきらきら
輝いている。
(おんなのこって、ほんっとーにこういうの、
好きだよなぁ……)
けしていい
趣味だとはいえない。
俗っぽいというか、はっきりいって
下世話だ。ほんとうに
下世話だ。
しかし、かくいう
彼も
相棒の
行く
末は
気になっていた。
(なんだかのぞき
見するみたいで、
気が
引けるけど……。リームさんがからんできたら、アナベルも
黙っちゃいないだろうし。
万が
一もめごとが
起きないように、ぼくらが
見守る
必要があるよな)
ロジオンは
腕組みしながら、そう
自分で
自分を
納得させた。
「
見失っちゃう!はやくはやく~!」
手招きをしながら、
石畳の
上を
駆け
出した
少女の
背中を、ためらいがちに
少年は
祈りながら
追いかけた。
(……どうか、
修羅場になりませんように……!)
番外編7へつづく