50.彼はあなたのことが好きだったのよ

文字数 1,762文字




「めずらしいわね。リームがうちの屋敷(やしき)(たず)ねてきてくれるなんて」


普段通(ふだんどお)りのいたって自然(しぜん)なようすで、アナベルは親友(しんゆう)歓迎(かんげい)した。


リームを部屋(へや)(まね)()れると、さっそく窓際(まどぎわ)にもうけられたティーテーブルに案内(あんない)する。


丁寧(ていねい)刺繍(ししゅう)がほどこされた純白(じゅんぱく)のクロスがひかれ、(ぎん)(うつわ)には可愛(かわい)らしい菓子(かし)果物(くだもの)が、女心(おんなごころ)をくすぐるように(いろど)りよく()られている。


アナベルは来客用(らいきゃくよう)豪華(ごうか)なティーセットを準備(じゅんび)した。


()()りの茶葉(ちゃば)調合(ちょうごう)した特製(とくせい)のハーブティーをポットに投入(とうにゅう)し、ゆっくりと(しず)かにお()をそそぐ。その()つきが優雅(ゆうが)でなかなかさまになっていた。


精神(せいしん)()()かせる作用(さよう)があるというハーブの(かお)りが、ほんのり空中(くうちゅう)にただよい鼻腔(びこう)をくすぐった。


「この(かお)りがなんともいえないのよね……」


気心(きごころ)()れた女同士(おんなどうし)居心地(いごこち)のよい空気(くうき)(なが)れていた。


優美(ゆうび)曲線(きょくせん)をえがく陶器(とうき)のカップに(くち)をつけながら、(はなし)()りだすなら(いま)だとリームは直感(ちょっかん)した。


「ねえ、ロジオン(くん)のことなんだけど……」


「お姉様(ねえさま)といいリームといい、なんだってこう……しつこくあの(ひと)のことを()ちだすわけ?」


イラだったように親友(しんゆう)言葉(ことば)をさえぎると、心底(しんそこ)うんざりした表情(ひょうじょう)でアナベルは吐息(といき)をついた。


「だって……()きだったんでしょ?(かれ)のこと」


その発言(はつげん)に、アナベルは(しん)じられない!といった驚愕(きょうがく)(いろ)(ひとみ)宿(やど)した。


「あの(ひと)()()客人(きゃくじん)よ。(ちち)好意(こうい)でほんの数日(すうじつ)屋敷(やしき)滞在(たいざい)していただけじゃないの。()きになったりするわけないでしょ」


彼女(かのじょ)はきっぱり否定(ひてい)すると、それ以上触(いじょうふ)れられたくないのか話題(わだい)をそらした。


「ねぇ、それよりも(みやこ)指折(ゆびお)りのパティシエが……」


無論(むろん)、そんなことで(はなし)中断(ちゅうだん)するリームではない。


とどめの一言(ひとこと)をアナベルに()げかけた。


(かれ)はあなたのことが()きだったのよ」

        ☆

(いき)をのむようなかすかな(おと)


彼女(かのじょ)動揺(どうよう)が、()()るようにこちらにも(つた)わってくる。


「……まさか。ほとんど言葉(ことば)()わしたこともないのよ。冗談言(じょうだんい)わないでよ……」


(くちびる)をふるわせ決定的(けっていてき)一言(ひとこと)が、アナベルの(くち)からすべり()た。


(やっぱり記憶(きおく)がないんだわ!(かれ)との(おも)()がすっぽり()()ちている……。魔法(まほう)封印(ふういん)されたのね……。まったく、ロジオン(くん)(つみ)なことしてくれるわね)


リームはおもむろに(せき)()ち、()()きなく部屋(へや)(なか)(ある)きまわった。


記憶(きおく)をよみがえらせるなんて無茶(むちゃ)方法(ほうほう)。いくらなんでも簡単(かんたん)には(おも)いつかないわ)


室内(しつない)視線(しせん)をさまよわせたその(とき)、テーブルの(うえ)放置(ほうち)されたまま、()(ぬし)(うしな)ってさびしげに(ひか)(きん)指輪(ゆびわ)彼女(かのじょ)()()まった。


(……これだわ……!!)


以前(いぜん)、ロジオンからの(おく)(もの)だとアナベルが(はな)してくれたのを(おも)()したのだ。


指輪(ゆびわ)をつけた左手(ひだりて)をかざし、(こい)する乙女(おとめ)はその(かがや)きをいつまでもながめていた。


(いと)しそうに、くり(かえ)しくり(かえ)し……。


それほど大切(たいせつ)にしていた指輪(ゆびわ)だ。


二人(ふたり)(おも)()をつなぎ()める重要(じゅうよう)役割(やくわり)()たしているのではないかと直感(ちょっかん)したのだ。


「この指輪(ゆびわ)(だれ)がくれたか(おぼ)えてる?」


「……わからないわ」


懸命(けんめい)記憶(きおく)をたどろうとしても(かな)わず、失意(しつい)のままアナベルは(くび)真横(まよこ)にふった。


(いま)のあなたはいつわりの記憶(きおく)()えつけられてるのよ。本当(ほんとう)自分(じぶん)()(もど)したくない?」


親友(しんゆう)言葉(ことば)は、なぜだか少女(しょうじょ)(こころ)(するど)()()さった。


おずおずとリームの()から指輪(ゆびわ)()けとると、それを丹念(たんねん)にながめた。


大好(だいす)きな小鳥(ことり)植物(しょくぶつ)紋様(もんよう)が、精緻(せいち)()りこまれていた。


ふいにひどく(なつ)かしい気持(きも)ちがわき()こり、なぜだか意味(いみ)もなく彼女(かのじょ)()きたくなった。


(どうして……?なにも(おぼ)えてないのに、こんなにせつなくなるの?)


(むね)()めつけられるように(いた)んで、(やさ)しく慰撫(いぶ)されるのを()(のぞ)んでいた。


アナベルは(なが)らく(はず)していた(きん)指輪(ゆびわ)に、小刻(こきざ)みに(ふる)える(ゆび)でふれると、()(けっ)したように(ゆび)にはめてみた。


左手(ひだりて)薬指(くすりゆび)心臓(しんぞう)はつながっているという。


(こころ)がふたたび()りそうように、彼女(かのじょ)のもとに去来(きょらい)しようとしていた。


しかしその刹那(せつな)──


ぴりっとした微弱(びじゃく)電流(でんりゅう)(はし)り、記憶(きおく)(こころ)がつながるのを拒絶(きょぜつ)した。


アナベルは(ひとみ)をまたたかせると「(いま)のはなんだったの?」と、()いかけるようなあいまいな視線(しせん)()げかけた。


(『エンシェント・ルーン』が彼女(かのじょ)記憶(きおく)がよみがえるのを阻止(そし)したんだわ……!なんていう威力(いりょく)なの──!?)


いにしえの秘法(ひほう)底知(そこし)れぬ(ちから)にふれ、リームは(はや)くも怖気(おじけ)づいていた。



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