「めずらしいわね。リームがうちの
屋敷を
訪ねてきてくれるなんて」
普段通りのいたって
自然なようすで、アナベルは
親友を
歓迎した。
リームを
部屋に
招き
入れると、さっそく
窓際にもうけられたティーテーブルに
案内する。
丁寧な
刺繍がほどこされた
純白のクロスがひかれ、
銀の
器には
可愛らしい
菓子や
果物が、
女心をくすぐるように
彩りよく
盛られている。
アナベルは
来客用の
豪華なティーセットを
準備した。
お
気に
入りの
茶葉を
調合した
特製のハーブティーをポットに
投入し、ゆっくりと
静かにお
湯をそそぐ。その
手つきが
優雅でなかなかさまになっていた。
精神を
落ち
着かせる
作用があるというハーブの
香りが、ほんのり
空中にただよい
鼻腔をくすぐった。
「この
香りがなんともいえないのよね……」
気心の
知れた
女同士の
居心地のよい
空気が
流れていた。
優美な
曲線をえがく
陶器のカップに
口をつけながら、
話を
切りだすなら
今だとリームは
直感した。
「ねえ、ロジオン
君のことなんだけど……」
「お
姉様といいリームといい、なんだってこう……しつこくあの
人のことを
持ちだすわけ?」
イラだったように
親友の
言葉をさえぎると、
心底うんざりした
表情でアナベルは
吐息をついた。
「だって……
好きだったんでしょ?
彼のこと」
その
発言に、アナベルは
信じられない!といった
驚愕の
色を
瞳に
宿した。
「あの
人は
我が
家の
客人よ。
父の
好意でほんの
数日、
屋敷に
滞在していただけじゃないの。
好きになったりするわけないでしょ」
彼女はきっぱり
否定すると、それ
以上触れられたくないのか
話題をそらした。
「ねぇ、それよりも
都で
指折りのパティシエが……」
無論、そんなことで
話を
中断するリームではない。
とどめの
一言をアナベルに
投げかけた。
「
彼はあなたのことが
好きだったのよ」
☆
息をのむようなかすかな
音。
彼女の
動揺が、
手に
取るようにこちらにも
伝わってくる。
「……まさか。ほとんど
言葉を
交わしたこともないのよ。
冗談言わないでよ……」
唇をふるわせ
決定的な
一言が、アナベルの
口からすべり
出た。
(やっぱり
記憶がないんだわ!
彼との
想い
出がすっぽり
抜け
落ちている……。
魔法で
封印されたのね……。まったく、ロジオン
君も
罪なことしてくれるわね)
リームはおもむろに
席を
立ち、
落ち
着きなく
部屋の
中を
歩きまわった。
(
記憶をよみがえらせるなんて
無茶な
方法。いくらなんでも
簡単には
思いつかないわ)
室内に
視線をさまよわせたその
時、テーブルの
上に
放置されたまま、
持ち
主を
失ってさびしげに
光る
金の
指輪が
彼女の
目に
留まった。
(……これだわ……!!)
以前、ロジオンからの
贈り
物だとアナベルが
話してくれたのを
思い
出したのだ。
指輪をつけた
左手をかざし、
恋する
乙女はその
輝きをいつまでもながめていた。
愛しそうに、くり
返しくり
返し……。
それほど
大切にしていた
指輪だ。
二人の
想い
出をつなぎ
留める
重要な
役割を
果たしているのではないかと
直感したのだ。
「この
指輪。
誰がくれたか
覚えてる?」
「……わからないわ」
懸命に
記憶をたどろうとしても
叶わず、
失意のままアナベルは
首を
真横にふった。
「
今のあなたはいつわりの
記憶を
植えつけられてるのよ。
本当の
自分を
取り
戻したくない?」
親友の
言葉は、なぜだか
少女の
心に
鋭く
突き
刺さった。
おずおずとリームの
手から
指輪を
受けとると、それを
丹念にながめた。
大好きな
小鳥と
植物の
紋様が、
精緻に
彫りこまれていた。
ふいにひどく
懐かしい
気持ちがわき
起こり、なぜだか
意味もなく
彼女は
泣きたくなった。
(どうして……?なにも
憶えてないのに、こんなにせつなくなるの?)
胸が
締めつけられるように
痛んで、
優しく
慰撫されるのを
待ち
望んでいた。
アナベルは
長らく
外していた
金の
指輪に、
小刻みに
震える
指でふれると、
意を
決したように
指にはめてみた。
左手の
薬指と
心臓はつながっているという。
心がふたたび
寄りそうように、
彼女のもとに
去来しようとしていた。
しかしその
刹那──
ぴりっとした
微弱な
電流が
走り、
記憶と
心がつながるのを
拒絶した。
アナベルは
瞳をまたたかせると「
今のはなんだったの?」と、
問いかけるようなあいまいな
視線を
投げかけた。
(『エンシェント・ルーン』が
彼女の
記憶がよみがえるのを
阻止したんだわ……!なんていう
威力なの──!?)
いにしえの
秘法の
底知れぬ
力にふれ、リームは
早くも
怖気づいていた。