38.殺し合いをしてみないか?

文字数 2,208文字




(まさかフォルトナの契約(けいやく)()わすのに、こんな代償(だいしょう)必要(ひつよう)だとはね………)


ゆううつな気分(きぶん)()きずったまま、ロジオンはあてもなく市街地(しがいち)をぶらついていた。


師匠(ししょう)はどうして(おし)えてくれなかったんだろう?やっぱり(ぼく)怖気(おじけ)づくことを見抜(みぬ)いていたのかな)


中心街(ちゅうしんがい)(ひと)(おお)さにへきえきしながら、(かた)(かた)がぶつからないように神経(しんけい)をはって(ある)く。


(だれ)かを犠牲(ぎせい)にしてまで、(ぼく)契約(けいやく)()わす勇気(ゆうき)はない。………だけど………)


(まち)にこれだけ(ひと)があふれていながら、(だれ)()ちこんでいる自分(じぶん)には()もくれやしない。


(ぼく)真実(しんじつ)()りながらも、いまだに(こころ)空洞(くうどう)()めてくれる(だれ)かを(もと)めているのか?)


軟弱(なんじゃく)自分(じぶん)(おも)わずため(いき)がこぼれる。


(なさ)けなくて、でも、どうしようもないさびしさを(かか)えて()()まる。


(………アナベル………。さよならだなんて()ったけど、勝手(かって)だね。なんだか(きみ)にむしょうに()いたいよ………!)


少年(しょうねん)がふとした(はず)みで視線(しせん)()げると、(うす)(ぐら)雑踏(ざっとう)(なか)に、そこだけ(きわ)めて(あか)るく(かがや)満天(まんてん)(ほし)()つけたような()がした。


魅惑的(みわくてき)紫水晶(アメジスト)(ひとみ)()少女(しょうじょ)が、(みせ)(かざ)(まど)熱心(ねっしん)にのぞきこんでいる。


いつか披露(ひろう)した薄桃色(ピンクいろ)のシフォンドレス姿(すがた)で、(こい)する乙女(おとめ)妖精(ようせい)のような可憐(かれん)さをふりまいていた。


()でたくなるような、ふわふわした栗色(くりいろ)(かみ)(かぜ)(ただよ)わせ、かたくなに()ざされた(かれ)(こころ)さえ(あま)くとろかすほほえみを()かべ、硝子(ガラス)ケースの(まえ)にたたずんでいる。


(はな)(せい)彼女(かのじょ)(かさ)なって()えた瞬間(しゅんかん)を、(かれ)はふたたび記憶(きおく)(なか)によみがえらせていた。


(ああ、(きみ)はやっぱり(ぼく)の………『エレプシアの乙女(おとめ)』なのか………?)


ロジオンは()(まえ)のもやが()れ、視界(しかい)(ひら)けてゆくような爽快(そうかい)さを(あじ)わっていた。


しかし、そんな高揚感(こうようかん)もあっけなく()(くだ)かれた。


(アナベル………?)


彼女(かのじょ)(みせ)から()てきた(わか)(おとこ)視線(しせん)()うと、微笑(びしょう)()げかけ(した)しげな会話(かいわ)()わした。


そうしてさり()なく、相手(あいて)(うで)自分(じぶん)(うで)をからませたのだ。


洗練(せんれん)された()のこなしと二枚目(にまいめ)にふさわしい端麗(たんれい)容姿(ようし)


貴族(きぞく)とはいえ、山奥育(やまおくそだ)ちの少年(しょうねん)劣等感(れっとうかん)をあおるには、充分(じゅうぶん)すぎるほど都会的(とかいてき)大人(おとな)びた(おとこ)だった。


(おとこ)()にはたくさんの紙袋(かみぶくろ)(はこ)(かか)えられており、それらがすべて彼女(かのじょ)品物(しなもの)であることは一目瞭然(いちもくりょうぜん)だった。


二人(ふたり)(とお)りかかった馬車(ばしゃ)()()めると、ためらいもなくその(なか)()りこんだ。


(とびら)(おと)()てて()まり、馬車(ばしゃ)(はし)()すのをロジオンはただ茫然(ぼうぜん)見送(みおく)るしかなかった。


『あの()昨夜(さくや)(かえ)ってこなかったのよ。きっと友達(ともだち)のところでしょうけど………』


彼女(かのじょ)(あね)言葉(ことば)が、ふいに(あたま)(なか)再生(さいせい)した。


(なんだ………ちゃんと本命(ほんめい)恋人(こいびと)がいるんじゃないか………)


冷静(れいせい)()(まえ)現実(げんじつ)()()めると、ロジオンは自嘲的(じちょうてき)()みを()かべた。


(しけた指輪(ゆびわ)なんかじゃなく、あふれるほどの(おく)(もの)をくれる(おとこ)がほかにいるんじゃないか)


魅力的(みりょくてき)(わか)(むすめ)が、周囲(しゅうい)(おとこ)(おも)わせぶりな態度(たいど)をとるのはよくある(はなし)だ。


(おろ)かなのは、だまされた自分(じぶん)


彼女(かのじょ)にすっかり()をゆるし、重大(じゅうだい)秘密(ひみつ)()()けて、運命(うんめい)女性(じょせい)仕立(した)てあげるところだったのだ。


たまらなく自分(じぶん)がみじめだった。


(……ばかだな、本気(ほんき)になったりして……。(ぼく)はふらりと()()った旅人(たびびと)で、彼女(かのじょ)好奇(こうき)(しん)をほんの(すこ)しゆさぶったにすぎないんだ)


(きゅう)呼吸(こきゅう)(あさ)くなり、(かれ)手近(てぢか)()えていた樹木(じゅもく)(みき)にもたれかかった。


木陰(こかげ)太陽(たいよう)をさえぎり、(すず)しくて気持(きも)ちがいい………。


だが、(むね)()めつけるような息苦(いきぐる)しさだけは、いつまで()っても()えないのだ。


「………(きみ)は………(だれ)()きなの?」


つぶやきは一瞬(いっしゅん)で、(かぜ)のざわめきにかき()されていった。


むろん(こた)えなど(かえ)ってくるはずもない。


(……(むね)が……(いた)いよ。アナベル………!)


希望(きぼう)()(いま)やついえて(ふか)失望(しつぼう)にとって()わった。


(かれ)完全(かんぜん)()ちひしがれていた。

        ☆

どれほど(とき)()ったのかはわからない。


ゆううつな気分(きぶん)()きずったまま、少年(しょうねん)はあてもなく市街地(しがいち)をぶらついていた。


中心街(ちゅうしんがい)がこれだけ(ひと)であふれているのに、人々(ひとびと)自分(じぶん)になど()もくれず、足早(あしばや)(とお)()ぎていく。


(うつ)ろな気持(きも)ちを(かか)えたまま、一人(ひとり)うなだれて(ある)いていたロジオンは、瞬間(しゅんかん)ざわっと全身(ぜんしん)悪寒(おかん)(はし)ったような()がした。


異様(いよう)気配(けはい)(さっ)して、ロジオンは周囲(しゅうい)警戒(けいかい)した。


それまで(ある)いていたアトゥーアンの街並(まちな)みが次第(しだい)にゆがみはじめ、どんどん雑踏(ざっとう)(とお)のき(ひと)気配(けはい)(うす)れてゆく。


やがて(かれ)のいる場所(ばしょ)は、無人(むじん)廃墟(はいきょ)のように閑散(かんさん)とした(まち)へと変貌(へんぼう)していた。


(──瞬間移動(しゅんかんいどう)?)


それにしては(ひと)()んでいるような(ぬく)もりがいっさい(かん)じられない。生命(せいめい)とはおよそ無縁(むえん)無機質(むきしつ)ともいえる空間(くうかん)だ。


(いや、(ちが)う。何者(なにもの)かが意図的(いとてき)空間(くうかん)をゆがませたんだ………)


いずれにしろ術者(じゅつしゃ)(かれ)をおとしいれるために、高度(こうど)空間(くうかん)変異呪文(へんいじゅもん)使(つか)ったにちがいない。


そこには圧倒的(あっとうてき)虚無(きょむ)(やみ)が、両手(りょうて)(ひろ)げて()ちかまえているようだった。


教祖様(きょうそさま)命令(めいれい)とはいえ、こんな優男(やさおとこ)相手(あいて)じゃあやる()しねえな」


背後(はいご)からおざなりな(こえ)がして、ロジオンは反射的(はんしゃてき)にふり(かえ)った。


(いま)にも(くず)れそうな屋根(やね)(うえ)仁王立(におうだ)ちした黒装束(くろしょうぞく)(おとこ)は、鴉色(からすいろ)長髪(ちょうはつ)をうっとうしげにかきあげた。


(おれ)(くろ)(へび)ネペンテスの司教(しきょう)ムスタイン。おまえを()()りにしろっていう教祖様(きょうそさま)のご命令(めいれい)参上(さんじょう)した」


けだるい殺気(さっき)発散(はっさん)させながら、(おとこ)()()てるようにつぶやいた。


「もっとも()きてさえいりゃあ、半殺(はんごろ)しでもかまわないって(はなし)だけどよ。どうだい?(ころ)()いをしてみないか?」



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