「……あなたは
優しい
方ね。でも、とっても
純粋なお
馬鹿さん。
妹がさらわれたなんて
嘘、
見抜けないんですもの」
それまでの
白百合のような
謙虚さは、もはや
影をひそめていた。
そこにあるのはいくばくかの
優越と、
残りのほとんどは
蔑みの
視線だった。
「この
姿だと、どんな
男性も
油断するみたいですね」
美しい
双眸に
憐れみの
感情を
宿しながら、グランシアは
膝をついたまま
動けないでいる
少年を
見下ろした。
「もう
起き
上がる
力も
湧いてこない?……それこそ
私の
思う
壺だわ」
「……くっ……!!」
「この
【罪の教典】は
触れるだけで、
所有者以外の
魔法力を
吸収してしまうの」
絶望を
宣告する
女神のように、グランシアは
少年を
見下ろして
言った。
「これでもう、
秘儀呪文を
唱えることはできない。
残念だけど……。あなたにはわずかな
魔法力しか
残されていないわ」
自らに
襲いかかる
猛烈な
脱力感とたたかいながら、ロジオンは
怒りに
震える
拳を
血がにじむほど
思いきり
床に
叩きつけた。
「
君が
教主の
正体だったのか……。
僕たちを
平然と
騙してたのか……!」
「それだけじゃないわ。あなたが
寒気がするほど
甘ったるいお
坊ちゃんに
成長した
姿を
観察できて、すごく
愉しかった」
突如、グランシアの
澄んだ
声音ががらりと
変調し、ロジオンは
思わず
耳を
疑った。
「あのままだと
最悪の
場合、
精神が
荒廃して
心が
酷くねじ
曲がった
少年に
変貌してるんじゃないかって、ちょっとだけ
心配してたのよ?」
(この
声は……!!まさか!?そんなはずはない……)
「しばらくぶりね、ロジオン。こんな
姿じゃあ
気がつかなくて
当然ね。
最もこちらとしては、
魔法力の
増幅に
貢献してもらえて
好都合だったけれど」
みずみずしい
美貌を
誇る
女の
顔を
凝視しながら、
彼は
動転する
気持ちを
抑えて、
恐る
恐るその
名を
口にした。
「義母さん……。マティルデ義母さんなんだね?」
久しぶりに
呼ばれたとばかりに、
修道女はふっと
表情をゆるめると、こちらを
艶然と
微笑み
返した。
「ようこそ、
私の
祭壇へ。
『屍の怨霊グロリオーザ』の
教主マティルデが、あなたを
歓迎するわ」
祭壇に
捧げられた
幾本もの
蝋燭の
炎が、
無風にもかかわらず
奇妙にゆらめいた。
「
血のつながらない
私の
息子、あなたとこの
場所で
対面するのをずっと
待っていた……」
その
懐かしい
声は
甘く、どこか
呪われたような
響きをふくんで、
大聖堂に
轟いた。
「あなた、
私が
死んだと
思っていたのでしょう?……
無理もないわね。
私の
亡骸はちゃんと
発見されて
葬られたんだもの」
極度の
緊張ゆえに、ロジオンの
口内はからからに
乾ききっていた。
「
丘の
上に
立派な
墓標もあるわ。でも……
魂まではどうかしら?
私が
安らかに
天に
召されるとでも
思った?」
ロジオンは
喉を
湿らすために、
唾液を
無理に
飲みこんだ。
「あの
廃墟には
二つの
秘密があったわ。
一つはあなたも
承知のように、『
黒い
蛇』の
隠された
本拠地だったこと。そしてもう
一つは、
古くからの
言い
伝えにすぎないとされていた
噂が
本当だったこと」
「──!?──」
「
悪霊が
棲みついてるっていうあれね。あなたも
幼いころさんざん
聞かされたでしょう。
正確にいうと
気まぐれに
悪霊が
通過する、
単なる
通り
道にすぎないのだけど。ここまで
話せばあとは
想像がつくでしょう?」
「悪霊と契約を交わした……」
「そう、
簡単なことよ。あの
時私に
残されていた
選択肢は
二つだけ。すなわち
未練を
残したまま
『死』を
迎えるか、
悪霊に
魂を
売り
渡して、
他の
人間に
乗り
移り
『復讐』を
果たすのか……」
ぴんと
張りつめた
空気が
二人を
包んでいた。
「あの
日、
崖から
飛び
降りて
瀕死の
状態をさまよっていた
私の
思念は、たまたま
通りかかった
悪霊が、
取り
引きをもちかけたくなるほど
凄まじい
怨念の
塊だったのよ……」
「……
兄さんのことも、
義母さんのことも、
僕はとてもショックだった。……
哀しかったよ。みんな
僕のせいだって
思うと、
身が
引き
裂かれそうだった!でもだからって、なんでよりによって
『黒い蛇』の教主なんかにっ!?」
せつなる
訴えが、
叫びとなって
聖堂を
震わせた。
激しく
拳をわななかせると、ロジオンは
怒りにまかせて
壁に
叩きつけた──
じんわりと
手の
甲から
痛みが
広がってくる。
しかし、それは
心に
直接響いてくるような
痛みなのだ。
「
決まってるでしょう?すべて
復讐のためよ。
私の愛する息子……セルフィンを
殺した
憎い
教主に、
同じ
苦しみを
味わわせるためのね」
「……
教団に
潜入するためだけに、
信者になったってこと?」
「それしかあの
時は
方法がなかったわ。
悪霊の
力で、たまたま
廃墟の
近くをさまよっていた
修道女の
身体を
乗っとって、わざと
黒い
蛇の
信者に
拉致されたの」
あわれな
修道女グランシアは、マティルデの
怨霊にとりつかれた
犠牲者にすぎなかったのだ。
「
最初は
抵抗するふりをして……あとは
徐々に
感化されて
入信したようにみせかけたわ。
教団に
自然に
溶けこむようにね。
疑われてしまったら
計画がすべて
水の
泡だもの」
くすりと
美しい
口許をゆがめて
女は
言った。
「それで、
兄さんを
殺した
教主はどうなったの!?」
「
……教主?あのしょうもない
愚鈍な
男ね。
私の
乗り
移った
肉体が、
若くて
美しいのが
幸いしたわ。さりげなく
褥に
誘ったら、まんまと
引っかかって
夜更けに
寝室に
訪れたの」
可笑しくてしょうがないといった
嗤いをこらえ、
狂った
表情を
醜く
歪ませたまま、
義母は
残りの
言葉を
吐き
捨てた。
「
最期はあっけなかったわよ。
油断しているところを
血祭りにしてやったの。
心臓をえぐり祭壇にささげてやったわ。でも、
復讐はまだ
終わらない……」
マティルデは
孤独な
少年に
視線を
据えると、あわれむような
表情を
浮かべた
後、
呪いの
言葉をささやいた。
『──刑具、罪の教典!禍々しくも尊き屍の怨霊グロリオーザよ。呪われし宿命の少年に、責め苦と絶望の拘束具を!』
教主の
背後からぬっと
黒い
影が
出現し、
双頭の
蛇のように
分裂した。
二つの
影は、ロジオンを
両側からからめとるように
拘束し、
彼の
身体をきつく
締めあげた。
「うぐっ!?」
ぎりぎりと
身体が
軋む
音をたてる。
深く
食いこんだ
黒い
触手は、
彼を
容赦なく
苦しみのどん
底に
突き
落とす。
「
許せないわ……。
断じて
許すことなどできない!あんたが
セルフィンの代わりに死ねばよかったのよ!!あんたの
母親は
私の
夫をたぶらかし、そのあげくあんたが
産まれた。フォルトナの
末裔。あんたさえいなければ、
私も
息子も
命を
落とさずに
済んだのに……」
義母の
言葉は
呪詛のように、
彼の
脳髄に
押し
寄せ、
怒涛のごとく
責めたてた。
「──
逆恨みかしら?でもあの
日、
私の
運命の
歯車は
狂ったほうに
転がり
始めてしまった。もうもとに
戻すことはできないのよ」
「
義母さん……。
生前、あなたは
腹違いの
僕にも
分けへだてなく
優しくしてくれた。
嘘だろ?こんなのって……お
願いだから、
嘘だと
言ってくれよっ!?」
しかし
歯牙にもかけないという
素ぶりで、マティルデはあざけるように
鼻で
一笑した。
「これだから、
男ってみんなバカね。うわべの
演技にころっとだまされるんだから。
私は
慈愛に
満ちた
心の
広い
母親だっていう
世間の
評判がほしかっただけ。
偽りの愛を
演じてたのよ。あなただって
薄々感づいてたんじゃないの?」
教主の
女が、
人差し
指をくるりと
回す。
それに
応じて、
黒い
蛇の
触手がさらにきつく
締まり、
完膚なきまで
彼を
執拗にねじふせた。
「くっ……くるし…い」
息がつまり
呼吸にあえぐと、ロジオンは
陸に
上がった
魚のようにもがき
苦しんだ。
「それにしてもあなた、しばらく
見ないうちにいい
男に
成長したわね。……
殺すのが
惜しいくらいに」
妖艶な
笑みをうかべながら、マティルデはまるで
見透かすかのように、ロジオンの
瞳孔をのぞきこんだ。
「
想像を絶する苦悩が、あなたの
軟弱な
精神をたたき
直したのかしら?あの
女の
息子でなかったら、
魅了の
魔法をかけて
私の虜にしてしまうのに……」
残念そうに
悩ましげなため
息をつくと、
教主は
恍惚の
表情をうかべて、ロジオンの
胸に
黒い
蛇の
刻印を
指でなぞった。
「でも、お遊びはもうおしまい。私のセルフィンはあなたの身代わりに天に召された!今度はあなたの番よ。あの忌まわしい女狐の息子!あなたの息の根をとめて、生贄の祭壇を鮮血で染めてあげるわ!!!」