目の
前を
長い
渡り
廊下が
続いている。
まっすぐに
伸びた
緋色の
絨毯を
踏みしめながら、ロジオンは
索漠とした
気持ちのまま
自分の
部屋へと
向かっていた。
肩を
落としうなだれたように
歩いていた
彼は、ふと
視線をあげたその
先にアナベルの
姿を
見つけて
立ちどまった。
脳裏に
花畑での
光景が
一瞬にしてよみがえる。
自分が
犯してしまったあやまちを
思い
出し、
卑怯だとは思いつつその
場からすぐにでも
逃げ
出したいような
衝動に
駆られた。
「……………………」
長いような
短いような
沈黙の
後、あろうことかアナベルはこちらに
駆け
寄ってきた。
うしろめたい
気持ちを
抱えたまま、とにかく
彼女に
謝らなければいけないと、ロジオンは
覚悟を
決めて
口を
開いた。
「「──ごめん」」
偶然、
二人の
言葉が
重なった。
「そんな!
君があやまることなんかないんだよ。
僕が
悪いんだから──」
弾かれたようにロジオンがあわてて
謝罪すると、
「あたしのほうこそ、
思わずひっぱたいたりしてごめんなさい──」
消え
入りそうな
小さな
声でアナベルがつぶやいた。
二人の
空気がふっと
和んだように
感じた。
アナベルに
謝罪することができて、ロジオンはすっと
肩の
荷が
下りたようだった。
「じゃあ………
夜は
冷えるから、
早く
部屋に
戻ったほうがいいよ」
そう
言い
残して
立ち
去ろうとしたロジオンを
引き
止めようとして、アナベルはとっさに
彼の
服のすそをつかんでいた。
思わずどきりとして
反射的に
立ちどまってしまう。
彼がふり
返ると、そこには
真剣な
瞳で
自分を
見つめるアナベルの
姿があった。
「あたし、
今日はロジオンがいろんなこと
話してくれてうれしかった……。だから、あなたのこともっと
知りたいの………!」
彼女は
純粋な
好意から、その
言葉を
口にしていた。
だが、
意 に
反して
彼はハッと
表情をかたくすると、
瞬時に
目をふせた。そして
突き
放すようにそっけなく
言った。
「
知らないほうがいいことも、あると
思うよ──」
二人の
間を
隔てるように、
開いた
窓から
風が
吹き
抜けていった。
アナベルを
置き
去りにして、ロジオンはその
場を
後にした。
☆
漆黒の
闇に
塗りつぶされた
石室の
間。
天蓋におおわれた
台座の
内奥にたたずむ
人影が
一つ………。
屍の
怨霊というまがまがしい
二つ
名をかかげる
教主としては、
似つかわしくないほど
細見の
身体を
豪奢な
玉座にあずけている。
硝子のような
瞳は
感情をくり
抜いたように
生気をうしない、この
世の
者とは
信じがたいほど
生命の
希薄さを
感じさせた。
信者に
畏怖される
象徴であり
続けることはすでに
放棄していた。
グロリオーザはあの
宣託と
同時に
崩壊をはじめ、すでに
壊滅寸前まで
追いこまれている。
忠実な
部下を
残し、
信者たちは
宗派を
離反する
者も
後を
絶たない。
しかし、そんなことはもうどうでもよかった。
肉体と
精神の
融合という
限界が
近づいていたこともあるが、
現世に
執着させる
発端となったできごとが
終焉を
迎えようとしていた。
「セルフィン………」
うめくようにささやかれた
言葉。
教主の
瞳孔にほんのわずかだが、
魂のともしびが
宿ったようだった。
「………
達成される
時は
来たり。
忌まわしきフォルトナの
末裔よ………
宿命に
翻弄され、
愛する
者をうばわれる
苦しみの
業火に
焼かれるがよい………」
☆
黒い
蛇グロリオーザの
教主が
鎮座する
主祭壇の
間。
そこに
通じる
唯一の
扉。
その
警護にあたっている
黒装束の
男、
司教サルヴァルはただならぬ
気配を
察知して、
即座に
懐から
取り
出した
二本の
短刀を
殺気が
漂う
方角目掛けて
投げつけた。
「──ちっ」
彼は
舌打ちすると
苦々しい
表情で、
石の
壁に
突き
立った
二本の
短刀を
睨みつけた。
「ムスタインか………」
「──いい
加減になれろよな。
仲間を
侵入者と
錯覚するのは、
自分の
愚かさを
露呈してるようなもんだぜ」
鴉色の
長髪が
宙に
浮いたように
漂った。
黒衣をひるがえして
目の
前に
現れたムスタインという
男は、
皮肉っぽい
調子でそう
答えると、
唇から
鋭利な
犬歯をのぞかせて
笑った。
「ある
意味、おまえは
敵だと
思うがな」
サルヴァルは
神経質そうに
眼鏡のフレームを
指で
押し
上げると、
疑うような
冷やりとしたまなざしをムスタインに
投げかけた。
「──
宗派が
違うだけで、いつまで
経ってもお
客さんあつかいか。もっと
仲良くしてくれたって
一向にかまわないんだけどなぁ、
俺は」
ムスタインの
胸を
飾る
記章。
サルヴァルの
髑髏の
紋様とは
異なる
大蛇のレリーフが、
無慈悲に
輝きを
増す。
「
貴様は
無駄口ばかり
叩いてかなわん。
今回の
用件はなんだ?」
「おまえに
言うことは
何もねぇよ。
教主に
会って
直接話す。ただ、それだけさ」
「な………なんだと!?ふざけてるのか!!」
「
俺はいついかなる
時でも
正気だけどね。
周囲が
認めてくれないってだけで………。なんか
天涯孤独だなぁ」
ムスタインは
道化のようにつぶやくと、
大げさな
演技がかった
身ぶりで
天を
仰いでみせた。
「
孤独──か。
土の
中深く
眠れば、おまえも
永遠の
安らぎが
得られるだろう。
送ってやろうか?
今ここで──」
有無をいわさず
放たれる
一閃、
風が
凪ぐ
音。
そして──
「いいねぇ。
棺桶への
送別会ってか?
招待状はちゃんと
送ってからにしてくれよ。
礼儀作法を
重んじるグロリオーザの
司教さんらしく、さ?」
勢いよく
落下して
石畳に
反響する
金属音。
二つに
折れた
刃だけをその
場に
残し、ムスタインは
姿を
消した。
空間にかき
消えるように
忽然といなくなったのだ。