「
君が
魔法で
僕を
治癒してくれなかったら、
危なかったってアナベルから
聞いたよ」
無事、
大聖堂に
戻ってきた
二人の
姿を
目にして、グランシアは
安堵したように
一呼吸つくとたおやかに
微笑んだ。
「ほんとうに
無茶するわよねぇ。あたしたちがいなかったらどうなっていたか……」
腰に
両手をあてて
大仰にため
息をつき、アナベルが
傍らにいたロジオンをじっと
睨むと、
彼は
困ったような
表情をうかべて
苦笑いした。
「
誤解はちゃんと
解けましたか?」
真顔でそう
問われて、ロジオンは
一瞬鼻白む。
グランシアの
言葉を
受けて、あらためて
二人はお
互いに
顔を
見合わせた。
多少の
行き
違いはあったものの、
彼らは
話しあったおかげで
心を
通わせることができた。
問題が
氷解したあとに
交わした
抱擁を
思い
出し、
二人は
少し
照れたように
笑った。
「……よかった。ちゃんと
仲直りできたみたいですね」
「おかげさまで。それにしても
高位の
神聖魔法って
凄いんだね。あれだけ
深い
傷もすっかり
癒えたようで
痛みもない。
君のおかげだ。ありがとう……。さっきは
慌てていてお
礼もろくに
言えなかった」
「
私は
聖職者として、
当たり
前のことをしたまでです。それよりも
感謝の
言葉ならアナベルさんにかけてあげてください。
彼女の
力なしではあなたを
救うことはできなかったと
思います」
急に
思いもよらず
話の
矛先をむけられて、アナベルは
少し
気が
動転したようだった。
「あ、あたしはただ
祈っただけでなにも……そ、そうだったわ。これ
返すの
忘れるところだった」
アナベルはそう
言うと、
身に
着けていた
護符を
慎重に
首から
外し、グランシアに
手渡そうとした。
だが、
彼女はさしだされた
手をやんわりと
制止した。
そっと
包みこむようにして、
手のひらのなかの
物をふたたび
握らせた。
「これはあなたに
差し
上げます……」
「そんなっ!こんな
高価な
物もらえないわ!それにすごく
大切な
物なんじゃないかしら……?」
「ええ。
遠い
地に
旅立つ
私のために、
父が
持たせてくれた
家宝です」
あまりのことに
茫然として、アナベルが
言葉をうしなって
彼女の
顔を
見つめていると、その
視線に
気づいたのかグランシアは、ふっと
小さく
微笑んだ。
「だからこそ
罪滅ぼしになるんです。この
護符は、
我が
家に
先祖代々伝わる
魔法の
品。
太古の
類まれなる
魔力を
秘めた
石板の
欠片を
用いて
作られたとか」
「そんな
大層なもの、なおさら……」
アナベルが
困惑の
表情をうかべるなか、グランシアは
静かに
語り
続ける。
「
慣れない
土地で
暮らす
私にとって、
永いあいだ
心の
励みになっていた
宝物でした。でも、
今はあなたがたの
役に
立つことで、
私は
救われる……!」
「グランシア……!?」
「お
二人がいない
間にこの
場所で
静かな
時を
過ごし、
自らの
精神と
向き
合っているうちに、
記憶の
彼方に
追いやられていたさまざまなことを
思い
出しました。
私のほうこそずいぶんと、お
二人に
迷惑をかけてしまったようですね」
「そんな……
迷惑だなんて!
君は
悪霊に
憑依され、
利用されていただけなんだよ?」
「
確かに……。
物事の
表面だけ
見ればそうかもしれません。けれど、
実際には
私の
心に
隙があったのです。
聖職者として
致命的なほどの
隙が。……そうでなければあり
得ないことです」
「
誰だって
心に
弱さはある……!」
碧い
瞳に
力をこめて、
懸命に
訴えかけようとするロジオンの
姿をまぶしげに
見つめると、グランシアはうわ
言のように
言葉を
紡ぎ
出した。
「あなたはお
兄様に、
目元がとてもよく
似ているんですね……」
「えっ………?」
はっとしたように
動きを
止めると、
彼は
信じられないものでも
見るような
目で、
修道女の
姿を
眺めずにはいられなかった。
儚げな
光を
宿したその
双眸には、
淡い
思慕のようなものが
見え
隠れしていた。
「アナベルさんと
話をしていて
思い
出したんです。ルンドクイスト
家のご
子息のことを。
私はあなたのお
兄様セルフィン
様と
面識があるのです。とはいってもほとんど
会話を
交わしたこともないのですけど」
そう
言ってグランシアは
淋しげに
睫毛をふせた。
「
兄さんを
知っているの!?」
その
発言に
驚きを
隠せなかったのはロジオンだった。
必死に
記憶の
糸を
手繰ると、
故郷で
知り
合った
人々の
顔を
可能なかぎり
思い
浮かべようとする。
「ええ、よく
私の
所属する
教会にいらしてましたから。
町でも
弟のあなたとご
一緒のところをお
見かけしたことがあって、それで
兄弟なんだって
覚えていたんです」
「そういえば……。あんまり
信神深い
人じゃなかったんだけど、
週に
一度の
礼拝だけは
欠かさず
通っていたような
気がするよ」
「
私はあなたのお
兄様が
礼拝に
訪れるのを、いつも
心待ちにしていました。お
見かけするだけで
胸がときめいて……。それが
厳しい
修道院で、
私のささやかな
唯一の
心の
支えでした」
グランシアは
無垢な
修道女らしく、
恥ずかしそうに
頬を
染めると
視線を
落とした。
「でも、
私は
修道女。
恋焦がれることは
許されぬ
身……。もどかしい
想いを
胸に
秘めながら、
日常を
淡々と
過ごしていました。──あの
日までは。あの
日、そう、たった
一度だけ。あの
人から
声をかけてもらったことがあるんです」
「ねっ!ねっ!それで、お
兄さんからはなんて
話しかけられたの?」
いつの
世も
恋の
話は
乙女の
大好物である。
がぜん
興味を
宿した
双眸を
輝かせ、アナベルはせっつくように
続きをうながしている。
それをちょっと
引き
気味に、
遠くからロジオンが
見つめている。
かくいう
彼も
内心では、
可憐な
修道女と
亡き
兄の
恋の
行方が
気になってきてはいたのだが。
「──いつも
君を
見てるって。ただ、
一言だけ。すれ
違いざま
耳打ちするように、そっとささやきかけてくださったんです」
「きゃ~っ!!それでそれで?」
ガールズ・トークの
乗りについてゆけず、すっかり
取り
残されたようになったロジオンは、うつむくと
床の
小石を
蹴飛ばしていた。
(……
兄さんはあいかわらず
気障なんだから……)
過去の
兄の
姿を
思い
起こして、
弟は
気恥ずかしいような
複雑な
心境でそうぼやいていた。
「
舞いあがるくらいにうれしくて……!!
修道女としてあるまじき
罪を
犯しました。どうしてもその
日のうちにもう
一度お
逢いしたかった……。いえ、
姿を
見るだけでよかったんです」
そこまで
一息に
言い
終えると、グランシアはふっと
眉根を
寄せて
苦しそうな
顔になった。
自らの
過ちを
後悔する
者に
共通の、
深い
哀しみをたたえた
双眸で、
彼女は
自分が
信奉する
神の
前で
告白した。
「
気がつくと
私は
禁を
犯して
飛び
出していました。セルフィン
様があなたと
一緒に
禁断の
森に
入ってゆくのをお
見かけしました」
「じゃあ、あの
時、やはり
君もあの
場所に……!!」
「ええ。
少し
躊躇いましたがどうしても
気になって、
私もその
後を
追ったのです。
恋という
魔物に
囚われて、
目先の
現実が
見えなくなっていたのです」