72.血塗られた帰還
文字数 2,995文字
(……だめだ、意識 がない……!!!)
ロジオンの身体 に触 れると、驚 くほどに冷 たかった。
永久 に覚 めない魔法 にでもかかっているかのように、瞳 をかたく閉 ざしていた──
冷 たい手 で心臓 を掴 まれたようなショックに襲 われながらも、グランシアの力 を借 りて二人 がかりでようやく彼 を床 に下 ろした。
心配 そうな声 で啼 きながら、セルフィンが主人 の顔 をじっと見 つめている。
「……どうしてこんなことに……」
なすすべもなく肩 を落 として、ぼう然 とつぶやくアナベルをよそに、意外 にも冷静 に事態 を受 け止 めていたのはグランシアだった。
彼女 は憔悴 しきったロジオンのようすを、仔細 に観察 した。
そして、青 いマントを引 き裂 いて、深 く刻 みつけられた背中 の傷 に目 をとめた。
「これは呪 われた傷痕 ……!この傷跡 から出血 が止 まらなくなっているようですね」
それはムスタインの『刑具 ・灰燼の鎌 』によって負 わされた傷口 だった。
蝕 まれたその傷 が再度開 き、刻一刻 と生命力 をうばいながら、ロジオンのマントをどす黒 い血 で染 めてゆく──
「かなり危険 な状態 です……!早 く手 を打 たなければ手遅 れになります」
戸惑 いを隠 せないようすで、グランシアは深刻 な顔 でそう断言 した。
あまりに絶望的 な状況 に、アナベルは口許 を押 さえ力 なくその場 にくずおれた。
(あの傷 はあたしを庇 ったときに負 ったもの……!あたしのせいでロジオンは生死 の境 を彷徨 っているんだわ)
アナベルはこの緊急事態 に直面 して、ロジオンを失 うかもしれない怖 れのあまり、激 しい混乱 をきたしていた。
(彼 が死 にそうなのは、全部 あたしのせい!なのに、こんなときにあたしったら、なにもできない。なにもできない。なにもできない。なにもできない……っ!!!)
彼女 の思考 はまさに、急激 に引 き裂 かれてゆく大地 の上 に立 っているように不安定 で、足場 をうしなって奈落 に飲 みこまれてゆくような、深 い恐怖 と絶望 に見舞 われていた。
「私 はこれから治癒呪文 を唱 えます。ですが高位 の神聖魔法 を成功 させるためには、莫大 な魔力 を要 します。これからあなたの力 を貸 してください」
「……どうすればいいの……?」
心細 そうに投 げかけられた少女 の問 いかけに対 し、グランシアは胸元 からおもむろに護符 を取 り出 した。
先祖代々 つづく商人 の家柄 であるアナベルには、その護符 が値段 をつけるのも躊躇 われるほど、高価 な代物 であることが一目 でわかった。
「この護符 を身 に着 けて、祈 りをささげてください。その想 いが神 に伝 われば、魔力 をもたない人 でも、魔法 の力 を得 ることができるかもしれません。その力 を私 にわけてください!!」
(でも、もしあたしの祈 りが神様 に通 じなかったら、そのときロジオンは──!!!)
失敗 したときの情景 が、鮮烈 なイメージとなって脳裏 を駆 け抜 ける。
血溜 まりのなか、永遠 にうごかなくなった身体 。
まるで抜 け殻 のようなロジオン。
恐怖 のあまり絶句 し、彼女 は心身 ともに身動 きがとれなくなっていた。
「魔法 だなんて……あたしには無理 だわ」
およそらしくない弱気 な台詞 が、アナベルの口 をついて出 ていた。
それを信 じられないというような、愕然 とした表情 でグランシアが見 つめている。
(彼 が死 んだら、きっとあたしも生 きてはいられない……)
全身 からすうっと力 が抜 けてゆくようだった。
「アナベルさんっ!しっかりしてください!!あなたにしっかりしてもらわないと………!私 一人 では彼 を救 えない!!」
グランシアは放心状態 のアナベルを叱咤 すると、身 に着 けていた護符 をすばやく外 し、彼女 の手 に力強 く握 らせた。
「あなたは彼 に選 ばれた『エレブシアの乙女 』なんでしょう?だったら奇跡 を起 こしてください!……それが今 のあなたにできる、たったひとつの使命 なんじゃないですか!?」
(そうだわ……!あたしはロジオンを救 いたい……!!だから奇跡 を起 こす……それがあたしの使命 ……!)
真剣味 を帯 びて、まっすぐな修道 女 の瞳 がアナベルを貫 いていた。
その痛 いほどの信念 が自信 を喪失 し、いっときは生 きる気力 まで失 いかけていた少女 の心 をゆり動 かした。
「……わかった……やってみる……。ごめんね、弱気 になったりして。グランシア……あなたがいてくれてよかった……!!」
アナベルの言葉 に感銘 をうけたのか、グランシアは少 し涙 ぐみながらもたおやかに微笑 むと、胸 の前 で十字 を切 り両手 を組 み合 わせた。
大聖堂 をつつむ静謐 な空気 のなか、修道 女 は呪文 を詠唱 するために精神力 を高 めた。
彼女 の周 りを早 くも、慈愛 に満 ちた清 らかな光 が包 みはじめていた。
その後 ろ姿 を見 つめながら、手早 く護符 を身 に着 けたアナベルは、すうっと息 を吸 いこんで肺 の奥 から深呼吸 した。
(……心 から祈 ります。お願 い!フォルトナの神 ……!あなたの末裔 であるロジオンを救 うために、奇跡 を起 こせるだけの力 をあたしに与 えて……!!!)
胸元 の護符 がアナベルの祈 りに呼応 したのか、はめ込 まれた魔法石 がまばゆい閃光 を放 つ。
すると、彼女 の足 の甲 に、ある印 が浮 かびあがった。
淡 い薄紫色 に発光 している可憐 な蝶 の紋様 。
それは『エレプシアの乙女 』の刻印 。
神秘 の泉 から湧 き出 るように魔力 の源 が放出 して、その神々 しいまでの光景 は息 を潜 めて見守 っていたグランシアに、畏敬 の念 を抱 かせるほどの迫力 に満 ちていた。
(すごい……!これがフォルトナの加護 を受 けた乙女 の力 ……これならいけるかもしれない)
生命力 にあふれた力 を見 せつけられ、グランシアはそこに希望 と活路 を見出 していた。
「アナベルさん!これから私 が神聖魔法 を唱 えます。あなたはロジオンさんの傷口 にふれて祈 りをささげてください……!!」
自然 と首 を垂 れて祈 ることに没頭 していた少女 は、その声 を耳 にしてはっとしたように顔 をあげた。
そして夢中 で傍 まで駆 け寄 ってくると、ロジオンの前 にひざまずき、心配 そうに倒 れ伏 す少年 を見 つめた。
険 しく寄 せられた眉根 に、深 い渓谷 が刻 まれている。
短 い間隔 でくり返 される浅 い息 づかいが、彼 の胸 を激 しく上下 させ、なにより現在 の苦 しい境地 を物語 っていた。
(今 、ロジオンは必死 に戦 ってる……!!宿敵 グロリオーザの教主 と対峙 したときもそう。たとえ逃 げ出 したくなるような困難 が待 ち受 けていたとしても、最後 には覚悟 を決 めて襲 い来 る試練 に立 ち向 かってゆく……。そんな臆病 で勇敢 な彼 だからこそ、好 きになったんだもん。だから待 ってて……今度 はあたしがあなたを助 けてあげるからね)
少女 は胸中 でそうつぶやくと、軽 く微笑 んでから固 い決意 とともに、唇 をキュッと噛 みしめた。
そうして慎重 に手 の平 を、そっとロジオンの傷口 にあてがう。
太古 の昔 から手当 ては、魔力 をもたない弱 き者 にも不思議 な癒 しの力 を与 えていた。
ロジオンが無事 に目覚 める姿 を心 のなかに想 い描 きながら、アナベルは清 らかな光 に包 まれてまぶたを閉 ざした。
『──慈悲深 き女神様 、誇 り高 い尊 き主 よ。穢 れのない御力 で傷 つき倒 れた者 に奇跡 の霊泉 を。不運 にも呪 われし者 に浄化 の祝福 を与 えたまえ──!』
タイミングを見計 らったように、グランシアの凛 とした詠唱 が大聖堂 の空気 をふるわせた。
修道女 の身体 から白 い波動 が放 たれ、目 を開 けていられないほどの大量 の光 に満 たされる。
(ロジオン……!ぜったいに目覚 めてくれないと、承知 しないんだから……!!)
まるで叱咤 でもするように喝 を入 れる。
アナベルはいっさいの雑念 を消 し去 って、まぶしい光 のなか一心 に祈 りをささげた。
ロジオンの
「……どうしてこんなことに……」
なすすべもなく
そして、
「これは
それはムスタインの『
「かなり
あまりに
(あの
アナベルはこの
(
「
「……どうすればいいの……?」
「この
(でも、もしあたしの
まるで
「
およそらしくない
それを
(
「アナベルさんっ!しっかりしてください!!あなたにしっかりしてもらわないと………!
グランシアは
「あなたは
(そうだわ……!あたしはロジオンを
その
「……わかった……やってみる……。ごめんね、
アナベルの
その
(……
すると、
それは『エレプシアの
(すごい……!これがフォルトナの
「アナベルさん!これから
そして
(
そうして
ロジオンが
『──
タイミングを
(ロジオン……!ぜったいに
まるで
アナベルはいっさいの