第84話
文字数 5,408文字
「…高雄組組長…そして、稲葉五郎って…」
二人とも、山田会の重鎮…
山田会の次期会長を争う、大物組長だ…
それより、なにより、高雄組組長は、高雄の父親…
血が繋がってないとはいえ、今、スマホで、話している、高雄悠(ゆう)の育ての親だ…
その義理の父を指して、中国政府のスパイかもしれないなんて…
本気で言っているのか?
私は、思った…
だから、遠慮がちに、
「…ほ…本気で、言ってるの?…」
と、聞いた…
「…もちろん、本気です…」
高雄が即答する…
「…でも、それって、つまり、亡くなった古賀会長の周囲には、敵ばかりじゃ…」
「…敵?…」
「…だって、そうでしょ? …古賀会長の後継者と、目された、高雄さんのお父さまと、稲葉さんが、スパイかもしれないと、疑ってたなんて…」
「…後継者なんかじゃありませんよ…」
「…後継者じゃない?…」
…一体、どういう意味だろ?…
だって、高雄組組長と、稲葉五郎は、今、山田会の次期会長の座を巡って争っている…
あの二人が、後継者じゃなくて、一体なんだと言うのだろう?…
私が、悩んでいると、
「…古賀の爺さんにとって、高雄組組長も、稲葉五郎も、豊臣秀吉にとっての、五大老、徳川家康や、前田利家と同じだったんです…決して、子飼いで、忠臣の石田三成や加藤清正のような存在ではありません…」
高雄の言葉に、私は、驚愕する…
「…それって、やっぱり、敵ってこと?…」
「…いえ、敵ではありません…」
「…だったら、なに?…」
「…警戒しているんです…」
「…警戒?…」
「…あの爺さんは、本物の秀吉といっしょです…人たらしで、うまく、子分を手なずける一方で、決して、気を許さない…」
「…それって、どういう…」
「…爺さんを作ったのは、満州からの引き揚げ体験です…それが、古賀の爺さんのヤクザというか…それ以前の人間としての原点です…」
「…原点?…」
「…爺さんは、中国の…大陸からの引き揚げ者です…日本の敗戦で、まだ幼い爺さんは、それこそ艱難辛苦を乗り越えて、日本にやって来た…その中で、日本人が、日本人を裏切ったり、中国人に騙されたり、女はカラダを売って、金を得たり、強盗まがいのことをしたり…いわゆる、ありとあらゆる非合法の汚い行為を、目の当たりにしたと言います…それゆえ、幼い爺さんは、人は一人では生きてゆけない…誰かに助けてもらわなくては、生きてゆけない…同時に、ひとは、信用できない…この二つを心に刻んだと言いました…そして、それが、古賀の爺さんの原点です…」
「…原点…」
「…だから、爺さんは、ヤクザとして、大勢で群れる…一人では、歯が立たないことも、大勢では勝てるからです…しかし、心の底から、信用はしない…だから、死ぬまで、山田会の後継者も決めなかった…自分が、引退して、後継者に、山田会の二代目の座を譲れば、自分が、山田会から追放されると、思ったからです…爺さんは、人たらしで、誰かも好かれ、同時に、恐れられる一方、小心で、身近な誰も、心の底から、信用できなかった…まさに、秀吉…豊臣秀吉です…爺さんが、ヤクザ界の秀吉と言われた通り、性格も、本物の秀吉といっしょでした…」
…性格も本物の秀吉といっしょ…
私は、高雄の告白にただ、ただ、驚愕した…
驚いた…
これまで、思っても見ないことばかりだからだ…
いや、
だからかもしれない…
ふいに、思った…
そんな体験があるからこそ、利用できるものは、なんでも、利用する…
それが、中国政府でも、なんでも、自分が、利用できると思えば、利用する…
その反面、警戒する…
満州からの引き揚げ経験で、容易にひとを信用する怖さを、骨の髄から、わかっているのかもしれない…
容易にひとを信用して、騙されて、悲惨な目に遭った人間を、ごまんと見たのだろう…
それゆえ、他人を信用できない…
一方で、仲間づくりというか、容易に他人を自分の味方に引き入れる抜群の能力が、あるにも、かかわらず、もう一方で、常に、周囲の人間の警戒を怠ることがない…
まったくもって、矛盾するが、それが、死んだ、ヤクザ界の秀吉と言われた、古賀会長だったのだろう…
私は、思った…
「…爺さんは、まったく、矛盾した人間だった…他人に好かれ、利用する一方、他人を警戒する…でも、それが、また爺さんの魅力の一つでもあった…」
「…魅力?…」
「…義理に厚く、信義を重んじる…その一報、裏切り者には、凄惨なまでな報復をする…それが、ヤクザ界では、任侠道の見本のように、言われたが、なんのことはない…爺さんの幼少時代の、満州からの壮絶な引き揚げ体験が、そうさせたに過ぎない…」
高雄が、説明する…
そう説明されれば、私にもわかった…
理解できた…
そんなに悲惨な体験をすれば、容易に、人を信じられなくなる…
一方で、ひとを頼らなければ、生きてゆけない…
だから、一方で、頼るのだが、信用はしない…
だが、傍から見れば、それが、信賞必罰というか、古賀会長の人の扱いに現れて、惹かれる一面だったのだろう…
ちょうど、秀吉が、子飼いの部下に、恩賞を与えたのと、同じだ…
私は、考える。
「…だが、最期は爺さんも、しくじった…」
突然、高雄が言う。
「…しくじった? …どういう意味ですか?…」
「…最初に言ったように、爺さんが、殺されたかもしれないことです…」
「…」
「…あれほど、警戒していたにも、かかわらず、殺されたかもしれないのは、爺さんの油断に他ならない…歳を取って、嗅覚と言うか、判断力が、衰えたんだろう…」
「…嗅覚?…」
「…身近で、誰が敵で、誰が味方か、判断する能力です…」
高雄が、断言する。
「…あの爺さんは、その嗅覚が、抜群に優れていた…だから、たった一人で、山田会を立ち上げ、日本有数のヤクザ組織にまで、大きく発展させることができた…本物の秀吉同様、危機回避能力というか、敵と味方を瞬時に見分ける能力があった…」
「…敵と味方を…? それって、どういう?…」
「…要するに、単純に、自分が、取り込めるか、否か、ですよ…自分の味方にできるか、否か…変な話、番犬を飼うのと、いっしょです…自分になつくか、否か…いくら、餌をやって、可愛がっても、自分になつかない犬は、いつまでも、飼っていても、仕方がない…それが、わかるのが、普通の人ならば、一か月、や、三か月、半年、飼って、わかるのが、爺さんは、一週間や、そこらで、それを見切った…その判断力が、抜群に優れていたんです…」
私は、驚いた…
そんなふうに、ひとを見たことがなかった…
そんなふうに、ひとを判断したことがなかった…
同時に、そんなものの見方もあるのか、と、考えさせられた…
「…だが、その能力も衰えた…だから、敵も味方も、わからなくなり、殺された可能性もある…」
高雄の声が、落ち込んだ…
私は、その通りかもしれない、と、思った…
なぜなら、私にも、そんな経験がある…
人間ではないが、犬…
近所で、飼われていた、犬の話だ…
歳を取れば、判断力が衰える…
高雄の話は、一言でいえば、その話だ…
近所の犬も、同様で、若い頃は、家の住人が、帰って来ると、ワンワンと、鳴いて、喜んだそうだ…
しかし、それが、歳を取り、晩年になると、夜、家の住人が、帰って来ても、眠っていたりして、鳴くことも、吼えることも、なくなったそうだ…
残念ながら、それが、真実…
歳を取るということの、一つの真実ではある…
私は、考える。
そして、これは、反射神経と似ている…
誰もが、歳を取れば、カラダが、衰え、鈍くなる…
これは、どんな人間も避けられない…
とっさのときに、鈍くなって、避けられない…
階段や、ちょっとした段差に、つまずいて、倒れるのは、その典型だろう…
これが、若ければ、例え、段差に足を引っかけても、とっさに、手をついて、うまく、難を逃れると言うか、ダメージを少なくすることができるが、歳を取ると、それができなくなる…
手を伸ばす間もなく、下手をすれば、直接、顔が、道路や、床に、ぶつかってしまう…
それで、ケガを負ってしまう…
それが、反射神経が、衰えることの、典型だろう…
私は、考える。
と、そこまで、考えて、ふと、思った…
一体、今、高雄は、なぜ、私に電話をかけて、きたのだろう…
そのことに、ようやく、気付いた…
思い至ったというか?
高雄は、いきなり、私に電話をかけてきても、亡くなった古賀会長の話を延々として、肝心の用事というか、どうして、今日、いきなり電話をかけてきたか、肝心の用事を言っていない…
一体、なにを、目的に、今日、私に電話をかけてきたのだろうか?
私は、考える。
「…高雄さん、今日は一体、何の用事で、私に電話を…」
私は、聞いた…
「…潮目が変わってきているんです…」
高雄が、言う。
「…潮目?…」
…一体、なんのことだろう?…
「…潮目が、急速に変わって、流れが変わった…だから…」
後は、言わなかった…
あえて、言わなかったのかもしれない…
私は、それでも、つい、
「…潮目って?…」
と、聞いてしまった…
が、高雄は、それ以上は教えなかった…
「…とにかく、気を付けて下さい…」
それだけ、言うと、プツンと電話が切れた…
…いきなり、切るなんて…
私は、唖然として、高雄に電話をかけ直そうと、思った…
リダイヤルを使えばいい…
これまでは、高雄の電話番号を知らなかったが、今は、違う…
直前まで、話していたのだから、すぐにかけ直せばいい…
そう思った…
が、
止めた…
今、急いで、高雄に電話をかけ直しても、高雄が、素直に、私に、電話をかけてきた真意を話すとは、どうしても、思えないからだ…
だから、私は、高雄に電話をすることは、諦めた…
そして、翌朝、テレビを見ると、中国からのスパイ報道が、ニュースになっていた…
一人の人物の顔が、大きく映し出された…
私は、その顔に見覚えがあった…
眼鏡をかけた、丸顔の、いかにも、人のよさそうな顔…
私と同じく、杉崎実業の内定をもらった林の父親…
大金持ちの林の父親だった…
あの、杉崎実業の、私を含めた5人の内定者の一人…
私と、よく似た顔を持つ、5人の内定者のうちの一人だった…
…ウソッ!…
私は、仰天する。
…一体、なにが、あったんだろう?…
考えた。
そして、
…これは、一体、どういうことだろう?…
とも、思った…
が、
とっさに、気付いた…
…中国政府…
中国政府が、キーというか、根底にある。
私は、その事実に、気付いた…
高雄は、古賀会長が、中国政府のスパイというか、後ろ盾で、ヤクザ界で、急速に勢力を拡大したと言った…
そして、今、あの林の父親が、また、中国のスパイ容疑で、逮捕されている…
この二人の、共通点は、中国…
中国政府だ…
いや、
それだけではない…
そもそも、あの杉崎実業、そのものが、中国政府と、関係があると、たしか、稲葉五郎か、誰かが言っていた…
そして、あの、松尾会会長、松尾聡(さとし)だ…
あの一見、好々爺に見える、老人もまた、中国か、公安のスパイと、高雄は言っていた…
いや、スパイとは、断言していないが、中国政府や公安の後ろ盾を得ているに違いないと言った…
いずれにしろ、中国が関係している…
いや、
中国だけではない…
公安の名前が出る以上、日本政府もまた関係しているに違いない…
つまりは、これは、中国と、日本の国家の暗闘だ…
戦いだ…
私は、ようやく、それに気付いた…
最初は、山田会の後継者問題…
高雄組組長と稲葉五郎の争いに過ぎないと思っていた、争いが、まったく違う次元と言うか、展開を見せた…
ビックリする展開だった…
が、
それもこれも、考えてみると、私が、あの杉崎実業に内定をもらってからの展開というか…
そもそも、あの杉崎実業に内定していなければ、こんなことに関わることには、ならなかった…
いや、
それ以前に、これは、偶然なのだろうか?
考えた…
私は、杉崎実業に内定して、それをきっかけに、このさまざまな事件に、遭遇することになった…
これは、偶然なのか?
それとも…?
考える…
そもそも、どこかで、誰かが、このシナリオを描いている…
ふと、そんな予感がした…
二人とも、山田会の重鎮…
山田会の次期会長を争う、大物組長だ…
それより、なにより、高雄組組長は、高雄の父親…
血が繋がってないとはいえ、今、スマホで、話している、高雄悠(ゆう)の育ての親だ…
その義理の父を指して、中国政府のスパイかもしれないなんて…
本気で言っているのか?
私は、思った…
だから、遠慮がちに、
「…ほ…本気で、言ってるの?…」
と、聞いた…
「…もちろん、本気です…」
高雄が即答する…
「…でも、それって、つまり、亡くなった古賀会長の周囲には、敵ばかりじゃ…」
「…敵?…」
「…だって、そうでしょ? …古賀会長の後継者と、目された、高雄さんのお父さまと、稲葉さんが、スパイかもしれないと、疑ってたなんて…」
「…後継者なんかじゃありませんよ…」
「…後継者じゃない?…」
…一体、どういう意味だろ?…
だって、高雄組組長と、稲葉五郎は、今、山田会の次期会長の座を巡って争っている…
あの二人が、後継者じゃなくて、一体なんだと言うのだろう?…
私が、悩んでいると、
「…古賀の爺さんにとって、高雄組組長も、稲葉五郎も、豊臣秀吉にとっての、五大老、徳川家康や、前田利家と同じだったんです…決して、子飼いで、忠臣の石田三成や加藤清正のような存在ではありません…」
高雄の言葉に、私は、驚愕する…
「…それって、やっぱり、敵ってこと?…」
「…いえ、敵ではありません…」
「…だったら、なに?…」
「…警戒しているんです…」
「…警戒?…」
「…あの爺さんは、本物の秀吉といっしょです…人たらしで、うまく、子分を手なずける一方で、決して、気を許さない…」
「…それって、どういう…」
「…爺さんを作ったのは、満州からの引き揚げ体験です…それが、古賀の爺さんのヤクザというか…それ以前の人間としての原点です…」
「…原点?…」
「…爺さんは、中国の…大陸からの引き揚げ者です…日本の敗戦で、まだ幼い爺さんは、それこそ艱難辛苦を乗り越えて、日本にやって来た…その中で、日本人が、日本人を裏切ったり、中国人に騙されたり、女はカラダを売って、金を得たり、強盗まがいのことをしたり…いわゆる、ありとあらゆる非合法の汚い行為を、目の当たりにしたと言います…それゆえ、幼い爺さんは、人は一人では生きてゆけない…誰かに助けてもらわなくては、生きてゆけない…同時に、ひとは、信用できない…この二つを心に刻んだと言いました…そして、それが、古賀の爺さんの原点です…」
「…原点…」
「…だから、爺さんは、ヤクザとして、大勢で群れる…一人では、歯が立たないことも、大勢では勝てるからです…しかし、心の底から、信用はしない…だから、死ぬまで、山田会の後継者も決めなかった…自分が、引退して、後継者に、山田会の二代目の座を譲れば、自分が、山田会から追放されると、思ったからです…爺さんは、人たらしで、誰かも好かれ、同時に、恐れられる一方、小心で、身近な誰も、心の底から、信用できなかった…まさに、秀吉…豊臣秀吉です…爺さんが、ヤクザ界の秀吉と言われた通り、性格も、本物の秀吉といっしょでした…」
…性格も本物の秀吉といっしょ…
私は、高雄の告白にただ、ただ、驚愕した…
驚いた…
これまで、思っても見ないことばかりだからだ…
いや、
だからかもしれない…
ふいに、思った…
そんな体験があるからこそ、利用できるものは、なんでも、利用する…
それが、中国政府でも、なんでも、自分が、利用できると思えば、利用する…
その反面、警戒する…
満州からの引き揚げ経験で、容易にひとを信用する怖さを、骨の髄から、わかっているのかもしれない…
容易にひとを信用して、騙されて、悲惨な目に遭った人間を、ごまんと見たのだろう…
それゆえ、他人を信用できない…
一方で、仲間づくりというか、容易に他人を自分の味方に引き入れる抜群の能力が、あるにも、かかわらず、もう一方で、常に、周囲の人間の警戒を怠ることがない…
まったくもって、矛盾するが、それが、死んだ、ヤクザ界の秀吉と言われた、古賀会長だったのだろう…
私は、思った…
「…爺さんは、まったく、矛盾した人間だった…他人に好かれ、利用する一方、他人を警戒する…でも、それが、また爺さんの魅力の一つでもあった…」
「…魅力?…」
「…義理に厚く、信義を重んじる…その一報、裏切り者には、凄惨なまでな報復をする…それが、ヤクザ界では、任侠道の見本のように、言われたが、なんのことはない…爺さんの幼少時代の、満州からの壮絶な引き揚げ体験が、そうさせたに過ぎない…」
高雄が、説明する…
そう説明されれば、私にもわかった…
理解できた…
そんなに悲惨な体験をすれば、容易に、人を信じられなくなる…
一方で、ひとを頼らなければ、生きてゆけない…
だから、一方で、頼るのだが、信用はしない…
だが、傍から見れば、それが、信賞必罰というか、古賀会長の人の扱いに現れて、惹かれる一面だったのだろう…
ちょうど、秀吉が、子飼いの部下に、恩賞を与えたのと、同じだ…
私は、考える。
「…だが、最期は爺さんも、しくじった…」
突然、高雄が言う。
「…しくじった? …どういう意味ですか?…」
「…最初に言ったように、爺さんが、殺されたかもしれないことです…」
「…」
「…あれほど、警戒していたにも、かかわらず、殺されたかもしれないのは、爺さんの油断に他ならない…歳を取って、嗅覚と言うか、判断力が、衰えたんだろう…」
「…嗅覚?…」
「…身近で、誰が敵で、誰が味方か、判断する能力です…」
高雄が、断言する。
「…あの爺さんは、その嗅覚が、抜群に優れていた…だから、たった一人で、山田会を立ち上げ、日本有数のヤクザ組織にまで、大きく発展させることができた…本物の秀吉同様、危機回避能力というか、敵と味方を瞬時に見分ける能力があった…」
「…敵と味方を…? それって、どういう?…」
「…要するに、単純に、自分が、取り込めるか、否か、ですよ…自分の味方にできるか、否か…変な話、番犬を飼うのと、いっしょです…自分になつくか、否か…いくら、餌をやって、可愛がっても、自分になつかない犬は、いつまでも、飼っていても、仕方がない…それが、わかるのが、普通の人ならば、一か月、や、三か月、半年、飼って、わかるのが、爺さんは、一週間や、そこらで、それを見切った…その判断力が、抜群に優れていたんです…」
私は、驚いた…
そんなふうに、ひとを見たことがなかった…
そんなふうに、ひとを判断したことがなかった…
同時に、そんなものの見方もあるのか、と、考えさせられた…
「…だが、その能力も衰えた…だから、敵も味方も、わからなくなり、殺された可能性もある…」
高雄の声が、落ち込んだ…
私は、その通りかもしれない、と、思った…
なぜなら、私にも、そんな経験がある…
人間ではないが、犬…
近所で、飼われていた、犬の話だ…
歳を取れば、判断力が衰える…
高雄の話は、一言でいえば、その話だ…
近所の犬も、同様で、若い頃は、家の住人が、帰って来ると、ワンワンと、鳴いて、喜んだそうだ…
しかし、それが、歳を取り、晩年になると、夜、家の住人が、帰って来ても、眠っていたりして、鳴くことも、吼えることも、なくなったそうだ…
残念ながら、それが、真実…
歳を取るということの、一つの真実ではある…
私は、考える。
そして、これは、反射神経と似ている…
誰もが、歳を取れば、カラダが、衰え、鈍くなる…
これは、どんな人間も避けられない…
とっさのときに、鈍くなって、避けられない…
階段や、ちょっとした段差に、つまずいて、倒れるのは、その典型だろう…
これが、若ければ、例え、段差に足を引っかけても、とっさに、手をついて、うまく、難を逃れると言うか、ダメージを少なくすることができるが、歳を取ると、それができなくなる…
手を伸ばす間もなく、下手をすれば、直接、顔が、道路や、床に、ぶつかってしまう…
それで、ケガを負ってしまう…
それが、反射神経が、衰えることの、典型だろう…
私は、考える。
と、そこまで、考えて、ふと、思った…
一体、今、高雄は、なぜ、私に電話をかけて、きたのだろう…
そのことに、ようやく、気付いた…
思い至ったというか?
高雄は、いきなり、私に電話をかけてきても、亡くなった古賀会長の話を延々として、肝心の用事というか、どうして、今日、いきなり電話をかけてきたか、肝心の用事を言っていない…
一体、なにを、目的に、今日、私に電話をかけてきたのだろうか?
私は、考える。
「…高雄さん、今日は一体、何の用事で、私に電話を…」
私は、聞いた…
「…潮目が変わってきているんです…」
高雄が、言う。
「…潮目?…」
…一体、なんのことだろう?…
「…潮目が、急速に変わって、流れが変わった…だから…」
後は、言わなかった…
あえて、言わなかったのかもしれない…
私は、それでも、つい、
「…潮目って?…」
と、聞いてしまった…
が、高雄は、それ以上は教えなかった…
「…とにかく、気を付けて下さい…」
それだけ、言うと、プツンと電話が切れた…
…いきなり、切るなんて…
私は、唖然として、高雄に電話をかけ直そうと、思った…
リダイヤルを使えばいい…
これまでは、高雄の電話番号を知らなかったが、今は、違う…
直前まで、話していたのだから、すぐにかけ直せばいい…
そう思った…
が、
止めた…
今、急いで、高雄に電話をかけ直しても、高雄が、素直に、私に、電話をかけてきた真意を話すとは、どうしても、思えないからだ…
だから、私は、高雄に電話をすることは、諦めた…
そして、翌朝、テレビを見ると、中国からのスパイ報道が、ニュースになっていた…
一人の人物の顔が、大きく映し出された…
私は、その顔に見覚えがあった…
眼鏡をかけた、丸顔の、いかにも、人のよさそうな顔…
私と同じく、杉崎実業の内定をもらった林の父親…
大金持ちの林の父親だった…
あの、杉崎実業の、私を含めた5人の内定者の一人…
私と、よく似た顔を持つ、5人の内定者のうちの一人だった…
…ウソッ!…
私は、仰天する。
…一体、なにが、あったんだろう?…
考えた。
そして、
…これは、一体、どういうことだろう?…
とも、思った…
が、
とっさに、気付いた…
…中国政府…
中国政府が、キーというか、根底にある。
私は、その事実に、気付いた…
高雄は、古賀会長が、中国政府のスパイというか、後ろ盾で、ヤクザ界で、急速に勢力を拡大したと言った…
そして、今、あの林の父親が、また、中国のスパイ容疑で、逮捕されている…
この二人の、共通点は、中国…
中国政府だ…
いや、
それだけではない…
そもそも、あの杉崎実業、そのものが、中国政府と、関係があると、たしか、稲葉五郎か、誰かが言っていた…
そして、あの、松尾会会長、松尾聡(さとし)だ…
あの一見、好々爺に見える、老人もまた、中国か、公安のスパイと、高雄は言っていた…
いや、スパイとは、断言していないが、中国政府や公安の後ろ盾を得ているに違いないと言った…
いずれにしろ、中国が関係している…
いや、
中国だけではない…
公安の名前が出る以上、日本政府もまた関係しているに違いない…
つまりは、これは、中国と、日本の国家の暗闘だ…
戦いだ…
私は、ようやく、それに気付いた…
最初は、山田会の後継者問題…
高雄組組長と稲葉五郎の争いに過ぎないと思っていた、争いが、まったく違う次元と言うか、展開を見せた…
ビックリする展開だった…
が、
それもこれも、考えてみると、私が、あの杉崎実業に内定をもらってからの展開というか…
そもそも、あの杉崎実業に内定していなければ、こんなことに関わることには、ならなかった…
いや、
それ以前に、これは、偶然なのだろうか?
考えた…
私は、杉崎実業に内定して、それをきっかけに、このさまざまな事件に、遭遇することになった…
これは、偶然なのか?
それとも…?
考える…
そもそも、どこかで、誰かが、このシナリオを描いている…
ふと、そんな予感がした…