第63話

文字数 6,239文字

 「…では、参りましょう…」

 大場代議士が、宣言する。

 が、

 すぐに、私に向かって、

 「…お嬢さん…おうちの方に連絡しないで、大丈夫ですか?…」

 と、訊いた…

 「…連絡? …どうしてですか?…」

 「私と話せば、どうしても、うちに帰るのが遅れる…ご両親が心配したら、困ります…いや、その前に、お嬢さんが、今日、これから、私に付き合ってくれるのか、聞くのを忘れてました…」

 大場代議士が、照れ臭そうに、笑った…

 私は、なんだか、その笑いを見て、この大場代議士が好きになった…

 照れた顔が、なんだか、可愛いというか、好感を持てるのだ…

 人は誰でも、ちょっとしたことで、そのひとを好きになったり、嫌いになったりする…

 私の場合は、この大場代議士の恥ずかしそうに、照れた笑いが、好感を持てた。

 「…今日、これから、私にお付き合い下さいますか? …お嬢さん?…」

 私は、大場議員の問いかけに、黙って、首を縦に振って、頷いた…

 その私の答えを見て、

 「…ありがとうございます…では…」

 大場代議士は、私を軽自動車に誘った…

 私は、黙って、大場代議士の後をついて、歩いた…


 私は、大場代議士の軽自動車に乗り込んだ…

 正直、著名な代議士が、軽自動車に乗っている事実にも、驚いたが、その軽自動車が、今、流行のNボックスのように、背の高いクルマでないことにも、驚いた…

 だから、失礼ながら、大場代議士の軽自動車に乗り込んだ私は、つい室内を見回してしまった…

 その言動に気付いた、大場代議士が、

 「…どうしました? …お嬢さん?…」

 と、訊いた…

 当たり前のことだ…

 「…いえ、失礼ですけど、この軽、天井が高くないな、と…」

 私の言葉に、

 「…みんな、そう言いますよ…」

 と、大場代議士が笑った…

 「…私は、背の高い軽が好きじゃない…」

 「…好きじゃない? …どうしてですか?…」

 「…いえ、家族が乗るには、背の高い軽の方がいいに決まってます…なにしろ、室内が広い…でも、この軽は、私だけの軽…私専用の軽自動車です…このアルトワークスは…」

 「…アルトワークス?…」

 「…この軽の名前です…このクルマに乗るときは、大抵、私一人です…誰にも邪魔されない私だけの時間です…自分でいうのも、なんですが、私は、一人の時間が、ほとんどありません…だから、他人に邪魔されないというと、語弊がありますが、一人っきりになれる時間が、欲しい…この軽に乗るときは、いつも私一人…自分だけの時間になれるのです…」

 大場代議士が、吐露する…

 たしかに、大場代議士が、次期総理総裁候補…

 大物代議士だ…

 一人になる時間は、眠っている時間ぐらいしか、ないのかもしれない…

 私は、思った…

 「…だから、この助手席に乗った女のひとは、お嬢さんが、初めてです…妻も、娘も、その席にまだ、座ったことはありません…」

 私は、その言葉に、どう返答していいか、わからなかった…

 だから、

 「…」

 と、黙っていた…

 すると、私の返答を待つこともなく、

 「…出発しましょう…」

 と、言って、大場代議士は、アルトワークスを発進させた…


 大場代議士の運転は、うまかった…

 このアルトワークスを、まるで、自分の分身のように、上手に扱う…

 また、なにより、楽しそうだ…

 私は、こんなにも楽しそうにクルマを運転する姿の人間を見たことがなかった…

 そんな私の視線に気付いたのだろう…

 「…どうしました? …お嬢さん?…」

 「…いえ、失礼ですけど、運転する姿がとても楽しそうで…」

 「…そうですか? …お嬢さんに、そう言われるのは、嬉しいですね…」

 「…嬉しい…ですか?…」

 「…それは、そうです…実際、私は、このワークスを運転するときは、無心になれるというか…なにもかも忘れることができます…国会のことも、家族のことも…」

 「…家族もですか?…」

 「…自分一人になれる…このワークスに乗るとき以外で、自分一人になれるのは、トイレと風呂ぐらいものです…」

 大場議員が、苦笑する。

 「…自分で言うのもなんですが、有名議員になったのは、いいが、失ったものも、大きい…とりわけ、一人になれる時間を失ったのは、痛かった…私は、本来一人が好きな性格です…できるなら、作家かなにかになって、一日中、家にこもりっきりの生活をしたかった…それが、私の理想の生活です…」


 「…作家…ですか?…」

 「…そうです…家から一歩も出ず、家族以外の人間と口を利くこともなく、それで、生活できる…私にとっての理想の生活です…」

 「…」

 「…こんなことを言うのは、なんですが、国会議員なんて、世襲が大半でしょう…皆、親の地盤を受け継いで、議員になる…しかも、その多くが、東大や京大など有名大学を出て、頭がいい…そして、頭がいい人間は、ホントは、自分一人で、勉強をするのが、好きな人間です…だから、ホントは、イヤイヤ、議員になった人間も多い…」

 「…イヤイヤ?…」

 「…親が議員なら、その息子や娘の誰かが、親の後を継がなくてはならない…オーナー企業の会社の経営と同じです…家族の誰かが、やらなくてはならない…」

 大場議員が、力を込めた…

 「…私も仕方なく、議員になったクチです…でも、議員になったのならば、適性も何もない…自分に合っているとか、いないとかは、いってられません…がむしゃらに、歯を食いしばって、やるしかない…もっとも、これは、他の議員の方も皆同じです…つくづく嫌な星の元に生まれたと、親を恨んだことも、一度や二度ではありませんよ…」

 そう言って、大場議員は、運転をしながら、ニヤッと私を見て笑った…

 私は、どう返答していいか、わからなかったので、

 「…」

 と、黙っていた…

 「…でも、これは、娘の敦子も同じかもしれない…」

 「…敦子って、あっちゃんのことですか?…」

 「…そうです…敦子も私の娘で生まれて、嫌なこともたくさん、経験してきたに違いない…」

 しんみりと、言う。

 「…でも、国会議員の娘ですよ…」

 つい言ってしまった…

 「…お嬢さん…国会議員も芸能人も皆同じです…」

 「…同じ? どう同じなんですか?…」

 「…要するに、目立つ職業です…親が目立つから、どうしても、その子供も注目を浴びる…それが、嫌な子も多い…私がそうでした…敦子もそうでしょう…」

 「…あっちゃんが?…」

 「…敦子も私同様地味です…外見もそうですが、中身もです…だから、あんなレンジローバーなんて、大きなクルマに乗って、ホントは地味というか、内気な自分を隠したいがために、ヤクザで言えば、虚勢を張っている…いきがっている…」

 「…」

 「…自分も同じだったから、余計に、わかるんです…」

 大場代議士が力を込めた…

 私は、どう言っていいか、わからないので、黙って、大場代議士を見た…

 ハンドルを握る大場代議士を見た…

 「…誰もが、親の呪縛から、逃れることはできない…敦子が、私の娘として、生まれたことは、ラッキーではなくアンラッキーです…」

 「…アンラッキー?…」

 「…目立つことが嫌いな人間に、目立つ位置に生まれるのは、困る…嬉しくない…」

 「…」

 「…ですが、これが親の呪縛です…敦子には、悪いが、自分で乗り越えてもらうしかない…これは、親の遺産ではなく、親の借金です…」

 「…借金?…」

 「…要するに、負の財産ですよ…私もそうでした…お金持ちの家に、生まれたのは、嬉しかったけど、目立つのは、好きじゃない…はっきり言って嫌いでした…でも、どこに行っても、アイツのオヤジは、国会議員の誰々だと言われる…」

 「…」

 「…そうそう…今、話題になってる、山田会の内部抗争…あの一方の当事者の稲葉さんも同じです…」

 …稲葉さん?…

 …稲葉五郎?…

 …まさか、このタイミングで、稲葉五郎の名前が、大場代議士の口から出るとは、思わなかった…

 私は、焦った…

 一体、この大場代議士は、稲葉五郎のことを、どう言うのだろう?…

 私は、黙って、大場代議士の次の言葉を待った…

 「…あの…稲葉さん…」

 大場代議士が続ける…

 「…あの稲葉さんも、こう言っては、失礼ですが、負の遺産です…」

 …負の遺産?…

 …随分、ひどいことを言うな…

 私は、思った…

 私は、大場代議士の次の言葉を待った…

 だが、大場代議士は、それっきり、なにも言わなかった…

 だから、私は、

 「…あの…負の遺産って…」

 と、恐る恐る、訊いた…

 すると、大場代議士は、

 「…簡単ですよ…」

 と、笑った…

 「…政治家がヤクザと交流があるのは、具合が悪いでしょ? …稲葉さんは、亡くなった山田会の古賀会長の側近で、その古賀会長は、うちのオヤジと仲が良くてね…その縁で、今日まで、お付き合いさせて頂きました…」
 
「…」

 「…稲葉さん自身は、私は、好きです…決して、嫌いではない…常に腰は低く、常識がある…顔はごついが、中身は、すこぶる優秀…次期山田会の会長に推されるのも、わかる…」

 「…」

 「…でも、それと、これとは、違う…私が彼との付き合いが明るみになることで、今の地位からはずれることは、困る…」

 大場代議士が言う。

 真剣な表情だった…

 が、一瞬後、ふいに、笑った…

 「…でも、私が、彼の立場ならば、当然、納得はいかないな…それこそ、親父の代から、古賀さんや稲葉さんとは、家族同然に仲の良かった時期もあった…それが、突然、都合が悪くなったから、付き合えなくなったというのは、立場が立場だから、わかるけど、納得ができないものは、あるな…」

 「…」

 「…でも、だからといって、家のシャッターに、発砲されたのも、困るけど…」

 大場代議士が笑う…

 …わかっている…

 この大場代議士は、自分の立場も稲葉五郎の立場もよくわかっている…

 わかっていて、これから、どうすれば、よいか、考えてるに違いない…

 と、同時に、気付いた…

 一体、なぜ、この大場代議士が、私を待っていたのか?

 誘ったのか?

 もしかしたら?

 もしかしたら、稲葉五郎に関係があるのではないだろうか?

 この大場代議士は、私が、古賀会長の探していた娘だと知っている…

 気付いている…

 あるいは、稲葉五郎や高雄の父親同様、誤解している…

 だから、なにか、稲葉五郎との取引に、私が役立つのでは? と考えているのではないか?

 ふと、そう思った…

 それゆえ、今、わざと、私の前で、稲葉五郎の話題を出したのではないか?

 そう思った…

 そう考えれば、今日どうして、私を待っていたのか、納得できる…

 理解できる…

 「…どうしました? …お嬢さん…さっきから、急に黙り込んで…」

 私は、その問いに、どう答えようか、悩んだ…

 まさか、稲葉五郎の話題を出すわけにはいかない…

 だが、だとすれば、なにを言っていいか、わからない…

 「…大丈夫です…お嬢さんに、手を出したりしませんから、ご安心下さい…」

 突然、大場代議士が言った…

 私は、驚いて、ハンドルを握る大場代議士を見た…

 すると、大場代議士が、ニヤリと笑っていた…

 それを見て、すぐに、大場代議士が冗談を言っているのだと、気付いた…

 「…失礼ながら、私とお嬢さんでは、私の方が、失うものが大きい…」

 ポツリと、大場代議士が言った…

 「…どういう意味ですか?…」

 「…仮に、今、これから、私とお嬢さんが、ホテルに入って、男女の関係になり、外に出る…そこに、週刊誌の記者が待ち構えていたとする…」

 「…」

 「…すると、どうなると思います…お嬢さんは、敦子と同年齢ぐらいだから、二十歳は過ぎているので、淫行とはならない…しかし、父娘ほど、歳の離れたお嬢さんと、私が真剣交際していると、世間に説明するのは、無理があります…」

 「…」

 「…となると、どうでしょう? 国会議員は、国民の選挙の結果、選ばれます…仮に、すぐに、辞めずとも、いずれ落選するでしょう…いや、その前に、今、総理総裁候補と、持ち上げられてる、私の地位は、一瞬にして、崩れます…議員を辞職せずとも、議員生命は、ほぼ終わりでしょう…仮に落選して、数年後に、復職しても、二度と、総理総裁候補と呼ばれる地位に就くことはないと、断言できます…」

 大場議員が、笑って説明する。

 「…なにもない人間は、強い…失うものが、なにもない…だから、傍若無人に振る舞える…欲望のままに、行動できる…」

 「…」

 「…稲葉さんも、同じですよ…」

 突然、言った…

 「…稲葉さんも?…」

 「…私が、総理を目指すのと同じ…稲葉さんも、山田会の次期会長の呼び声が高い…そんな稲葉さんが、例えば、未成年の女子と淫行したりすれば、ヤクザ界で、笑われるでしょう…」

 「…笑われる?…」

 「…ヤクザは、議員ではないから、国民の審判は受けない…でも、所属する団体や、業界から、なにを言われるか、わからないでしょう…」

 「…」

 「…稲葉さんは、たしか、50歳…私も、ほぼ同じです…だから、例えば、中学や高校の同窓会があれば、仲間内で、よく娘のような年齢の女のコと、関係ができたなと、いじられたり、羨ましがられたりするでしょう…でも、例えば、会社ならば、そうじゃない…あの年齢で、よく、自分の娘のような若いコに、と思われるでしょう…そして、そこにあるのは、羨望ではなく、失望です…」

 「…失望…」

 「…要するに、単なるスケベオヤジ…」

 そう言って、大場議員が笑った…

 「…ホントならば、ざっくり言うと、個人の嗜好と、仕事は違うと思う…」

 「…どういうことですか?…」

 「…わかりやすく言うと、女好きであることと、仕事ができることは、違う…有名会社の社長が、女好きであっても、業績を上げられれば、問題ないと思う…自分の立場を利用したセクハラでないならば…」

 「…」

 「…でも、実際は叩かれる…先ほどの稲葉さんの例に戻れば、ヤクザ界の人望を失う危険もある…稲葉さんは、クレバーな方だから、そんな危険は冒さないが…」

 大場の話は、切りがなかった…

 と、同時に、大場の狙いが、なんとなくわかってきた…

 つまりは、ひとつには、私に、大場代議士が変な下心がないことを伝えていること…

 そして、もう一つは、稲葉五郎との関係だ…

 自分と稲葉五郎の関係を私にアピールしているとも、取れる…

 だが、本当の狙いはわからない…

 大場代議士がハンドルを握るアルトワークスが、闇の中を疾走した…

                
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み