第96話

文字数 5,462文字

 高雄悠(ゆう)が、中国政府のスパイの可能性が高い…

 私は、遅まきながら、その事実に気付いた…

 高雄自身が、以前、言ったように、大場小太郎代議士が、亡くなった山田会の古賀会長や、松尾会の松尾聡(さとし)会長と親しくしていたのは、公安関係者として、彼らの動静を探っていたためだ…

 監視していたためだ…

 そう私に、暴露したが、肝心の自分のことは、一切言わなかった…

 どうして、そんなことを、私に告げるのか?

 そもそも、それが、謎だった…

 しかしながら、それはそれで、いったん横に置いても、大場代議士が、公安関係者で、亡くなった古賀会長や、松尾会会長を監視している事実を、どうして、知ったのか?

 肝心の部分は一切言わなかった…

 言及しなかった…

 当たり前だが、情報は、どこで、その情報を知ったのかが、大事だ…

 情報元が信頼できるか、どうかで、情報の精度が、わかる…

 信頼できる相手なのか、どうかが、大事だ…

 もし、

 もし、

 高雄が、中国政府のスパイではないとしたら、その情報は、当たり前だが、父親の高雄組組長から、仕入れた可能性が高い…

 血が繋がってないとはいえ、父子だからだ…

 高雄組組長は、経済ヤクザ…

 経済ヤクザにとっての生命線は、情報に他ならない…

 基本は、株などの債権の売り買いが主流になる…

 その場合は、どうしても、情報が命になる…

 上がるか、下がるか、

 見極めるには、情報が、一番重要だからだ…

 例えば、誰々が仕手戦を仕組んでいる…

 100円の株が、今、300円になっている…

 500円に上がるまでは、上昇するが、その後は、一転して、下がる…

 売りに転じるからだ…

 そんな真偽不明な情報が、市場に広まる…

 すると、どうしても、その情報が、どこまで、信頼できるのか?

 情報の出どころは、どこなのか?

 そんなことが、重要になる…

 高雄組組長は、そんな相場で、生きてきた…

 ネットに、そう書いてあった(笑)…

 だから、当然、情報の扱いに、敏感だ…

 慣れている…

 だから、高雄組組長が、高雄に色々教えた可能性は、捨てきれない…

 だが、私には、どうしても、そう思えない…

 理由はない…

 ただの勘だ…

 女の直感だ(笑)…

 私が、そんなことを考えていると、林が、

 「…竹下さん、聞いてる?…」

 と、スマホから、言ってきた…

 だから、私は、慌てて、

 「…聞いてるに、決まってるでしょ…」

 と、強く言った…

 聞いてなかったことを悟られないためだ(笑)…

 だから、わざと、強く言った(笑)…

 「…そう…そうよね…」

 林は、私の言葉に納得する…

 普段ならば、あるいは、林は、私が聞いてなかったことに、簡単に気付いたかもしれないが、今は無理…

 林は、それどころではなかった…

 追い詰められていた…

 それに、電話では、互いの顔が見えない…

 それが、好都合だった…

 間近で、顔を見れば、自分の話を聞いているのか、聞いていないのかは、バカでもわかる(笑)…

 「…パパは、父は、嵌められた…」

 「…嵌められた?…」

 意外な言葉だった…

 「…誰に?…」

 「…人見よ…人見人事部長…」

 「…人見人事部長?…」

 あまりにも、意外な人物だった…

 人見人事部長が、手引きしたのは、わかる…

 しかしながら、ストレートに嵌められたなんて、言うなんて?

 表現が生々し過ぎる…

 「…人見は、中国政府のスパイだった…でも、それを除いても、人見は、パパを陥れたかった…」

 「…陥れたかった?…」

 思わず、聞いた…

 陥れるなんて、言葉、普通は、使わない…

 どうして、そんな言葉を使うんだろ?

 私は、思った…

 「…人見は、家が貧乏だったの…」

 「…貧乏…」

 「…だから、お金持ちのパパが羨ましくて仕方がなかった…人見は、実家が、ウチの近くにあって…パパの知り合いでもなんでもなかった…ただ、ウチはお金持ちだから、竹下さんも知ってるように、地元でも有名で、それで、人見は、一方的に、パパを嫌っていた…」

 「…どうして、知り合いでもなんでもないのに、嫌うの?…」

 「…お金持ちが羨ましくて、仕方がないの…自分が、貧乏だから…」

 「…」

 「…だから、パパを引きずり込んだ…金策に夢中で、藁(わら)にもすがる思いだったパパは、それに乗った…違法な輸出の片棒を担いだ…しかも、お金に困ったパパに、お金を引き出させて、さらに、貧乏になるように、仕向けた…」

 「…どうして、そんな…」

 さっぱり謎だった…

 今、林は、人見と林の父親は、知り合いでもなんでもないと言った…

 ならば、どうして、人見は、林の父親にそんな真似をするのか?

 謎だった…

 「…単純よ…自分は、お金持ちじゃないから、金持ちが憎くて仕方がない…ちょうど、学校で、勉強ができないコが、勉強ができるコを羨むのと同じ…ブスが美人を妬むのと、同じ…ないものねだり…自分が、なにもないものだから、なにか、持っているひとが、憎くて堪らないの…」

 林が激白する…

 私は、林の言葉に圧倒された…

 ただ、ただ、圧倒された…

 そして、おそらく、それは、真実だった…

 林の父親は、人見に対して、なにもしていない…

 しかし、ただ、林の父親が、自分と同じ出身の地元で、金持ちで有名であることが、憎い…

憎くて、堪らない…

 だから、陥れる…

 林の父親にとっては、まさに言いがかりに近い…

 自分は、人見になにもしていないにもかかわらず、一方的に相手に恨まれている…

 …一方的に、憎まれている…

 だが、それが真実だろう…

 それが、真相だろう…

 不合理極まりない…

 誰もが、まったく納得はできないが、それが、真相だろう…

 私は、思った…

 「…人見が、アイツが仕組んだのよ…」

 林が激白する。

 私は、林の激白に、ただ、ただ、驚いたが、ふと、気付いた…

 人見が、逮捕されてない事実に、だ…

 逮捕されたのは、林の父親…

 人見の名前は、出ていない…

 だから、今、林の言っていることは、本当のことだろうか?

 一瞬、そんな気持ちが脳裏をよぎった…

 が、

 林の言葉にウソがあるとは、思えない…

 今、林が言っている言葉に、ウソがあるとは、思えない…

 スマホで、話してるから、林の顔は、見えないが、必死さは、十分に伝わって来る…

 とても、ウソをついているようには、思えない…

 だが、その人見と、高雄は、どう絡んでくるのだろうか?

 大場は、どう絡んでくるのかは、わかる…

 大場は、父親の大場小太郎代議士、同様、監視のため…

 中国のスパイの監視が目的に違いない…

 しかし、高雄の目的がわからない…

 だから、聞いた…

 「…高雄さんは、高雄さんは、一体、どう絡んでいるの?…」

 「…どう、絡んでいるって?…」

 「…高雄さんの目的…」

 「…高雄さんの目的は、以前、竹下さんに、話したように、実家の暴力団、高雄組を、映画のゴッドファーザーのように、堅気の会社にしたいってことだと思う…これは、何度も私に説明したし、ウソじゃないと思う…ただ…」

 「…ただ…なに?…」

 「…ただ、やっぱり、高雄さんには、謎がある…」

 「…謎?…」

 「…言ってることに、ウソはないんだけど、すべてを話していない…例えば、最初に会ったとき、あの若さで、杉崎実業の取締役だけど、実家がヤクザだって、決して、言わなかったでしょ? …まあ、あの場で言えるわけはないんだけど…つまりは、そんな感じ…まだ隠していることが、なにか、ある…」

 私は、その言葉に、激しく同意した…

 そして、思い出した…

 前回、今、話している林の豪邸に招かれたときのことを、だ…

 あのとき、林は、私に力を貸して欲しいと言った…

 私を丁重に扱い、私に力を貸して欲しいと、懇願した…

 だが、どうして、そんな真似をしたのだろう?

 私は、平凡な女だ…

 平凡、極まりない女だ…

 お金持ちでもなんでもない…

 そんな私に、どうして、そんな真似をしたのだろう?

 「…林さん?…」

 「…なに?…」

 「…今もそうだけど、あのとき、どうして、私に力を貸して欲しいって、言ったの? 高雄さんから、頼まれたから?…」

 「…それは、違う…」

 「…違う?…」

 「…高雄さんが、竹下さんを大事にするから…」

 「…私を大事に?…」

 「…高雄さんが、竹下さんを大切にしているから、なにか、あると思って…だから、こう言っちゃなんだけど、竹下さんを取り込もうと思って…」

 「…私を取り込む?…」

 「…だから、家に招いたの…正直、竹下さんに、なにがあるか、わからない…これは、たぶん、竹下さん自身も、気付いてないみたい…でも、高雄さんは、異常なまでに、竹下さんを大事にしている…気にかけている…だから、私も、大事にしなきゃと思って…」

 「…」

 「…だから、今も、こうして、電話している…竹下さんに電話することで、パパを助けられるかもしれないと思って…」

 仰天の告白だった…

 スパイ容疑で、逮捕された林の父親を助けるために、私に電話するなんて…

 考えられない…

 どう考えても、信じられない…

 しかし、

 しかし、だ…

 林の立場に立てば、わからないでもない…

 なぜか、知らないが、高雄が、私を大事にしている…

 だから、私に良くすれば、もしかしたら、父親を救い出してくれるかも?

 そんなふうに、考えてもおかしくはない…

 また別の見方をすれば、それほど、追い詰められている…

 精神的に、ギリギリの状態にいる…

 だから、溺れる者は藁(わら)をもつかむということわざのように、私に電話をかけてきているに、決まっている…

 できることと、できないことの区別ができなくなっている…

 私は、そう思った…

 そう思ったとき、

 「…笑っちゃうでしょ?…」

 と、いきなり、林が、私に言った…

 「…笑っちゃう? …なにが、笑っちゃうの?…」

 「…私よ、私?…」

 「…林さん?…」

 「…そう、私…だって、私は、竹下さんに、数えるほどしか、会ってない…そんな、会ってまもない、竹下さんに、こんなことを頼むなんて、自分でもおかしいと思う…でも…でも…」

 それ以上は、言葉にならなかった…

 スマホの向こうで、林は、むせび泣いていた…

 嗚咽していた…

 まさに、追い詰められていた…

 私は、これまで、そんなに追い詰められた人間は、見たことがなかった…

 いや、

 今も、私は見ていない…

 見てはいないが、接している…

 だから、接したことがなかったというのが、正しい…

 しかしながら、私が、もし、林の立場ならば、同じだろう…

 私が林ならば、同じように、竹下クミに電話をかけただろう…

 私は、思った…

 「…竹下さん…」

 むせび泣きながら、林が言った…

 「…なに?…」

 「…わかってる? …アナタがキーマンなの?…」

 「…キーマン?…」

 私がキーマン?

 思ってもみない言葉だった…

 「…そう…竹下さんが、キーマン…私もなぜ、竹下さんが、キーマンなのかは、わからない…ただ、おそらく、アナタの動静が、騒動を決める…」

 「…私が決める?…」

 「…そう…絶対にそう…だから、高雄さんは、竹下さんを大事にしている…私も最初は、気付かなかった…おそらく、高雄さんは…」

 そこまで、言って、いったん、言葉を止めた…

 そして、少しの間を置いて、再開した…

 「…高雄さんは、最初、大場と竹下さん、アナタが似ていることに、着目したというか、ヒントにしたと思う…」

 「…それって、どういうこと?…」

 「…竹下さんと、大場さんは、似ている…そこへ、やはり、二人に似ている私が加わった…それで、今回の計画を思いついたと言うか…」

 林が、私が、思いついたことと、同じことを言った…

 「…だから、野口も柴野も、私たち3人に、外観が似ているから、選ばれた…それだけ…」

 林が、断言した…

 以前、私に、野口と柴野は、私以上のお金持ちと言ったこととは、別のことを言った…

 おそらく、柴野と野口は、お金持ちでも、なんでもないのだろう…

 アレは、ただのウソに違いない…

 だが、それをこの場で、口にするのは、得策ではない…

 なにより、今、林は、追い詰められている…

 追い詰められている林に、なにか言えば、窮鼠(きゅうそ)猫を嚙む、のことわざのように、思いがけず、私に牙を剝いてくる可能性も否定できない…

 なにしろ、メンタルが普通ではない…

 父親が、逮捕されたのだ…

 普通のメンタルでいわれるわけがない…

 だから、私は、

 「…」

 と、なにも言わなかった…

 自分からは、一切質問はしなかった…

 すると、林も、言いたいことは、終わったのだろう…

 会話が途切れた…

 二人とも、

 「…」

 と、沈黙した…

 お互いに、話すことがなくなった…

 あるいは、聞きたいことは、あるかもしれないが、すぐに思いつかなかった…

 だから、互いが、これ以上、電話を続けても、会話が続かないと思った…

 しばらく、沈黙が続いた後、

 「…ごめんなさい…竹下さん…突然、こんな電話して…でも、どうしても、竹下さんに伝えたくて…本当にごめんなさい…」

 そう言って、林は電話を切った…

 私としても、林を引き止める理由はなかった…

 会話が続かなかったからだ…

 電話が終わった後、私は、虚無感にさいなまれた…

 虚脱感と言い換えてもいいのかもしれない…

 なにかをしたのではないが、どんよりと、気分が重かった…

 現実が重かった…

 まるで、底なし沼に落ちたように、ずるずると、気分が、落ち込んだ…

                   
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