第92話

文字数 6,334文字

 当たり前だが、あの松尾会会長、松尾聡(さとし)が、撃たれたことも、今回の杉崎実業が、中国に、不正に、機械を輸出した捜査の一環というか…

 その過程で、起きた事件だった…

 松尾聡(さとし)は、公安=大場小太郎代議士と、中国政府、どっちに繋がっているか、よくわからなかった…

 はっきり言えば、松尾聡(さとし)という男の力の源泉がわからなかった…

 松尾会は、すでに、何度か、説明したように、暴力団の中でも、決して大きくはない…

 規模で、言えば、中堅の組織だ…

 ただ、松尾聡(さとし)そのものが、戦国の時代の知将、黒田如水に例えられるほどのやり手だったことも、あり、その能力は、抜きん出ていた…

 しかしながら、いかに松尾諭(さとし)が、やり手でも、当たり前だが、自分一人の力は、たかが知れている…

 松尾聡(さとし)が、優れていたのは、むしろ、自分の背後関係を決して、明かさないことだった…

 松尾聡(さとし)の背後には、誰か、大物のバックが付いているとか、さまざまな政治家に異常なまでに、食い込んでいるとか、噂は、多数あった…

 だが、松尾自身に、そんな周囲の噂を直(じか)にぶつけても、ただニコニコ笑って、周囲の噂をけむに巻いてた…

 決して、真実を明かさなかった…

 松尾聡(さとし)が、巧みだったのは、決して、真実を明かさないことで、実際以上に、自分自身を大きく見せる術(すべ)を、心得ていたことだ…

 噂は、噂を呼ぶ…

 ありていに言えば、話というものは、どんどん大きくなる…

 話が膨らむのだ…

 尾ひれが山のようについて、真実とは、似ても似つかぬ話になる…

 松尾は、それを楽しんでいた…

 実を言えば、松尾自身には、当初は、それほどのバックもなかった…

 最初は、誰でも、そうだが、どこにでもいるチンピラの一人だった…

 ただ、頭が切れたので、頭角を現し、いつのまにか、ヤクザ界で、注目を浴びることになった…

 そして、松尾、最大の武器…

 それは、雰囲気だった…

 例えば、役者で、言えば、勝新太郎を思い浮かべればいい…

 さすがに、あそこまでの雰囲気はないが、やはり、その威圧感というか、存在感に周囲の者は、圧倒された…

 そして、周囲の者の質問をけむに巻く…

 わかっていても、わざと答えなかったり、答えても、明らかに、わかるウソを言ったり、する…

 だが、それだけでは、当然、相手が怒るから、真実もまた織り交ぜる…

 そんなふうに、敢えて言えば、芸といっては、失礼だが、松尾聡(さとし)自身の生まれ持ったキャラクターが、より一層、松尾自身を大きく見せることに役立った…

 実際の松尾自身は、御多分に洩れず、同世代のヤクザにありがちな、貧しい庶民の出だった…

 松尾自身は、後にヤクザになる者の大半が、そうであるように、カラダが大きく、ケンカが強かった…

 ただ、何度も言うように、松尾自身は、頭が切れた…

 いわゆる、学校の勉強とは、違う頭の良さを持って生まれた…

 それに、勝新太郎ではないが、松尾自身の圧倒的な存在力…

 それを武器に、ヤクザ界で、のし上がった…

 ただし、松尾自身には、本当は、大したバックはいなかった…

 あくまで、ポーズ…

 いろんな噂で、自分自身を大きく見せる術(すべ)を心得ていたことだ…

 あの大場小太郎代議士との関係もそうだった…

 大場小太郎自身は、同じく政治家だった父親が、国家公安委員長をしていた関係から、ヤクザを見張る意味で、亡くなった山田会の古賀会長や、松尾会の松尾聡(さとし)とも、親しくしていたが、それを、松尾自身は、大げさに喧伝(けんでん)した…

 自分自身の武器にした…

 そうすることで、自分自身を実際以上に、大きく見せることが、わかっていたからだ…

 ただし、当たり前だが、それが、虚飾に過ぎないと、気付いた者もいた…

 その一人が、亡くなった古賀会長だった…

 が、

 それを、周囲に、打ち明けることもなかった…

 変に、その事実を暴露することで、松尾会を敵に回すのは、得策ではないし、無用に敵を作ることになる…

 松尾会は、大きくはないが、やはり、松尾聡(さとし)は、侮れない…

 なにを、しでかすか、わからないからだ…

 ただ、一部の者には、そのことを打ち明けていた…

 その一人が、稲葉五郎だった…

 だから、稲葉五郎は、食わせ者と、松尾聡(さとし)を、喝破(かっぱ)したのだ…

 そして、肝心の今回の松尾会長を襲った銃撃…

 これは、松尾会長の自作自演だった…

 松尾会会長は、高雄の父?を通じ、杉崎実業のおおよその犯罪には、気付いていた…

 そして、それに一枚噛もうと、画策した…

 現実に、人見人事部長が、キーマンであることを、喝破して、人見に接触しようとした…

 しかし、それがいけなかった…

 松尾の送り出した松尾会の若い衆が、中国から送られてきた工作員に襲われたのだ…

 当たり前だが、ヤクザ者に、プロの工作員に勝つ能力はない…

 相手は、国家が養成したプロの工作員だ…

 拳銃をはじめ、体術、いわゆる、柔道や空手をマスターしている…

 松尾自身は、人見が、中国政府の傀儡(かいらい)になっていることは、掴んでいたが、中国政府の反撃というか、行動が、松尾の想像を超えて、早かった…

 しかも、凄惨だった…

 松尾は、その報告を聞いて、すっかり意気消沈してしまった…

 手を出してはいけないものに、手を出したことを悟り、すぐに身の安全を考えた…

 それが、銃撃だった…

 自分自身が、襲われたことを、自作自演して、病院に逃げ込むことを、思いついた…

 それに、もし、警察が、犯人を捕まえることを前提に、捜査にくれば、杉崎実業と、中国政府の繋がりを匂わせれば、いい…

 そうすれば、腰が引けるのは、わかっている…

 警察が、独自に対処できる話ではなくなってくるからだ…

 まさに、食わせ者…

 したたかな食わせ者だった…

 そして、それが、松尾聡(さとし)という男だった…

 それを見抜いているからこそ、稲葉五郎は、松尾聡(さとし)を、嫌っていた…

 そして、松尾自身も、稲葉五郎が、自分を嫌っていることに、当然、気付いていた…

 誰でも、そうだが、相手が自分を好きか、否かは、なんとなくわかるものだ(笑)…

 子供ではないのだから、あからさまに態度に出すことはないが、それでも、自分を好きか、嫌いかは、なんとなく、態度でわかる…

 あの日、私が、高雄の父? と、大場小太郎代議士、さらには、あの松尾聡(さとし)が、いる席に、稲葉五郎が、いなかったのは、なにより、稲葉五郎が、松尾聡(さとし)を嫌っているのが、わかっていたからだ…

 松尾聡(さとし)が、呼んでも、稲葉五郎は、よほどのことがなければ、来ないことは、わかっている…

 また、高雄の父? を呼び出すことで、稲葉五郎が、高雄の父? に、

 「…兄貴…どうして、あんなヤツと付き合うんだ?…」

 と、文句を言うに決まっている…

 だから、松尾聡(さとし)は、稲葉五郎を呼ばなかった…

 また、高雄の父? を呼んだのは、他でもない、杉崎実業について、訊きたかったからだ…

 杉崎実業は、高雄の父の会社、高雄総業の支配下にある…

 実質、杉崎実業の株を買い占めたからだ…

 それゆえ、悠(ゆう)は、あの若さで、杉崎実業の取締役になれたのだ…

 これは、敢えて、説明する必要は、なかったかもしれない…

 すでに、周知の事実だからだ…

 あの席で、松尾聡(さとし)は、私と、大場代議士を呼び出す前に、根掘り葉掘り、高雄の父から、杉崎実業について、訊き出そうとした…

 しかし、高雄の父も、当たり前だが、バカではない…

 松尾聡(さとし)の狙いは、読めたが、真摯に対応することなく、適当に流した…

 実際は、あの人見が、中国政府のスパイになっていることまでは、掴んだが、高雄組としては、それ以上、動かなかったというか、追求しなかった…

 藪をつついて蛇を出すという言葉の通り、人見に手を出せば、どうなるか、わからないからだ…

 中国政府が動くのは、わかっていたが、どう動くのか、読めなかった…

 また、人見に接して、どのくらいの時間で、中国政府が対処するのかも、読めなかった…

 ヤクザというものは、一般の人間が考えるよりも、行動に慎重な場合が、多い…

 慎重=臆病である…

 そして、それは、悪口ではなく、むしろ称賛されるものだった…

 匹夫の勇ではないが、勝算もなく、ただ行動を起こすほど、バカなことはない…

 高雄の父は、以前、私、竹下クミに会ったときに、語ったように、何事にも慎重な男だった…

 それゆえ、これまで、チャンスを何度も逃してきた…

 初めて、私に会った時に、高雄の父は、私に、そう語った…

 アレは、ウソでもなんでもなかった…

 事実だった…

 危ない橋は渡らない…

 それが、高雄の父だった…

 だから、高雄組は、人見に手を出さなかった…

 が、

 松尾聡(さとし)は、違った…

 人見に手を出してしまった…

 それが、失敗だった…

 思ったよりも、松尾聡(さとし)が、やり手でないことを、露呈した瞬間でもあった…

 有能でないことを、図らずも、周囲に知らせてしまった…

 いや、

 以前は、有能だったのだろう…

 どうひいき目に見ても、有能でなければ、松尾会というヤクザ組織を率いることは、できないからだ…

 ただ、歳をとって、その嗅覚というか、判断力が衰えたのかもしれない…

 残念ながら、歳を取って、判断力が、衰えるケースは、枚挙に暇(いとま)がない…

 昔は、戦国武将が良い例だったが、現在は、政治家や経営者に身近に多く見られる…

 歳を取って、周囲の風や、世間の声が読めなくなってきている…

 それで、経営者でいえば、判断ミスで、会社に損害を与えたり、政治家でいえば、周囲の風が読めなくなり、政界での、みずからの威光が消えてゆく…

 残念ながら、そんなケースが多い…

 松尾聡(さとし)も、同じだった…

 この後、衰えを見せた、松尾聡(さとし)率いる松尾会に他のヤクザ組織が、攻撃してくることは、目に見えてる…

 ヤクザは弱肉強食だ…

 例え、時代が、暴対法の時代になっても、それは、変わらない…

 後に、稲葉五郎が、そう、私に告げた…

 私は、ただ唖然として、それらの報道を見ていた…

 私の知った人物が、テレビや新聞、ネットで、報道される…

 それが、ある種、不思議な感覚だった…

 誰もがそうだが、自分の見知った人間が、テレビや新聞で、報道されることは、まずない…

 私は、稲葉五郎や、大場小太郎代議士たちと、知り合ってから、以前も今回のように、報道されたことは、あったが、今回は、規模が違った…

 なにより、他国=中国が関わったことは、驚きだった…

 が、

 当然のことながら、それ以上に、杉崎実業が、それに関わったことが、私にとって、一番の衝撃だった…

 なにしろ、私の就職先だ…

 唯一、内定した会社だ…

 これでは、私の就職は、一体どうなるんだ?

 普通に考えれば、就職=入社どころではないだろう…

 なにしろ、国に隠れて、中国に、製品を輸出したのだ…

 この行為に、アメリカもまたカンカンだ…

 日本政府としても、アメリカの手前、杉崎実業を見過ごすことはできないだろう…

 なんらかの処分を加えることになるに違いない…

 そして、それは、数年後に、倒産の引き金を引いたと思われるほど、厳しい処分になるかもしれない…

 会社の存続に関わる処分になるだろう…

 が、

 これら行為の相手である、中国政府は、当然のことながら、一切、それらの事実を認めなかった…

 事実無根の一点張りだった…

 この発表は、ある意味、予想通りと言うか、誰もが、わかっていたことだった(笑)…

 ただ、事実上、私の就職がなくなったのも、同然だった…

 内定が消えた瞬間でもあった…

 私は、ただ、ただ、唖然とした…

 どうして、いいか、わからなかった…

 私は、呆然としていたが、一方で、私は、現実家でもあった…

 とりあえず、働かなければ、ならない…

 先のことは、考えても仕方がない…

 ある意味、腹をくくったというか…

 以前も書いたが、もはや、悩んでも仕方がなかった…

 すでに、今年の就活は、終わっている…

 終了している…

 だから、今さら、就活=就職活動を続けても、まともな会社に就職できるわけはない(涙)…

 と、なると、残る、選択肢は、二つだけ…

 これも、以前も、書いたが、就職も決めずに、大学を卒業するか?

 あるいは、

 大学を卒業して、いわゆる、無職、あるいは、バイトを続けながら、就職先を探すのか?

 の、二択だ…

 ただし、大学を留年するには、お金がかかる…

 授業料がかかる…

 ウチは、決して、裕福ではない…

 ハッキリ言って、留年することは、難しい…

 両親に許可をもらって、いくらかの金額を援助してもらい、残りを私自身が、バイトして、学費を稼がなければ、ならない…

 だが、それは、苦痛でしかないかもしれない…

 なぜなら、それほどまでしても、来年、就職できるか、どうかは、わからないからだ(涙)…

 就活が成功するかどうかは、わからないからだ(涙)…

 お金をかけて、留年してまで、就活をして、就活がうまくいかなければ、なんのために、留年したのか、わからない…

 また、実際問題、留年すれば、どうして、留年したのか、面接で、聞かれるだろう…

 まさか、前年、就活がうまくいかなかったから、留年しましたと、馬鹿正直に、言うわけにはいかない…

 しかし、当然、企業の面接者は、それを見抜いているだろう…

 となると、やはり、留年しても、同じ?

 ならば、このまま、卒業して、無職、あるいは、フリーターの身分で、就活を続けたほうが、いいのだろうか?

 私は、悩んだ…

 悩みながら、コンビニの仕事を続けた…

 いつものことだった(涙)…

 この展開は、以前にもあった(笑)…

 ただ、今度ばかりは、本当に、追い詰められていた…

 なにしろ、内定を頂いた、唯一の会社、杉崎実業に、警察の家宅捜索が入ったのだ…

 これでは、来年の就職どころでは、ない…

 しかも、捜査は、中国への、不正輸出…

 東証一部上場とはいえ、世間的には、無名の中堅商社に過ぎない、杉崎実業で、倒産も免れないかもしれない…

 しかも、

 しかも、だ…

 それに、追い打ちをかけるように、杉崎実業に出資しているのが、高雄組であることが、バレた…

 報道された…

 これは、私にとって、想定外だったが、ある意味、当たり前…

 これほど、世間で、杉崎実業が、報道されているのだから、その背後というか、資本関係がバレるのも、時間の問題だった…

 ヤクザのフロント企業と、バレるのも、時間の問題だった…

 そして、それが、致命傷だった…

 もはや、立ち直ることができない致命傷だった…

 これで、杉崎実業の再建は、困難だろう…

 なにしろ、ヤクザのフロント企業であることが、バレたのだ…

 世間に知られたのだ…

 事実上、私の内定が吹き飛んだ瞬間だった…

 ただ一つの、内定先が、なくなった瞬間だった…

 私は、ただ茫然自失になった…

 頭の中が、真っ白になった…

 ただ、その一方で、これも何度も言うが、コンビニでのバイトに力を入れた…

 もはや、私の残された手段は、とりあえず、ここで働いて、金を稼ぐしかなかったからだ…

 私は、がむしゃらに働いた…

 無我夢中で働いた…

 すべてを忘れて、仕事に没頭した…

 仕事に没頭することで、すべてを忘れたかった…

 杉崎実業のこと…

 高雄(ゆう)のこと…

 稲葉五郎のこと…

 そして、

 私の将来のこと…

 そんな諸々(もろもろ)のことを忘れたかった…

                
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