第5話

文字数 5,755文字

 私は緊張した。

 ドキッとした。

 ようやく、誰か、会社の人間が、やって来た…

 そう思った。

 私たち五人は、息を飲んで、どんな人間が、やって来たのか、見た。

 部屋に入って来たのは、平凡な感じの五十代のオジサンだった…

 「…当社の人事部長の人見です…」

 開口一番、その人物は、そう告げた。

 「…今日は、皆さん、当社にお越し頂き、ありがとうございます…」

 オジサンが、頭を下げる。

 席に座った、私たち五人の女のコもまた、一斉に、頭を下げた。

 至って、平凡…

 ありきたりの光景だった…

 どこの会社も同じだろう…

 要するに、この五人は、来春に、この杉崎実業への入社が決まっている…

 そのための内定式というか…

 入社の確認のために、この杉崎実業にやって来たのだ…

 だから、その後の言葉も平凡だった…

 「…今日、お越し頂いた、皆さまには、来春に、当社に入社して頂きます…いわば、社会人としての、第一歩を当社で、歩んで頂きます。これは、当社と致しましては、とても幸運なことであり、同時に、非情に大きな責任を任されたことでもあります…皆さまの社会人としての基本を当社で、教えるという、大変、責任重大な仕事であります…」

 …なんだか、選挙演説なようなセリフを長々と話し出した…

 正直、私は、退屈だった…

 ガッカリした…

 いや、この人見と呼ばれたオジサンにガッカリしたのではない…

 高雄だ!

 あの美男子は、どうなったんだ?

 あのイケメンは、どうなったんだ?

 まさか、あの高雄は、ここに集まった女子大生五人を入社させるための餌(えさ)では、あるまい…

 まさか、そのために、結婚を口にしたわけでは、あるまい…

 そのためだけに、あの日、やって来たわけでは、あるまい…

 私は、人見と呼ばれた、人事部長のオジサンの退屈な話を聞きながら、考えた。

 いや、

 私だけではない…

 おそらくは、ここに集まった、五人の女子大生全員が、そう考えているに決まっている…

 人見と名乗った人事部長のオジサンの話が一区切りついて、

 「…皆さん…なにか、ご質問がありますか?…」

 と、聞くと、

 真っ先に、あの大場が、

 「…ハイ…あります…」

 と、手を挙げた。

 「…なんでしょうか?…」

 と、人見人事部長…

 「…先日、高雄さんと、おっしゃるイケメンが、ここに集まった五人の中から、一人をお嫁さんにすると、約束しました…あの約束は、どうなったんでしょうか?…」

 大場が言った。

 実に、的確な質問だった…

 私は、大場は嫌いだが、この質問には、全面的に賛成した…

 賛成したのだ…

 私以外の他の三人も同じだったに違いない…

 私がチラリと、残りの三人を見ると、皆、真剣な表情で、食い入るような視線で、人見人事部長を睨んでいた…

 「…どうなんですか?…」

 大場がまるで、ヤクザのような迫力で、人見人事部長に迫った…

 こ、怖い…

 いや、

 凄い!

 私は思った。

 まさか、たった一回会っただけのイケメンのために、ここまで、人事部長を脅すとは?

 いや、

 迫るとは?

 「…どうなんですか?…」

 再度、大場が、迫った…

 私は、その光景を見て、金輪際、この大場には、逆らってはいけない…

 盾を突いてはいけないと、固く、心に誓った…

 誓ったのだ!

 だが、人事部長は、思いのほか、冷静だった…

 大場の脅しに屈しなかった…

 「…高雄さんは、当社の人間ではありません…」

 人見人事部長が、冷静に、対応した…

 「…ですから、当社とは、直接は、関係がありません…」

 「…関係ない?…」

 大場が、叫んだ。

 「…関係ないって、だって、高雄さんは、この会社の親会社の人間ですよね…」

 「…その通りです…」

 「…だったら…」

 大場が食い下がった…

 「…皆さんは、高雄専務が、結婚をほのめかしたことを、言っているんでしょうか?…」

 人見人事部長の言葉に、全員が、押し黙った…

 「…でしたら、それは、高雄専務のプライベートです…だから、当社とは、関係がないと、今言ったのです…」

 人見の言葉に、五人全員が、黙るしかなかった…

 「…ただし、当社と、なんの関係もないと言ったのは、言い過ぎでした…高雄専務は、当社の親会社、高雄総業の専務です…ですから、当然、当社とは、関係があります…」

 人見人事部長が続ける。

 「…皆さんが、今日、なにを求めて、当社にやって来たかは、想像が付きます…皆さんは、当社に入社するよりも、あの高雄専務と結婚したいのでしょう?…」

 人見人事部長の言葉に、私たち五人全員が、

 「…」

 と、黙った。

 「…高雄専務は、あの通りのイケメンです…」

 人見人事部長が、ニヤッと笑った。

 「…だから、当然、モテる…その高雄専務が、皆さんの誰かと結婚したいと言ったというから、私も慌てました…」

 意味深に言う…

 …なにか、ある!…

 私は、思った。

 引っ掛け問題ではないが、ここが、ポイント…

 たぶん、重要なポイントだ…

 この人見人事部長は、わざと、そのポイントを、私たち五人に、教えた…

 ほのめかした…

 私は、気付いた。

 この五人の中で、そのポイントに何人気付いたか、どうかは、わからない…

 しかし、この竹下クミは気付いた。

 気付いたのだ…

 そして、人見人事部長が、この後、なにげなく、

 「…皆さんの中には、高雄専務の実家と同じ職業の方がいることは、当社としても、把握しております…くれぐれも、その点をお忘れなく…」

 と、薄笑いを浮かべて、部屋を後にした。

 私は、愕然とした。

 …高雄専務の実家と同じ職業の人間がいる?…

 …それって、まさか、実家が、ヤクザの娘が、この中にいるってこと?…

 …っていうことは、その娘をあぶりだすために、私たち五人をここに集めたってこと?…

 私は思った。

 そして、当然のことながら、それに気付いたのは、私だけではない…

 おそらくは、全員が気付いた。

 ここに集まった五人全員が気付いた。

 それを象徴するように、ザワザワと、ざわめき出した…

 私は、驚いた。

 あの大場は、わかる…

 父親が、ヤクザの組長でも、わかる…

 だが、他の三人もまた、その可能性が強いとは、思わなかった…

 この人見人事部長の一言がなかったら、そんなことは、わからなかった…

 …やるな、人見!…

 私は思った。

 あの人見人事部長、何者かは、知らないが、ただ者ではない…

 わざと、この中に、父親が、ヤクザであることが、わかっていると言って、私たちの動揺を誘ったということだ…

 しかし、ということは、どうだ?

 高雄は、この五人の中から、誰か一人をお嫁さんに選ぶと言った…

 だが、今度は、人見人事部長が、この五人の中に、ヤクザの娘がいるのは、わかっていると、言った…

 ということは、おそらく、この杉崎実業の入社にかこつけて、敵対する暴力団の組長の娘が、内部に潜入しようとしている…

 自分たちは、それを承知していますよ、と、言ったのではないか?

 私は、そう思った。

 事実、この状況では、そう考えるのが、正しい…

 っていうか、自然だ…

 しかし、

 しかし、だ…

 そこまで、考えて、なぜ、自分は、この場にいるのか?

 ふと、気付いた。

 だって、ヤクザの組長の娘がいるとか、この杉崎実業は、親会社が、日本で、二番目に大きな暴力団の高雄組ではないか?という疑惑がある…

 にも、かかわらず、私はここにいる…

 ヤンキーやヤクザが大の苦手の竹下クミが、逃げ出さずに、ここにいる…

 これは、一体どうしたことだ?

 私は、思った。

 イケメンの高雄の魅力が、それほど、勝っているということか?

 いや、違う…

 そうじゃない…

 この杉崎実業にも、高雄にも、暴力の匂いが、まるでしないのだ…

 それが、暴力が苦手な竹下クミが、ここにいる理由だ…

 私は、気付いた。

 そして、おそらく、これは、罠だと、気付いた…

 だって、そうだろう…

 イケメンの高雄が、この五人の中から、お嫁さんを選ぶと言い、その五人の中には、ヤクザの娘がいると言う。

 いや、罠だと知っていても、ここから、逃げ出すわけには、いかない…

 たぶん、五人全員が、そうだろう…

 今、人見人事部長が、ほのめかした、ヤクザの娘が、ここにいたとしても、ここから、すぐに逃げ出すわけには、いかない…

 自分が、そうだとバレる恐れがあるからだ…

 逃げ出したことが、なによりの証拠になる。

 私は思った。

 そして、そういう思いで、私以外の四人を、見ていると、他の四人も、同様に、自分以外の四人を、あからさまに、ジロジロ見ていた…

 誰もが同じ…

 同じ思いだったに違いない…

 「…ヤクザって?…」

 一人が、呟いた…

 「…そんな、ありえない…」

 もう一人が、呟いた。

 「…だって、ここ、普通の会社だよ…一部上場だし…」

 至極、当たり前のことを言った。

 「…第一、それっぽいひとなんて、誰もいなかった…もし、この会社が、ヤクザの経営する会社だったら、あの人事部長もヤクザってこと? ありえない!…」

 そのコが叫んだ…

 確かに、そのコの言う通りだった…

 この杉崎実業にしても、まるで、暴力の匂いがしない…

 だから、誰もが、ヤクザの経営する会社なんて、誰も、思わない…

 「…フロント企業…」

 一人の女が呟いた。

 私は、その女の顔を見た。

 大場だった…

 「…フロント企業って、なに?…」

 別の女が訊いた。

 「…ヤクザが運営する会社よ…」

 「…ヤクザが運営する会社って?…」

 「…ヤクザが経営して、稼ぐ…つまりは、普通の会社だけど、本当は、ヤクザが経営権を握っているってこと…」

 大場が説明する。

 私たちは、驚いた。

 当然、そんなことは、知らない…

第一、フロント企業なんて、言葉、今、初めて、聞いた…

 私は、思った。

 そして、思いながら、考えた…

 …この大場って、コ…どうして、そんなことを知ってるんだ?…

 …普通、そんなことは、知らないぞ…

 …さっき、あの人事部長が、ヤクザの娘が、ここにいるっていったな…

 …あれは、もしかして、この大場のことを言ったんじゃないか?…

 私は、そう、思った…

 そう、思って、大場を見た…

 いや、

 私だけではない…

 ふと、気付くと、残りの三人もまた、同じに考えたに違いない…

 皆、大場を見ていた…

 露骨に、白い目で、大場を見ていた…

 その視線に、さすがの大場も慌てた…

 「…わ、私じゃないよ…」

 大場が、慌てて、弁明する。

 「…今のフロント企業って、言葉は、たまたま、小説を読んだから、知っただけ…私は、ヤクザの娘なんかじゃないよ…」

 大場が続ける。

 「…第一、ヤクザの娘が、一般企業に入ろうとするのが、おかしいでしょ? ここは、一般企業だよ…」

 「…どうだか…」

 別の女が言った。

 「…ここが、一般企業じゃないのを知って、アナタ、就職試験を受けたんじゃないの?…」

 その女が言った…

 「…同じヤクザならば、受かると思ったんでしょ?…」

 「…なにっ?…」

 大場が激怒した。

 「…アンタ、名前は?…」

 「…林よ…」

 その女が名乗った…

 まさに、女同士の取っ組み合いが、まさに今始まらんとするところだった…

 が、

 しかし、

 それを阻止する声があった…

 「…いえ、それは、おかしいわ…」

 声が上がった…

 「…おかしいって、なにが、おかしいの?…」

 林が言った。

 「…だって、そうでしょ? …もし、大場さんが、ヤクザの娘だとしたら、それを隠して、この会社に入ろうとするわけでしょ?…」

 「…」

 「…もし、大場さんが、ヤクザの娘で、この会社もまたヤクザの経営する会社だとすれば、なにも隠して、入社試験を受けることなんて、ないじゃない? むしろ、堂々とすれば、いいんじゃないの?…」


 その女のコは言った。

 一理ある…

 私は、そう思った…

 「…いえ、それは、違うと思う…」

 別の一人が、遠慮がちに言った。

 「…アナタが今言ったことを否定するわけじゃないわ…でも、ちょっと考えて…あの人見って、人事部長は、今、この中にヤクザの娘がいることを当社は把握していると言ったわ…あれは、本人が隠しているってことでしょ? それを自分たちは、知っているって…だから、普通に考えれば、そのヤクザっていうのは、仮に、この杉崎実業が、フロント企業だとしたら、それと敵対する暴力団じゃないかしら?…」

 その女は説明する。

 うーむ…

 実に、うまい説明だ…

 私は、その説明に納得した。

 っていうか、私は、気付いた。

 あの人見人事部長は、一言も、ヤクザとは言っていない…

 高雄専務の実家と同じ職業の方がいると、ほのめかしただけだ…

 しかし、今や、誰もが、高雄が、ヤクザと関係があることを知っている…

 私だけではない…

 皆、知っている…

 これは、一体、どうしたことか?

 どういうことだ?

 実のところ、私を含め、全員が、この杉崎実業の正体に気付いている…

 高雄の正体に気付いているということではないのか?

 ということは?

 ということは、一体?

 私は、考えた…

               
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