第5話
文字数 5,755文字
私は緊張した。
ドキッとした。
ようやく、誰か、会社の人間が、やって来た…
そう思った。
私たち五人は、息を飲んで、どんな人間が、やって来たのか、見た。
部屋に入って来たのは、平凡な感じの五十代のオジサンだった…
「…当社の人事部長の人見です…」
開口一番、その人物は、そう告げた。
「…今日は、皆さん、当社にお越し頂き、ありがとうございます…」
オジサンが、頭を下げる。
席に座った、私たち五人の女のコもまた、一斉に、頭を下げた。
至って、平凡…
ありきたりの光景だった…
どこの会社も同じだろう…
要するに、この五人は、来春に、この杉崎実業への入社が決まっている…
そのための内定式というか…
入社の確認のために、この杉崎実業にやって来たのだ…
だから、その後の言葉も平凡だった…
「…今日、お越し頂いた、皆さまには、来春に、当社に入社して頂きます…いわば、社会人としての、第一歩を当社で、歩んで頂きます。これは、当社と致しましては、とても幸運なことであり、同時に、非情に大きな責任を任されたことでもあります…皆さまの社会人としての基本を当社で、教えるという、大変、責任重大な仕事であります…」
…なんだか、選挙演説なようなセリフを長々と話し出した…
正直、私は、退屈だった…
ガッカリした…
いや、この人見と呼ばれたオジサンにガッカリしたのではない…
高雄だ!
あの美男子は、どうなったんだ?
あのイケメンは、どうなったんだ?
まさか、あの高雄は、ここに集まった女子大生五人を入社させるための餌(えさ)では、あるまい…
まさか、そのために、結婚を口にしたわけでは、あるまい…
そのためだけに、あの日、やって来たわけでは、あるまい…
私は、人見と呼ばれた、人事部長のオジサンの退屈な話を聞きながら、考えた。
いや、
私だけではない…
おそらくは、ここに集まった、五人の女子大生全員が、そう考えているに決まっている…
人見と名乗った人事部長のオジサンの話が一区切りついて、
「…皆さん…なにか、ご質問がありますか?…」
と、聞くと、
真っ先に、あの大場が、
「…ハイ…あります…」
と、手を挙げた。
「…なんでしょうか?…」
と、人見人事部長…
「…先日、高雄さんと、おっしゃるイケメンが、ここに集まった五人の中から、一人をお嫁さんにすると、約束しました…あの約束は、どうなったんでしょうか?…」
大場が言った。
実に、的確な質問だった…
私は、大場は嫌いだが、この質問には、全面的に賛成した…
賛成したのだ…
私以外の他の三人も同じだったに違いない…
私がチラリと、残りの三人を見ると、皆、真剣な表情で、食い入るような視線で、人見人事部長を睨んでいた…
「…どうなんですか?…」
大場がまるで、ヤクザのような迫力で、人見人事部長に迫った…
こ、怖い…
いや、
凄い!
私は思った。
まさか、たった一回会っただけのイケメンのために、ここまで、人事部長を脅すとは?
いや、
迫るとは?
「…どうなんですか?…」
再度、大場が、迫った…
私は、その光景を見て、金輪際、この大場には、逆らってはいけない…
盾を突いてはいけないと、固く、心に誓った…
誓ったのだ!
だが、人事部長は、思いのほか、冷静だった…
大場の脅しに屈しなかった…
「…高雄さんは、当社の人間ではありません…」
人見人事部長が、冷静に、対応した…
「…ですから、当社とは、直接は、関係がありません…」
「…関係ない?…」
大場が、叫んだ。
「…関係ないって、だって、高雄さんは、この会社の親会社の人間ですよね…」
「…その通りです…」
「…だったら…」
大場が食い下がった…
「…皆さんは、高雄専務が、結婚をほのめかしたことを、言っているんでしょうか?…」
人見人事部長の言葉に、全員が、押し黙った…
「…でしたら、それは、高雄専務のプライベートです…だから、当社とは、関係がないと、今言ったのです…」
人見の言葉に、五人全員が、黙るしかなかった…
「…ただし、当社と、なんの関係もないと言ったのは、言い過ぎでした…高雄専務は、当社の親会社、高雄総業の専務です…ですから、当然、当社とは、関係があります…」
人見人事部長が続ける。
「…皆さんが、今日、なにを求めて、当社にやって来たかは、想像が付きます…皆さんは、当社に入社するよりも、あの高雄専務と結婚したいのでしょう?…」
人見人事部長の言葉に、私たち五人全員が、
「…」
と、黙った。
「…高雄専務は、あの通りのイケメンです…」
人見人事部長が、ニヤッと笑った。
「…だから、当然、モテる…その高雄専務が、皆さんの誰かと結婚したいと言ったというから、私も慌てました…」
意味深に言う…
…なにか、ある!…
私は、思った。
引っ掛け問題ではないが、ここが、ポイント…
たぶん、重要なポイントだ…
この人見人事部長は、わざと、そのポイントを、私たち五人に、教えた…
ほのめかした…
私は、気付いた。
この五人の中で、そのポイントに何人気付いたか、どうかは、わからない…
しかし、この竹下クミは気付いた。
気付いたのだ…
そして、人見人事部長が、この後、なにげなく、
「…皆さんの中には、高雄専務の実家と同じ職業の方がいることは、当社としても、把握しております…くれぐれも、その点をお忘れなく…」
と、薄笑いを浮かべて、部屋を後にした。
私は、愕然とした。
…高雄専務の実家と同じ職業の人間がいる?…
…それって、まさか、実家が、ヤクザの娘が、この中にいるってこと?…
…っていうことは、その娘をあぶりだすために、私たち五人をここに集めたってこと?…
私は思った。
そして、当然のことながら、それに気付いたのは、私だけではない…
おそらくは、全員が気付いた。
ここに集まった五人全員が気付いた。
それを象徴するように、ザワザワと、ざわめき出した…
私は、驚いた。
あの大場は、わかる…
父親が、ヤクザの組長でも、わかる…
だが、他の三人もまた、その可能性が強いとは、思わなかった…
この人見人事部長の一言がなかったら、そんなことは、わからなかった…
…やるな、人見!…
私は思った。
あの人見人事部長、何者かは、知らないが、ただ者ではない…
わざと、この中に、父親が、ヤクザであることが、わかっていると言って、私たちの動揺を誘ったということだ…
しかし、ということは、どうだ?
高雄は、この五人の中から、誰か一人をお嫁さんに選ぶと言った…
だが、今度は、人見人事部長が、この五人の中に、ヤクザの娘がいるのは、わかっていると、言った…
ということは、おそらく、この杉崎実業の入社にかこつけて、敵対する暴力団の組長の娘が、内部に潜入しようとしている…
自分たちは、それを承知していますよ、と、言ったのではないか?
私は、そう思った。
事実、この状況では、そう考えるのが、正しい…
っていうか、自然だ…
しかし、
しかし、だ…
そこまで、考えて、なぜ、自分は、この場にいるのか?
ふと、気付いた。
だって、ヤクザの組長の娘がいるとか、この杉崎実業は、親会社が、日本で、二番目に大きな暴力団の高雄組ではないか?という疑惑がある…
にも、かかわらず、私はここにいる…
ヤンキーやヤクザが大の苦手の竹下クミが、逃げ出さずに、ここにいる…
これは、一体どうしたことだ?
私は、思った。
イケメンの高雄の魅力が、それほど、勝っているということか?
いや、違う…
そうじゃない…
この杉崎実業にも、高雄にも、暴力の匂いが、まるでしないのだ…
それが、暴力が苦手な竹下クミが、ここにいる理由だ…
私は、気付いた。
そして、おそらく、これは、罠だと、気付いた…
だって、そうだろう…
イケメンの高雄が、この五人の中から、お嫁さんを選ぶと言い、その五人の中には、ヤクザの娘がいると言う。
いや、罠だと知っていても、ここから、逃げ出すわけには、いかない…
たぶん、五人全員が、そうだろう…
今、人見人事部長が、ほのめかした、ヤクザの娘が、ここにいたとしても、ここから、すぐに逃げ出すわけには、いかない…
自分が、そうだとバレる恐れがあるからだ…
逃げ出したことが、なによりの証拠になる。
私は思った。
そして、そういう思いで、私以外の四人を、見ていると、他の四人も、同様に、自分以外の四人を、あからさまに、ジロジロ見ていた…
誰もが同じ…
同じ思いだったに違いない…
「…ヤクザって?…」
一人が、呟いた…
「…そんな、ありえない…」
もう一人が、呟いた。
「…だって、ここ、普通の会社だよ…一部上場だし…」
至極、当たり前のことを言った。
「…第一、それっぽいひとなんて、誰もいなかった…もし、この会社が、ヤクザの経営する会社だったら、あの人事部長もヤクザってこと? ありえない!…」
そのコが叫んだ…
確かに、そのコの言う通りだった…
この杉崎実業にしても、まるで、暴力の匂いがしない…
だから、誰もが、ヤクザの経営する会社なんて、誰も、思わない…
「…フロント企業…」
一人の女が呟いた。
私は、その女の顔を見た。
大場だった…
「…フロント企業って、なに?…」
別の女が訊いた。
「…ヤクザが運営する会社よ…」
「…ヤクザが運営する会社って?…」
「…ヤクザが経営して、稼ぐ…つまりは、普通の会社だけど、本当は、ヤクザが経営権を握っているってこと…」
大場が説明する。
私たちは、驚いた。
当然、そんなことは、知らない…
第一、フロント企業なんて、言葉、今、初めて、聞いた…
私は、思った。
そして、思いながら、考えた…
…この大場って、コ…どうして、そんなことを知ってるんだ?…
…普通、そんなことは、知らないぞ…
…さっき、あの人事部長が、ヤクザの娘が、ここにいるっていったな…
…あれは、もしかして、この大場のことを言ったんじゃないか?…
私は、そう、思った…
そう、思って、大場を見た…
いや、
私だけではない…
ふと、気付くと、残りの三人もまた、同じに考えたに違いない…
皆、大場を見ていた…
露骨に、白い目で、大場を見ていた…
その視線に、さすがの大場も慌てた…
「…わ、私じゃないよ…」
大場が、慌てて、弁明する。
「…今のフロント企業って、言葉は、たまたま、小説を読んだから、知っただけ…私は、ヤクザの娘なんかじゃないよ…」
大場が続ける。
「…第一、ヤクザの娘が、一般企業に入ろうとするのが、おかしいでしょ? ここは、一般企業だよ…」
「…どうだか…」
別の女が言った。
「…ここが、一般企業じゃないのを知って、アナタ、就職試験を受けたんじゃないの?…」
その女が言った…
「…同じヤクザならば、受かると思ったんでしょ?…」
「…なにっ?…」
大場が激怒した。
「…アンタ、名前は?…」
「…林よ…」
その女が名乗った…
まさに、女同士の取っ組み合いが、まさに今始まらんとするところだった…
が、
しかし、
それを阻止する声があった…
「…いえ、それは、おかしいわ…」
声が上がった…
「…おかしいって、なにが、おかしいの?…」
林が言った。
「…だって、そうでしょ? …もし、大場さんが、ヤクザの娘だとしたら、それを隠して、この会社に入ろうとするわけでしょ?…」
「…」
「…もし、大場さんが、ヤクザの娘で、この会社もまたヤクザの経営する会社だとすれば、なにも隠して、入社試験を受けることなんて、ないじゃない? むしろ、堂々とすれば、いいんじゃないの?…」
その女のコは言った。
一理ある…
私は、そう思った…
「…いえ、それは、違うと思う…」
別の一人が、遠慮がちに言った。
「…アナタが今言ったことを否定するわけじゃないわ…でも、ちょっと考えて…あの人見って、人事部長は、今、この中にヤクザの娘がいることを当社は把握していると言ったわ…あれは、本人が隠しているってことでしょ? それを自分たちは、知っているって…だから、普通に考えれば、そのヤクザっていうのは、仮に、この杉崎実業が、フロント企業だとしたら、それと敵対する暴力団じゃないかしら?…」
その女は説明する。
うーむ…
実に、うまい説明だ…
私は、その説明に納得した。
っていうか、私は、気付いた。
あの人見人事部長は、一言も、ヤクザとは言っていない…
高雄専務の実家と同じ職業の方がいると、ほのめかしただけだ…
しかし、今や、誰もが、高雄が、ヤクザと関係があることを知っている…
私だけではない…
皆、知っている…
これは、一体、どうしたことか?
どういうことだ?
実のところ、私を含め、全員が、この杉崎実業の正体に気付いている…
高雄の正体に気付いているということではないのか?
ということは?
ということは、一体?
私は、考えた…
ドキッとした。
ようやく、誰か、会社の人間が、やって来た…
そう思った。
私たち五人は、息を飲んで、どんな人間が、やって来たのか、見た。
部屋に入って来たのは、平凡な感じの五十代のオジサンだった…
「…当社の人事部長の人見です…」
開口一番、その人物は、そう告げた。
「…今日は、皆さん、当社にお越し頂き、ありがとうございます…」
オジサンが、頭を下げる。
席に座った、私たち五人の女のコもまた、一斉に、頭を下げた。
至って、平凡…
ありきたりの光景だった…
どこの会社も同じだろう…
要するに、この五人は、来春に、この杉崎実業への入社が決まっている…
そのための内定式というか…
入社の確認のために、この杉崎実業にやって来たのだ…
だから、その後の言葉も平凡だった…
「…今日、お越し頂いた、皆さまには、来春に、当社に入社して頂きます…いわば、社会人としての、第一歩を当社で、歩んで頂きます。これは、当社と致しましては、とても幸運なことであり、同時に、非情に大きな責任を任されたことでもあります…皆さまの社会人としての基本を当社で、教えるという、大変、責任重大な仕事であります…」
…なんだか、選挙演説なようなセリフを長々と話し出した…
正直、私は、退屈だった…
ガッカリした…
いや、この人見と呼ばれたオジサンにガッカリしたのではない…
高雄だ!
あの美男子は、どうなったんだ?
あのイケメンは、どうなったんだ?
まさか、あの高雄は、ここに集まった女子大生五人を入社させるための餌(えさ)では、あるまい…
まさか、そのために、結婚を口にしたわけでは、あるまい…
そのためだけに、あの日、やって来たわけでは、あるまい…
私は、人見と呼ばれた、人事部長のオジサンの退屈な話を聞きながら、考えた。
いや、
私だけではない…
おそらくは、ここに集まった、五人の女子大生全員が、そう考えているに決まっている…
人見と名乗った人事部長のオジサンの話が一区切りついて、
「…皆さん…なにか、ご質問がありますか?…」
と、聞くと、
真っ先に、あの大場が、
「…ハイ…あります…」
と、手を挙げた。
「…なんでしょうか?…」
と、人見人事部長…
「…先日、高雄さんと、おっしゃるイケメンが、ここに集まった五人の中から、一人をお嫁さんにすると、約束しました…あの約束は、どうなったんでしょうか?…」
大場が言った。
実に、的確な質問だった…
私は、大場は嫌いだが、この質問には、全面的に賛成した…
賛成したのだ…
私以外の他の三人も同じだったに違いない…
私がチラリと、残りの三人を見ると、皆、真剣な表情で、食い入るような視線で、人見人事部長を睨んでいた…
「…どうなんですか?…」
大場がまるで、ヤクザのような迫力で、人見人事部長に迫った…
こ、怖い…
いや、
凄い!
私は思った。
まさか、たった一回会っただけのイケメンのために、ここまで、人事部長を脅すとは?
いや、
迫るとは?
「…どうなんですか?…」
再度、大場が、迫った…
私は、その光景を見て、金輪際、この大場には、逆らってはいけない…
盾を突いてはいけないと、固く、心に誓った…
誓ったのだ!
だが、人事部長は、思いのほか、冷静だった…
大場の脅しに屈しなかった…
「…高雄さんは、当社の人間ではありません…」
人見人事部長が、冷静に、対応した…
「…ですから、当社とは、直接は、関係がありません…」
「…関係ない?…」
大場が、叫んだ。
「…関係ないって、だって、高雄さんは、この会社の親会社の人間ですよね…」
「…その通りです…」
「…だったら…」
大場が食い下がった…
「…皆さんは、高雄専務が、結婚をほのめかしたことを、言っているんでしょうか?…」
人見人事部長の言葉に、全員が、押し黙った…
「…でしたら、それは、高雄専務のプライベートです…だから、当社とは、関係がないと、今言ったのです…」
人見の言葉に、五人全員が、黙るしかなかった…
「…ただし、当社と、なんの関係もないと言ったのは、言い過ぎでした…高雄専務は、当社の親会社、高雄総業の専務です…ですから、当然、当社とは、関係があります…」
人見人事部長が続ける。
「…皆さんが、今日、なにを求めて、当社にやって来たかは、想像が付きます…皆さんは、当社に入社するよりも、あの高雄専務と結婚したいのでしょう?…」
人見人事部長の言葉に、私たち五人全員が、
「…」
と、黙った。
「…高雄専務は、あの通りのイケメンです…」
人見人事部長が、ニヤッと笑った。
「…だから、当然、モテる…その高雄専務が、皆さんの誰かと結婚したいと言ったというから、私も慌てました…」
意味深に言う…
…なにか、ある!…
私は、思った。
引っ掛け問題ではないが、ここが、ポイント…
たぶん、重要なポイントだ…
この人見人事部長は、わざと、そのポイントを、私たち五人に、教えた…
ほのめかした…
私は、気付いた。
この五人の中で、そのポイントに何人気付いたか、どうかは、わからない…
しかし、この竹下クミは気付いた。
気付いたのだ…
そして、人見人事部長が、この後、なにげなく、
「…皆さんの中には、高雄専務の実家と同じ職業の方がいることは、当社としても、把握しております…くれぐれも、その点をお忘れなく…」
と、薄笑いを浮かべて、部屋を後にした。
私は、愕然とした。
…高雄専務の実家と同じ職業の人間がいる?…
…それって、まさか、実家が、ヤクザの娘が、この中にいるってこと?…
…っていうことは、その娘をあぶりだすために、私たち五人をここに集めたってこと?…
私は思った。
そして、当然のことながら、それに気付いたのは、私だけではない…
おそらくは、全員が気付いた。
ここに集まった五人全員が気付いた。
それを象徴するように、ザワザワと、ざわめき出した…
私は、驚いた。
あの大場は、わかる…
父親が、ヤクザの組長でも、わかる…
だが、他の三人もまた、その可能性が強いとは、思わなかった…
この人見人事部長の一言がなかったら、そんなことは、わからなかった…
…やるな、人見!…
私は思った。
あの人見人事部長、何者かは、知らないが、ただ者ではない…
わざと、この中に、父親が、ヤクザであることが、わかっていると言って、私たちの動揺を誘ったということだ…
しかし、ということは、どうだ?
高雄は、この五人の中から、誰か一人をお嫁さんに選ぶと言った…
だが、今度は、人見人事部長が、この五人の中に、ヤクザの娘がいるのは、わかっていると、言った…
ということは、おそらく、この杉崎実業の入社にかこつけて、敵対する暴力団の組長の娘が、内部に潜入しようとしている…
自分たちは、それを承知していますよ、と、言ったのではないか?
私は、そう思った。
事実、この状況では、そう考えるのが、正しい…
っていうか、自然だ…
しかし、
しかし、だ…
そこまで、考えて、なぜ、自分は、この場にいるのか?
ふと、気付いた。
だって、ヤクザの組長の娘がいるとか、この杉崎実業は、親会社が、日本で、二番目に大きな暴力団の高雄組ではないか?という疑惑がある…
にも、かかわらず、私はここにいる…
ヤンキーやヤクザが大の苦手の竹下クミが、逃げ出さずに、ここにいる…
これは、一体どうしたことだ?
私は、思った。
イケメンの高雄の魅力が、それほど、勝っているということか?
いや、違う…
そうじゃない…
この杉崎実業にも、高雄にも、暴力の匂いが、まるでしないのだ…
それが、暴力が苦手な竹下クミが、ここにいる理由だ…
私は、気付いた。
そして、おそらく、これは、罠だと、気付いた…
だって、そうだろう…
イケメンの高雄が、この五人の中から、お嫁さんを選ぶと言い、その五人の中には、ヤクザの娘がいると言う。
いや、罠だと知っていても、ここから、逃げ出すわけには、いかない…
たぶん、五人全員が、そうだろう…
今、人見人事部長が、ほのめかした、ヤクザの娘が、ここにいたとしても、ここから、すぐに逃げ出すわけには、いかない…
自分が、そうだとバレる恐れがあるからだ…
逃げ出したことが、なによりの証拠になる。
私は思った。
そして、そういう思いで、私以外の四人を、見ていると、他の四人も、同様に、自分以外の四人を、あからさまに、ジロジロ見ていた…
誰もが同じ…
同じ思いだったに違いない…
「…ヤクザって?…」
一人が、呟いた…
「…そんな、ありえない…」
もう一人が、呟いた。
「…だって、ここ、普通の会社だよ…一部上場だし…」
至極、当たり前のことを言った。
「…第一、それっぽいひとなんて、誰もいなかった…もし、この会社が、ヤクザの経営する会社だったら、あの人事部長もヤクザってこと? ありえない!…」
そのコが叫んだ…
確かに、そのコの言う通りだった…
この杉崎実業にしても、まるで、暴力の匂いがしない…
だから、誰もが、ヤクザの経営する会社なんて、誰も、思わない…
「…フロント企業…」
一人の女が呟いた。
私は、その女の顔を見た。
大場だった…
「…フロント企業って、なに?…」
別の女が訊いた。
「…ヤクザが運営する会社よ…」
「…ヤクザが運営する会社って?…」
「…ヤクザが経営して、稼ぐ…つまりは、普通の会社だけど、本当は、ヤクザが経営権を握っているってこと…」
大場が説明する。
私たちは、驚いた。
当然、そんなことは、知らない…
第一、フロント企業なんて、言葉、今、初めて、聞いた…
私は、思った。
そして、思いながら、考えた…
…この大場って、コ…どうして、そんなことを知ってるんだ?…
…普通、そんなことは、知らないぞ…
…さっき、あの人事部長が、ヤクザの娘が、ここにいるっていったな…
…あれは、もしかして、この大場のことを言ったんじゃないか?…
私は、そう、思った…
そう、思って、大場を見た…
いや、
私だけではない…
ふと、気付くと、残りの三人もまた、同じに考えたに違いない…
皆、大場を見ていた…
露骨に、白い目で、大場を見ていた…
その視線に、さすがの大場も慌てた…
「…わ、私じゃないよ…」
大場が、慌てて、弁明する。
「…今のフロント企業って、言葉は、たまたま、小説を読んだから、知っただけ…私は、ヤクザの娘なんかじゃないよ…」
大場が続ける。
「…第一、ヤクザの娘が、一般企業に入ろうとするのが、おかしいでしょ? ここは、一般企業だよ…」
「…どうだか…」
別の女が言った。
「…ここが、一般企業じゃないのを知って、アナタ、就職試験を受けたんじゃないの?…」
その女が言った…
「…同じヤクザならば、受かると思ったんでしょ?…」
「…なにっ?…」
大場が激怒した。
「…アンタ、名前は?…」
「…林よ…」
その女が名乗った…
まさに、女同士の取っ組み合いが、まさに今始まらんとするところだった…
が、
しかし、
それを阻止する声があった…
「…いえ、それは、おかしいわ…」
声が上がった…
「…おかしいって、なにが、おかしいの?…」
林が言った。
「…だって、そうでしょ? …もし、大場さんが、ヤクザの娘だとしたら、それを隠して、この会社に入ろうとするわけでしょ?…」
「…」
「…もし、大場さんが、ヤクザの娘で、この会社もまたヤクザの経営する会社だとすれば、なにも隠して、入社試験を受けることなんて、ないじゃない? むしろ、堂々とすれば、いいんじゃないの?…」
その女のコは言った。
一理ある…
私は、そう思った…
「…いえ、それは、違うと思う…」
別の一人が、遠慮がちに言った。
「…アナタが今言ったことを否定するわけじゃないわ…でも、ちょっと考えて…あの人見って、人事部長は、今、この中にヤクザの娘がいることを当社は把握していると言ったわ…あれは、本人が隠しているってことでしょ? それを自分たちは、知っているって…だから、普通に考えれば、そのヤクザっていうのは、仮に、この杉崎実業が、フロント企業だとしたら、それと敵対する暴力団じゃないかしら?…」
その女は説明する。
うーむ…
実に、うまい説明だ…
私は、その説明に納得した。
っていうか、私は、気付いた。
あの人見人事部長は、一言も、ヤクザとは言っていない…
高雄専務の実家と同じ職業の方がいると、ほのめかしただけだ…
しかし、今や、誰もが、高雄が、ヤクザと関係があることを知っている…
私だけではない…
皆、知っている…
これは、一体、どうしたことか?
どういうことだ?
実のところ、私を含め、全員が、この杉崎実業の正体に気付いている…
高雄の正体に気付いているということではないのか?
ということは?
ということは、一体?
私は、考えた…