第31話

文字数 5,824文字

 …稲葉一家?…

 たしか、さっきも考えたが、高雄の父の高雄組組長のライバル…

 日本で二番目に大きなヤクザ組織の後継者になるかもしれない人物が率いる組織…

 それが、こんな場所に?

 私は、唖然とするというか、驚いて、稲葉一家と書かれた看板を見上げた。

 同時に、気付いた…

 まさか、この大場は、私を稲葉一家の事務所に連れてゆく気か?

 とっさに、閃いた…

 思った…

 が、ほぼ同時に、

 そんなことはあるまいとも、思った…

 大場は、金持ちのお嬢様…

 さっきも、私が、大場は、金持ちのお嬢様だろうと言ったが、本人は否定しなかった…

 つまり、大場はお金持ちのお嬢様であることが確定した…

 だから、大場は、ヤクザの娘ではないということだ…

 大場は、ヤンキーだが、ヤクザの娘ではないということだ…

 逆に言えば、ヤクザの娘が、皆、ヤンキーとも限らない…

 つまり、そういうことだ(笑)…

 私は、思った…

 そんなことを考えながら、漠然と、稲葉一家と書かれた看板を見上げてると、

 「…なにを見ているの?…」

 と、いう声がした。

 声の主は、当然、大場だった…

 私は、とっさに、沢尻エリカではないが、

 「…別に…」

 と、返した。

 「…さあ、降りましょう…」

 と、大場は言って、ベンツGクラスから、降りた。

 私も降りた。

 そこは、某市の駅前の駐車場だった…

 街の繁華街…

 私は、ただ漠然と、大場がハンドルを握るベンツの助手席に座っていただけなので、大場が私をどこに連れてゆくか、考えてなかった…

 っていうか、車内での大場との会話の中で、高雄の話が出てきた…

 そして、もしかしたら、高雄の本命は、私なのかも、と、思い始めていたところだ…

 この私、竹下クミなのでは? と、気付いたところだ…

 その事実というか、現実に、驚いて、大場が、私をどこに連れてゆくか、なんて、考えてはいられなかった…

 いや、

 考える余裕がなかったというのが、本当だろう…

 そして、それを言えば、今日、どうして、大場が、私を誘ったか、その理由を考えなかった…

 そもそも、大場が、いきなり、私に電話をかけてきて、私を誘ったのも、奇妙な話だ…

 当然、誘う理由があるはずだ…

 私は、それまで、すでに林も言っていたが、杉崎実業の内定者同士が連絡するために、各自が連絡を取り合っている…

 その一環で、林が私を誘ったのと、同様に、大場もまた、今回私を誘ったものと、漠然と考えていた…

 しかし、もしかしたら、それも違うのかもしれない…

 ようやく、遅ればせながら、私も、その事実というか、現実に、気付いた…

 「…さあ、行きましょう…」

 大場が、言った…

 私は、大場の言葉で、思考を停止した…

 そして、聞いた…

 「…どこへ?…」

 「…とりあえず、なにか、食べるか、飲むかしながら、おしゃべりしましょう…」

 大場が答える。

 至極、当然のことだ…

 当たり前のことだ…

 誰もが、ただ、おしゃべりをするにしても、場所が必要…

 まさか、クルマの中で、おしゃべりをして、それで、おしまいということは、ありえない…

 私たち二人は、市営の駐車場にベンツを置いて、歩き出した…

 大場が、先頭に立ち、歩き出した…

 大場は、すでに、慣れている様子だった…

 この地域を熟知している様子だった…

 もっとも、それでなければ、こんな街中の繁華街にクルマを置くわけがない…

 私は思った…

 「…どこへ、行くの?…」

 「…さあ、それは、着いてのお楽しみ…」

 大場が私を振り向いて、子供っぽく笑った…

 いたずらっぽく、笑った…

 それは、今日初めて見る大場の笑顔だった…

 いや、あの杉崎実業の内定式で出会って以来、初めて見る、大場の笑顔だった…

 そして、その笑顔は、大場を年齢以上に、子供っぽく見せた…

 ただのヤンキーだとばかり、思っていた大場だったが、なにかその笑顔を見ると、妙に子供っぽく愛らしい…

 それまで、考えた、大場の印象がガラッと変わるほどだった…

 なにか、妙に愛らしく思えた…

 愛らしく、誰からも好かれる印象…

 サングラスをかけたままでも、それがわかった…

 妙に人懐っこく、子供っぽい…

 まるで、子供が、大人に見せる顔だった…

 …コイツ、もしや?…

 この大場と言う女は、もしや、そのヤンキーっぽい姿と、本当の姿が、真逆なのでは?

 とっさに閃いた…

 他人に見せる姿と、自分の本当の姿が、まったく違うのは、よくある話…

 もっとも身近な事例が、いかにも、男らしい男で、誰もが一目置く人間が、実は小心者だということ…

 あるいは、ナーバスなまでに、用心深い性格であること…

 なぜ、それがわかるかといえば、決して、自分に不利になることは、言わない…

 他人の悪口ひとつ言わない…

 口に出すのは、誰に聞かれても、いいような話ばかり…

 実は、誰々が言っていたと、他人に知られでもしたら、都合の悪い話は、ひとつもない…

 つまりは、自分にとって、都合の悪い話は、一切口にしない…

 病的なまでに、用心深い人物であることがわかる…

 おそらく、自分の地位を保つことに、汲々としているのが、本来の姿なのであろう…

 しかし、幸か不幸か、周囲の人間が、その人物を持ち上げてる…

 別の言葉で言えば、イメージを作り上げてる…

 その作り上げられた、イメージを壊さないでいることに、精一杯なのだろう…

 まるで、芸能人だ(笑)…

 イメージが崩されれば、周囲の人間が掌を返す可能性がある…

 会社でいえば、出世コースに乗っているのが、容易にそのコースを外される…

 それを、内心、恐れているのだろう…

 警戒しているのであろう…

 私は、そんな人間を見たことがある…

 私は、大場を見て、そんなことを、ふと思い出した…

 大場が、私を連れて行ったのは、高級店ではなく、むしろ、庶民的な店だった…

 いわゆる街中華というような店…

 大場の革ジャンを着て、革のパンツを穿いて、ロックンロールを歌うような姿とは、どう見ても、真逆な姿…

 いかにも、飾らない、庶民的な店だった…

 大場が店に入ると、

 「…あら…あっちゃん、久しぶり…」

 と、店の女将さんらしき、人物が声をかけた…

 大場が、サングラスを外して、

 「…おばさん…久しぶり…」

 と、まるで、子供のように、屈託のない笑顔を見せる…

 その笑顔を見て、私は、大場の素顔…

 おそらく、ヤンキーのような見た目と中身が、一致しないと、確信した…

 大場は、たしかに、ヤンキー=ツッパリだが、案外子供っぽい、心の持ち主なのではと、考えた…

 「…どうしたの、今日は…」

 店の女将さんが訊く。

 「…ここで、ひとと待ち合わせる予定なの…この店ならば、昔から知ってるから、安心できるし…」

 大場が、子供のように、無邪気に答える。

 …ひとと会う予定?…

 …どういうことだ?…

 私は、思った…

 すでに、ひと=私を連れてきている…

 と、なると、私以外の誰か、別の人物を、この席に呼ぶのか?

 私は、考えた…

 「…そう…じゃ、座って…とりあえず、なにか飲む…」

 女将さんが、大場に訊いた…

 「…後にする…とりあえずは、コーラで構わない…竹下さんも、それで、構わないでしょ?…」

 私は、大場の提案に、黙って、首を縦に振って、頷いた…

 大場は、黙って、スタスタと歩いて、席に座った…

 おそらく、その席が、大場のお気に入りの席なのだろう…

 私もまた、大場に従って、同じ席に座った…

 そして、私が席に着くと、

 「…驚いた?…」

 と、私をからかうような笑みを見せた。

 「…どんな高級店に連れてゆくかと、思ったでしょ?…」

 私は、

 「…」

 と、なにも、言わなかった…

 …試している!…

 私は、とっさに、思った…

 閃いた…

 林のときと同じだ…

 林は、あのとき、マイバッハという高級車に乗り、あの日本式家屋の大邸宅の実家に、私を招き、私の反応を見た…

 今の大場も同じ…

 わざと、あのベンツのGクラスとかいう大型のクルマで、私を迎えて、私の反応を確かめる…

 しかも、まるで、ロック歌手のような服を着て、前回初めて出会った、あの杉崎実業の内定式とは、真逆な姿で、現れて、私を惑わせた…

 さらには、今度は、金持ちのお嬢様だと、私に思わせた上で、またも、金持ちのお嬢様とは、真逆の庶民的な街の中華店に、私を連れてくる…

 ある意味、林よりも、手が込んでいる…

 あの林よりも、この大場の方が、何度も、逆転と言うか、イメージを覆す努力をしている…

 それによって、私を試している…

 私、竹下クミを試している…

 となると、これから、呼ぶ、大場が会う人間と言うのも、意外な人間ではないか?

 私、竹下クミが、想像もできないような、意外な人間ではないのか?

 私は、思った…

 その人間と会わせることで、私が、どんな反応を見せるか、試そうとしているではないか?

 と、ここまで、考えて、なぜ、林も大場も、こんな私に、そこまでするのだろうと、考えた…

 この平凡極まりない、竹下クミにそこまで、手の込んだ真似をするのだろうと、思った…

 もしかしたら、私が高雄の本命のせいだろうか?

 私を追い落とすために、私に自分との格の違い…身分の違いを見せつけて、私に戦意を喪失させて、高雄の恋のライバルから、蹴落とそうとする策略なのかと、思った…

 と、そこまで、考えて。

 …承知!…

 と、心の中で、叫んだ…

 相手がその気ならば、私は負けない…

 決して、自分から、高雄の恋の相手という立場から、降りない…

 そう決意した…

 そのときだった…

 「…お待たせしました…」

 背後から声が聞こえた…

 私が声のする方を振り向くと、見るからに大柄で、いかつい男が立っていた…

 「…オジサン…」

 大場が席から立ち上がった…

 「…久しぶり…」

 サングラスを外した大場が、ニコニコと、屈託なく、いかつい顔をした男に話しかける…

 「…オジサンは止めてくれ…」

 いかつい顔をした男が、困った顔を見せた。

 「…オレもまだ50になったばかりだ…オジサン呼ばわりされると、オレもそんな歳になったもんだと思って、気が滅入る…」

 いかつい顔をした男が言う。

 「…歳は50だが、中身は、あっちゃんと同じだ…中身は、まだ二十代前半ぐらいの気持ちだ…あっちゃんと同じ年頃の女のコと結婚したい気持ちだ…」

 いかつい顔をした男が、真顔で言う。

 が、そんな男の態度と、大場の反応は、真逆だった…

 「…オジサン…そんな冗談ばっかり言って…50のオジサンが、22の女のコと結婚できるわけないでしょ?…」

 と、大場は笑った…

 爆笑した…

 さすがに、まずいのでは? と、私は思った…

 どう見ても、男は、その筋のひとだ…

 それが、大場がいかに知り合いとはいえ、頭から、その筋のひとの発言を否定するような真似をするとは…

 私は、唖然として、その成り行きが、心配になった…

 が、男は、一瞬、ムッとした表情を浮かべたが、

 「…あっちゃんは、ホント、正直に言う…オレに対して、そんな態度を取るのは、あっちゃんだけだ…」

 と、苦笑いを浮かべただけだった。

 そして、初めて私に気付いたように、

 「…そのお嬢さんが?…」

 と、私を話題にした…

 「…そう…友人の竹下クミさん…杉崎実業に内定した…」

 大場が私を紹介する。

 私は、立ち上がって、

 「…竹下クミと言います…」

 と、いかつい男に頭を下げて、挨拶した…

 が、男の態度は、私の想像をはるかに、超えるものだった…

 「…稲葉…稲葉五郎と申します…今日は、お嬢さんに、お目にかかって、光栄です…」

 と、至極真面目な顔で、いかつい男が、私に頭を下げた…

 私は、驚いた…

 誰がどう見ても、れっきとしたヤクザ者に、こんなにも、丁寧に頭を下げられるとは、思わなかったからだ…

 私は、どうしていいか、わからずに、大場を見た…

 大場に視線をやった…

 大場に助けを求めたのだ…

 が、大場は、笑っていた…

 薄ら笑いを浮かべていた…

 席に座ったまま、私の苦境を、見て見ぬふりをするどころか、あざ笑っていた…

 私は、頭にきたが、どうしていいか、わからなかった…

 ただ、立ったままだった…

 恐怖に固まったままだった…

 そこへ、大場が、

 「…竹下さん…そのひとは、稲葉一家の組長よ…次の山田会の会長になるかもしれない、ヤクザ界のスターよ…そんな大物に頭を下げさせたんだから、どうなるかは、わかってるんでしょうね?…」

 と、口に出した。

 いや、

 脅した…

 私は、ここ、この場に至って、ようやく気付いた…

 大場がなぜ、私を今日誘ったか、気付いた…

 要するに、大場は、私が気に入らないのだ…

 5人の杉崎実業の内定者の中で、ただ一人の平民出身…

 お金持ちでも、なんでもない、竹下クミが、ひょっとしたら、高雄悠(ゆう)の本命かもしれない…

 その事実が気に入らないのだ…

 それゆえ、知り合いの稲葉一家の組長を呼び出して、高雄の結婚相手から、私が、自分から辞退するように、仕向けるべく、圧をかけた…

 その事実に、遅ればせながら、ようやく気付いた…

 大場の仕掛けた罠に気付いた…

 やっと、気付いた…

 竹下クミ、絶体絶命のピンチだった…

 生まれて初めて経験するほどの、ピンチだった(涙)…

                
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