第50話

文字数 5,727文字

 …高雄…

 …高雄悠(ゆう)…

 私は、考え続けた…

 思えば、あの杉崎実業の内定をもらって、高雄と一目会って以来、私は、いつも、高雄のことを考え続けている…

 いつも、心のどこかに、高雄が、住んでいるというか…

 在中しているというか(笑)…

 高雄と、会ったのは、まだ、ほんの数回にも、かかわらず、あの日、杉崎実業の内定に出向いて、高雄と会って以来、私の生活は一変した…

 なぜなら、高雄を中心に動き出したからだ…

 高雄の父が、私のバイト先のコンビニにやって来たり、同じく、杉崎実業の内定で出会った林も大場も、高雄の父と同じく、バイト先のコンビニにやって来た…

 つまりは、なぜか、高雄人脈というか、高雄と知り合って以来、私の周りに、高雄をきっかけに、知り合った人間が、集まり出した。

 そして、その最も影響が大きいというか、私に親しく接しているのが、ヤクザ界のスター、稲葉五郎だ…

 大柄なカラダで、見るからに、怖そうで、誰が見ても、ヤクザそのものだが、なぜか、私に優しい…

 驚くほど、私に優しい…

 おそらく、稲葉五郎に娘がいても、私に接するほど、優しく、接しないのでは?

 そう思えるほど、優しい…

 と、同時に、気付いた…

 今回の危機は、大場の父親の危機だけではない…

 あの稲葉五郎にとっても、危機だということを、だ…

 あの、なぜか、私に優しい、稲葉五郎にとっても、危機に違いない…

 ヤクザ社会のことは、わからないが、次期総理総裁候補の大場小太郎代議士と、稲葉五郎が、親しく接していると、世間に暴露されても、いわゆる、ヤクザ社会で、男を上げたことには、ならないだろう…

 やはり、ヤクザは、ケンカが命…

 どこそこの誰かと、ケンカ=抗争をして、それに勝利して、名を上げるのが、筋だろう…

 ヤクザもまた、人間なのだから、有名な芸能人や政治家と、懇意にしているのは、嬉しいに違いない…

 誰それと、親しく、いっしょに、飲み歩いたと言うのは、自慢になるからだ…

 しかしながら、それを、周囲に自慢するのは、小物といっては、失礼だが、大物になれば、それも、できなくなる…

 自分の一挙手一投足が、話題になる…

 だから、どんなことにも、慎重になる…

 例えば、公の場で、有名芸能人や、有力政治家と親しいなどとは、口が裂けても、いえなくなる…

 言えば、相手に迷惑がかかるからだ…

 逆に言えば、そんな気配りができるからこそ、ヤクザ社会で、出世ができて、大物と呼ばれる地位に就いたとも言える…

 ま、しかし、これは、ヤクザ社会に限らず、どこの世界も同じだろう(笑)…

 言っていいことと、悪いことの区別ができない人間が、どこの世界でも、出世できるわけはない…

 偉くなれるわけはない…

 あの稲葉五郎もまた、出世した人間…

 だから、当然、周囲に気配りができるに違いない…

 そんな、稲葉五郎だから、今、苦慮しているのではないか?

 苦しんでいるのではないか?

 私は、思った…

 大場小太郎代議士との関係に、自分の名前が出て、迷惑をかけている…

 それで、苦しんでいるのではないか?

 そう思った…

 いつのまにか、高雄ではなく、話の中心が、稲葉五郎に移った…

 なぜか、高雄ではなく、稲葉五郎が心配になった…

 我ながら、不思議だった(笑)…

 だが、考えてみれば、これは、不思議でもなんでもないのかもしれない…

 稲葉五郎は、見かけは、ゴツイが、なぜか、私に優しい…

 心の底から、親身になって、接してくれる…

 私を、当初、稲葉五郎が探していた、亡くなった山田会の前会長の探していた娘だと、誤解していて、私が、何度も、違う、人違いだと、言っても、それを信じることがなかった…

 だから、稲葉五郎は、今だに、私を、山田会の前会長が、探していた娘だと、信じている…

 だが、それだけではあるまい…

 私が否定しても、私を山田会の前会長が探していた娘だと、心の底から信じているから、私に親切にしてくれる…

 私を大切にしてくれる…

 とても、そうとは思えない…

 あの街中華の女将さんは、私を取り込むことで、稲葉五郎が、高雄の父と争う、山田会の次期会長レースで有利になるためだと、言った…

 山田会の次期会長レースで、亡くなった山田会の会長の探していた娘を、自分の味方に引き入れることで、どれだけ、有利になるか、私には、わからない…

 ただ、女将さんが言うには、表立って、有利になるわけではないが、嫌われるのは、困るということだ…

 あの山口組の田岡組長の娘さんや、息子さんが、今の組長は、嫌いだと公言されては、堪らない…

 おそらく、今の山口組とは、なんの関係もないだろうが、嫌われては、決して、自分のいいイメージにはならないだろう…

 プラスには、ならないだろう…

 そういうことだ…

 しかし、稲葉五郎は、そういった損得抜きで、私に優しい…

 どう考えても、損得で、私に接しているようには、思えない…

 胸に打算があって、接していると、どうしても、下心が態度に出る…

 だが、稲葉五郎には、その下心がないように、思える…

 ただ、純粋に、私を可愛がってくれる…

 そう思える…

 そして、それが、嬉しかった…

 誰でも、そうだが、なんの打算もなく、下心もなく、自分に優しくしてくれるのは、嬉しい…

 私が、女で、稲葉五郎から見れば、娘ぐらいの年齢だが、どう見ても、稲葉五郎が、私に下心があるようには、思えない…

 下心=この場合は、男女の関係だが、それがある場合は、やはり、態度に出るものだ…

 なんとなくジロジロと、いやらしい目で見たりして、見られている人間にも、それがわかる…

 稲葉五郎には、それがない…

 稲葉五郎は、純粋に、私を可愛がってくれる…

 どうしてだか、わからないが、純粋に私を可愛がってくれる…

 なぜだか、わからないが、高雄ではなく、稲葉五郎のことを、いつのまにか、考えていた(笑)…

 高雄ではなく、稲葉五郎の方が、私には、心配だった(笑)…

 結局、大場から、頼まれて、私は、高雄に連絡を取ることにした…

 高雄組に連絡をすることにした。

 以前、高雄から聞いた、電話番号に、電話をかけた…

 正直、ドキドキした…

 以前、電話をしたときは、この電話番号が、高雄組の電話番号であることを、知らなかった…

 だから、

 「…どちらさんですか?…」

 と、いうヤクザ特有のだみ声が、電話の向こうから、洩れてきて、私は、慌てた…

 まさか、ヤクザが電話に出るとは、思わなかったからだ…

 しかし、今は違う…

 この電話番号が、高雄組であることが、わかっている…

 そういう意味で、私には、余裕がある…

 最初から、この電話番号が、高雄組であることがわかっているから、それに対抗するというか…

 覚悟ができているということだ…

 私が電話をかけると、まもなく、相手が電話に出た。

 「…こちら、高雄組ですが、どちらさんでしょうか?…」

 「…竹下…竹下クミと言います…」

 私は名乗った…

 「…竹下さん…?…」

 電話に出た、男の声が怪訝な様子になった…

 若い女が、この電話番号に、電話をかけてきたのが、不審に思ったのかもしれない…

 しかしながら、電話に出た相手も、また、私と同じくらいの年齢の男だった…

 なぜなら、声が若い…

 電話だから、顔はわからないが、声が若いのは、わかる…

 例えば、男でも女でも、二十歳と四十歳の声は違う…

 若いときは、高い声でも、徐々に、低くなる…

 だから、声を聞いただけで、なんとなく、相手の年齢がわかる…

 「…失礼ですが、どういう、ご関係でしょうか?…」

 …どういう、ご関係って?…

 私は、相手の質問に一瞬悩んだが、

 「…今春、杉崎実業に内定をもらった者です…先日、親会社の取締役として、やって来られた、高雄…高雄悠(ゆう)さんに、お会いしたくて…」

 私が、最後まで、言い終わらないうちに、

 「…坊ちゃんはいません…」

 と、冷たく、返した…

 「…いない?…」

 「…そうです…」

 「…だったら、今どこに?…」

 「…知りません…」

 そう言うと、相手は、非情にも、プツンと電話を切った…

 私は、驚いた…

 唖然とした…

 まさか、電話を切られるとは、思わなかった…

 これは、一体、どういうことだ?

 私は思った…

 電話に出たのは、間違いなく、高雄組の若い衆…

 電話番に違いない…

 それが、勝手に、組長の息子にかかって来た電話を切るとは?

 いや、

 勝手に電話を切ることは、ありえない…

 そんなことをすれば、高雄の父親に怒られるに決まっている…

 ということは?

 ということは、どうだ?

 これは、高雄の父親の指示…

 高雄組組長の指示に違いない…

 私は、思った…

 父子の断絶…

 あるいは、そこまで、行かなくても、なにかが、起こっている…

 私は、考えた。

 …だが、どうする?…

 大場に、高雄に会ってくれと、私は、頼まれた…

 だが、私は、高雄の連絡先は知らない…

 高雄が、以前、私に教えてくれたのは、なぜだか、わからないが、実家の電話番号だった…

 高雄組の電話番号だった…

 これは、まったくもって、意味がわからない…

 普通は、自分のケータイの電話番号を教えるはずだ…

 なぜ、そうしなかったのか?

 …試している?…

 …私を試している?…

 とっさに、そんなことが、閃いた…

 私が、高雄に教えてもらった、電話番号にかければ、当然、自分の父親の組の若い衆が出る…

 なにも、知らなければ、電話をかけた人間は、当然、慌てふためく…

 それで、相手が、どう出るか、試している?…

 誰もが、そうだが、とっさに、行動するときに、その人間の真価が出るというと、大げさだが、その人間が、どういう人間だか、わかる…

 ハプニングに出くわしたときに、その人間の本性が出る…

 わかりやすい例えで言えば、若い恋人同士で、歩いていたときに、街のチンピラに絡まれたとする…

 普通ならば、男が女を守ると、思いがちだが、なかには、逃げ出すものもいる…

 その場合は、男が情けないと言ってしまえば、それまでだが、少し考えてみると、別の考えが浮かんでくる…

 まずは、男の女に対する、考え…

 男が女をどれぐらい好きか、どうか?

 そのとき、いっしょに連れた女の場合は、逃げ出したが、別の女の場合は、勇敢に闘ったかもしれない…

 その可能性もある…

 あるいは、相手がどんな美女でも、自分が大事だから、常に、逃げる…

 その可能性もある…

 どんな美女を連れていても、自分の方が大事だからだ…

 だが、普段は、そんなことは、わからない…

 この場合は、街でチンピラに絡まれたことで、男の本性がわかる…

 そういうことだ…

 話がいささか、回りくどくなったが、つまりは、高雄にも、そういう可能性があるということだ…

 わざと、高雄組の電話番号を教えて、その電話番号にかけてきた人間が、どういう反応を示すか、試している可能性があるということだ…

 私は、思った…

 だが、どうする?

 このままでは、大場の頼みは、引き受けることができない…

 高雄に、会うことが出来ないからだ…

 誰か、高雄の電話番号を知っている者は、いないか?

 あるいは、電話番号は知らずとも、高雄に連絡が取れる人間…

 要するに、高雄の身近な人間だ…

 それが、誰か、私は、考える。

 とっさに、二人の人間が、脳裏に浮かんだ…

 一人は、高雄の父親…

 一度会っただけだが、なぜだか、わからないが、私に優しい…

 だから、電話をするのは、躊躇(ためら)わないといえば、ウソになるが、決して、電話ができないわけではない…

 だが、そもそも、さっき、高雄の家に電話をかけたときに、電話に出た若い衆が、

 「…坊ちゃんはいません…」

 と、いきなり、私の電話を切った…

 あれは、さっきも、考えたが、父親の組長から、命じられたに違いない…

 まさか、若い衆の独断で、自分の組の組長の息子宛ての電話を勝手に切ることはできないからだ…

 と、なると、どうだ?

 例え、私が、高雄の父親と会ったところで、息子の悠(ゆう)とは、連絡が取れない可能性が高い…

 おそらく、高雄の父親は、私に、息子の悠(ゆう)の連絡先を教えては、くれないだろう…

 それに、正直に告白するが、高雄の父親と会うのは気が引けるというか…

 物腰は、穏やかなサラリーマンのようだが、当然のことながら、中身は違う…

 あのヤクザ界のスター、稲葉五郎の兄貴分…

 日本で、二番目に大きな山田会の次期会長候補の大物ヤクザだ…

 私が、会いたいといえば、もしかしたら、会ってくれるかもしれないが、正直言って、怖い…

 できれば、会いたくない…

 それが、偽らざる本音だった…

 そして、もう一人は…

 意外かもしれないが、あの稲葉五郎だ…

 稲葉五郎は、高雄のことを悠(ゆう)と、呼び捨てにしている…

 逆にいえば、それほど、親しいというか、仲がいい証拠…

 事実、高雄を子供の頃から知っていると言っていた…

 そして、悠(ゆう)が、見せかけとも違うと、私に警告したのも、稲葉五郎だった…

 あの稲葉五郎ならば、もしかしたら、高雄の連絡先がわかるかも…

 私は、そう思った…

                

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