第125話

文字数 5,949文字

 「…悠(ゆう)は、一体、なぜ、大場代議士を?…」

 高雄組組長が、首をひねる…

 私は、どう言っていいか、わからないので、ずっと、黙っていた…

 どんな言葉もかけられないし、かける言葉も見つからなかったからだ…

 高雄組組長が、苦悩する…

 そして、そのことで、この場の雰囲気が、一層、重たくなった…

 やりきれないほどだった…

 私は、ずっと無言のままだった…

 が、

 さすがに、高雄組組長も自分の苦悩が、この場の空気を重くしたのに、気付いたようだ…

 「…申し訳ありません…少々、この場の空気を重くしてしまいました…」

 高雄組組長が詫びる…

 私は、どう言っていいか、わからなかったので、

 「…いえ…」

 と、小さく言って、頭を下げた…

 「…それにしても、大人げない…」

 「…大人げない?…」

 「…私が、お嬢さんのように、自分の娘ぐらいの年齢のお嬢さんを困らせることです…年甲斐もなにもあったものじゃありません…」

 「…」

 「…自分では、大人になったつもりでも、中身は、子供のままです…そんな私に育てられたから、悠(ゆう)も、あんなことをしでかしたのかもしれない…この父にして、この子ありというか…不肖の父に、不肖の息子…まさに似た者父子です…」

 と、言って、高雄組組長は、

 「…ハッハッハッ…」

 と、笑った…

 私は、高雄組組長の気持ちが、痛いほど、わかった…

 本当は、悠(ゆう)のことが、心配で、心配で、仕方がないのかもしれない…

 だが、その気持ちをストレートで、表すことはできない…

 だから、わざと笑い話にして、笑う…

 あえて、笑い話にすることで、自分自身をも笑うことができるからだ…

 自身をピエロ=道化師にしたいのかもしれない…

 高雄組組長は、山田会の後継者争いで、稲葉五郎に負けた…

 この先、どうなるかは、わからない…

 それを言えば、すでに後継者争いの決着がつく前に、稲葉五郎が、

 「…兄貴を山田会から追放しようという動きがあって…」

 と、私の前に告白したことがあった…

 だから、本当は、ずっと以前に、高雄組組長と稲葉五郎の後継者争いは、決着がついていたのかもしれない…

 私は、山田会の関係者でも、なんでもないので、雑誌やテレビやネットを見ることでしか、動きを知ることはできない…

 だから、実際には、内部の動きが、どうなっているかは、わからない…

 報道されてる内容と、実際に起こっていることが、違うことは、よくあることだ…

 そして、それを言えば、なにを、信じていいか、わからない…

 極論を言えば、自分が実際に目にしたこと、耳にしたことを、信じるしか、ないのかもしれない…

 テレビでも、新聞でも、ネットでも、どうしても、その記事を書いた者の主観が入る…

 それが、読む者の目を惑わすというか…

 いつのまにか、それを信じ込み、それを自分の意見としてしまう…

 誰もが、よくある話だ…

 だから、今、冷静になって、振り返れば、失礼ながら、最初から、この隣にいる、高雄組組長に、山田会会長の座は、巡ってくるはずがなかった…

 それは、以前、あの松尾会会長と、大場代議士がいた席でも、この高雄組組長に向かって、

 「…次の山田会会長は、稲葉さんです…」

 と、松尾会長が、伝え、なにより、この高雄組組長自身も、

 「…次の会長は、五郎です…」

 と、二人の前で、断言した…

 だから、あの言葉からは、この高雄組組長が、山田会会長になる可能性は、まるでなかった…

 もし、あったとすれば、それは、私が、初めて、この高雄組組長と会ったとき…

 あのとき、高雄組組長は、

 「…私にも、ようやくチャンスが巡ってきました…」

 と、私の前で言った…

 つまりは、あの時点では、この高雄組組長もまた、山田会会長の座を欲していたということだ…

 別の言い方をすれば、あの時点では、この高雄組組長も、また、もしかしたら、山田会会長になれるかもと、内心思っていたに違いない…

 要するに、あの時点…

 最初、この高雄組組長と会った時点と、その後で、置かれた状況が変わったわけだ…

 そして、それは、一体なんなのか?

 考えた…

 杉崎実業の騒動だ…

 私は、思った…

 どう考えても、あれしかない…

 杉崎実業が、中国へ、不正に製品を輸出したことが、政府にバレて、大目玉を食らった…

 倒産寸前に追い込まれた…

 あの騒動だ…

 あれしかない!

 しかし、おかしい…

 なにが、おかしいかと言えば、杉崎実業が、政府を欺く形で、中国に不正に製品を輸出したのが、バレたのは、あの大場代議士や、松尾会長と、同席したときより、ずっと後だ…

 と、すると、どうだ?

 あの時点で、この高雄組組長は、

 「…山田会の次の会長は、五郎です…」

 と、松尾会長と、大場代議士の前で、断言した…

 要するに、あの言葉は、この高雄組組長の本音か、どうか、だ…

 本音であれば、すでに、あの時点で、稲葉五郎との間で、勝負はついていたわけだ…

 勝負とは、おそらく、杉崎実業を介した資金工作…

 つまりは、中国に不正に製品を輸出することで、得られる莫大な利益…

 それを元に、山田会を束ね、一気に山田会の会長の座を狙う手筈ではなかったのか?

 今さらながら、その可能性に気付いた…

 そして、もし、

 「…次の山田会会長は、五郎です…」

 と、言った言葉が、本音ならば、すでに、この高雄組組長は、杉崎実業が、政府に隠れて、製品を無断で、中国に輸出している事実を、政府が知ったことに気付いたのではないか?

 つまりは、あの言葉は、事実上の敗北宣言に他ならない…

 あの時点で、高雄組組長は、すでに、稲葉五郎に山田会の次期会長を巡るレースで、負けたことを、悟っていたということだ…

 と、なると、どうだ?

 どうして、高雄組組長は、その事実を知ったか? だ…

 誰かが、高雄組組長に教えなければ、ならないからだ…

 私の知った人間の中で、政府の動きを知り、それを、高雄組組長に教えることができる人間は誰か?

 考えるに、それができる人間は、ただ一人しかいない…

 大場小太郎代議士しかいない…

 大場小太郎代議士は、何度も言うように、大物代議士…

 ずっと以前から、次期首相候補の一人と目される大物代議士だった…

 自民党大場派の領袖でもある…

 しかしながら、影が薄かった…

 存在感が乏しかった…

 派閥の領袖であり、次期首相候補の一人と目されているにも、かかわらず、世間的な知名度は、イマイチだった…

 大場小太郎の写真をテレビのキャスターが、一般人に見せて、

 「…このひと、誰だか知ってますか?…」

 と、尋ねても、

 「…知らない…」

 と、大半の人間に回答されるのが、オチだった…

 それが、あの杉崎実業の一件で、それまでとは、一転して、大場代議士の知名度が、けた違いに上昇した…

 大げさに言えば、紀元前と紀元後ぐらい違った…

 杉崎実業の騒動を境に、日本中、大場小太郎の存在を知らぬものがいなくなった…

 ありていに言えば、杉崎実業の一件は、大場小太郎にとって、神風だった…

 神風が吹いたようなものだった…

 だが、それは、同時に、高雄組組長の凋落を招くことになった…

 杉崎実業の株を、高雄組は、100億円以上、投資して、買ったからだ…

 つまり、高雄組組長は、儲かると思って、杉崎実業に投資したわけだ…

 そして、おそらくは、杉崎実業が不正に中国に製品を輸出しているのを知り、その儲けを得ようと画策したに違いない…

 それが、事実なのではないか?

 要するに、高雄組組長は、次期山田会の会長の座を得るために、杉崎実業を買収した…

 巨万の富を得て、山田会内部にバラまいて、自分の支持者を増やす算段だったに違いない…

 だが、すでにあの時点で、その目論見は破綻した…

 そういうことだ…

 そこまで、考えて、気付いた…

 どうして、大場代議士が、高雄組に、40億円もの大金を返すよう手配したかだ…

 大場代議士が、音頭をとって、杉崎実業を国有化するにあたり、杉崎実業の株を実質的に保有する、高雄組に、40億円の返還を決定した…

 高雄組が保有する、杉崎実業の株を政府が買い取ったからだ…

 これは、資本主義の論理からすれば、当たり前のことだが、相手は、暴力団…

 当然のことながら、世間の反発を呼んだ…

 にもかかわらず、大場代議士は、高雄組に40億円を返還することを、曲げなかった…

 強行した…

 これもまた、冷静に考えれば、おかしい…

 大場代議士は、杉崎実業の一件で、国内で、知名度を上げた…

 おそらく、大場代議士にとって、知名度を上げるのは、悲願だったに違いない…

 政界のサラブレッドと知られ、生まれも育ちも良く、長身で、容姿も端麗…

 文字通り、非の打ち所がない…

 にもかかわらず、世間的な知名度が乏しいことに、苦しんだ…

 それが、乾坤一擲(けんこんいってき)というか、杉崎実業の一件で、奇跡的に知名度を上げた…

 ただ、その中で、唯一、世間が反感を覚えたのは、高雄組に40億円もの大金を返還することだった…

 高雄組が、杉崎実業の株を大量に保有していたので、国有化するにあたり、それを政府が買い取るのだから、政府がお金を払うのは、わかる…

 しかし、それが、暴力団相手となると、どうしても、世間が、納得しないというか、波風が立つのは、わかっている…

 にもかかわらず、大場代議士は、強行した…

 これは、冷静に考えれば、おかしい…

 せっかく、知名度を高めた大場代議士の名声に傷をつけることになる…

 だが、大場代議士は、そんな世間の批判を承知の上で、資本主義の論理を訴えて、高雄組に40億円を返すことを決めた…

 つまり、見方を変えれば、せっかく高めた自分の名声に傷をつけるかもしれないにも、かかわらず、そうせざるを得ないということだったのかもしれない…

 と、なると、どうだ?

 ひとつの可能性が、考えられる…

 どうして、高雄組は、杉崎実業の株を買い占めたかという話だ…

 誰かに、そそのかされた…

 誰かに、頼まれた…

 そんな疑惑が浮上する…

 となると、その誰かとは、一体誰なのか?

 もしかしたら、大場小太郎代議士、そのひとではないのか?

 ふと、思った…

 だとしたら、すべての辻褄は合う…

 つまり、最初から、大場代議士は、高雄組組長を騙すつもりで、杉崎実業の買収を高雄組組長に勧めた…

 そして、高雄組組長は、その話に乗った…

 だが、思い出して欲しい…

 杉崎実業は、あの稲葉五郎が、最初から、

 「…あの杉崎実業は、色々噂があって…」

 と、私に会ったときに、ポツリと呟いた…

 「…だから、オレも買おうかと思ったが、やめた…」

 とまで、言った…

 要するに、稲葉五郎も含め、ヤクザ界でも、杉崎実業は、ヤバいという噂が蔓延していたということだ…

 当然、それは、高雄組組長も知っていたに違いない…

 にもかかわらず、杉崎実業に手を出した…

 誰かの口利きをあったと、考えるのが、正しいのではないか?

 そして、その誰かとは、大場小太郎代議士そのひとだ…

 きっと、大場代議士は、あらかじめ、すべてわかっていて、高雄組組長を罠にはめた…

 そして、それに気づいた高雄組組長は、後の祭りというか…

 しかしながら、高雄組組長を完全に怒らせるわけには、いかない…

 なにしろ、相手は、大物ヤクザだ…

 だから、せっかく上げた自分の知名度に水を差すのは百も承知で、40億円を、高雄組に返還したのではないか?

 そう考えれば、すべての辻褄は合う…

 そして、それに怒って、高雄悠(ゆう)は、大場代議士を刺したのはないか?

 いかにヤクザといえども、高雄組組長は、大人だから、はめられた事実に気付いても、落胆することはあっても、報復に出ることは、なかったに違いない…

 なにしろ、相手は首相候補の大物代議士だ…

 相手が悪すぎた…

 だが、

 悠(ゆう)は、違う…

 まだ若い悠(ゆう)は、その事実が許せなかったのではないか?

 だが、これは、あくまで、私の想像…

 確証はない…

 なにより、これは、あの大場代議士と松尾会長と会ったとき、

 「…次の山田会会長は、五郎です…」

 と、言った、言葉が、この高雄組組長が本心から言ったと仮定しての話だ…

 己の野心を隠すために、あえてウソを言った可能性もある…

 私は考える…

 だが、

 もし、

 もし、も、だ…

 あのとき、松尾会長が、

 「…次の山田会会長は、稲葉さんです…」

 と、宣言した裏に、大場小太郎の入れ知恵というか…

 アドバイスがあったとすれば、どうか?

 つまり、あの場で、大場代議士は、暗に、松尾会長の口を借りて、

 「…高雄さんの山田会会長の芽はなくなりました…」

 と、宣言したのではないか?

 その可能性も考えられる…

 つまりは、最初から、この高雄組組長は、大場代議士の掌(てのひら)の上で、踊らされていたのではないか?

 その可能性も考えられる…

 だが、それならば、この高雄組組長が、

 「…なぜ、悠(ゆう)が、大場代議士を刺したのか?…」

 と、首をひねる理由がわからない…

 もし、大場代議士が、高雄組組長を罠にはめたとしたら、それを知った、悠(ゆう)が、怒って、大場代議士を刺したと、すぐに、気付くはずだ…

 高雄組組長が、悩んでいる姿は、演技ではない…

 決して、私の前で、故意に演じているようには、見えなかった…

 本心から、悩んでいるように、見える…
 
 なにより、部外者の私の前で、悩んでいるフリをする必要はない…

 私は、あくまで、部外者だからだ…

 いや、

 本当に、私は、部外者なのか?

 ふと、思った…

 私は、今、高雄悠(ゆう)に、呼び出され、このクルマで、高雄組組長といっしょに、悠(ゆう)の元へ、向かっている…

 悠(ゆう)が、警察に出頭するにあたり、私に会いたいと、願ったからだ…

 条件をつけたからだ…

 だが、冷静に考えれば、悠(ゆう)は、どうして、そんな条件をつけたのか?

 さっぱり、わからない…

 私は、山田会の関係者でも、高雄組の関係者でも、なんでもない…

 もしかして、悠(ゆう)は、私が、古賀会長の血筋を引く人間だと、いまだに、信じているからか?

 それとも、

 私が、稲葉五郎の娘かもしれないと、知っているのかもしれない…

 いずれにしろ、私を呼び出す理由が、わからない…

 まさか、悠(ゆう)が、実は、私に恋をしていて、警察に出頭する前に、

「…一目、私に会いたい…」

と、思ったわけではあるまい…

誰が、どう見ても、悠(ゆう)が、私に恋をしている様子は、これまで、微塵もなかった…

これっぽっちもなかった…

…わからない…

…さっぱり、わからない…

私の悩みは、深まった…

まさに、エンドレスの悩みだった…

              
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