第56話

文字数 5,868文字

 …オヤジに連絡を入れた?…

 …いつ?…

 …一体、いつ、連絡を取ったのだろう?…

 私は疑問だった…

 この若い衆が、稲葉五郎に連絡を入れてくれるのは、いい…

 ありがたい…

 しかし、一体、いつ、連絡を取ったのだろう?

 それが、謎だった…

 「…一体、いつ、稲葉さんに、連絡を取ったんですか?…」

 私は、訊いた。

 当然だ…

 いつ、連絡を取ったのか、どうしても、わからなかったからだ…

 「…さっき、このペットボトルを奥の冷蔵庫から、持ってきたときに、コレで、LINEで、連絡を入れておきました…」

 若い衆は、ポケットから、スマホを取り出して、見せた…

 私は、どう答えていいか、わからなかった…

 稲葉五郎に、連絡を取ってくれるのは、ありがたいが、LINEとは、思わなかった…

 いや、それを言えば、ヤクザがLINEを、使うとは、思わなかった…

 どうしても、ヤクザというと、失礼ながら、前近代的というか、古いイメージがある…

 それが、この事務所のように、近代的とまではいわないが、ごくありふれた、普通の会社のようなオフィスに、LINE…

 つまり、まったくの普通…

 ごくありふれた、生活というか…

 よく世間にありふれた、ヤクザのイメージと、真逆…

 真逆すぎて、怖いというか…

 平凡過ぎると、私は、思った…

 そして、思いながら、なにげなく、グルグルと部屋の中を見回した…

 すると、そこに、神棚を発見した…

 いや、発見したというと、大げさだが、見つけたというか…

 目の前の若い衆も、私の視線に気付いたらしい…

 「…お嬢…あの神棚が、気になりますか?…」

 と、私に聞いた…

 「…ハイ…」

 「…実は、オレも最初、気になりましたというか、ビックリしました…なんで、ヤクザの事務所に神棚なんだ? って…でも、どこの事務所でも、あるみたいですよ…」

 若い衆が、説明する。

 私は、そういうものかと、思った…

 たしかに、意味はわからないが、別にあって、嫌なものでも、なんでもない…

 変に、女のヌードポスターでも、貼ってあれば、やはり嫌悪するというか…

 軽蔑するというか…

 ヤクザ事務所で、当然、男ばかりの集団だから、若い娘のヌードポスターなのかと、思ってしまう…

 と、ここまで、考えて、ふと、目の前の若い衆の名前をまだ聞いてないことに、気付いた…

 「…あの…失礼ですが、お名前は?…」

 今さらながら、訊いた…

 ホントは、もっと早く、訊くべきだった…

 だが、すっかり忘れていた…

 「…名前? オレは、戸田と言います…」

 「…戸田…さん?…」

 「…戸口とかの戸に、田んぼの田です…」

 戸田と名乗った若い衆が説明する。

 「…あの失礼ですが、戸田さんは…大場さんとは、面識が…」

 と、口にした。

 いや、

 なんとなく、訊いてみたくなった…

 なぜなら、あの稲葉五郎は、今、大場の父である、大場小太郎代議士との関係が取り沙汰されてる…

 だったら、当然、この戸田と名乗った若い衆も、大場代議士と面識はあるに違いない…

 「…そりゃ、ありますが…」

 目の前の戸田の歯切れが悪かった…

 ある意味、当たり前だった…

 その大場代議士と、自分の組の組長である、稲葉五郎との関係が、世間を賑わせてるのだ…

 だが、私が、訊きたいのは、大場代議士のことではなかった…

 その娘のことが、訊きたかったのだ…

 「…だったら、その娘さんは?…」

 「…あっちゃんですか?…」

 「…あっちゃん?…」

 思わず、戸田の言葉を繰り返した…

 「…いえ、大場代議士のお嬢さんは、気さくで、いつも、自分のことを、あっちゃんと呼んでくれと、周囲の人間に話しているので…オレたちも例外じゃなく…」

 …あの大場が?…

 …ひとは、見かけによらない…

 …あの大場が、そこまで、気さくな人間とは、思わなかった…

 …いや、気が強いのは、わかっているが、そこまで、気さくとは、思わなかった…

 …たしかに、あの街中華の女将さんや、稲葉五郎は、あっちゃんと、呼んでいた…

 …しかし、それは、大場を子供の頃から知っているから、呼んでいた…

 …そう思っていた…

 しかし、この戸田という若い衆にも、そう呼ばせているということは…

 以外と言うか…

 有名な代議士の娘とは、思えない…

 私のような一般人からすれば、手の届かない、存在の大場が、そんなに気さくとは?

 私が、驚いていると、

 「…戦略だと思いますよ…」

 と、あっさり、戸田が言った…

 「…戦略って?…」

 「…代議士って、いつも選挙を意識するじゃないですか? だから、どんな人間にも、気さくというか、敵を作らないように、意識というか、配慮するじゃないですか? それだと思いますよ…」

 あっさりと、大場の狙いを喝破した…

 私は、そういうものかと思った…

 そして、それが、おそらく答えだろうとも思った…

 しかしながら、自分と同じくらいの年齢のヤクザの若い衆に、そんなにあっさり、自分の行動の真意を読み取られるのは、甘いと言うか…

 いや、

 甘くないのかもしれない…

 例え、自分の行動の真意を読み取られようと、やらなければ、ならないことがあるというか…

 代議士となると、どうしても、選挙がある…

 選挙に勝たなければ、ならない…

 すると、どうしても、人に好かれなければならない…

 当たり前だ…

 つまり、目の前の戸田という若い衆が、今言ったように、敵を作ることができない…

 だから、たとえ、ひとに好かれないまでも、嫌われることはできない…

 自分の選挙の当落は、有権者が決めるからだ…

 自分の選挙区の人間が、決めるからだ…

 その人間に嫌われるということは、当選できない…

 代議士を続けることができない、となる…

 だから、この戸田が、簡単に、大場の狙いを見透かそうと、自分から、気さくに接して、敵を作らない努力をしているのだろう…

 と、そこまで、考えて、あらためて、大場の立ち位置を考えた…

 いわゆる、代議士の娘という、立ち位置を考えた…

 素顔というか、私たちには、あれほど、強気のキャラクターを見せている、一方、身近な人間には、気さくなキャラクターを演じて見せる…

 大場の性格は、まだあまり接していないので、正確には、わからないが、少なくとも、生きている上で、他人には、窺い知れない苦労をしているのだろうと、思った…

 私なら、とても、耐えられない…

 ふと、そうも、思った…

 そして、尊敬した…

 自分には、とても、真似ができないからだ…

 そんな生活は、耐えられそうにないからだ…

 同時に、大場に同情した…

 そんな生活を続ける大場に、同情した…

 そして、気付いた…

 この戸田という、若い衆…

 稲葉五郎同様、ゴツイ見かけとは、裏腹に、案外使えるんじゃないか、と、気付いた…

 なぜなら、頭の回転が速い…

 今、大場の狙いを簡単に喝破したように、頭の回転が速い…

 頭の回転は、学校の成績とは、別…

 関係がない…

 東大を出ていようと、中卒だろうと、今、この戸田が気付いたことも、気付かない人間は気付かない…

 今、この戸田が喝破したことと、同じ真似が、できない…

 そもそも、そんなことに、関心がないからかもしれない…

 だが、それは、能力…

 勉強とは、違うが、他人の考えを、推し測る、立派な能力だ…

 それができない人間は、その能力に関して、劣っているということだ…

 そして、そこまで、考えて、稲葉五郎は、この戸田の能力を買っているのではないだろうか?

 ふと、思った…

 と、いうか、気付いた…

 考えた…

 あの稲葉五郎は、山田会の次期会長候補…

 あのゴツイ外観とは、裏腹に、頭が切れるに違いない…

 いや、

 頭が切れるに決まっている…

 そもそも、いくらケンカが強くても、頭が悪ければ、ひとの上に立てないからだ…

 稲葉一家を率いることが、できないに決まっている…

 そして、頭が切れる稲葉五郎は、当然、自分の近くに、頭の切れる人間を置くに決まっている…

 自分の手元に置くに決まっている…

 手元に置くことで、その人間の才能を伸ばすことができるからだ…

 あるいは、自分の後継者にすることが、できるからだ…

 私は、そんな思いで、この戸田という若い衆を見た…

 いや、

 見過ぎたのかもしれない…

 「…お嬢、一体、なにをジロジロ、オレの顔を見てるんですか?…」

 と、戸田が、戸惑ったように、訊いた…

 私は、一瞬、躊躇ったが、

 「…戸田さんって、頭がいいんですね…」

 と、言った。

 誰もが、褒められれば、嬉しいと思ったからだ…

 「…オレが、頭がいいん…ですか?…どうして、そんなことを…」

 目の前の戸田は、明らかに当惑した…

 「…いえ、私も大場さんを知ってますが、戸田さんがおっしゃるように、大場さんが、周囲に気安く接するのは、親しみやすいキャラクターを演じる戦略なんて、露ほども考えなかったので…」

 私の言葉に、

 「…」

 と、戸田は、唖然とした。

 言葉もなかった…

 それから、少しして、

 「…オヤジですよ…」

 と、戸田は言った…

 「…稲葉さん?…」

 「…オヤジの言葉の受け売りです…」

 戸田が、告白する。

 が、

 私は、それを信じなかった…

 いや、

 信じないのではない…

 仮に、戸田の言う言葉が、正しいとしても、この戸田が、使えない人間ならば、稲葉五郎が手元に置くはずがない…

 あらためて、そう思った…

 「…戸田さんは、稲葉さんが、好きなんですね?…」

 私は、言った。

 この戸田の稲葉五郎を語る、言葉一つ一つに、稲葉五郎に対する愛情を感じたと言うか…

 私の言葉に、戸田は、照れた様子だった…

 「…そりゃ、好きですよ…」

 戸田が答える。

 「…この稲葉一家で、オヤジを嫌いな人間なんて、誰一人いませんよ…みんな、オヤジを実のオヤジのように、慕ってます…」

 「…」

 「…オレも、そうだけど、オレみたいな年齢で、ヤクザをやってるヤツなんて、誰一人、まともな家庭の人間なんて、いや、しません…」

 「…まともな家庭って?…」

 「…要するに、母子家庭だったり、オヤジやオフクロが、結婚や離婚を繰り返していたり、働かなったり…みんな、まともじゃありません…」

 「…」

 「…だから、疑似家族なんです…」

 「…疑似家族って?…」

 「…ほら、ヤクザは、組長のことを、オヤジって、呼ぶでしょ? 本当の血の繋がった家族でも、なんでもないのに…年上の組員は、アニキと呼ぶし、この間、お嬢を杉崎実業に乗せて行ったでしょ? あの杉崎実業の実質的なオーナーは、高雄組で、組長のことは、オジキと、呼んでます…」

 「…オジキ? …ですか?…」

 「…ハイ…そうです…高雄組長は、ウチのオヤジの兄貴分…つまり、オヤジの兄貴だから、叔父貴です…」

 「…」

 私は、戸田の説明に唖然とした…

 いや、

 あ然ではない、納得した…

 たしかに、そう言われれば、わかる…

 納得する…

 なぜ、自分の所属する組の組長をオヤジと呼び、自分より年上の組員をアニキと、呼ぶのか、納得する…

 そして、高雄の父、高雄組組長を、なぜ、オジキと呼ぶのか、納得する…

 と、ここまで、考えて、気付いた…

 この戸田が、高雄の父親をオジキと呼ぶ以上は、当然、高雄の父と、この戸田は、面識があるに違いない…

 いや、

 あるに、決まっている…

 「…あの…失礼ですが?…」

 「…なんですか? …お嬢?…」

 「…戸田さんは、高雄組組長さんと、面識はあるんですか?…」

 「…そりゃ、ありますよ…」

 あっさりと、肯定した…

 「…だって、以前は、この事務所にも、よく顔を出しに来られましたもの…」

 「…この事務所に…ですか?…」

 「…オヤジは高雄のオジキと、昔から仲がいいんです…二人とも気が合うと言うか…傍から見ていても、仲がいいのは、わかります…」

 私は、その言葉で、以前、高雄の父親と会ったときに、高雄の父が、稲葉五郎を評して、

 「…いい男ですよ…」

 と、言ったのを、思い出した…

 あのときは、単純に、自分と、山田会の次期会長の座を争う人間だから、わざと持ち上げて見せたのかとも、思ったが、違った…

 現実に、高雄の父と、稲葉五郎は、仲が良かった…

 だから、

 「…いい男ですよ…」

 と、言ったのだろう…

 そして、

 「…はばかりながら、この私のライバルと呼ばれる男です…いい男でなければ、なりません…」

 と、高雄の父は、続けたが、それは、高雄の父の強烈な自負心と、あのときは、思ったが、それだけでは、なかったのだろう…

 現実に、稲葉五郎は、山田会有数の組を持つ、優れた経営者というか…

 やり手だと、認めていたのかもしれない…

 私は、あらためて、そう思った…

 だが、そんなに仲の良い二人が、山田会の次期会長の座を争うなんて…

 一体、二人の仲は、今、どうなのだろう?

 ずばり、気になった…

 だから、せっかくだから、戸田に聞いてみることにした(笑)…

 「…そんな仲の良い、二人が、山田会の次期会長の座を争って、この後、二人は…」

 私が、そこまで、言ったら、戸田が、私の発言を遮るように、

 「…うまくいくわけ、ないじゃないですか?…」

 と、大声を出した。

 「…漫画じゃないんです…だって、山田会の次期会長って、日本で、二番目に大きな暴力団ですよ…その座を巡って、争うなんて、シコリを残さないわけは、ないでしょう…」

 戸田が叫んだ…

                

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