第52話
文字数 5,375文字
「…あら…アンタ…」
女優の渡辺えりに似た、街中華の女将さんが、繰り返した…
私は、
「…お久しぶりです…」
と、ペコリと頭を下げた…
「…たしか…アンタは、五郎とあっちゃんといた…」
「…ハイ…その通りです…覚えていてくれて、ありがとうございます…」
私は、ニコニコと愛想笑いを浮かべながら、言った…
まさに、君子豹変す、だ…
それまで、自分が、なぜ、就活が杉崎実業以外全滅したかで、怒りに震えていたが、あっという間に、それがなくなった(笑)…
きれい、さっぱり、消えた(笑)…
「…商売柄だよ…」
女将さんが、ぶっきらぼうに言う。
「…商売柄?…」
「…そうだよ…この商売をやってみれば、誰でも、わかるけど、お客さんの顔をすぐに覚える…特にアンタは、あっちゃんと、五郎といっしょだったからね…印象は強いよ…」
私は、女将さんの言うことが、よくわかった…
私も、コンビニで、バイトしているから、お客さんの顔は、覚えている…
どこで、どんな仕事をしているか、わからないが、お客さんの顔は、客商売をしていれば、すぐに覚えるものだ…
無論、一度会っただけのお客さんは、普通は、覚えていない…
どんな店も、大半はリピーターのお客さんに支えてもらっているから、そのお客さんが、何度も、同じ店にやって来るから、覚えるものだ…
いわゆる、馴染みになる…
どこで、どんな仕事をしているか、知らないけれども、いつも顔を見せることで、そのお客さんを知る…
そういうことだ(笑)…
ただし、たった一度きりでも、覚えているお客さんは、いる…
それは、ずばり印象に残る人物…
ちょっと見たことのない、美男美女だったり、有名芸能人だったりすれば、印象に残る…
この女将さんも、私が、大場と、稲葉五郎といっしょにいたことで、私を覚えていたに違いない…
さもなくば、覚えていない…
なにしろ、私は、平凡…
平凡な人物だからだ…
道を歩けば、誰もが振り返るほどの美人でもなく、頭もいいわけではない…
どこにでもいる、普通の女だからだ…
私は思った…
そう考えていると、女将さんが、
「…さあ、中に入りな…」
と、私に声をかけた…
それから、
「…今日は、なにか、アタシに相談したいことでも、あって来たんじゃないの…」
と、続けた。
私は、驚いて、つい女将さんの顔を見た…
失礼ながら、女将さんの顔を、ぶしつけにジロジロ見た…
そして、聞いた…
「…どうして、わかったんですか?…」
「…あっちゃんの父親と、五郎の関係が、世間に取り沙汰されてるだろ…その最中だ…アンタの相談はそれだろ?…」
女将さんが、不安そうに、顔をしかめて、言った…
たしかに、女将さんの言う通り…
だから、驚いた…
が、冷静に考えれば、誰でもわかることに違いない…
一度きりだが、私は、大場と稲葉五郎といっしょにやってきた…
そして、今、女将さんが言ったように、大場の父親の大場小太郎代議士と、ヤクザ者である、稲葉五郎の関係が世間で取り沙汰されてる…
だから、普通に考えれば、私がそれで、相談に来たと、考えるのは、普通…
普通かもしれない…
「…稲葉さんは…」
私は、つい聞いてしまった…
「…五郎なら、今は事務所にいないよ…」
「…いない?…」
「…本人も、雲隠れしている…」
「…雲隠れ?…」
「…あの騒動で、マスコミの餌食になることは、火を見るよりも明らかだからさ…だから、事務所には、今はいないよ…」
女将さんが、説明する。
たしかに、そう言われれば、わかる気がする…
いわゆるマスコミが、ヤクザ事務所である、稲葉一家に突撃取材をすることは、ありえないが、周辺に、取材をすることは、普通だ…
ありえる…
だから、どこかに雲隠れして、事務所に寄り付かないと、言われれば、納得する…
そして、気付いた…
さきほど、稲葉一家の入るビルのテナント付近が、人通りが、極端に少なかったわけに、だ…
私は、ヤクザ事務所があるから、一般のひとが、敬遠して、あの通りに、近付かないのでは? と、考えたが、違った…
ヤクザ事務所があるから、近付かないと、考えるのは、誰もがわかるが、現実問題として、その場所を通らなければ、ならない場合も多い…
まして、稲葉一家と看板が掲げられたビルのテナントは、大通りに面している…
だから、普通に考えれば、あの通りを避けることはできない…
が、さっき行ったときは、人通りがほとんどなかった…
アレは今考えれば、稲葉五郎と大場小太郎代議士の関係が、世間に明るみになり、本来あの事務所に、出入りするヤクザ者も、近付かなくなったのではないか?
普通ならば、事務所に出入りするヤクザ者も、今現在、稲葉五郎が事務所にいないことを知っているから、事務所に近付かない…
それゆえに、余計に、人通りが少ないのかもしれない…
私は、そう思った…
「…難儀だよ…」
女将さんが、呟いた…
「…難儀ですか?…」
「…そうだよ…昔は、ヤクザが、選挙応援をしても、普通だった…って、いうか、どこにでもある光景だった…それが、今じゃ…」
そう言って、女将さんが、嘆息する。
正直、傍から見ても、女将さんは、心底参ってる様子だった…
私は、驚いた…
まさか、今度の騒動で、この街中華の女将さんまでも、こんなに、落ち込んでいるとは、思わなかったからだ…
やはり、それは、あの稲葉五郎が原因なのだろうか?
私は、考える。
私は、一瞬、躊躇したが、
「…あの…女将さんが、落ち込んでるのは、稲葉さんが、マスコミを賑わせてるからですか?…」
と、訊いた。
女将さんは、即座に、
「…五郎の件だけじゃないよ…あっちゃんのお父さんの大場さんとも、昔から、顔馴染みだからね…二人のことが、心配なのさ…」
そう答えた…
それから、
「…ハァーッ…」
と、大きく、ため息をついた…
私は、思わず、
「…女将さん…大丈夫ですか?…」
と、声をかけた…
女将さんと知り合って、まもないが、そう声をかけずには、いられないほど、目の前の女将さんは、落ち込んでいた…
誰もがそうだが、渡辺えりが、目の前で、落ち込んでいれば、驚く…
そういうことだ(笑)…
私の言葉に、
「…お嬢ちゃん…ありがと…」
と、女将さんは、声をかけた。
それから、
「…その辺に、座りな…なにか、飲むかい?…」
と、私に聞いた。
私は、ざっと店内を見た。
気のせいか、前回、初めてやって来たときよりも、お客さんの数が、少ない気がする…
いや、
気のせいではない…
明らかに少なかった…
私の視線に気付いたのだろう…
「…見ての通り…お客さんは、まばら…いつもは、こんなんじゃないんだけど…」
と、苦笑いを浮かべた。
「…まあ、いつもは、五郎の組の若い衆も来てるから、その分、少なくは、なったね…」
「…稲葉さんの若い衆?…」
思わず、口に出した。
そんなヤクザ者が、来て、店に影響はないんだろうか?
私は、思った。
その思いが、表情に出たのだろう…
「…意外かい? …でも、五郎のとこの若い衆も、この店じゃ、おとなしいもんだよ…」
「…おとなしい?…」
「…そうさ…ヤクザでもなんでも、どこでも見境なく、騒ぎ立てりゃ、誰も相手にしないよ…同じ街で、生きてるんだ…誰も相手にしなけりゃ、生きてゆけない…干上がっちまうよ…」
女将さんが、言う。
たしかに、女将さんの言うことは、わかる気がする…
ヤクザでもなんでも、例えば、私のバイトするコンビニも出入り禁止だとする…
そうすれば、大げさに言えば、いきてゆけない…
寝たきりの病人でもない限り、今の時代、コンビニに行ったことのない人間はいない…
今やコンビニは、電車や水道と同じように、社会のインフラ…
なくては、ならない存在だ…
それが、利用できないとなると、ずばり、生活が困る…
生きてゆけないほどではないが、生活がとんでもなく不便になる…
そういうことだ…
「…やれやれ、ホント、しんどい世の中だよ…」
女将さんは、そう言って、店の奥に消えた…
そして、戻って来たときは、手に、グラスと、コーラの瓶を持っていた…
「…さあ、飲みな…」
女将さんが言う。
私は、
「…頂きます…」
と、言って、近くの席に座り、女将さんに出されたコーラを飲んだ…
「…おいしい…」
思わず、呟いた…
たしかに、家で飲むコーラよりも、はるかにおいしい…
どうしてだろうか?
「…だろ…」
女将さんが、私の言葉に嬉しそうに、答えた…
「…どうして、こんなに、おいしいんですか?…」
「…理由は簡単…業務用の冷蔵庫に入れてるからさ…」
「…業務用の冷蔵庫?…」
「…そうさ…家の冷蔵庫よりも、冷える…だから、おいしい…おまけに、グラスも冷やしている…おいしくないはずはないさ…」
女将さんが、嬉しそうに説明する。
誰でも、そうだが、自分の出したものを、褒められるのは、嬉しいものだ…
「…アンタも、なにか、悩みを抱えて、やってきたんだろ?…」
女将さんが、私に語りかける。
「…いや、なにかじゃないか? 五郎のことか?…」
そう言って、女将さんは、豪快に笑った…
私は、その笑いを見て、なんだか、救われた気分になった…
女将さんと会うのは、今日が二度目だが、なんだか、ホッとするというか、安心する。
なにより、女将さん自身、今さっきまで、悩んでいた様子だったのに、私のために明るく振る舞ってくれたのが、嬉しかったというか…
とにかく、そんな気持ちだった…
「…五郎も可哀そうな男だよ…」
目の前の席に座った、女将さんが、ポツリと呟いた。
「…可哀そう? …どうして、可哀そうなんですか?…」
「…アイツは、人が良すぎるのさ…」
「…それは、どういう…」
「…今の山田会の跡目争い…五郎は、人に推されて、立候補というか…」
女将さんが説明する。
「…昔から、そうだが、妙に情に厚いというか…アンタのこともそうさ…」
「…私のこと?…」
「…アンタが、亡くなった山田会の前会長の探していた娘さんだと知った五郎は、アンタを大事にしただろ?…」
「…」
「…アイツは昔から生き方が不器用で、人に利用されやすい…現に…」
そこまで、言って、女将さんは、言葉を止めた…
私に話す話題ではないと、思ったのかもしれない…
が、
少しすると、
「…現に、今も利用されてる…」
と、言葉を継いだ…
「…利用ですか?…」
私は、訊いてはいけないことかもしれないが、つい訊いてしまった…
「…五郎の対抗馬…高雄さんと、五郎は、昔から仲がいい…それが、高雄さんを、毛嫌いしている勢力に担がれて…」
女将さんが、意外な内情を告げた。
「…本当は、高雄さんと争うのが、なにより、五郎自身が、嫌なはずさ…それを…」
憤懣(ふんまん)やる方のない口調だった…
それから、一転して、
「…まあ…それが、五郎のいいところでもあるんだけど…」
と、明るく笑った…
「…アイツは、見かけは、ゴツイだろ…たが、性格は、真逆…いい男さ…見た目と中身が違う好例さ…」
女将さんが、笑った…
私は、その女将さんの笑いを見ながら、一体誰が、稲葉五郎を利用しようとしているのだろう? と、考えた…
山田会という暴力団は知らないが、一枚岩でないことは、わかる…
暴力団も会社も学校も同じ…
要するに、人が集まれば、派閥が生まれる…
そういうことだ…
これは、いい悪いということではない…
一番誰にもわかりやすい例は、学校だろう…
毎朝、登校すれば、クラスで、仲の良い者同士が、集まる。
クラスで、例えば、4,5人のグループがいくつも集まる。
これは、男も女も同じ…
ごく一部のどのグループにも属さない人間を除いて、大抵は、どこかのグループに属する。
そして、それこそが、派閥…
派閥だ!
私は、考える。
だが、気になることは、ある。
一体、誰が、稲葉五郎を利用しようとしているのだろう?
私は、思った。
そして、それをストレートに、口にした…
「…一体、誰が、稲葉さんを利用しようとしているんですか?…」
私の、ど直球の質問に、女将さんが、目を丸くした。
まさか、直球で、来るとは、思わなかったのだろう…
女将さんは、私のど直球の質問に、しばし、悩んだ…
私に言っても、いいものか、どうか、悩んだ…
が、
しばらくすると、覚悟を決めたように、
「…高雄さんの息子さ…」
と、口にした…
女優の渡辺えりに似た、街中華の女将さんが、繰り返した…
私は、
「…お久しぶりです…」
と、ペコリと頭を下げた…
「…たしか…アンタは、五郎とあっちゃんといた…」
「…ハイ…その通りです…覚えていてくれて、ありがとうございます…」
私は、ニコニコと愛想笑いを浮かべながら、言った…
まさに、君子豹変す、だ…
それまで、自分が、なぜ、就活が杉崎実業以外全滅したかで、怒りに震えていたが、あっという間に、それがなくなった(笑)…
きれい、さっぱり、消えた(笑)…
「…商売柄だよ…」
女将さんが、ぶっきらぼうに言う。
「…商売柄?…」
「…そうだよ…この商売をやってみれば、誰でも、わかるけど、お客さんの顔をすぐに覚える…特にアンタは、あっちゃんと、五郎といっしょだったからね…印象は強いよ…」
私は、女将さんの言うことが、よくわかった…
私も、コンビニで、バイトしているから、お客さんの顔は、覚えている…
どこで、どんな仕事をしているか、わからないが、お客さんの顔は、客商売をしていれば、すぐに覚えるものだ…
無論、一度会っただけのお客さんは、普通は、覚えていない…
どんな店も、大半はリピーターのお客さんに支えてもらっているから、そのお客さんが、何度も、同じ店にやって来るから、覚えるものだ…
いわゆる、馴染みになる…
どこで、どんな仕事をしているか、知らないけれども、いつも顔を見せることで、そのお客さんを知る…
そういうことだ(笑)…
ただし、たった一度きりでも、覚えているお客さんは、いる…
それは、ずばり印象に残る人物…
ちょっと見たことのない、美男美女だったり、有名芸能人だったりすれば、印象に残る…
この女将さんも、私が、大場と、稲葉五郎といっしょにいたことで、私を覚えていたに違いない…
さもなくば、覚えていない…
なにしろ、私は、平凡…
平凡な人物だからだ…
道を歩けば、誰もが振り返るほどの美人でもなく、頭もいいわけではない…
どこにでもいる、普通の女だからだ…
私は思った…
そう考えていると、女将さんが、
「…さあ、中に入りな…」
と、私に声をかけた…
それから、
「…今日は、なにか、アタシに相談したいことでも、あって来たんじゃないの…」
と、続けた。
私は、驚いて、つい女将さんの顔を見た…
失礼ながら、女将さんの顔を、ぶしつけにジロジロ見た…
そして、聞いた…
「…どうして、わかったんですか?…」
「…あっちゃんの父親と、五郎の関係が、世間に取り沙汰されてるだろ…その最中だ…アンタの相談はそれだろ?…」
女将さんが、不安そうに、顔をしかめて、言った…
たしかに、女将さんの言う通り…
だから、驚いた…
が、冷静に考えれば、誰でもわかることに違いない…
一度きりだが、私は、大場と稲葉五郎といっしょにやってきた…
そして、今、女将さんが言ったように、大場の父親の大場小太郎代議士と、ヤクザ者である、稲葉五郎の関係が世間で取り沙汰されてる…
だから、普通に考えれば、私がそれで、相談に来たと、考えるのは、普通…
普通かもしれない…
「…稲葉さんは…」
私は、つい聞いてしまった…
「…五郎なら、今は事務所にいないよ…」
「…いない?…」
「…本人も、雲隠れしている…」
「…雲隠れ?…」
「…あの騒動で、マスコミの餌食になることは、火を見るよりも明らかだからさ…だから、事務所には、今はいないよ…」
女将さんが、説明する。
たしかに、そう言われれば、わかる気がする…
いわゆるマスコミが、ヤクザ事務所である、稲葉一家に突撃取材をすることは、ありえないが、周辺に、取材をすることは、普通だ…
ありえる…
だから、どこかに雲隠れして、事務所に寄り付かないと、言われれば、納得する…
そして、気付いた…
さきほど、稲葉一家の入るビルのテナント付近が、人通りが、極端に少なかったわけに、だ…
私は、ヤクザ事務所があるから、一般のひとが、敬遠して、あの通りに、近付かないのでは? と、考えたが、違った…
ヤクザ事務所があるから、近付かないと、考えるのは、誰もがわかるが、現実問題として、その場所を通らなければ、ならない場合も多い…
まして、稲葉一家と看板が掲げられたビルのテナントは、大通りに面している…
だから、普通に考えれば、あの通りを避けることはできない…
が、さっき行ったときは、人通りがほとんどなかった…
アレは今考えれば、稲葉五郎と大場小太郎代議士の関係が、世間に明るみになり、本来あの事務所に、出入りするヤクザ者も、近付かなくなったのではないか?
普通ならば、事務所に出入りするヤクザ者も、今現在、稲葉五郎が事務所にいないことを知っているから、事務所に近付かない…
それゆえに、余計に、人通りが少ないのかもしれない…
私は、そう思った…
「…難儀だよ…」
女将さんが、呟いた…
「…難儀ですか?…」
「…そうだよ…昔は、ヤクザが、選挙応援をしても、普通だった…って、いうか、どこにでもある光景だった…それが、今じゃ…」
そう言って、女将さんが、嘆息する。
正直、傍から見ても、女将さんは、心底参ってる様子だった…
私は、驚いた…
まさか、今度の騒動で、この街中華の女将さんまでも、こんなに、落ち込んでいるとは、思わなかったからだ…
やはり、それは、あの稲葉五郎が原因なのだろうか?
私は、考える。
私は、一瞬、躊躇したが、
「…あの…女将さんが、落ち込んでるのは、稲葉さんが、マスコミを賑わせてるからですか?…」
と、訊いた。
女将さんは、即座に、
「…五郎の件だけじゃないよ…あっちゃんのお父さんの大場さんとも、昔から、顔馴染みだからね…二人のことが、心配なのさ…」
そう答えた…
それから、
「…ハァーッ…」
と、大きく、ため息をついた…
私は、思わず、
「…女将さん…大丈夫ですか?…」
と、声をかけた…
女将さんと知り合って、まもないが、そう声をかけずには、いられないほど、目の前の女将さんは、落ち込んでいた…
誰もがそうだが、渡辺えりが、目の前で、落ち込んでいれば、驚く…
そういうことだ(笑)…
私の言葉に、
「…お嬢ちゃん…ありがと…」
と、女将さんは、声をかけた。
それから、
「…その辺に、座りな…なにか、飲むかい?…」
と、私に聞いた。
私は、ざっと店内を見た。
気のせいか、前回、初めてやって来たときよりも、お客さんの数が、少ない気がする…
いや、
気のせいではない…
明らかに少なかった…
私の視線に気付いたのだろう…
「…見ての通り…お客さんは、まばら…いつもは、こんなんじゃないんだけど…」
と、苦笑いを浮かべた。
「…まあ、いつもは、五郎の組の若い衆も来てるから、その分、少なくは、なったね…」
「…稲葉さんの若い衆?…」
思わず、口に出した。
そんなヤクザ者が、来て、店に影響はないんだろうか?
私は、思った。
その思いが、表情に出たのだろう…
「…意外かい? …でも、五郎のとこの若い衆も、この店じゃ、おとなしいもんだよ…」
「…おとなしい?…」
「…そうさ…ヤクザでもなんでも、どこでも見境なく、騒ぎ立てりゃ、誰も相手にしないよ…同じ街で、生きてるんだ…誰も相手にしなけりゃ、生きてゆけない…干上がっちまうよ…」
女将さんが、言う。
たしかに、女将さんの言うことは、わかる気がする…
ヤクザでもなんでも、例えば、私のバイトするコンビニも出入り禁止だとする…
そうすれば、大げさに言えば、いきてゆけない…
寝たきりの病人でもない限り、今の時代、コンビニに行ったことのない人間はいない…
今やコンビニは、電車や水道と同じように、社会のインフラ…
なくては、ならない存在だ…
それが、利用できないとなると、ずばり、生活が困る…
生きてゆけないほどではないが、生活がとんでもなく不便になる…
そういうことだ…
「…やれやれ、ホント、しんどい世の中だよ…」
女将さんは、そう言って、店の奥に消えた…
そして、戻って来たときは、手に、グラスと、コーラの瓶を持っていた…
「…さあ、飲みな…」
女将さんが言う。
私は、
「…頂きます…」
と、言って、近くの席に座り、女将さんに出されたコーラを飲んだ…
「…おいしい…」
思わず、呟いた…
たしかに、家で飲むコーラよりも、はるかにおいしい…
どうしてだろうか?
「…だろ…」
女将さんが、私の言葉に嬉しそうに、答えた…
「…どうして、こんなに、おいしいんですか?…」
「…理由は簡単…業務用の冷蔵庫に入れてるからさ…」
「…業務用の冷蔵庫?…」
「…そうさ…家の冷蔵庫よりも、冷える…だから、おいしい…おまけに、グラスも冷やしている…おいしくないはずはないさ…」
女将さんが、嬉しそうに説明する。
誰でも、そうだが、自分の出したものを、褒められるのは、嬉しいものだ…
「…アンタも、なにか、悩みを抱えて、やってきたんだろ?…」
女将さんが、私に語りかける。
「…いや、なにかじゃないか? 五郎のことか?…」
そう言って、女将さんは、豪快に笑った…
私は、その笑いを見て、なんだか、救われた気分になった…
女将さんと会うのは、今日が二度目だが、なんだか、ホッとするというか、安心する。
なにより、女将さん自身、今さっきまで、悩んでいた様子だったのに、私のために明るく振る舞ってくれたのが、嬉しかったというか…
とにかく、そんな気持ちだった…
「…五郎も可哀そうな男だよ…」
目の前の席に座った、女将さんが、ポツリと呟いた。
「…可哀そう? …どうして、可哀そうなんですか?…」
「…アイツは、人が良すぎるのさ…」
「…それは、どういう…」
「…今の山田会の跡目争い…五郎は、人に推されて、立候補というか…」
女将さんが説明する。
「…昔から、そうだが、妙に情に厚いというか…アンタのこともそうさ…」
「…私のこと?…」
「…アンタが、亡くなった山田会の前会長の探していた娘さんだと知った五郎は、アンタを大事にしただろ?…」
「…」
「…アイツは昔から生き方が不器用で、人に利用されやすい…現に…」
そこまで、言って、女将さんは、言葉を止めた…
私に話す話題ではないと、思ったのかもしれない…
が、
少しすると、
「…現に、今も利用されてる…」
と、言葉を継いだ…
「…利用ですか?…」
私は、訊いてはいけないことかもしれないが、つい訊いてしまった…
「…五郎の対抗馬…高雄さんと、五郎は、昔から仲がいい…それが、高雄さんを、毛嫌いしている勢力に担がれて…」
女将さんが、意外な内情を告げた。
「…本当は、高雄さんと争うのが、なにより、五郎自身が、嫌なはずさ…それを…」
憤懣(ふんまん)やる方のない口調だった…
それから、一転して、
「…まあ…それが、五郎のいいところでもあるんだけど…」
と、明るく笑った…
「…アイツは、見かけは、ゴツイだろ…たが、性格は、真逆…いい男さ…見た目と中身が違う好例さ…」
女将さんが、笑った…
私は、その女将さんの笑いを見ながら、一体誰が、稲葉五郎を利用しようとしているのだろう? と、考えた…
山田会という暴力団は知らないが、一枚岩でないことは、わかる…
暴力団も会社も学校も同じ…
要するに、人が集まれば、派閥が生まれる…
そういうことだ…
これは、いい悪いということではない…
一番誰にもわかりやすい例は、学校だろう…
毎朝、登校すれば、クラスで、仲の良い者同士が、集まる。
クラスで、例えば、4,5人のグループがいくつも集まる。
これは、男も女も同じ…
ごく一部のどのグループにも属さない人間を除いて、大抵は、どこかのグループに属する。
そして、それこそが、派閥…
派閥だ!
私は、考える。
だが、気になることは、ある。
一体、誰が、稲葉五郎を利用しようとしているのだろう?
私は、思った。
そして、それをストレートに、口にした…
「…一体、誰が、稲葉さんを利用しようとしているんですか?…」
私の、ど直球の質問に、女将さんが、目を丸くした。
まさか、直球で、来るとは、思わなかったのだろう…
女将さんは、私のど直球の質問に、しばし、悩んだ…
私に言っても、いいものか、どうか、悩んだ…
が、
しばらくすると、覚悟を決めたように、
「…高雄さんの息子さ…」
と、口にした…