第149話
文字数 5,167文字
もしかして、稲葉五郎が、最初から、すべてを知っていたら?
私が、本当は、亡くなった古賀会長の娘だと、最初から、知っていたとしたら?
いや、
神様ではないのだから、その可能性は低い…
限りなくゼロに近い…
神様ではないのだから、そんなことを知る由もない…
人間ひとりの力は、たかが、知れている…
そんなことを、できるはずがない…
私は、思った…
が、
人間一人の力?
果たして、稲葉五郎は、一人なのだろうか?
考える…
否…
答えは、否だ…
もし、
もし、だ…
稲葉五郎が、公安のスパイだとすれば、当然、公安の関係者に接触している…
その公安の関係者が、高雄組組長や、古賀会長を見張っていれば、誰が、なにをしているのか、手に取るように、わかる…
稲葉五郎に、その情報を伝えるのは、簡単だ…
なにより、山田会に潜入した公安のスパイは、稲葉五郎だけとは、限らない…
他に、数人いても、おかしくはない…
そこまで、考えたときだった…
「…お嬢ちゃん…」
と、突然、町中華の女将さんが、私に、声をかけた…
「…運命婚って、知ってる?…」
「…運命婚?…」
とっさに、オウム返しに、同じ言葉を言った…
口にした…
運命の結婚…
だから、運命婚…
あらかじめ、この人と結婚するのが、運命だと決められている…
そんな運命によって、導かれた結婚…
だから、運命婚…
私は、そう、思った…
そして、なにより、それは、高雄…
高雄悠(ゆう)が、口にしていた言葉だ…
だから、
「…悠(ゆう)さんが、よく、口にしてました…」
と、言った…
私の言葉に、女将さんも、大場父娘も驚いた様子だった…
ここで、いきなり、悠(ゆう)の名前が出てくるとは、思わなかったに違いない…
「…悠(ゆう)が…」
驚いた様子で、大場敦子が、声を出した…
「…ハイ…悠(ゆう)さんが、初めて、私と会ったときに、私に言った言葉です…」
「…竹下さんに?…」
「…杉崎実業の内定をもらって、電車で、帰るときに、私の後を追って、悠(ゆう)さんが、言いました…」
「…なんて、言ったの?…」
「…私に杉崎実業の内定を辞退しないで、欲しいって…」
「…」
「…あのとき、大場さんや、林さんと、初めて会ったときに、誰かが、この杉崎実業は、暴力団のフロント企業じゃないかって、言いだして、それで、私は、内定を辞退するか、どうか、悩んでました…そのときに、悠(ゆう)さんが、私を追いかけてきて、内定を辞退しないで、欲しいって、私に言いました…そのときです…」
「…そのとき?…」
「…悠(ゆう)さんは、杉崎実業の内定に決まった5人の女のコの中で、ボクを食おうとしている者が、一人、いる…真逆に、ボクが、そのひとと結婚することで、ボクの力が増すというか、ボクが有利になるものがいる…それが、誰だか、わからない…でも、5人のうちの誰かに違いないから、ぜひ、竹下さんには、辞退はしないでもらいたいと、言いました…」
「…」
「…でも、今になって考えると、それは、ウソだった…最初から、悠(ゆう)さんは、知っていた…悠(ゆう)さん…いえ、高雄組の財産を狙っていたのは、大場さんで、私が、古賀会長か、稲葉さんのどっちかの娘で、私を手に入れることで、悠(ゆう)さんは、高雄組…いえ、自分の育ての親である、高雄組組長を助けられると、思っていた…力になれると思っていた…そして、後日、運命婚という、大げさな言葉を使って、私を引き留めた…」
私は、言った…
そして、自分自身に、驚いた…
まさか、面と向かって、大場父娘の前で、アナタたちが、高雄組の資産を狙っていたと、断言するとは、思わなかった…
いかに、大場小太郎が、議員を辞職して、ただのひとになろうと、その大場小太郎の目の前で、アナタが、高雄組の資産を狙っていたと、断言するとは、思わなかった…
だから、自分自身に驚愕した…
そんな私の言葉に、大場父娘は、うつむいて、しまった…
文字通り、私の言葉通りだったからだろう…
私の指摘が、間違ってなかったからだろう…
私の言葉に、町中華の女将さんが、
「…お嬢ちゃんも、案外言うね…」
と、感嘆した…
「…まさか、私が、運命婚って、言葉を聞いただけで、そんな話を、お嬢ちゃんが、するとは、思わなかったよ…」
私は、女将さんの言葉に、
「…」
と、沈黙した…
自分でも、自分が、よくわからなかった…
私は、本来、気が強い性格でも、なんでもない…
むしろ、いつも、
「…まったく…クミは、頼りないんだから…」
と、いじられるキャラだ…
それが、まさか、大場父娘、当人を前にして、そんな、だいそれたことを言うとは、思わなかった…
そして、それは、もしかしたら、私の父にあると、思った…
本当か、嘘っぱちかは、わからないが、私の父が、古賀会長か、稲葉五郎かで、熱くなってる…
熱く、議論をしている…
誰もが、そんな話をされて、平然としていられるわけがない…
しかも、
しかも、だ…
私は、それを、誰にも、話せなかった…
相談できなかった…
まさか、自分が、試験管ベイビーだとは、思わなかったし、それが、事実であれ、事実でないであれ、他人に相談できる話ではなかった…
そして、家族にも、相談できなかった…
だから、自分では、極力、自分を抑えてるつもりだったが、限界だったのかもしれない…
だから、嫌みというか、普段、絶対、口にしないことを、言ってしまったのかもしれない…
自分でも、自分が、わからなかった…
一言で、言えば、爆発してしまったのかもしれない…
これまで、貯め込んでいた、不満が、まるでマグマのように、一挙に噴き出たのかもしれない…
自分でも、自分を、そんなふうに、見ていた…
もう一人の自分が、冷めた目で、そう分析していた…
と、そのときだった…
女将さんが、
「…運命婚って、お嬢ちゃんに聞いたのはね…」
と、口を開いた…
「…要するに、この人だって、思う人と、結婚できる幸せっていうか…」
女将さんが、ゆっくりと口を開いた…
「…死んだ、古賀さんも、そうだったけど、子宝に恵まれなかった…古賀さんは、女を抱けなかったから、当然だけど、五郎も、高雄さんも同じ…五郎は結婚しないけど、古賀さんも高雄さんも、結婚したけど、うまくいったかというと、微妙だった…だから、高雄さんは、血が繋がってない悠(ゆう)を養子にして、溺愛したし、古賀さんは、アタシの両親と、本当の家族のようだった…つまりは、古賀さんは、家庭に恵まれなかった…だから、いつまでも、終戦時に、いっしょに満州から、逃げてきたアタシの祖父母を含めた一族を、本当の家族のように、思っていた…大切にしていた…そして、その古賀さんの口癖が、運命婚だった…」
「…古賀さんの口癖?…」
「…ヤクザ界の秀吉と言われるほど、裸一貫から成功した古賀さんだったけど、家庭には、恵まれなかった…まあ、いつの時代でも、ヤクザが家庭に恵まれるというのも、おかしな話だけど、それで、アタシの祖父母が、理想だったらしい…」
「…どういうことですか?…」
「…いわゆる家族さ…汗水垂らして帰ってきても、自分がなんとなく理想とする、温かい家庭がない…だから、それを理想とした…古賀さんは、アタシの祖父母に手を引かれて、満州から、命からがら帰ってきて、祖父母が、協力する姿に理想の家庭を見たんだろうね…それを、晩年、よく口にしたんだ…運命婚って…」
「…」
「…アタシの祖父母が、夫婦力を合わせて、生きる姿が、理想と思ったんだろう…この二人は、運命に導きかれて、結婚した…だから、運命婚って…悠(ゆう)も、子供の頃から、古賀さんに、可愛がられていたから、それが、脳裏に残ったんだろう…お嬢ちゃんが、悠(ゆう)に、運命婚って、言われたのは、そういうわけだと思うよ…」
…なるほど…
…そういうことだったのか?…
私は、思った…
たしかに、男のひとが、
…運命婚…
なんて、言葉を口にするのは、おかしい…
誰かに、影響されていると、考えるのが、普通だ…
これが、女ならば、わかる…
女ならば…
ふと、気付いた…
高雄悠(ゆう)は、亡くなった、高雄組組長の養子…
溺愛されて、育った…
高雄組組長は、子供の頃から、頭が良かった…
しかし、家が貧しく、大学に進学できなかった…
だから、いつのまにか、道をはずし、ヤクザ者になった…
だが、生来の頭の良さから、それを生かし、経済ヤクザとして、頭角を現した…
要するに、経済ヤクザが、適職だったのだ…
だが、本当は、例えば、東大を卒業して、官僚になるとか、三井や三菱のような大会社に入社して、出世するのが、夢だった…
経済ヤクザとして、押しも押されぬ、地位に就いたにも、かかわらず、本音は、そうだった…
だから、悠(ゆう)を、引き取った…
悠(ゆう)は、高雄組組長が、若い頃に付き合った女の息子…
生活に困った、その女が、悠(ゆう)を、高雄組組長の元に、連れて行き、
「…アナタのコよ…」
と、迫った…
が、
高雄組組長は、一目見て、自分の子供では、ないことを悟った…
しかし、同時に、悠(ゆう)を見て、利発な子供だと、思った…
それゆえ、もし、このまま、
「…バカを言うな…オレの子供であるはずがねえ…」
と、突き放せば、この子供の未来が、閉じられるのでは? と、思った…
そして、かつての自分同様、道をはずすのでは? と、心配した…
要するに、せっかく、頭が良く生まれても、その頭の良さを生かすことができない人生を送ることになるのでは? と、危惧した…
つまりは、高雄組組長は、幼い悠(ゆう)に、かつての自分を見たのだ…
シングルマザーでは、息子を大学に上げるのは、難しい…
金銭面の負担が大き過ぎる…
だからこそ、自分が、悠(ゆう)を引き取り、満足な教育を施すことで、自分のできなかった夢を、悠(ゆう)に果たして、もらいたいと、考えた…
悠(ゆう)に、できなかった、自分の夢を託したのだ…
以前、そう言っていた…
しかし、
しかし、だ…
よくよく、考えると、この説明には、無理がある…
話としては、辻褄が合っている…
どこにも、瑕疵(かし)がない…
誤りがない…
だが、
しかし、だ…
どうして、高雄組組長は、一目見て、悠(ゆう)が、自分の子供でないことを、知ったのだろうか?
冷静に考えれば、おかしい…
なぜなら、自分に似ていない、息子や娘は、世の中に、ごまんといる…
たとえ、血が繋がっていても、両親どちらにも、似ていない息子や娘は、ごまんといる…
それが、どうして、一目見て、悠(ゆう)が、自分の血が繋がった息子ではないと、わかったのだろうか?
冷静に考えれば、おかしい…
ありえない…
もし、最初から、わかっていたとすれば、たとえば、悠(ゆう)の母親が、付き合っていた男を知っているか?
つまりは、悠(ゆう)の父親が、誰か、最初から、特定できたか?
あるいは、
あるいは、高雄組組長自身が、子供のできないカラダ…
無精子症か、なにかで、自分に原因があり、最初から、自分に子供ができないことを知っていた…
そのいずれかだ…
そして、
そして、
もしかしたら、その両方か?
それとも、最初から、その話が、嘘っぱちだったのか?
と、そこまで、考えて、気付いた…
この大場小太郎元代議士…
私の眼前に座る、大場元代議士…
この元代議士は、一体、なんなのだろう?
悠(ゆう)との関係が、おかしい…
以前、悠(ゆう)が、大場元代議士と私を会わせようとした…
しかし、いくら、悠(ゆう)が、子供の頃から、大場元代議士と親しいといっても、悠(ゆう)の呼び出しで、多忙な大場元代議士がやって来るだろうか?
悠(ゆう)が、大場元代議士を刺した一件もそうだ…
悠(ゆう)は、交際していた、大場元代議士の敦子から、父親のスケジュールを聞き出し、大場元代議士に面会したと言った…
しかし、いかに、高雄組組長の息子といっても、大場元代議士が、悠(ゆう)に会うのは、おかしい…
亡くなった大物ヤクザの養子と、現役の大物代議士だ…
いくらなんでも、身分が、違い過ぎる…
それが、どうして、そんなに悠(ゆう)のために動くのか?
時間を割くのか?
それが、わからない…
もしかして、
もしかして、
悠(ゆう)の父親は?
と、そこまで、考えたとき、私は、すでに、口にしてしまった…
「…大場さん…悠(ゆう)…高雄悠(ゆう)さんの父親は、大場さん…アナタじゃないんですか?…」
と…
私の言葉に、
大場元議員の表情が、硬く、凍り付いた…
私が、本当は、亡くなった古賀会長の娘だと、最初から、知っていたとしたら?
いや、
神様ではないのだから、その可能性は低い…
限りなくゼロに近い…
神様ではないのだから、そんなことを知る由もない…
人間ひとりの力は、たかが、知れている…
そんなことを、できるはずがない…
私は、思った…
が、
人間一人の力?
果たして、稲葉五郎は、一人なのだろうか?
考える…
否…
答えは、否だ…
もし、
もし、だ…
稲葉五郎が、公安のスパイだとすれば、当然、公安の関係者に接触している…
その公安の関係者が、高雄組組長や、古賀会長を見張っていれば、誰が、なにをしているのか、手に取るように、わかる…
稲葉五郎に、その情報を伝えるのは、簡単だ…
なにより、山田会に潜入した公安のスパイは、稲葉五郎だけとは、限らない…
他に、数人いても、おかしくはない…
そこまで、考えたときだった…
「…お嬢ちゃん…」
と、突然、町中華の女将さんが、私に、声をかけた…
「…運命婚って、知ってる?…」
「…運命婚?…」
とっさに、オウム返しに、同じ言葉を言った…
口にした…
運命の結婚…
だから、運命婚…
あらかじめ、この人と結婚するのが、運命だと決められている…
そんな運命によって、導かれた結婚…
だから、運命婚…
私は、そう、思った…
そして、なにより、それは、高雄…
高雄悠(ゆう)が、口にしていた言葉だ…
だから、
「…悠(ゆう)さんが、よく、口にしてました…」
と、言った…
私の言葉に、女将さんも、大場父娘も驚いた様子だった…
ここで、いきなり、悠(ゆう)の名前が出てくるとは、思わなかったに違いない…
「…悠(ゆう)が…」
驚いた様子で、大場敦子が、声を出した…
「…ハイ…悠(ゆう)さんが、初めて、私と会ったときに、私に言った言葉です…」
「…竹下さんに?…」
「…杉崎実業の内定をもらって、電車で、帰るときに、私の後を追って、悠(ゆう)さんが、言いました…」
「…なんて、言ったの?…」
「…私に杉崎実業の内定を辞退しないで、欲しいって…」
「…」
「…あのとき、大場さんや、林さんと、初めて会ったときに、誰かが、この杉崎実業は、暴力団のフロント企業じゃないかって、言いだして、それで、私は、内定を辞退するか、どうか、悩んでました…そのときに、悠(ゆう)さんが、私を追いかけてきて、内定を辞退しないで、欲しいって、私に言いました…そのときです…」
「…そのとき?…」
「…悠(ゆう)さんは、杉崎実業の内定に決まった5人の女のコの中で、ボクを食おうとしている者が、一人、いる…真逆に、ボクが、そのひとと結婚することで、ボクの力が増すというか、ボクが有利になるものがいる…それが、誰だか、わからない…でも、5人のうちの誰かに違いないから、ぜひ、竹下さんには、辞退はしないでもらいたいと、言いました…」
「…」
「…でも、今になって考えると、それは、ウソだった…最初から、悠(ゆう)さんは、知っていた…悠(ゆう)さん…いえ、高雄組の財産を狙っていたのは、大場さんで、私が、古賀会長か、稲葉さんのどっちかの娘で、私を手に入れることで、悠(ゆう)さんは、高雄組…いえ、自分の育ての親である、高雄組組長を助けられると、思っていた…力になれると思っていた…そして、後日、運命婚という、大げさな言葉を使って、私を引き留めた…」
私は、言った…
そして、自分自身に、驚いた…
まさか、面と向かって、大場父娘の前で、アナタたちが、高雄組の資産を狙っていたと、断言するとは、思わなかった…
いかに、大場小太郎が、議員を辞職して、ただのひとになろうと、その大場小太郎の目の前で、アナタが、高雄組の資産を狙っていたと、断言するとは、思わなかった…
だから、自分自身に驚愕した…
そんな私の言葉に、大場父娘は、うつむいて、しまった…
文字通り、私の言葉通りだったからだろう…
私の指摘が、間違ってなかったからだろう…
私の言葉に、町中華の女将さんが、
「…お嬢ちゃんも、案外言うね…」
と、感嘆した…
「…まさか、私が、運命婚って、言葉を聞いただけで、そんな話を、お嬢ちゃんが、するとは、思わなかったよ…」
私は、女将さんの言葉に、
「…」
と、沈黙した…
自分でも、自分が、よくわからなかった…
私は、本来、気が強い性格でも、なんでもない…
むしろ、いつも、
「…まったく…クミは、頼りないんだから…」
と、いじられるキャラだ…
それが、まさか、大場父娘、当人を前にして、そんな、だいそれたことを言うとは、思わなかった…
そして、それは、もしかしたら、私の父にあると、思った…
本当か、嘘っぱちかは、わからないが、私の父が、古賀会長か、稲葉五郎かで、熱くなってる…
熱く、議論をしている…
誰もが、そんな話をされて、平然としていられるわけがない…
しかも、
しかも、だ…
私は、それを、誰にも、話せなかった…
相談できなかった…
まさか、自分が、試験管ベイビーだとは、思わなかったし、それが、事実であれ、事実でないであれ、他人に相談できる話ではなかった…
そして、家族にも、相談できなかった…
だから、自分では、極力、自分を抑えてるつもりだったが、限界だったのかもしれない…
だから、嫌みというか、普段、絶対、口にしないことを、言ってしまったのかもしれない…
自分でも、自分が、わからなかった…
一言で、言えば、爆発してしまったのかもしれない…
これまで、貯め込んでいた、不満が、まるでマグマのように、一挙に噴き出たのかもしれない…
自分でも、自分を、そんなふうに、見ていた…
もう一人の自分が、冷めた目で、そう分析していた…
と、そのときだった…
女将さんが、
「…運命婚って、お嬢ちゃんに聞いたのはね…」
と、口を開いた…
「…要するに、この人だって、思う人と、結婚できる幸せっていうか…」
女将さんが、ゆっくりと口を開いた…
「…死んだ、古賀さんも、そうだったけど、子宝に恵まれなかった…古賀さんは、女を抱けなかったから、当然だけど、五郎も、高雄さんも同じ…五郎は結婚しないけど、古賀さんも高雄さんも、結婚したけど、うまくいったかというと、微妙だった…だから、高雄さんは、血が繋がってない悠(ゆう)を養子にして、溺愛したし、古賀さんは、アタシの両親と、本当の家族のようだった…つまりは、古賀さんは、家庭に恵まれなかった…だから、いつまでも、終戦時に、いっしょに満州から、逃げてきたアタシの祖父母を含めた一族を、本当の家族のように、思っていた…大切にしていた…そして、その古賀さんの口癖が、運命婚だった…」
「…古賀さんの口癖?…」
「…ヤクザ界の秀吉と言われるほど、裸一貫から成功した古賀さんだったけど、家庭には、恵まれなかった…まあ、いつの時代でも、ヤクザが家庭に恵まれるというのも、おかしな話だけど、それで、アタシの祖父母が、理想だったらしい…」
「…どういうことですか?…」
「…いわゆる家族さ…汗水垂らして帰ってきても、自分がなんとなく理想とする、温かい家庭がない…だから、それを理想とした…古賀さんは、アタシの祖父母に手を引かれて、満州から、命からがら帰ってきて、祖父母が、協力する姿に理想の家庭を見たんだろうね…それを、晩年、よく口にしたんだ…運命婚って…」
「…」
「…アタシの祖父母が、夫婦力を合わせて、生きる姿が、理想と思ったんだろう…この二人は、運命に導きかれて、結婚した…だから、運命婚って…悠(ゆう)も、子供の頃から、古賀さんに、可愛がられていたから、それが、脳裏に残ったんだろう…お嬢ちゃんが、悠(ゆう)に、運命婚って、言われたのは、そういうわけだと思うよ…」
…なるほど…
…そういうことだったのか?…
私は、思った…
たしかに、男のひとが、
…運命婚…
なんて、言葉を口にするのは、おかしい…
誰かに、影響されていると、考えるのが、普通だ…
これが、女ならば、わかる…
女ならば…
ふと、気付いた…
高雄悠(ゆう)は、亡くなった、高雄組組長の養子…
溺愛されて、育った…
高雄組組長は、子供の頃から、頭が良かった…
しかし、家が貧しく、大学に進学できなかった…
だから、いつのまにか、道をはずし、ヤクザ者になった…
だが、生来の頭の良さから、それを生かし、経済ヤクザとして、頭角を現した…
要するに、経済ヤクザが、適職だったのだ…
だが、本当は、例えば、東大を卒業して、官僚になるとか、三井や三菱のような大会社に入社して、出世するのが、夢だった…
経済ヤクザとして、押しも押されぬ、地位に就いたにも、かかわらず、本音は、そうだった…
だから、悠(ゆう)を、引き取った…
悠(ゆう)は、高雄組組長が、若い頃に付き合った女の息子…
生活に困った、その女が、悠(ゆう)を、高雄組組長の元に、連れて行き、
「…アナタのコよ…」
と、迫った…
が、
高雄組組長は、一目見て、自分の子供では、ないことを悟った…
しかし、同時に、悠(ゆう)を見て、利発な子供だと、思った…
それゆえ、もし、このまま、
「…バカを言うな…オレの子供であるはずがねえ…」
と、突き放せば、この子供の未来が、閉じられるのでは? と、思った…
そして、かつての自分同様、道をはずすのでは? と、心配した…
要するに、せっかく、頭が良く生まれても、その頭の良さを生かすことができない人生を送ることになるのでは? と、危惧した…
つまりは、高雄組組長は、幼い悠(ゆう)に、かつての自分を見たのだ…
シングルマザーでは、息子を大学に上げるのは、難しい…
金銭面の負担が大き過ぎる…
だからこそ、自分が、悠(ゆう)を引き取り、満足な教育を施すことで、自分のできなかった夢を、悠(ゆう)に果たして、もらいたいと、考えた…
悠(ゆう)に、できなかった、自分の夢を託したのだ…
以前、そう言っていた…
しかし、
しかし、だ…
よくよく、考えると、この説明には、無理がある…
話としては、辻褄が合っている…
どこにも、瑕疵(かし)がない…
誤りがない…
だが、
しかし、だ…
どうして、高雄組組長は、一目見て、悠(ゆう)が、自分の子供でないことを、知ったのだろうか?
冷静に考えれば、おかしい…
なぜなら、自分に似ていない、息子や娘は、世の中に、ごまんといる…
たとえ、血が繋がっていても、両親どちらにも、似ていない息子や娘は、ごまんといる…
それが、どうして、一目見て、悠(ゆう)が、自分の血が繋がった息子ではないと、わかったのだろうか?
冷静に考えれば、おかしい…
ありえない…
もし、最初から、わかっていたとすれば、たとえば、悠(ゆう)の母親が、付き合っていた男を知っているか?
つまりは、悠(ゆう)の父親が、誰か、最初から、特定できたか?
あるいは、
あるいは、高雄組組長自身が、子供のできないカラダ…
無精子症か、なにかで、自分に原因があり、最初から、自分に子供ができないことを知っていた…
そのいずれかだ…
そして、
そして、
もしかしたら、その両方か?
それとも、最初から、その話が、嘘っぱちだったのか?
と、そこまで、考えて、気付いた…
この大場小太郎元代議士…
私の眼前に座る、大場元代議士…
この元代議士は、一体、なんなのだろう?
悠(ゆう)との関係が、おかしい…
以前、悠(ゆう)が、大場元代議士と私を会わせようとした…
しかし、いくら、悠(ゆう)が、子供の頃から、大場元代議士と親しいといっても、悠(ゆう)の呼び出しで、多忙な大場元代議士がやって来るだろうか?
悠(ゆう)が、大場元代議士を刺した一件もそうだ…
悠(ゆう)は、交際していた、大場元代議士の敦子から、父親のスケジュールを聞き出し、大場元代議士に面会したと言った…
しかし、いかに、高雄組組長の息子といっても、大場元代議士が、悠(ゆう)に会うのは、おかしい…
亡くなった大物ヤクザの養子と、現役の大物代議士だ…
いくらなんでも、身分が、違い過ぎる…
それが、どうして、そんなに悠(ゆう)のために動くのか?
時間を割くのか?
それが、わからない…
もしかして、
もしかして、
悠(ゆう)の父親は?
と、そこまで、考えたとき、私は、すでに、口にしてしまった…
「…大場さん…悠(ゆう)…高雄悠(ゆう)さんの父親は、大場さん…アナタじゃないんですか?…」
と…
私の言葉に、
大場元議員の表情が、硬く、凍り付いた…