第32話

文字数 5,577文字

 私は、どうしていいか、わからなかった…

 怖くて、怖くて、涙が出てきそうだった…

 すでに、何度も言うように、私は、ヤクザやヤンキーが苦手…

 もっとも、恐怖する相手だ…

 その、私が、もっとも恐怖する、相手が目の前にいる…

 しかも、相手は、ヤクザ界のスターだ…

 次期、山田会の会長になるかもしれない大物だ…

 …一体、どうすればいい?…

 …どうすれば、このピンチを脱出できる?…

 私は、考えた…

 大げさでなく、命がけで、考えた…

 そこへ、稲葉一家、組長が、

 「…お嬢…お久しぶりです…」

 と、いきなり、言った…

 …お嬢?…

 …一体、誰のことだ?…

 私は唖然として、目の前の稲葉一家の組長を見た…
 「…お嬢がオレを覚えてないのは、無理もありません…お嬢と、オレが出会ったのは、お嬢がまだ、2歳か、そこらでした…」

 と、続ける。

 私には、なにがなんだか、わからなかった…

 私は、助けを求めるべく、再び、大場を見た。

 が、

 大場はニヤニヤと笑うだけだった…

 「…な…なにかの、ま…間違いでは?…」

 私は、声が上ずりながらも、ようやく、口に出した。

 「…いえ、間違いじゃありません…先日、逝去した、山田会の古賀会長が、お嬢の行方を、生前、ずっと口にしてました…オレも、お嬢が、まだ2歳か、そこらのときに、何度かあったことがあります…」

 ヤクザ界のスターが、真面目な顔で、激白する。

 …冗談?…

 …なにかの冗談だろ?…

 私をからかう冗談だろ?

 私は思った…

 しかし、誰が、どう見ても、目の前のヤクザ界のスターは、本気だった…

 百パーセント、本気だった…

 とても、冗談を言っている顔ではない…

 冗談を言っている雰囲気ではなかった…

 私は、どうして、いいか、わからず、ただ固まった…

 その場に立ち尽くしたまま、まるで、お地蔵さんのように、ガチガチに固まった…

 顔は、蒼白…

 恐怖で、血の気が引いていたに、違いない…

 目の前に本物のヤクザ…

 しかも、ヤクザ界のスター…

 そんな大物を目の前にして、この平凡な竹下クミは、今にも卒倒しそうだった…

 ただただ、ガマの油のように、身体中から、ダラダラと冷や汗が流れた…

 少なくとも、自分自身は、そんな気がした…

 そして、そんなとき、ふと、高雄の父、高雄組の組長の姿が、脳裏に浮かんだ…

 あの高雄の父親の姿が、脳裏に浮かんだ…

 ふと、思い出した…

 高雄の父は、この目の前のヤクザ界のスターのライバルといわれる男…

 だが、そんな感じは全然しなかった…

 高雄の父は、むしろ、キチンとスーツを着込んだ、サラリーマンのような外観の男だった…

 そして、いかつい感じもまったくなかった…

 むしろ、どこか、優しそうですら、あった…

 息子の高雄悠(ゆう)同様、爽やかですら、あった…

 それが、今、目の前にいる、男は、誰が見ても、本物のヤクザ…

 バリバリの現役のヤクザだった…

 違い過ぎる…

 私は、とっさに思った…

 高雄の父親と、なにもかも違い過ぎる…

 そして、高雄の父が言った、ライバルと言われる稲葉一家の組長を評して言った言葉…

 「…いい男ですよ…はばかりながら、この私のライバルと言われた男です…当然、いい男でなければ、なりません…」

 と、いう言葉を思い出していた…

 そのときだった…

 「…五郎ちゃんも、そんなところに突っ立ってないで、さっさとあっちゃんと同じ席に座りなよ…」

 と、店の女将さんが、言った…

 私は、唖然とした。

 店の女将さんは、五十代ぐらいかもしれないが、ヤクザ界のスターを評して、

 「…五郎ちゃん…」

 と、気安く言うなんて…

 あまりにも、無謀すぎる…

 チャレンジャー過ぎる…

 が、当のヤクザ界のスターは、まったく気にすることがなかった…

 「…五郎ちゃんは、止してよ…若い衆の目もある…」

 「…なに言ってんだい…アンタが手の付けられない悪ガキの頃から、知ってんだ…今さら、なんて言えばいいのさ…」

 女将さんが、強気に口にする…

 すると、どうだ?

 目の前のヤクザ界のスターは、

 「…おばさんには、叶わねえな…」

 と、ぼやいた…

 「…おばさんじゃない…おねえさんだ…一体いくつ違うと思ってるんだい?…」

 女将さんが、追撃する。

 「…参ったな…」

 ヤクザ界のスターはぼやいた。

 「…そんなことより、さっさと席に座りな…」

 女将さんの言葉で、渋々席に座った…

 すると、大場が言った。

 「…オジサンと女将さんのやりとりは、いつ見ても面白いね…」

 「…面白い?…」

 ヤクザ界のスターが絶句する。

 「…あっちゃん…大人をからかうものじゃないよ…」

 ヤクザ界のスターが言った。

 「…それに、このお嬢さんにも、だ…オレごときが、お嬢さんに、頭を下げるのは、当然のこと…それを、ヤクザ界のスターに頭を下げさせただなんて言って、お嬢さんを脅して…」

 ヤクザ界のスターが、大場に説教する。

 私は、大場がどう出るか、興味があったが、

 「…ごめんなさい…オジサン…」

 と、素直に謝った…

 私は、驚いた。

 こんなにも、素直に大場が、頭を下げるとは、思わなかったからだ…

 すると、

 「…お嬢さんも、座りな…いつもでも、立っていると、疲れちゃうよ…」

 と、女将さんが、私に向かって言った…

 私は、どうしていいか、困惑した…

 女将さんの言うことも、わかるが、目の前にヤクザ界のスターがいる。

 私が、勝手に座っていいものだろうか?

 私は、どうしていいか、悩んだ…

 すると、私の状況を察したのだろう…

 「…お嬢さんも、座って下さい…」

 と、ヤクザ界のスターが、私に言った。

 そして、自分も、大場と同じテーブルに、座った…

 それを見て、私も、座った…

 いつまでも、立っているわけには、いかないからだ…

 私が、席に座ると、

 「…どう? …このひとが、私が、竹下さんに会わせたかったひと…驚いた?…」

 と、大場がいたずらっぽく笑った…

 私は、どう答えていいか、わからなかった…

 ただただ、怖いので、ヘラヘラと愛想笑いを浮かべた…

 そうでもしなければ、怖くて仕方がなかった…

 何度も言うが、私は、ヤクザやヤンキーが大の苦手だ…

 暴力の匂いのする相手が嫌いだ…

 男女の別なく、暴力の匂いのする相手が、ダメなのだ…

 これは、理屈ではない…

 生まれ持った感情と言うか、とにかく、そうなのだ…

 そんな私が、ヤクザ界のスターと同じ席に着くなんて…

 悪い冗談でしかない…

 悪夢でしかなかった(涙)…

 「…お嬢…」

 と、稲葉一家、組長が、口を開いた…

 「…ハ…ハイ…」

 と、私は、思わず、甲高い素っ頓狂な声を上げた…

 思わず、大場が、プッと吹き出した…

 私は頭にきたが、大場に文句を言う余裕は今の私には、なかった…

 「…そんなに、オレを怖がらないで下さい…」

 稲葉一家、組長が、優しく私に語りかけた…

 「…オレは、この通り、いかついなりをしていますが、根は小心者です…なにより、若いコに嫌われるのは、きつい…」

 組長が激白する。

 「…それに、お嬢が、オレを覚えてないのは、仕方がありません…いくらなんでも、お嬢は、小さすぎました…」

 私は、眼前の稲葉一家組長の話を聞きながら、ようやく、自分が、なぜ、杉崎実業に内定したのか、理解できた…

 いや、どうして、高雄もまた、私を本命としているのか、わかった…

 要するに、誤解しているのだ…

 私が、亡くなった山田会の会長の探していた娘と誤解しているのだ…

 そんなことは、あるわけはないのに、誤解しているのだ…

 すでに、言ったが、以前、私は、自分の両親に、自分の出自を聞いたことがある…

 当然、私は、両親の産んだ子供…

 それに、絵に描いたような真面目な私の親戚に、ヤクザはいない…

 それも、両親から聞いた…

 だから、間違っている…

 私が、山田会の会長の探していた娘と言うのは、間違ってる…

 私は、そう思った…

 私は、そう確信した…

 「…な…なにかの、ま…間違いです…」

 私は、震えながら、言った…

 「…わ…わたしの親戚にヤクザは、い…いません…」

 震えながら、続けた…

 「…ひ、ひと違いです…」

 繰り返した…

 が、私の言葉は、眼前のヤクザ界のスターには、通じなかった…

 「…お嬢が、そうおっしゃるのは、わかります…何分、二十年以上前の話です…」

 稲葉一家、組長が、言う。

 「…自分もまだ、亡くなった古賀会長の身の回りの世話をする、若い衆でしか、ありませんでした…一応、組は、持たせて頂きましたが、それだけです…ただ、古賀会長は、お嬢のことを…」

 ヤクザ界のスターが、涙ぐみながら、語った…

 私は、どうしていいか、わからなかった…

 何度も、誤解だ…

 人違いだと言っているのに、まるで、通じない…

 ここまで、話が通じないのは、初めての経験だった…

 竹下クミが、22年生きて、初めての経験だった…

 「…オジサン…案外、涙もろいのね…」

 大場が、からかうように言う。

 「…オレも歳かな…こうして、あんなに小さかったお嬢が、こんな大きくなって、会えるなんて…死んだ古賀会長が知れば、どんだけ喜んだか…」

 そう言いながら、不器用に涙を拭いた。

 その大柄な、いかつい顔と、泣き顔が、びっくりするほど、合わなかった(笑)…

 これが、テレビや映画ならば、客席で、誰もがプッと吹き出すか、爆笑するところだ…

 しかし、目の前のヤクザ界のスターは本気だった…

 本当で、心の底から、喜んでいた…

 だから、当然、笑うことはできない…

 なにより、そのいかつい顔からは、想像できないほど、情に厚い人柄であることが、想像できた…

 私は、再度、

 「…ひと違いです…」

 と、言いたかったが、言っても、目の前のヤクザ界のスターは、信じないに違いないと思った…

 だから、止めた…

 本当は、何度でも、しつこく、言い続けたかったが、断念した…

 相手が、私が、山田会の古賀会長とかが、探していた娘だと信じ続ける以上、なにを言っても、無駄だからだ…

 そして、そこまで、考えて、ハタと気付いた…

 あの高雄が…父親の高雄組の組長の方ではない、息子の高雄悠(ゆう)が、私にウソを言っていたのでは、と、気付いた…

 もし、私が、死んだ古賀会長の探していた娘だと、最初から知っていたとすれば、どうだ?

 以前、高雄が私に言った話…

 杉崎実業の内定者5人の中には、高雄が手に入れることで、高雄の力になれる人間と、真逆に、高雄と結婚することで、高雄を食おうとしている人間…ありていに言えば、高雄を利用しようとしている人間がいると、高雄は私に言った…

 だが、今、目の前のヤクザ界のスターが言った、私を、死んだ古賀会長の探していた娘と、あらかじめ知っていたとしたら、そもそも高雄の話は眉唾物だ…

 すべて、ウソかもしれない…

 私は、考える。

 そして、こうも、気付いた…

 もし、私が、眼前のヤクザ界のスターが言うように、死んだ古賀会長の探していた娘だとしたら、一体どうなのだろう?…

 そもそも、いかに偉くても、死んだ会長の探していた娘になんの価値があるのだろう?

 私は、それが疑問だった…

 一体、その娘に、どんな価値があるのだろう?

 「…あのう…」

 私は言った。

 本当ならば、怖くて、こんなことは聞けないのだが、ここで、黙っているのも、また怖かった…

 無言で、黙ったまま、いかつい、顔をした大柄なヤクザ者と、席を共にするのも、怖かったが、ただ黙っているのは、もっと怖かった…

 だから、勇気を出して、聞いてみることにした…

 「…なんですか、お嬢…」

 ヤクザ界のスターは、どこまでも、低姿勢だった…

 「…私は、何度も言うように、死んだ古賀会長の探していた娘さんではありません…人違いです…」

 「…お嬢…それは…」

 言いづらそうに、ヤクザ界のスターが抗弁する。

 「…ですが、お聞きしたいことが、一つあります…」

 「…聞きたいこと? なんでしょうか?…」

 「…仮に、私が、もし、その古賀会長の探していた娘さんだと仮定します…だとすれば、その娘さんに、一体なんの価値があるんでしょうか?…」

 「…価値?…」

 ヤクザ界のスターが、私の質問の意味がわからず、大場と顔を見合わせた。

 「…いえ、お話しを伺っていると、なにか、大場さんも稲葉さんも、私を、その亡くなった古賀会長の探していたお嬢さんだと誤解しているようですが…私が、もし、そのお嬢さんだとすれば、一体私にどんな価値があるのでしょうか?…」

 「…それは、大ありよ…」

 以外にも、私の質問に、目の前の大場でも、ヤクザ界のスターでもない人間が、答えた。

 私は、答えた人間の顔を見た…

 この店の女将さんだった…

                
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