第71話

文字数 6,661文字

 騒動と言うか、物事の発端は、こんな感じだった…

 バカバカしいと言って、しまえば、それまでだが、物事の発端など、案外そんなものだ…

 ヤクザでも一般人でも、どうして、アイツが嫌いなんだ? と、自分の嫌いな相手を名指しして、問われれば、以前、好きな女を取りあって取っ組み合いのケンカになったとかなんだとか、当人にとっては、忘れられない記憶でも、傍から見れば、思わず、吹き出しかねないほど、くだらない理由であることも、多々あるものだ…

 それが、今回の件は、電話だっただけだ…

 花見会会長は、激怒したが、酒が抜け、冷静になったとき、顔面が蒼白になった…

 …一体、なんてことになったんだ?…

 自分のしでかした事の大きさに、自分でも、驚いたし、どうして、いいか、わからなかった…

 今は、抗争は御法度の時代…

 ヤクザが、敵対するヤクザを殺せば、懲役が、30年にも、なる時代だ…

 30年も、刑務所で、過ごせば、一生終わる…

 その人間の人生が、終了する…

 それが、わかっているから、安易に抗争は起こせない…

 なにより、昔ならば、懲役を終えれば、所属する組での出世が約束されたが、今の時代、十年の懲役でも、刑期を終えて、出所したときに、自分が、所属した組が、あるのか、どうか、わからない時代だ…

 暴対法で、ヤクザが生き残るのが、難しい時代だからだ…

 だから、花見会会長は、悩んだ…

 …どうして、いいか、わからなかった…

 そして、それは、花見会会長にケンカを売った松尾会の二次団体である、高杉一家の総長もまた同じだった…

 …やべえ…

 …つい勢いで、アイツにケンカを売っちまった…

 自分の浅はかな行為を、悔いた…

 なにより、自分の属する松尾会よりも、山田会は、数倍大きい…

 組織の規模が違う…

 下手に全面戦争にでもなれば、普通に考えれば、負けるし、なにより、今回の騒動の発端というか、どうして、山田会と抗争になったのか? 幹部会で、説明しなければ、ならない…

 それが、相手が酒に酔って、からんできたから、つい、こっちも頭にきて、来るなら来いと、ケンカを売ったんだと言えば、どうなる?

 当然、幹部会の連中から、

 …オマエ、今、どういう時代か、わかっているのか?…

 とか、

 …オマエの浅はかな態度で、松尾会が、存亡の危機にあるんだぞ?…

 とか、

 言われるに決まっている…

 頭を冷やして、冷静になれば、子供でもわかる話だ…

 しかし、いかに電話とはいえ、ケンカを売った以上、当然、相手は、ケンカを買うだろう…

 なぜなら、相手はヤクザだからだ…

 ケンカを売られて、逃げるヤクザはいない…

 だが、どうする?

 高杉一家の総長は、悩んだ…

 自分は、ホントは、こんな些細なことで、抗争は、起こしたくないし、松尾会の幹部会で、事の発端を説明するのも、嫌だ…

 糾弾されるのは、わかっている…

 逃げるか?

 一瞬、脳裏にそんな考えも浮かんだ…

 いや、

 しかし、逃げれば、このヤクザ社会で、自分の居場所がなくなる…

 だから、逃げるわけには、いかない…

 だったら、どうするべきか?

 悩みは、深かった…

 要するに、ケンカを売った方も、ケンカを買った方も、本音では、どちらも、ケンカを避けたかったのだ…

 しかし、威勢よく啖呵を切ったので、なにもしないわけには、いかなかった…

 だから、仕方なく、花見会会長も、高杉一家総長も、抗争をすることにした…

 ただし、内容は、抗争というよりも、それに毛の生えた程度…

 互いに、組の若い衆が、相手の組事務所の窓に向かって、拳銃を発砲したに過ぎなかった…

 互いに、事を荒立てたくなかったのだ…

 お互いに、抗争の面子が立つ、ギリギリの線を模索した結果だった…

 しかし、それがいけなかった…

 発砲事件が、新聞やテレビ、ネットのニュースに流れ、互いの組の上層部の知るところとなった…

 互いに最低限の返しで、すませようと考えていたのが、これで、一気に流れが変わった…

 山田会と、松尾会、双方の上層部の知るところとなったのだ…

 花見会会長と、高杉一家総長の二人は、それぞれの組織の上層部に呼び出されるところとなり、説明に追われた…

 なぜ、こんなことになったのか、上層部に説明することが、求められたのだ…

 当然のことだ…

 山田会では、稲葉五郎と、高雄組組長たちが…

 松尾会では、松尾会会長列席の元、まるで、裁判のようになった…

 そして、真相を聞いて、共通したのは、あまりにも、低次元の事の発端だった…

 開いた口が塞がらないとは、まさにこのことだった…

 花見会会長も、高杉一家総長も、それぞれ、山田会と松尾会の二次団体の組長…

 下っ端ではない…

 それが、こんな低次元の争いをするとは、思わなかった…

 双方の上層部は、誰もが苦虫を噛み潰した表情になったが、起きてしまったことは、仕方がない…

 とにかく、事態に対処することになった…

 だが、どっちが先に相手方に電話して、詫びを入れるか?

 それが、難しかった…

 どうしても、最初に電話した方が、下に見られる…

 山田会は、日本で、二番目に大きな暴力団だから、下手(へた)に下出(したで)に出ることはできない…

 当然、相手方の松尾会よりも、規模が数倍も大きい…

 それが、自分から、最初に電話をかけて、騒動の鎮静化を図るとなると、面子にかかわるし、まるで、自分の方が悪かったと、世間に見られかねない…

 かといって、相手方の電話を待っていても、一向に電話が来なければ、ヤクザ社会で、笑いものになりかねない…

 さて、どうするか?

 稲葉五郎も、高雄組組長も悩んだ…

 自分から相手に出向くことはできない…

 しかし、相手方から、いつ電話があるのか、わからない…

 悩んだ末に、出た結論は、やはり、山田会の幹部で、松尾会の幹部と、交流のある、人間に、いったん、連絡をとってもらい、非公式に会って、話をまとめ、手打ちにしようということだった…

 ひどく、当たり前の話だった…

 一方、松尾会の方はというと、蜂をつついたような大騒ぎだった…

 松尾会にとって、山田会は、数倍大きい…

 それが、前回、ちょっとした行き違いで、抗争になりかけて、慌てたところへ、今度は、再び、それに、火を点けたわけだ…

 しかも、当事者の高杉一家の総長と面談すると、酒に酔ってケンカになっただと、ありえない説明をする…

 幹部たちは、皆、面食らった…

 顔面蒼白になった…

 そんなことで、抗争のきっかけを作ったのか?

 と、誰もが、高杉一家の総長を糾弾した…

 これも、当たり前のことだった…

 とりあえず、相手方に詫びるべきだと、誰かが言ったが、やはり、ヤクザだ…

 すぐに自分の非を認めるのは、難しい…

 仮に自分が、間違っていたとしても、詫びるのは、難しい…

 しかも、相手は山田会だ…

 本当は、相手が山田会だから、自分よりも、巨大な組織だから、すぐに詫びなければ、ならないのは、わかっているが、それをすると、今度は、ヤクザ社会で、笑われるかもしれない…

 松尾会は、相手が山田会だから、ビビってすぐに詫びを入れたと、ヤクザ社会で、言われかねない…

 すると、どうしていいか、わからなくなった…

 詫びなければ、ならないが、下手(へた)に自分から、詫びれば、ヤクザ社会で、笑いものになりかねないと、判断したのだ…

 これは、困った…

 幹部の間にも、苦渋の色が、浮かんだ…

 そして、このときもまた、山田会同様、やはり、松尾会の幹部で、山田会の幹部と交流のある人間と、非公式に接触して、相手の出方を探り、それで、落としどころを探って、今後の対応を考えようということになった…

 ひとの考えることは、誰もが同じだった…

 抗争は困るし、かといって、一方的に、自分から、詫びを入れたイメージを持たれるのは、困る…

 つまりは、そういうことだ…

 ただし、誤算がひとつあった…

 そのときは、山田会、松尾会、双方の人間が、わからなかったが、双方にかけ橋となる人物と言うか、双方に、人脈を持つ人物が、会ったが、不幸にして、互いに、人間が合わなかったと言うか、虫が好かなかった…

 最初は、互いにセッティングして、場を設け、遠慮がちに交渉を開始したが、交渉を開始して、5分も経たないうちに、なんとなく互いに相手が気に食わないことに気付いた…

 当然のことながら、以前から面識があり、互いに酒を飲んだりして、仲がいいと思ったから、山田会、松尾会、双方を代表して、この場に臨んだのだが、いざ交渉を始めると、互いに相手が、自分有利にことを運んでいると、思った…

 互いに相手を、この交渉の成果を土産にして、山田会、松尾会、双方で、出世を目論んでいると、猜疑心にかられた…

 …コイツ、こんな奴だったのか?…

 …虫のすかねえ野郎だ!…

 互いに思った…

 となると、交渉どころではない…

 当たり前だが、交渉は決裂…

 ご破算になった…

 二人とも、双方の組に戻って、理由を聞かれると、

 …アイツが、あんな奴だったなんて、思わなかった…

 二人が、同じことを言った…

 要するに、似た者同士だったわけだ…

 酒席では、互いに気が合うが、仕事では、どうやって、相手を出し抜いて、自分の手柄にするか、考える者同士だった…

 そんな人間が、交渉を任されて、うまくいくはずがない…

 最初から、山田会、松尾会、双方とも、人選を間違ったということだ…

 双方のトップ同士が、その間違いに気付いたが、さりとて、次の一手が思い浮かばなかった…

 さすがに、次は、失敗が許されない…

 かといって、いかに、大きな暴力団でも、トップクラスで、山田会、松尾会、双方と交流のある人物は、少ない…

 もしかしたら、幹部以下の人間ならば、交流のある人物もいるかもしれないが、それでは、話がまとめられない…

 それに下手(へた)をすれば、双方とも、相手方は、あの程度の人間を、交渉に出してきた…

 ウチは、舐められてる…

 とでも、言い出しかねない…

 さりとて、他団体に間に入ってもらうのも、考えたが、そもそも、抗争の発端が、チンケ過ぎて、他団体に交渉に入ってもらうのも、難しい…

 他団体に説明するときに、相手が絶句する可能性もある(笑)…

 さすがに、どうして、いいか、わからず、悩んでいた…

 これは、山田会、松尾会、双方とも同じだった…

 が、

 松尾会の幹部会で、ある幹部が、なにげなく、ポツリと呟いた…

 「…そういえば、たしか、誰が言ったか、忘れたが、山田会の高雄さんの息子さんが、イケメンで、女にモテるとか、なんとか、言ってたな…」

 「…イケメン?…」

 その場に集まった幹部会の連中が、どよめいた…

 「…ほら…昔は、男は、ハンサムと呼ばれたが、今は、イケメンと呼ぶだろ?…」

 その幹部が言う。

 「…いや、それは、わかるが、それと、今、山田会の抗争で、どう落としどころを見つけるかの話をしているところだろ…話が違うだろ?…」

 「…それは、そうだが?…」

 最初の幹部が、すまなそうに言う…

 しかし、松尾会の会長は、その発言を見逃さなかった…

 「…ちょっと、今の話を、もう少し聞かせてくれ…」

 身を乗り出して、言った…

 「…でも、会長…高雄さんの息子さんの話ですよ…」

 「…どんな接点でも、ないよりマシだろ?…」

 会長が言う…

 その会長の言葉に、他の幹部は、全員黙った…

 「…それに、たしか、高雄さんは、息子は、ヤクザじゃない…堅気と聞いている…その息子さんを、イケメンと言うならば、当然、それを言った人間は、高雄さんの息子さんを知っているわけだ…」

 「…そうだと思います…」

 最初に、高雄の息子を知っていると、言った幹部が、言う。

 「…だったら、それを突破口にして、うまく高雄さんと会うことはできないか?…」

 松尾会会長が言った…

 会長の発言に、その場に居合わせた幹部が、全員、驚いた…

 「…会長…ですが、高雄さんの息子さんは、堅気ですぜ…それを利用するのは?…」

 「…バカ…この期に及んで、なんてことを言うんだ…下手をすれば、山田会と全面戦争だ…今の時代、どこのバカが、そんな真似をするんだ? …ウチもそうだが、山田会だって、本音では、こんなことで、抗争はしたくねえに決まっている…だから、人を介して、高雄さんに会って、ことを穏便に済ませれば、いいんだ…」

 松尾会会長が激白する…

 事実、その通りだからだ…

 「…で…高雄さんの息子さんを知ってるのは、誰なんだ?…」

 「…誰と言われても、急には…」

 「…思い出せ…これには、松尾会の存亡がかかってるんだ…」

 松尾会の会長が、プレッシャーをかける…

 「…どこで、聞いたのか…」

 その幹部は、悩んだ…

 と、ここまで、なぜか、私、竹下クミの人生と、全然関係のない話だった…

 そもそも私は、ヤクザではない…

 だから、当たり前だが、山田会と松尾会の抗争なんて、私には、何の関係もなかった…

 しいて言えば、私は、偶然、山田会のツートップである、あの稲葉五郎と、高雄組長の双方を知っているだけだった…

 さらに言えば、稲葉五郎と、高雄組長が、私を死んだ山田会の会長の血筋を引くものと、誤解しているだけだった…

 が、

 そうではなかった…

 そうではなかったのだ…

 私が、いつものコンビニで、バイトをしていると、バイト仲間の当麻が、私の近くに来て、囁くように言った…

 「…竹下さん…ちょっと聞きたいことがあるんだけど…」

 「…なに、当麻?…」

 私は聞いた…

 当麻は、同じコンビニで働くバイト仲間…

 私より二歳年下の男だ…

 「…竹下さんって、今、話題の山田会の高雄組長の息子さんと面識があるんでしょ?…」

 いきなり、当麻が言った…

 私は、

 「…そんなこと、あるわけないじゃん…」

 と、ごまかそうと思ったが、そもそも、どうして、私が、高雄悠(ゆう)を知っているのか、不思議だった…

 すると、偶然、店長の葉山の姿が目に入った…

 私と当麻の会話が聞こえたのか、一瞬、身をすくめて、反応したように、見えた…

 私は、

 「…」

 と、黙った…

 否定も肯定もしなかった…

 変に、答えなければ、いいと思ったのだ…

 だが、それがいけなかった…

 「…なにも言わないってことは、知ってるということですね…」

 当麻が断言する。

 が、

 やはり、私は、

 「…」

 と、黙っていた…

 否定も肯定もしなかった…

 ただ、私の視界に店長の葉山の姿が映っただけだ…

 …コイツか?…

 …コイツが、当麻に、私が、高雄と知りあったことを、言ったに違いない…

 私は、確信した…

 葉山は、高雄組組長が、この店にやって来たときも、高雄組組長の正体をすぐに見抜いた…

 私は、それを思い出していた…

 「…知ってたら、どうだと言うんだ?…」

 私は、当麻に言った…

 当麻は、二歳年下だから、弟のような存在…

 だから、当麻に対する態度が自然とデカくなる…

 「…竹下さんの力を貸して欲しいんだ?…」

 「…私の力? …当麻、オマエの方が、男だから、私よりも、背が高いし、力だって、あるだろ? …荷物運びは、私には、無理だぞ…」

 私は、断言する。

 「…竹下さん…その力じゃなくて、単純にひとを紹介してもらいたいんだ?…」

 「…誰を紹介するんだ?…」

 「…高雄…高雄悠(ゆう)さん…山田会の高雄組組長の息子さんだよ…」

 当麻が言った…

                
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