第114話

文字数 5,388文字

 「…引退? …いきなり、オレを呼び出して、ヤクザを辞めろって…オバサンも冗談きついな…」

 稲葉五郎が戸惑いながらも言う…

 しかしながら、私や大場、そして、町中華の女将さんの、ただならぬ雰囲気から、それが、冗談ではないことに、すぐに、気付いた…

 「…オバサン…今日は、一体、なんで、オレを呼び出して…」

 その口調は、戸惑いながらも、真面目な口調に変わった…

 女将さんが、真剣であることに、気付いたのだ…

 「…五郎…アンタは、やり過ぎたんだよ…」

 女将さんが、言う…

 「…やり過ぎた? どういう意味だ?…」

 「…アンタは、アンタが思う以上に、山田会で、力を持ちすぎた…」

 女将さんが言った…

 それは、眼前の大場敦子が、さっき、ここにつれて来られるまでに、車内で、私に言った言葉と、同じだった…

 「…五郎…オマエは強い…ケンカも強く、頭も切れる…でも、そのおかげで、多くの敵を作った…」

 「…一体、なにを言い出すんだ、オバサン…オレが敵を作り過ぎた? …それが、一体
なんだって言うんだ? ヤクザが、誰とも、仲良くして、どうする?…」

 「…オマエが気付いていないだけさ…」

 女将さんが、落ち込んだ声で、言う…

 「…気付いていないだけ?…」

 「…オマエは気付いていないかもしれないが、大場代議士にとって、今や、オマエは、目の上のたんこぶ…総理になる前に、いてもらっちゃ、困る人間なのさ…」

 「…いてもらっちゃ、困る…おいおい、いくらオバサンとオレの仲でも、言っていいことと、悪いことがあるぜ…言葉に気をつけな…」

 「…言葉に気を付けな…か…さすがに、山田会会長になると、言葉が、重いね…アタシが、五郎の子分たちの前で、今の言葉をいえば、ぶたれるか、殺されるか…だね…」

 五郎は、女将さんの言葉に、

 「…」

 と、無言だった…

 無言が肯定を意味した…

 「…ヤクザも偉くなると、言葉を発せなくなる…親が冗談で、なにげなく言った言葉を、子が、真剣に受け止めたり、あるいは、アタシが、五郎に軽く言った言葉を、親分をバカにされたって、怒って、アタシをどうこうしたりする…」

 「…」

 「…だから、むやみに、言葉を発せなくなる…言葉を選んでから、口にせざるを得なくなる…」

 「…」

 「…アンタは、今の状況を数年前に見抜いていたんじゃないのか? 五郎…いや、宋国民…」

 …宋国民?…

 どこで、聞いたことがある?

 どこでだろう?

 私は、考える…

 頭を巡らせた…

 そうだ…

 わかった…

 古賀会長だ…

 亡くなった山田会の先代の古賀会長が、宋国民という名前の中国人だと、たしか、高雄悠(ゆう)が、私に教えてくれた…

 私は、それを思い出した…

 「…オバサン…一体、なんの冗談だ?…」

 稲葉五郎の口調が、ひどく真剣になった…

 「…いくら、オレとオバサンの仲でも、タダじゃすまねえことだって…」

 稲葉五郎が、言い終わらないうちに、女将さんが、

 「…ホントのことを知られるのが、そんなに怖いか? 五郎…いや、宋国民?…」

 と、言った…

 稲葉五郎は、

 「…」

 と、黙った…

 反論しなかった…

 「…頭のいいオマエは、いずれ、こうなることがわかっていたのさ…それで、手を打った…」

 「…どういうことだ?…」

 「…オマエは、手っ取り早く、高雄さんの息子に手を伸ばした…」

 「…高雄さんの息子さん?…それって、高雄悠(ゆう)さん?」

 思わず、声を上げた…

 「…高雄さんは、アンタと同じ、山田会の双璧と言われていたが、実際は、アンタに遠く及ばない…力で、言えば、昔の徳川家康と、前田利家の差さ…豊臣秀吉が、顕在だった頃、家康は、250万石、対する利家は、100万石にも及ばなかった…だから、高雄さんが、どうあがいても、アンタには、遠く及ばない…勝てるわけがないからだ…でも、アンタは警戒した…」

 「…」

 「…だから、悠(ゆう)を取り込んだ…悠(ゆう)もまた、高雄組の先行きに不安を持っていた…いや、高雄組じゃない…高雄さんの先行きに、不安を持っていた…」

 「…どういうこと? オバサン?…」

 大場が口を挟んだ…

 「…高雄さんが、五郎に山田会を追放されるんじゃないかと、心配していたんだ?…」

 「…そんな?…」

 「…五郎と、高雄さんが、ガチンコで、ケンカをすれば、山田会は、割れるかもしれないが、経済ヤクザの高雄さんが、武闘派の五郎とガチンコのケンカをして、勝ち目がないことは、最初からわかってる…だから、悠(ゆう)は、五郎と手を結んだ…手を結ぶことで、父親が、山田会から、追放されないように、五郎に頼んだんだ…」

 「…でも…」

 今度は、私が口を挟んだ…

 「…でも、稲葉さんは、いつも、高雄…高雄悠(ゆう)さんを信用するな…アイツは、見た目と違う…信用しちゃ、ダメだって…」

 「…それは、お嬢ちゃん…アンタを、悠(ゆう)さんから、遠ざけるためさ…」

 「…遠ざける?…」

 「…仲良くなれば、内幕がバレる心配がある…」

 「…」

 「…それに、お嬢ちゃんを、ヤクザ同士の争いに、巻き込まれないようにするためもある…」

 「…でも、それじゃ、そもそも、私と接触しなければ…」

 「…それはできない…」

 「…できない? …どうして?…」

 「…お嬢ちゃんの近くにいかなきゃ、お嬢ちゃんを守れない…」

 「…守れない? どうして、守れない…いえ、守らなきゃ、いけないの? 古賀会長の血筋を引いてるから?…」

 「…血筋? そんなものを引いてる人間は、ひとりもいないよ…」

 「…いない?…」

 「…そうさ…」

 「…どうして、いないって、断言できるんですか?…」

 「…古賀さんは、女を抱けなかったのさ…」

 「…女を抱けなかった? どうして?…」

 あまりにも、意外な言葉だった…

 「…古賀さんは、子供の頃、命からがら、満州…今の中国東北部から、逃げてきた…そのときに、多くの女たちが、カラダを売って売春したり、それを金に換えたり、船や列車に優先して乗せてもらったりするところを見てきた…それだけじゃない…身近で、女が無理やり、犯されるところも、いやというほど、見てきたと言っていた…物心ついたか、つかないかの子供が、そんな光景を見たら、どうなると思う? トラウマになって、一生、女を抱けなくなっても、おかしくはないだろ? …後年、古賀さんが、ヤクザ界の秀吉と呼ばれたのは、一代で、ヤクザ界で、名を上げたことも、あるけど、秀吉のように、子宝に恵まれなかったこともある…でも、そもそも、女を抱けないんだ…子供ができる道理がないじゃないか…」

 女将さんが、告白する…

 たしかに、女将さんの言うことは、わかる…

 女を抱けなければ、子供ができるはずがない…

 しかし、どうして、この女将さんは、そんなことを知っているのだろう?

 わからない…

 「…あの…女将さんは、どうして、そんなことを知ってるんですか?…」

 「…アタシの両親が、古賀さんと親しかったのさ…って、いうか、アタシの両親の両親…つまり、祖父母が、子供時代の古賀さんを、連れて、この日本に引き揚げてきた…その縁さ…」

 その言葉で、私は、以前、高雄…高雄悠(ゆう)さんから、聞いた話を思い出した…

 古賀会長は、宋国民という名の中国人で、子供の頃、日本にやって来た…

 戦争に負けた日本人の家庭といっしょに、だ…

 古賀さんは、中国人だが、両親が、日本の家庭で、家政婦として住む込みで、働いていた…

 だが、その両親が、戦争で、死んだ…

 身寄りのない、古賀さんは、両親の雇い主だった日本人に引き取られ、いっしょに、日本にやって来た…

 たしか、そう聞いた…

 私は、それを思い出した…

 「…古賀さんは、用心深いというか…ひとを信用しないひとだった…やはり、満州からの引き揚げ体験が、その後の人生を作ったんだろうね…表向きは、豊臣秀吉になぞらえるほど、ひとをたらしこむというか、自分の味方に引き入れる能力が、抜群にあった…それは、満州からの引き揚げ体験で、ひとは、一人では生きれないことを、身をもって知ったからさ…だから、味方を作る…仲間を作る…一人では、できないことができるからさ…その反面、ひとは、信用できない…信用した人間が裏切ったり…裏切られたり…そんな光景をいやというほど、見せられ、子供心に、ひとは、心の底から信用できないって、悟ったって、言っていた…ただ、アタシの祖父母や、アタシの母には、違った…いっしょになって、満州から、命からがら、逃げてきた…そして、幼い自分を助けてくれた…それが、古賀さんの原点と言うか…生涯信用できる人間として、古賀さんが、身近に信頼を置いた人たちだった…」

 …そうか?…

 …だから、この女将さんは、古賀さんに詳しいんだ…

 あらためて、思った…

 同時に、考えた…

 稲葉五郎は、古賀会長の側近…

 だから、古賀会長の身近にいた、この女将さんと親しかったわけだ…

 だが、さっき、この稲葉五郎を、宋国民と呼んだわけは、一体?

 稲葉五郎は、本当は、中国人なのだろうか?

 私は、思った…

 だから、おずおずと、遠慮しながら、女将さんに、聞いた…

 「…あの…女将さんが、今、言った、宋国民って…」

 「…ああ、それは、五郎の本名さ…稲葉五郎は通名…本名は、別にある…いや、宋国民っていうのも、本名じゃないだろう…ホントは、アンタ、何者だ? …無国籍じゃないのか?…」

 女将さんの問いに、稲葉五郎は、沈黙した…

 「…」

 と、なにも、言わなかった…

 否定しないことが、女将さんの言うことが、ウソでないことの証(あかし)だった…

 十秒、

 いや、

 二十秒だろうか?

 時間が経った…

 そして、稲葉五郎が口を開いた…

 「…ずいぶんな言い草だな…」

 稲葉五郎の乾いた声が、薄暗い店内に響いた…

 「…妄想もたいがいにしてくれ…」

 「…妄想…どこが、妄想だよ…アンタはやりすぎたんだよ…」

 「…やり過ぎた?…」

 「…さっきも言っただろ? 山田会で、力を持ちすぎた…だから、アンタは、警戒された…その結果、五郎…オマエの身辺調査が、徹底的に行われた…五郎、オマエは、身ぐるみはがされたのさ…」

 女将さんの言葉に、また、

 「…」

 と、稲葉五郎は、沈黙した…

 無言が、肯定を意味した…

 女将さんの言葉に、ウソがないことが、再び、証明された…

 「…なにが、狙いだ?…」

 稲葉五郎が、口を開いた…

 「…五郎…アンタの引退だよ…ヤクザを辞めることさ…」

 「…そいつは、無理だ…できねえ相談だな…」

 「…どうして、できないのさ…五郎?…」

 「…できねえものは、できねえ…」

 「…山田会会長の座は、アンタにとって、そんな魅力的か?…」

 「…当たり前だ…日本で二番目にデカい、組織だ…」

 稲葉五郎が、胸を張る…

 が、

 その稲葉五郎を、フッと、女将さんが、笑った…

 「…ハッハッハッ…五郎…笑わせるね…アンタは、権力欲もなにもないさ…五郎を推す人間は、それを知ってるから、安心して、アンタを推している…金に汚くもなければ、威張ることもなく、権力欲もなにもない…ただ、実直にヤクザを続けているだけ…その五郎が、今、目の色を変えて、山田会の会長の座に座ろうとしている…なにか、あると、考えるのが、普通だろ?…」

 「…なにかって、なにがある?…」

 「…言いたくないのかい? ならば、言ってやるよ…」

 稲葉五郎の顔色が変わった…

 「…アンタが、山田会の会長の座に就きたいのは、ずばり、このお嬢ちゃんを、守るためだ…違うかい?…」

 「…お嬢を守る? どういう意味だ?…」

 「…五郎…とぼけるのも、いい加減におし…」

 女将さんが、凄んだ…

 「…今、アタシは、古賀会長は、女を抱けないと言ったはずだ…女を抱けない古賀さんに、子供がいるはずがない…」

 当たり前のことだった…

 …だったら、私は一体?…

 …この竹下クミは、稲葉五郎に、なんで、大事にされてるんだ?…

 …お嬢、お嬢…

 と、持ち上げられてるんだ?

 さっぱり、わからない…

 「…このお嬢ちゃんは、五郎…アンタの娘だろ? 違うかい?…」

 「…娘? …む・す・め?…」

 私が、場違いな素っ頓狂な声を上げた…

 あまりにも、以外と言うか、ありえない話だった…

 「…五郎…アンタが、ヤクザを辞められないのも、このお嬢ちゃんだ…ヤクザを辞めれば、お嬢ちゃんを守れない…違うか?…」

 「…オバサン…バカも休み休み言ってくれ…どうして、お嬢が、オレの娘なんだ? …お嬢には、立派なご両親が、いらっしゃるだろ…」

 「…立派なご両親ね…」

 女将さんが、笑った…

 「…たしかに、立派なご両親だろうね…アンタの娘を育ててくれたんだから…」

 「…」

 またも、稲葉五郎が、沈黙した…

 でも、娘って?

 私が、稲葉さんの娘って?

 ありえない…

 私は、生まれたときから、今の両親に育てられた…

 親戚にも、知り合いにも、ヤクザはいない…

 だから、私が、稲葉五郎の娘であるはずがない…

 「…そんなこと…そんなこと、あるはずがない…」

 気が付くと、いつのまにか、叫んでいた…

 「…私が、稲葉さんの娘であるはずがない!…」

 絶叫した…

 そんな私の姿を、稲葉五郎も、女将さんも、無言で見ていた…

 そして、大場敦子も…

                
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