第93話

文字数 5,614文字

 私が、そんな無我夢中の状態で、働いているのを、危険? に、思ったのか?

 コンビニの店長の葉山が、

 「…竹下さん…飛ばし過ぎだよ…」

 と、私を注意した…

 「…飛ばし過ぎ? それって、どういう意味ですか?…」

 「…ペース配分がおかしすぎ…まるで、一万メートル走に、100メートル走の速度で、走ってるようなものだよ…そんな速度で、飛ばせば、すぐにバテる…体調を崩して寝込むことになるよ…」

 と、警告した…

 私は、葉山の言うことがわかった…

 よく理解できた…

 しかし、

 しかし、だ…

 理解できたからと言って、それを抑えることはできない…

 ペース配分を変えることはできない…

 それは、ちょうど、暴れ牛ではないが、気が立っているときに、

 「…落ち着け! 落ち着け!…」

 と、声をかけるようなもの…

 気が立っているときに、言っても、すぐには、落ち着けない…

 そういうものだ(笑)…

 「…竹下さんも、なにか、イライラすることがあるかもしれないけど、それを仕事にぶつけちゃいけないよ…」

 葉山が諭すように言った…

 私は、

 「…わかりました…」

 と、口では、答えたが、ペース配分を変えることはできなかった…

 無我夢中で、働き出した…

 すると、

 「…竹下さん…ダメ…ダメ…」

 と、ダメ出しされた…

 「…もう今日は、帰っていいよ…」

 「…帰っていい?…」

 「…そうだ…そんな調子で、なにかに八つ当たりするように、仕事をしちゃ、商品を傷付けたり、怪我したりするよ…」

 葉山が言う。

 私は、葉山の言葉に、

 「…」

 と、言葉もなかった…

 葉山の言う通りだったからだ…

 「…スイマセン…」

 と、小さな声で、答えた…

 自分が悪いのは、わかっているが、謝るのもしゃくと言うか…

 とにかく、素直に謝りたくなかった…

 自分で言うのもなんだが、妙にむしゃくしゃしていた…

 気分が、ささくれだっていた…

 当たり前だ…

 就職先が、事実上、なくなったのだ…

 これで、平常心でいろ、と、言うのが、どだい無理な話だった…

 気分が、荒れて、当然だった…

 私の気分が荒れてるのに、わかった葉山が、

 「…竹下さん…」

 と、優しく声をかけた。

 私は、ある意味、驚いた…

 この葉山が、そんなにも、優しく、私に声をかけたことは、かつて、なかったからだ…

 「…なにか、イライラすることがあるのかもしれないけど、八つ当たりは、ダメだよ…さっきも言ったように、商品を傷付けたり、竹下さんもケガをするかもしれないよ…」

 私は、葉山の言葉に、

 「…」

 と、言葉もなかった…

 同時に、もはや、反論する気力もなかった…

 ただ、私は、黙って、うつむいた…

 それから、なんとなく涙が、頬に伝わった…

 なんだか、無性に、自分が情けなかった…

 自分が、悪いにもかかわらず、周囲に八つ当たりしていると、見られてるのが、情けなかった…

 だから、涙が出た…

 これまで、一度も、そんなことがなかった…

 ただ、ただ、自分が情けなかった…

 こんなふうに、涙を流したことは、一度もなかった…

 これまで、生きてきて、一度もなかった…

 だから、自分でも、驚いた…

 あるいは、葉山に予想外に、優しい言葉をかけられたから、一挙に緊張が緩んでしまったのかもしれなかった…

 これまで、抑えていた感情が、一気に、吹き出てしまったのかもしれない…

 それを見た、葉山が、

 「…どうしたの? 竹下さん…一体?…」

 と、優しく、声をかけた…

 私は、葉山の言葉に、一瞬、悩んだ…

 躊躇(ためら)った…

 が、

 正直に、言うことにした…

 「…会社が…私の内定した…就職先がなくなっちゃうかもしれないんです…」

 「…なくなっちゃう? それって、一体?…」

 葉山が私の言葉に仰天する。

 「…今、世間で、話題になってる、杉崎実業って会社…私の内定先なんです…」

 「…竹下さんの?…」

 葉山が驚いた…

 当たり前だ…

 「…でも、中国への不正輸出で、叩かれて、しかも、…杉崎実業に、暴力団まで、絡んでいるのが、バレて…」

 「…そう言えば、以前、この店に、高雄組組長がやって来たことがあったね…」

 葉山が言った…

 …エッ?…

 内心、私は、葉山の言葉に、仰天した…

 たしかに、以前、高雄の父である、高雄組組長が、やって来た…

 高雄の父は、ヤクザだが、一見して、ヤクザには見えない…

 長身で、スリム…

 さらに、お堅い印象だ…

 誰もが、お堅い職業に就いている…

 銀行員か、なにかに、見える…

 だが、この葉山は、一目見て、

 「…あの人、堅気じゃないね…」

 と、喝破(かっぱ)した…

 ずばり、正体を見破った…

 それに驚いた、私が、

 「…なぜ、そう思ったんですか?…」

 と、葉山に聞くと、

 「…ボクは以前、他の店でも、店長をしていて、その店の近くに、暴力団の事務所があって…それで、ヤクザは、匂いでわかるというか…堅気に見えても、ヤクザは見分けられるんだ…」

 と、私に告げた…

 が、

 このときの言葉は、あくまで、一般論と言うか…

 特定の個人を指してのことではない…

 なにを言いたいかと言えば、

 「…高雄組組長…」

 と、断定していない…

 言っていない…

 しかし、今、はっきりと、

 「…高雄組組長…」

 と、断言した…

 ということは、最初から、この葉山は、あの人物が、高雄組組長と知っていたということだ…

 そして、それを知って、思い出した…

 この葉山は、いつも店で、愛想が良く、ニコニコしている…

 まるで、絵に描いたように、商売が良く似合う…

 サービス業が、よく似合う…

 だが、以前、街で、偶然、見かけた葉山は、全然違った…

 愛想がいいどころか、むしろブスッと不機嫌そうな顔で、最初見たときは、別人かと思ったぐらいだ…

 それほど、この店の中で、いつも接している葉山とは、違った…

 だから、すぐに、店の中で見せる、ニコニコと愛想のよい顔は、ただの営業スタイルだと、気付いた…

 そして、同時に、この葉山は、おそらく、見た目と中身は、まったくの別人…

 油断のできない男だと、思った…

 今さらながら、そのことを、思い出した…

 そして、今…

 あらためて、葉山の正体について、考えた…

 思いを馳せた…

 そうすることで、いつのまにか、私の涙が止まった…

 もはや、泣いている余裕はなかった…

 涙を流している、余裕はなかった…

 …この葉山の正体は一体?…

 あらためて、葉山の正体について、考えた…

 葉山が、何者かわからないが、ただのコンビニの雇われ店長でない可能性について、考えた…

 私は、それまでとは、別の表情で、キッと、葉山を睨んだ…

 マジマジと凝視した…

 …この葉山の正体は、一体?…

 考えた…

 「…どうしたの? 竹下さん…そんな表情で、ボクを睨んで…」

 葉山がニコニコと、愛想よく笑う…

 私は、

 「…アナタは一体、何者なんですか?…」

 と、直接、葉山を問い詰めたがったが、止めた…

 そんなことをしても、葉山が、正直に答えることは、ありえないからだ…

 私は、

 「…いえ、なんでもありません…」

 と、答えた…

 それから、

 「…店長…私、冷静になりました…もう、イライラしませんから、今日は、このまま、仕事を続けさせて下さい…」

 と、葉山に頭を下げた…

 「…竹下さんが、それほど、言うなら…」

 葉山が折れた…

 私が、このまま、仕事を続けることを了承した…

 事実、私は、これで、冷静になった…

 葉山の言葉が、私に冷や水を浴びせた形になった…

 冷静さを取り戻したのだ…

 これで、私は、一気に冷静になった…

 黙々と、仕事を続けた…

 
 家に帰って、私は、自室で、なにげにテレビを見ると、ヤクザの抗争が、報じられていた…

 襲撃されたのは、松尾会の事務所だった…

 銃撃され、見るも無残な形に、窓ガラスが、割れて、滅茶苦茶になった、組事務所が、テレビに映し出された…

 ヤクザ界の反応は早かった…

 まさに、電光石火というヤツだ…

 後に、稲葉五郎が、語ったように、松尾聡(さとし)の化けの皮が剝がれたことで、対立する、周囲の組織が、松尾会の事務所を襲ったのだ…

 松尾聡(さとし)が、杉崎実業に、手を出して、中国政府の手の者に、松尾会の人間が、襲撃されたことで、松尾聡(さとし)の力が、衰えたことが、図らずも、露呈した瞬間だった…

 以前の松尾聡(さとし)ならば、ありえない判断ミスだった…

 それゆえ、ヤクザ組織の格好の標的になった…

 以前も書いたが、松尾会は、決して、大きな組織ではない…

 言ってみれば、松尾聡(さとし)一人の強烈な個性で、成り立ったヤクザ組織だった…

 だから、今の松尾会の系列の組長で、山田会と盃を交わした幹部は、誰一人いない…

 力が対等では、ないからだ…

 以前、松尾会と山田会の末端の組員同士が、いざこざを起こして、それが、思いがけず、大事(おおごと)になって、双方に緊張が走ったと書いたことがあった…

 それは、松尾聡(さとし)が、いなければ、成り立たないヤクザ組織だったからだ…

 引退はしていないが、事実上、引退したように、表舞台から去った松尾聡(さとし)だったから、配下の組長たちは、どう山田会と、対峙していいか、わからなかった…

 松尾聡(さとし)を頼れば、いいのだが、やはり、表舞台から姿を消した松尾聡(さとし)に、頼むのは、格好が悪い…

 松尾聡(さとし)が、山田会の亡くなった古賀会長と五分の盃を交わしていたことは、誰もが周知の事実だったが、その配下の者で、山田会の幹部と盃を交わしたものは、誰一人いない…

 それが、双方の力の差を現していた…

 つまり、山田会の執行部で、松尾会の執行部を相手にしている人間は、誰一人いなかった…

 だから、まともに、交流がないゆえに、松尾会の幹部は、どうしていいか、わからなかったのだ…

 その唯一の砦(とりで)といおうか、司令塔の松尾聡(さとし)が、老いて、判断力が鈍ったことが、今回の杉崎実業の一件で、図らずも、露呈した…

 ただ一人の強敵といえば、わかりやすい…

 松尾会は、松尾聡(さとし)で、成り立っているという現実だった…

 そして、それは、後継もなにもない…

 豊臣秀吉が死ねば、秀吉の代わりが、誰一人、できないので、豊臣政権が、崩壊したようなものだ…

 これは、徳川家康もまた、誰もが家康の代わりはできなかったが、家康は、家臣団をうまく統制して、次の世代の者が、自分の代わりを務められるようにゆくシステムを作った…

 これは、秀吉も同じだったが、秀吉の場合は、なにしろ、息子が、幼過ぎた…

 秀吉が、死んだときは、息子の秀頼は、わずか3歳…

 この年齢では、周囲の人間がうまく支えるしかないのだが、家臣団が、一枚岩でないこともあり、崩壊した…

 また別の見方をすれば、秀吉のときは、家康のように、大物のライバルがいたが、家康のときは、家康を脅かすほどの大物のライバルがいないことも、幸いした…

 いや、むしろ、ライバルがいないことが、徳川政権が続いた最大の理由だろう…

 話は、逸れたが、つまり、松尾会は、松尾聡(さとし)で、成り立っているが、その松尾聡(さとし)が、老いて、力がなくなった…

 その現実を、今回の一件は、全国のヤクザに知らせたのだ…

 松尾会の命運は、まさに風前の灯火だった…

 このままでは、遅かれ早かれ、崩壊する…

 それは、誰の目にも明らかだった…

 松尾会が、生き残る術(すべ)は、もはや、なかった…

 解散するか、他の組に、吸収合併されるかのどっちか?

 その二択しか、ない状態だった…

 これは、ヤクザも、会社も同じだ…

 業績が、悪くなった会社が生き残るには、誰かに、助けてもらうしかない…

 要するに、金を借りるしかない…

 金を借りて、会社を立て直す…

 ただし、誰もが、見返りなしで、お金を貸してくれることは、ありえない…

 当然、その代償はある。

 会社であれば、事業を縮小して、儲からななくなった事業を廃止したり、従業員をリストラしたりする…

 当たり前のことだ…

 例えば、お金を貸した銀行は、当たり前だが、利子をつけて、返してもらわなければ、ならない…

 そのために、経営が傾いた会社に、事業の売却や、従業員のリストラを要求する…

 会社を立て直すためだ…

 会社を立て直して、儲けが出るようになって、借金をかえしてもらう…

 それが、基本だ…

 松尾会も、また同じ…

 会社と同じで、まずは、単独で、生き残れるか、どうか、判断する…

 そして、単独で、生き残れないと判断すれば、どこかの組織に、吸収合併する形で、組織を譲渡するか?

 あるいは、

 会社の倒産ではないが、松尾会の解散しかない…

 その二択しかない…

 杉崎実業が、中国への不正輸出で、警察の家宅捜査が入ったと同時に、松尾会の命運が、決まった…

 が、

 考えてみれば、おかしな話だった…

 これは、偶然だろうか?

 果たして、偶然なのだろうか?

 杉崎実業の中国への不正輸出に始まって、林の父親の逮捕、そして、松尾会の窮地…

 そして、古賀会長の死で始まった、山田会の次期会長の行方…

 稲葉五郎と、高雄組組長の争い…

 これら、一連の流れは、すべて、偶然なのだろうか?

 風が吹けば桶屋が儲かるというように、偶然が重なって起きたことだろうか?

 私は、思った…

 タイミングが良すぎる…

 そして、私…

 竹下クミ…

 以前、大場敦子が、私に、

 「…竹下さん…気付いている?…」

 「…気付いているって、なにが?…」

 「…この杉崎実業の内定をもらった5人の女は、皆、外観が似ている…でも、その本命は、竹下さん、アナタ…」

 たしか、そんなふうなことを、私に言った…

 あれは、一体どういう意味なんだろうか?

 そして、最大の謎、

 あの高雄悠(ゆう)は、一体、それにどう絡んでいるのだろうか?

 私の悩みは、深かった…

                
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