第64話
文字数 5,573文字
…一体、どうして、大場代議士は、こんな話を延々としているのだろう?
私は、思った…
と、同時に、なんだか、頭にきた…
もしかしたら、稲葉五郎の話を、本当は、したかったんだけれども、いきなりそれができないから、自分や、自分の家族のことを、話題にして、それから、さりげなく稲葉五郎の話に持っていきたかったのかもしれない…
しかし、それにしても話が長い(怒)…
なんだか、うんざりしてきた…
そして、それが、私の表情に出たのだろう…
いや、仮に、表情に出ていたとしても、それを隠す努力もしたくなくなってきた…
「…なんだか、お嬢さん…退屈なようですね…」
私は、大場代議士の話に、なんの反応も示さなかった…
返事もしなければ、顎を振って、頷くこともなかった…
首を横に振って、否定することもなかった…
ただ、無言だった…
黙っていた…
「…でも、それも、わかります…こんな父親のようなオジサンと話しても、面白くもなんともないでしょう…」
「…」
「…でも、一つだけ、言い訳させて下さい…」
…言い訳?…
…一体、なんの言い訳だ?…
私は、思った…
だが、無言だった…
なにも、言わなかった…
「…私が、こうして、一方的に話しているのは、お嬢さんに、誤解されたくないからです…」
「…誤解?…」
私は、つい、その言葉に反応してしまった…
「…これは、男女を限らず、誰でもあることですが、自分にその気がないのに、相手が一方的に口説いているのでは? と、誤解することが、多々あります…」
「…」
「…私は、それが嫌で…」
大場代議士が説明する…
「…実は、私も若い頃に、そんな経験が、何度かあって、それが、大げさに言えば、今でもトラウマになっています…」
「…トラウマ?…」
「…ええ…好きな女を口説いて、フラれるなら、わかります…でも、好きでもない女に、アイツに口説かれて、ゾッとしたようなことを、周囲に言い触らされたら、誰でも、嫌なものでしょう…」
「…でも、失礼ですが、それは、大場さんが、女性にそう思わせる態度を取ったんじゃ…」
「…いいえ…」
大場代議士は、首を横に振って、否定した…
「…単純に誤解です…」
「…誤解?…」
「…若い頃に、会社勤めをした経験があって、職場で、すぐに打ち解けた女性がいたんです…誰でも、そうですが、自分の配属された職場を知るには、その職場の人間から、色々、職場の情報を聞くのが手っ取り早い…私もそうでした…」
「…」
「…すると、思いがけないことが起きました…」
「…思いがけないこと?…」
「…要するに、失礼ながら、私が、情報源と頼っていた女性が、私がその女性を口説いているとか、思ったんですね…」
「…」
「…当時は、若いし、私も、職場のことを色々聞こうと、休みの日も、頻繁に、彼女に電話をかけたのだから、ある意味、当然の反応かもしれません…」
「…」
「…そのうちに、会社の先輩の男性から、どうして、彼女の家に電話をするんだ? と、問い詰められました…後になって、わかったんですが、その先輩と、彼女は、付き合っていたんですね…彼女としては、私に直接言うのは、嫌だったのでしょう…その先輩に言われて、初めて、自分のした行動が、誤解されているのに、気付きました…」
「…」
「…そして、その経験が、今でも、トラウマになっています…好きでもない女性から、口説かれたと思われるのは、はっきり言って、心外です…」
大場代議士が、声を大にして言った…
「…男も女も同じですが、好きな相手を口説いて、フラれるのは、仕方がない…でも、好きでもない女に、私は、アイツから口説かれたと思われるのは、我慢できないでしょう…」
大場代議士が、笑った…
しかし、それは、怒りを含んだ、笑いだった…
「…でも、どうしてですか?…」
「…どうしてって?…」
「…だって、大場さんは、お父様が、政治家だったのでしょう…だったら?…」
「…ああ…それですか?…」
大場議員が笑った…
「…それは、職場では、秘密だったんです…それを明かせば、周囲の私を見る目が変わる…だから、誰も私を知らない場所で、就職して、世間を知るというか…それが、親父の目的でした…」
「…」
「…だから、彼女もひょっとしたら、私が、政治家の跡取り息子だと知っていたら、私に対して、違う態度を取っていた可能性も高い…でも…」
そこで、大場議員は、口ごもった…
だから、
「…でも、なんですか?…」
と、私は、訊いた…
「…でも、それは、もっと嫌でしょう…口説かれたと誤解されるのも嫌ですが、私が、国会議員の息子だと知って、近寄って来る女性は、もっと嫌です…」
…たしかに、大場議員の言う通り…
…そんな女は願い下げだ…
「…いずれにしろ、誰もが、誤解されるのは、嫌です…それをされないために、こうして、延々と話しています…」
「…」
「…でも、いくら説明しても、わかってくれない女性もいます…ホントは、私のことが好きなんでしょ?…とか、言われて…これは、どうにも、困りました…」
「…どうしてですか?…」
「…どうしてって?…」
「…どうして、大場さんが、いくら説明しても、わからないんですか?…」
「…私の話を信じないからですよ…」
大場議員が笑った…
「…信じない?…」
「…例えば、さっきの話に戻ると、私は、配属された職場の人間関係とか、色々聞くために、親しくなった女性に頻繁に電話しました…でも、それは、今も言ったように、配属された職場について、知りたいからです…でも、仮にそんな説明をしても、ホントは、私のことを好きで、口説いていたんでしょ? と相手が思えば、いくら言っても、無駄です…」
「…」
「…だから、私は、とりあえず、説明します…今、お嬢さんに言ったように…でも、それを信じなければ、仕方がありません…」
「…」
「…ただ…」
と言って、大場代議士は、口をつぐんだ…
私は、気になって、大場代議士を見た…
「…ただ、この歳になって思います…いくら、説明しても、それを信じない人間は、一体それまで、どんな生き方をしてきたのだろうということを、です…」
大場代議士が力を込めた…
「…さっきの例で挙げれば、失礼ながら、その女性は、美人ではなかった…美人ならば、私が口説いていると誤解しても、いいが、そうではなかった…それが、誤解するというのは、ちょっとありえないというか…」
「…」
「…いずれにしろ、議員になって、選挙の関係もあり、色々な人間と、接触することになりましたが、やはりというか、数少ないケースでした…」
大場議員が総括する…
そのうちに、クルマが目的地に着いたらしい…
「…着きました…」
大場議員が、突然言った…
「…お嬢さん…降りましょう…」
大場議員が言うので、私も大場の父親に従って、クルマを降りた…
そして、そのときに、ふいに、大場の父が、
「…運命婚…」
と、呟いた…
「…運命婚?…」
思わず、訊いた…
オウム返しに繰り返した…
「…私が今の妻と結婚したのは、運命…運命で、決められた結婚…だから、運命婚と、考えます…」
「…」
「…妻は、やはり、私と同じく代議士の娘でした…だから、自分勝手に結婚はできない…すべては、親の意向…親が、紹介する相手の中から、選ぶしかない…」
「…」
「…無論、恋愛は自由です…ただ、やはり、親の名前はある…変な男と交際するわけにはいかない…そして、その恋愛と結婚は別物…つまりは、恋愛の延長線上に結婚はないということです…」
「…」
「…トランプでいえば、親の手の内にあるカードの中から、相手を選ばなければ、ならない…これは辛い…選択肢が限られるからです…」
「…」
「…私もこれは、妻と同じです…親の選んだ相手の中から、見合い相手を選び、何度か見合いをして、妻と結婚した…だから、運命婚…」
「…運命婚?…」
「…私も妻も代議士の子として生まれ、親の提示した見合い相手の中から、選んで、見合いをして、その見合い相手の中から、相手を選んで、結婚した…代議士の子として、生まれたのも、運命ならば、結婚相手を決めたのも、運命…だから、運命婚…そう思わなければ、私も妻もやってられないというか…」
「…」
「…だから、お嬢さんの身にこれから、起きることも、すべて運命と言うか…そう考えれば、肩の力が抜けると言うか…悩まずに済む…」
大場議員が言った…
なんだか、実に意味深な言葉だった…
たしかに、大場議員の言うことは、わかる…
政治家の息子として生まれ、政治家になる…
おそらく、最初から、歩むべき道が決められてる…
だから、本人は、その道を進むしかない…
他に選択肢はない…
結婚も就職もすべて決まっている…
トランプで言えば、親の手の内にあるカードの中から、選ぶしか、選択肢はない…
そういう人生を歩めば、余計に、運命を感じる…
運命を信じる…
あらかじめ、自分の生きる道が、すべて、決められていると、感じてしまう…
また、そう信じ込まなければ、やっていられないというか…
この大場の父親のような人生を歩めば、そうなってしまうのも、よくわかる…
しかし、それを今、どうして、私に言うのだろうか?
次期総理総裁候補と呼ばれる著名な政治家が、どうして、この平凡極まりない、私、竹下クミに言うのだろうか?
謎がある…
が、その謎が解けた…
いや、解けかけた…
なぜなら…
なぜなら、今、これから、入ろうとする店の前に、一人の長身の若い男が立っていた…
私は、その男に見覚えがあった…
いや、
その男に出会って、初めて、この物語が、始まった…
この竹下クミの人生が始まったといってよい…
私の人生が始まったといってよい…
なぜ、そんな大げさな表現をするのか?
それは、この男に出会ってから、これまで接したことのない人々、
高雄組組長…
ヤクザ界のスター、稲葉五郎…
そして、
今、いっしょにいる、次期総理総裁候補の呼び声も高い、大場小太郎代議士…
そんなキラ星のごとく、著名な人間と知り合うことができた…
政治家とヤクザと、住む世界は、天と地の如く違うが、共に、業界のトップに近い人物…
まぎれもない、業界のエリート…
選ばれた人間だ…
そんな優秀な人間と知り合うことができた…
そして、そんな人間が、皆、一様に、
「…お嬢…」
あるいは、
「…お嬢さん…」
と、私を持ち上げてる…
なぜか、わからないが、持ち上げてる…
いや、
わからないではない…
理由は、わかっている…
単純に、誤解しているのだ…
私、竹下クミを、亡くなった山田会の古賀会長の探していた娘と誤解しているのだ…
それゆえ、優遇する…
大事にする…
だが、それは、誤解…
間違いなく、誤解だ…
が、それにしても、その誤解の発端と言うか、真っ先に誤解したのは、この男ではなかったのではないのだろうか?
今、眼前に現れた、高雄組組長の実子、高雄悠(ゆう)ではないのだろうか?
考える…
思えば、この高雄悠(ゆう)と、出会ってから、私の運命が始まった…
この竹下クミの人生が、激変した…
まるで、大きな音を立てて、動き出した…
この高雄悠(ゆう)と、会ったのは、わずか、数回、数えるほどだ…
しかし、
しかし、この高雄悠(ゆう)との出会いが、私の人生のキーポイントになったのは、明らか…
まぎれもない、事実だ…
この高雄悠(ゆう)と、会ってから、私の人生が激変したのだ…
いや、
激変しつつあるのだ…
もし、運命というものがあるならば、まぎれもなく、この高雄悠(ゆう)が、私の運命の人…
結婚するか、どうかはわからないが、間違いなく、私にとってのキーパーソン…
私の運命を左右する人物に違いない…
運命婚…
さっき、この大場小太郎代議士が、自分と妻との結婚を運命婚と呼んだ…
あらかじめ、運命によって、決められた結婚…
そう説明した…
ならば、私にとっての運命婚は、この高雄悠(ゆう)…
この竹下クミにとっての、運命の相手は、高雄悠(ゆう)に他ならない…
私は、そう見た…
私は、そう睨んだ…
そして、その運命の男、高雄悠(ゆう)は、その穏やかな風貌に笑みをたたえて、私の数十メートル先に、立っていた…
図書館や花屋が似合う、おとなしめの男子…
それが、見せかけであることに、いち早く気付いた私だった…
にもかかわらず、惹かれている…
中身は、極悪人かもしれない男に魅了されている…
そして、これこそが、運命婚…
この竹下クミの運命の相手に他ならない…
そう考えて、私は、高雄悠(ゆう)に、向かって、歩き出した…
私は、思った…
と、同時に、なんだか、頭にきた…
もしかしたら、稲葉五郎の話を、本当は、したかったんだけれども、いきなりそれができないから、自分や、自分の家族のことを、話題にして、それから、さりげなく稲葉五郎の話に持っていきたかったのかもしれない…
しかし、それにしても話が長い(怒)…
なんだか、うんざりしてきた…
そして、それが、私の表情に出たのだろう…
いや、仮に、表情に出ていたとしても、それを隠す努力もしたくなくなってきた…
「…なんだか、お嬢さん…退屈なようですね…」
私は、大場代議士の話に、なんの反応も示さなかった…
返事もしなければ、顎を振って、頷くこともなかった…
首を横に振って、否定することもなかった…
ただ、無言だった…
黙っていた…
「…でも、それも、わかります…こんな父親のようなオジサンと話しても、面白くもなんともないでしょう…」
「…」
「…でも、一つだけ、言い訳させて下さい…」
…言い訳?…
…一体、なんの言い訳だ?…
私は、思った…
だが、無言だった…
なにも、言わなかった…
「…私が、こうして、一方的に話しているのは、お嬢さんに、誤解されたくないからです…」
「…誤解?…」
私は、つい、その言葉に反応してしまった…
「…これは、男女を限らず、誰でもあることですが、自分にその気がないのに、相手が一方的に口説いているのでは? と、誤解することが、多々あります…」
「…」
「…私は、それが嫌で…」
大場代議士が説明する…
「…実は、私も若い頃に、そんな経験が、何度かあって、それが、大げさに言えば、今でもトラウマになっています…」
「…トラウマ?…」
「…ええ…好きな女を口説いて、フラれるなら、わかります…でも、好きでもない女に、アイツに口説かれて、ゾッとしたようなことを、周囲に言い触らされたら、誰でも、嫌なものでしょう…」
「…でも、失礼ですが、それは、大場さんが、女性にそう思わせる態度を取ったんじゃ…」
「…いいえ…」
大場代議士は、首を横に振って、否定した…
「…単純に誤解です…」
「…誤解?…」
「…若い頃に、会社勤めをした経験があって、職場で、すぐに打ち解けた女性がいたんです…誰でも、そうですが、自分の配属された職場を知るには、その職場の人間から、色々、職場の情報を聞くのが手っ取り早い…私もそうでした…」
「…」
「…すると、思いがけないことが起きました…」
「…思いがけないこと?…」
「…要するに、失礼ながら、私が、情報源と頼っていた女性が、私がその女性を口説いているとか、思ったんですね…」
「…」
「…当時は、若いし、私も、職場のことを色々聞こうと、休みの日も、頻繁に、彼女に電話をかけたのだから、ある意味、当然の反応かもしれません…」
「…」
「…そのうちに、会社の先輩の男性から、どうして、彼女の家に電話をするんだ? と、問い詰められました…後になって、わかったんですが、その先輩と、彼女は、付き合っていたんですね…彼女としては、私に直接言うのは、嫌だったのでしょう…その先輩に言われて、初めて、自分のした行動が、誤解されているのに、気付きました…」
「…」
「…そして、その経験が、今でも、トラウマになっています…好きでもない女性から、口説かれたと思われるのは、はっきり言って、心外です…」
大場代議士が、声を大にして言った…
「…男も女も同じですが、好きな相手を口説いて、フラれるのは、仕方がない…でも、好きでもない女に、私は、アイツから口説かれたと思われるのは、我慢できないでしょう…」
大場代議士が、笑った…
しかし、それは、怒りを含んだ、笑いだった…
「…でも、どうしてですか?…」
「…どうしてって?…」
「…だって、大場さんは、お父様が、政治家だったのでしょう…だったら?…」
「…ああ…それですか?…」
大場議員が笑った…
「…それは、職場では、秘密だったんです…それを明かせば、周囲の私を見る目が変わる…だから、誰も私を知らない場所で、就職して、世間を知るというか…それが、親父の目的でした…」
「…」
「…だから、彼女もひょっとしたら、私が、政治家の跡取り息子だと知っていたら、私に対して、違う態度を取っていた可能性も高い…でも…」
そこで、大場議員は、口ごもった…
だから、
「…でも、なんですか?…」
と、私は、訊いた…
「…でも、それは、もっと嫌でしょう…口説かれたと誤解されるのも嫌ですが、私が、国会議員の息子だと知って、近寄って来る女性は、もっと嫌です…」
…たしかに、大場議員の言う通り…
…そんな女は願い下げだ…
「…いずれにしろ、誰もが、誤解されるのは、嫌です…それをされないために、こうして、延々と話しています…」
「…」
「…でも、いくら説明しても、わかってくれない女性もいます…ホントは、私のことが好きなんでしょ?…とか、言われて…これは、どうにも、困りました…」
「…どうしてですか?…」
「…どうしてって?…」
「…どうして、大場さんが、いくら説明しても、わからないんですか?…」
「…私の話を信じないからですよ…」
大場議員が笑った…
「…信じない?…」
「…例えば、さっきの話に戻ると、私は、配属された職場の人間関係とか、色々聞くために、親しくなった女性に頻繁に電話しました…でも、それは、今も言ったように、配属された職場について、知りたいからです…でも、仮にそんな説明をしても、ホントは、私のことを好きで、口説いていたんでしょ? と相手が思えば、いくら言っても、無駄です…」
「…」
「…だから、私は、とりあえず、説明します…今、お嬢さんに言ったように…でも、それを信じなければ、仕方がありません…」
「…」
「…ただ…」
と言って、大場代議士は、口をつぐんだ…
私は、気になって、大場代議士を見た…
「…ただ、この歳になって思います…いくら、説明しても、それを信じない人間は、一体それまで、どんな生き方をしてきたのだろうということを、です…」
大場代議士が力を込めた…
「…さっきの例で挙げれば、失礼ながら、その女性は、美人ではなかった…美人ならば、私が口説いていると誤解しても、いいが、そうではなかった…それが、誤解するというのは、ちょっとありえないというか…」
「…」
「…いずれにしろ、議員になって、選挙の関係もあり、色々な人間と、接触することになりましたが、やはりというか、数少ないケースでした…」
大場議員が総括する…
そのうちに、クルマが目的地に着いたらしい…
「…着きました…」
大場議員が、突然言った…
「…お嬢さん…降りましょう…」
大場議員が言うので、私も大場の父親に従って、クルマを降りた…
そして、そのときに、ふいに、大場の父が、
「…運命婚…」
と、呟いた…
「…運命婚?…」
思わず、訊いた…
オウム返しに繰り返した…
「…私が今の妻と結婚したのは、運命…運命で、決められた結婚…だから、運命婚と、考えます…」
「…」
「…妻は、やはり、私と同じく代議士の娘でした…だから、自分勝手に結婚はできない…すべては、親の意向…親が、紹介する相手の中から、選ぶしかない…」
「…」
「…無論、恋愛は自由です…ただ、やはり、親の名前はある…変な男と交際するわけにはいかない…そして、その恋愛と結婚は別物…つまりは、恋愛の延長線上に結婚はないということです…」
「…」
「…トランプでいえば、親の手の内にあるカードの中から、相手を選ばなければ、ならない…これは辛い…選択肢が限られるからです…」
「…」
「…私もこれは、妻と同じです…親の選んだ相手の中から、見合い相手を選び、何度か見合いをして、妻と結婚した…だから、運命婚…」
「…運命婚?…」
「…私も妻も代議士の子として生まれ、親の提示した見合い相手の中から、選んで、見合いをして、その見合い相手の中から、相手を選んで、結婚した…代議士の子として、生まれたのも、運命ならば、結婚相手を決めたのも、運命…だから、運命婚…そう思わなければ、私も妻もやってられないというか…」
「…」
「…だから、お嬢さんの身にこれから、起きることも、すべて運命と言うか…そう考えれば、肩の力が抜けると言うか…悩まずに済む…」
大場議員が言った…
なんだか、実に意味深な言葉だった…
たしかに、大場議員の言うことは、わかる…
政治家の息子として生まれ、政治家になる…
おそらく、最初から、歩むべき道が決められてる…
だから、本人は、その道を進むしかない…
他に選択肢はない…
結婚も就職もすべて決まっている…
トランプで言えば、親の手の内にあるカードの中から、選ぶしか、選択肢はない…
そういう人生を歩めば、余計に、運命を感じる…
運命を信じる…
あらかじめ、自分の生きる道が、すべて、決められていると、感じてしまう…
また、そう信じ込まなければ、やっていられないというか…
この大場の父親のような人生を歩めば、そうなってしまうのも、よくわかる…
しかし、それを今、どうして、私に言うのだろうか?
次期総理総裁候補と呼ばれる著名な政治家が、どうして、この平凡極まりない、私、竹下クミに言うのだろうか?
謎がある…
が、その謎が解けた…
いや、解けかけた…
なぜなら…
なぜなら、今、これから、入ろうとする店の前に、一人の長身の若い男が立っていた…
私は、その男に見覚えがあった…
いや、
その男に出会って、初めて、この物語が、始まった…
この竹下クミの人生が始まったといってよい…
私の人生が始まったといってよい…
なぜ、そんな大げさな表現をするのか?
それは、この男に出会ってから、これまで接したことのない人々、
高雄組組長…
ヤクザ界のスター、稲葉五郎…
そして、
今、いっしょにいる、次期総理総裁候補の呼び声も高い、大場小太郎代議士…
そんなキラ星のごとく、著名な人間と知り合うことができた…
政治家とヤクザと、住む世界は、天と地の如く違うが、共に、業界のトップに近い人物…
まぎれもない、業界のエリート…
選ばれた人間だ…
そんな優秀な人間と知り合うことができた…
そして、そんな人間が、皆、一様に、
「…お嬢…」
あるいは、
「…お嬢さん…」
と、私を持ち上げてる…
なぜか、わからないが、持ち上げてる…
いや、
わからないではない…
理由は、わかっている…
単純に、誤解しているのだ…
私、竹下クミを、亡くなった山田会の古賀会長の探していた娘と誤解しているのだ…
それゆえ、優遇する…
大事にする…
だが、それは、誤解…
間違いなく、誤解だ…
が、それにしても、その誤解の発端と言うか、真っ先に誤解したのは、この男ではなかったのではないのだろうか?
今、眼前に現れた、高雄組組長の実子、高雄悠(ゆう)ではないのだろうか?
考える…
思えば、この高雄悠(ゆう)と、出会ってから、私の運命が始まった…
この竹下クミの人生が、激変した…
まるで、大きな音を立てて、動き出した…
この高雄悠(ゆう)と、会ったのは、わずか、数回、数えるほどだ…
しかし、
しかし、この高雄悠(ゆう)との出会いが、私の人生のキーポイントになったのは、明らか…
まぎれもない、事実だ…
この高雄悠(ゆう)と、会ってから、私の人生が激変したのだ…
いや、
激変しつつあるのだ…
もし、運命というものがあるならば、まぎれもなく、この高雄悠(ゆう)が、私の運命の人…
結婚するか、どうかはわからないが、間違いなく、私にとってのキーパーソン…
私の運命を左右する人物に違いない…
運命婚…
さっき、この大場小太郎代議士が、自分と妻との結婚を運命婚と呼んだ…
あらかじめ、運命によって、決められた結婚…
そう説明した…
ならば、私にとっての運命婚は、この高雄悠(ゆう)…
この竹下クミにとっての、運命の相手は、高雄悠(ゆう)に他ならない…
私は、そう見た…
私は、そう睨んだ…
そして、その運命の男、高雄悠(ゆう)は、その穏やかな風貌に笑みをたたえて、私の数十メートル先に、立っていた…
図書館や花屋が似合う、おとなしめの男子…
それが、見せかけであることに、いち早く気付いた私だった…
にもかかわらず、惹かれている…
中身は、極悪人かもしれない男に魅了されている…
そして、これこそが、運命婚…
この竹下クミの運命の相手に他ならない…
そう考えて、私は、高雄悠(ゆう)に、向かって、歩き出した…