第90話

文字数 6,000文字

 …そういえば…

 …そういえば、山田会と松尾会の争いで、たしか、高雄の父親の組の系列の人間に、揉め事が起こったときに、連絡がいき、そのひとが動かなかったことで、さらに揉め、結局は、この稲葉五郎がそれを知って、うまく、現場を収めたというか、騒動を収めたというようなことがあったと、たしか、週刊誌か、ネットの報道で、知った…

 「…兄貴は、あれで、ミソを付けちまった…」

 「…ミソ…どういうことですか?…」

 「…兄貴についていった組が、続々離反しちまったんです…」

 「…離反…ですか?…」

 「…要するに、兄貴から離れちまった…あんなちっちゃなゴタゴタを収められねえ人間についていけねえとなって…それで、兄貴は焦った…だから、松尾なんかとつるんで…」

 「…松尾さん…」

 意外な名前が出た…

 「…あのオヤジは、食わせ者(もん)だ…だから、亡くなった古賀会長は、五分の盃で、自分の兄弟分にした…変に動き回っちまうと、厄介だから、キチンと、綱をつけておこうとしたんだ…それを…」

 稲葉五郎は、心底、悔しそうな顔をした…

 「…それを、あんな食わせ者(もん)と、つるんだら、オレだって、兄貴を庇いきれねえ…」

 意外なセリフだった…

 看過できなかった…

 だから、

 「…あの…庇いきれないって、どういうことですか?…」

 と、聞いてしまった…

 「…兄貴を山田会から追放しようっていう動きがあるんです…兄貴は、さっきも言ったように、経済ヤクザっていうか…だから、揉め事を抑えるのが、得意じゃない…こいつは、前からわかってたことだが、この前の一件で、それが、露呈したというか…あくまで、兄貴は、山田会の金庫番というか、こう言っちゃなんだが、財布みたいなとこがあった…金がないなら、兄貴に頼めば、なんとかしてくれる…それがウリというか…」

 稲葉五郎が、歯切れ悪く言った…

 私は、その言葉を聞きながら、眼前の稲葉五郎は、高雄の父?を好きなのだろう、と思った…

 どこまでも、高雄の父? 寄りの発言が続いてる…

 以前もそうだったが、この稲葉五郎からは、高雄の父? に対する愛情が、感じられると言うか…

 稲葉五郎の立場で言えば、本当ならば、高雄の父? は、山田会の次期会長を巡ってのライバルなはず…

 強力な対抗馬のはず…

 それが、稲葉五郎の発言からは、そんな感じが全然しない…

 もしかしたら、最初から、稲葉五郎は、高雄の父?をライバル視していないのかもしれない…

 ふいに、そんな気がした…

 だから、言った(笑)…

 「…稲葉さんは、高雄さんのお父様が、お好きなんですね?…」

 私の言葉に、稲葉五郎は、ビックリした…

 が、

 少しして、

 「…ハイ…好きです…」

 と、照れたように、言った…

 「…オレは、兄貴が好きです…兄貴の不器用なとこも全部含めて、好きです…」

 …不器用?…

 あまりにも、意外な言葉だった…

 誰がどう見ても、不器用に見えるのは、眼前の稲葉五郎の方だ…

 それが、高雄の父? が不器用とは?

 一体全体、どうして、高雄の父? は、不器用なのだろう?

 聞いてみたくなった…

 「…あの…どうして、高雄さんのお父様は、不器用なんですか?…」

 「…兄貴は、そもそもヤクザに向いてないんです…」

 稲葉五郎が、即答した…

 「…向いてない?…」

 「…さっきも言ったように、兄貴は、本当ならば、東大や京大にいったかもしれないほど、頭が切れる…その才能が、言っちゃ悪いが、金儲けに開花した…でも、肝心の腕っぷしが、イマイチというか…ヤクザの根っこの部分が、そもそも兄貴に合ってない…」

 稲葉五郎が、言葉を選びながら、真摯に答える…

 「…でも、金儲けの才覚は、誰よりも秀でている…亡くなった古賀会長は、こう言っちゃなんだが、それを見抜いて、兄貴を重用した…兄貴の金儲けの才能を買ったんだ…時代が、兄貴に追い風だった…バブルが弾けて、日本中の景気が悪くなって、その中で、兄貴の金儲けの才能が光った…ヤクザが、暴力ではなく、金儲けで、偉くなる時代になって、兄貴は、トントン拍子で、出世した…だが、ヤクザの命は、ケンカだ…抗争だ…それに、弱いことが、この前の松尾会とのイザコザで、バレちまって…」

 稲葉五郎が、肩を落とした…

 私は、目の前の稲葉五郎の言葉を聞きながら、つくづく、運命というか、適職について、考えた…

 高雄の父? は、生まれつき頭が良いにもかかわらず、家が貧しかったために、ヤクザになった…

 しかし、ヤクザになっても、その頭の良さを生かして、出世した…

 いわゆる頭の良さを生かした、金儲けの才能があり、それが、功を奏した…

 これが、高雄の父?には、失礼だが、東大や京大に入り、三井や三菱に入社しても、必ずしも、その頭の良さを生かせるとは、限らない…

 どんな職場に配置されるかは、まったくわからないし、また周りの人たちも、東大や京大を出た優秀な人間が、いっぱいいるに違いない…

 すると、当然のことながら、その優秀なひとたちと、競うことになる…

 その中で、勝ち抜くのは、至難の業だろう…

 それを考えれば、山田会に入り、自分の頭の良さを生かして、出世できたのは、幸運かもしれない…

 私は、思った…

 「…だが、事態は、動き出した…」

 稲葉五郎が言う。

 「…松尾のオジキが撃たれた…あれが、運動会で、言えば、よーいドンの号砲というか…」

 稲葉五郎が、苦渋の表情を浮かべる。

 「…まもなく、威勢よくドンパチは始まる…オレもお嬢と会うのは、もしかしたら、これで、最後かも…」

 しんみりと言った後、

 「…なーんて、ね…」

 と、おどけて見せた。

 私は、稲葉五郎が、そんなことを言うのを、間近で見て、驚いたが、やはりというか、表情は、暗いままだった…

 おそらく、もしかしたら、これで、私に会えなくなると言うのは、本音だろうと、思った…

 それゆえ、冗談を言って、この場を和ませたのだろうと、思った…

 なぜなら、稲葉五郎の表情が、硬いままだからだ…

 私は、眼前の堅い表情のままの稲葉五郎を見て、なぜだか、急に胸が苦しくなった…

 …まさか、恋?…

 わずかだが、自分の感情に絶句した…

 そんなことは、ありえないが、なんだか、稲葉五郎とこのまま、二度と会えないのでは? と、ふいに、思った…

 まさか、自分が、稲葉五郎に、恋をしているとは、思えないが、眼前の稲葉五郎の、落ち込んだ姿を見て、胸が痛んだ…

 そして、ふいに、大場小太郎代議士との、争いを思い出した…

 この稲葉五郎は、大場の父、大場小太郎代議士と、争っていた…

 あれは、一体、どうなったのだろう?

 どうしても、あの一件について、知りたくなった…

 「…稲葉さん…大場さんのお父様の大場小太郎代議士との一件は…」

 「…アレは、報道の通りです…」

 稲葉五郎が、即答する。

 「…大場代議士が、オレとの関係を断ち切ろうとしたから、ウチの若いもんに、大場代議士の自宅のガレージを銃撃した、と言いたいところだが、それだけじゃない…」

 「…それだけじゃない? どういう意味ですか?…」

 「…アレは、大場代議士も了解の上での行動だ…」

 「…大場代議士も了解って…」

 私は、驚いた…

 が、

 そう言われてみれば、あの後、大場代議士の娘のあっちゃんから、私に電話があったが、あっちゃんは、全然焦ってなかった…

 あっちゃんは、

 「…オジサンは、ヤクザだから、立場上、仕方がないのよ…」

 と、妙に、冷静だった…

 あのときは、あっちゃんの言葉を額面通りに受け取っていたが、眼前の稲葉五郎の言葉を聞けば、あっちゃんが、妙に、冷静だったのは、わかる…

 要するにやらせだったのだ…

 お芝居だったのだ…

 あらかじめ、互いに打ち合わせてからの行動だったのだろう…

 その内幕を知っているからこそ、あっちゃんは、驚かなかったのだ…

 だが、

 どうして?

 どうして、そんな真似をするのだろう?

 そんな真似をするのは、当然、意味がある…

 意味=目的があるに違いない…

 それは、一体、どういう目的があるのだろう?…

 考える…

 見せるため?

 ふと、気付いた…

 週刊誌に、稲葉五郎と大場小太郎代議士の関係が、暴露された…

 ヤクザと政治家の関係が暴露された…

 となると、これは、お互いが不利…

 なにか、しないと、いけない…

 大場代議士は、稲葉五郎との関係を断ち切らなければ、ならないし、稲葉五郎は、その真逆…

 関係を断ち切られては、困る…

 それが、稲葉五郎の大場代議士の自宅のガレージへの発砲=パフォーマンスに繋がったのではないか?

 私は、思った…

 発砲は、パフォーマンス…

 あくまで、パフォーマンスであり、示威行為ではない…

 示威行為…脅しではない…

 だから、あっちゃんは、全然焦らなかったんだ…

 今さらながら、気付いた…

 だが、一体誰に見せるために?

 私は、気付いた…

 あの松尾聡(さとし)に見せるためでは、ないのだろうか?

 あのとき、私と、高雄組組長の前で、松尾会会長、松尾聡(さとし)は、大場代議士に、

 「…稲葉さんと、仲直りをしなさい…」

 と、関係の修復を指示されてる…

 そして、今、この稲葉五郎が言うように、あの発砲が、稲葉五郎、大場代議士、双方が承知の上のパフォーマンスならば、あの松尾聡(さとし)は、そのパフォーマンスに騙されてることになる…

 いや、

 松尾聡(さとし)だけではない…

 もしかしたら、あの場に、同席した、高雄の父親である、高雄組組長も騙されていたのではないか?

 私は、その可能性に気付いた…

 だが、

 もし、高雄組組長も騙されてるとしたら、一体なぜ?

 なぜ、高雄の父まで、騙す必要があるのだろうか?

 高雄の父を救うため?

 ひょっとして、高雄組組長を救うため?

 私は、思った…

 さっき、稲葉五郎は、高雄の父は、不器用だと言った…

 ということは、もしかしたら、稲葉五郎と、大場代議士のお芝居に気付いていない可能性も高い…

 高雄の父は、長身で、スマートで、こう言っては、なんだが、眼前の見るからにヤクザの稲葉五郎と比べて、洗練されている…

 知的ですら、ある…

 スーツを着た姿は、誰が見ても、お堅い銀行員や、エリートサラリーマンそのものだ…

 だが、不器用…

 稲葉五郎は、そう断言した…

 その評価に、ウソはあるまい…

 と、なると、やはり、人間はつくづく見た目じゃないないなと、考えさせる…

 その、わかりやすい事例だ(笑)…

 「…兄貴は、不器用だが、当然のことながら、バカじゃない…」

 稲葉五郎が、私に言うと言うより、自分自身を納得させるように、言う。

 「…誰よりも、頭が切れる…当たり前だが、山田会での自分の立ち位置は、重々承知のはずだ…」

 吐き出すように、言う。

 「…それでも、あの松尾のオジキとつるんだのには、なにか、ある…もしかしたら、悠(ゆう)が一枚噛んでいるのかも?…」

 「…悠(ゆう)さんが?…」

 「…兄貴は、悠(ゆう)のこととなると、平常心じゃいられなくなる…それほど、悠(ゆう)を溺愛している…」

 「…溺愛?…」

 「…さっきも言ったが、胡散(うさん)臭い噂のある、杉崎実業を買収したのも、悠(ゆう)のためだ…変な例えだが、子供がおもちゃを欲しがるのと同じように、悠(ゆう)に杉崎実業を買い与えたようなものだ…おそらく兄貴は、胡散(うさん)臭い噂の尽きない杉崎実業でも、高雄組の力と言うか、山田会の力で、押し切るつもりだったんだろうと思う…投資に慎重な兄貴にありえない、ミスというか…普段の兄貴なら、絶対やらない行動だ…」

 稲葉五郎が激白する。

 たしかに、稲葉五郎の言う通りだろう…

 稲葉五郎の言う通り、高雄の父が切れ者ならば、ありえない判断だからだ…

 だが、それほど、悠(ゆう)への愛情で、判断が狂うのだろうか?

 私は、不思議に思った…

 私は、まだ大学生で、当然のことながら、結婚はしていないし、子供もいない…

 だが、子供がいれば、その子供を愛するあまり、そこまで、判断が鈍くなるのだろうか?

 私は、考える。

 だから、聞いた(笑)…

 「…稲葉さん?…」

 「…なんですか? お嬢?…」

 「…私は、当たり前ですが、子供がいないから、わかりませんが、そんなに、悠(ゆう)さんを溺愛することで、高雄さんのお父様の判断が鈍るものなんでしょうか?…」

 「…判断が鈍る?…」

 「…だって、そうでしょう? 稲葉さんのお話を伺っていると、高雄さんのお父様は、悠(ゆう)さんのために、杉崎実業を買い与えたように、言われます。悠(ゆう)さんを溺愛するあまり、そこまで、判断が狂うんでしょうか?…」

 私の質問に、稲葉五郎は、

 「…」

 と、沈黙した…

 しばらく、ジッと押し黙った…

 30秒…

 いや、

 それ以上、経っただろうか?

 「…オレにはわからない…」

 と、稲葉五郎が、戸惑うように、言った…

 絞り出すように、言った…

 「…お嬢には、さっきも言ったように、オレにも、子供はいない…だから、兄貴が正直、なにを考えてるのか、わからない…ただ…」

 そこで、いったん、言葉を止めた…

 私は、

 「…」

 と、無言で、稲葉五郎の次の言葉を待った…

 すると、まもなく、

 「…ただ、兄貴に限らず、親というものは、どうしても、子供に甘くなる…だから、真っ当な判断ができなくなる…」

 稲葉五郎が、苦笑した…

 「…オレと同じ世代で言えば、長嶋一茂が、その代表だ…」

 「…どういう意味ですか?…」

 「…お嬢もテレビで、長嶋一茂を知ってるでしょ?…」

 「…ハイ…知ってます…」

 「…長嶋一茂のオヤジは、あの長嶋茂雄だ…プロ野球史上、最大のスターだ…だから、こう言っちゃなんだが、息子の一茂が、プロに入っても、自分のようには、活躍できないことは、重々承知のはずだったろう…それが息子をプロに入れるなんて…お嬢は、まだ生まれてないから、知らないでしょうが、一茂は、親父と比べられて、さんざんマスコミに叩かれた…最初から、親父が、オマエじゃプロは無理だから、止めとけって一言いえば、良かったんじゃないかって、思う…でも、それができないっていうか…たぶん、自分の息子だから、親の欲目で、冷静に、息子の能力を判断できなかったんだと思う…」

 私は、稲葉五郎の話を聞いて、以前、父から、同じことを聞いたことを思い出した…

 コメンテーターとして、長嶋一茂がテレビに出ているのを見て、同じことを言ったのだ…

 誰もが、思うことは、同じだ…

 誰もが、自分の肉親だと、冷静に、能力を判断できないのかもしれない…

 私情が入って、判断が鈍るのだろう…

 私は、思った…

 「…高雄の兄貴がなにを考えてるのか、オレには、わからない…」

 そう、呟きながら、眼前の稲葉五郎は、何度も、首をひねった…

                

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