第130話
文字数 6,168文字
あの渡辺えりに似た町中華の女将さんならば、今回の事件の裏を色々知っているに違いない…
そう考えると、居ても立っても居られなくなった…
全身の毛が逆立つといえば、大げさだが、身体中の血が騒ぐというか…
とにかく内実を知りたくなった…
私は、コンビニで、バイトに精を出しながら、そのことに気付くと、文字通り、心、ここにあらずと言った状況になった…
すると、そんな私の状態に、葉山が気付いたのだろう…
「…竹下さん…仕事中は、仕事に集中すること…」
と、いきなり、私に忠告した…
「…そうでないと、下手をすると、大けがをするよ…」
「…大けが?…」
「…竹下さんは、このバイトが長いから、どうしても、注意力が散漫になるというか…誰もが、初めは、緊張するが、じきになれてくると、油断する…いい例が、交通事故だ…免許取りたての人間より、免許を取って、2、3年目の人間の方が、事故を起こしやすい…それと同じだ…」
…うまいことを言う…
私は、思った…
葉山は、私が、考え事をして、心ここにあらずと言った様子が、手に取るように、わかるのだろう…
今さらながら、気付いた…
だったら、どうだ?
この葉山は、町中華の女将さんではないが、なにか、知っているのかもしれない…
私は、思った…
葉山の正体が、なんなのかは、わからないが、どう考えても、ただ者ではない…
謎がある…
だから、わざと、
「…店長は、この後、どうなると、思いますか?…」
と、聞いた…
「…この後って?…」
「…高雄組の組長が、拳銃自殺した件です…」
「…ああ、あれね…」
葉山が、軽く言った…
「…とりあえず、まとまると思うよ…」
「…どうして、そう思うんですか?…」
「…あの山田会っていうのは、武闘派の稲葉さんと、経済ヤクザの高雄さんを中心に成り立っていたんだ…だから、一方の高雄さんが、自殺して、いなくなると、核というか、稲葉さんに対抗できる人間が、誰もいなくなる…高雄さんと同じ経済ヤクザの一派が、高雄さんを推していたんだろうけど、その高雄さんが、いない今、とても、稲葉さんを中心とする一派に対抗できない…だから、これまで、高雄さんを推していた一派は、稲葉さんに屈して、山田会に残るか、それとも、山田会を出るかの選択になるけど、とてもじゃないが、割って出て、いけるほど、力のある組はない…だから、残るしかない…」
葉山が説明する。
その説明は、私を十分、納得させるものだった…
「…だから、こんなことをいうと、アレだけど、自殺した高雄さんは、その状況を誰よりもわかっていたと思うよ…変な話、自分さえいなくなれば、山田会はまとまるっていう状況を…」
「…」
「…これは、稲葉さんが、悪いってわけでもなく、高雄さんが、悪いって、話でもない…誰が悪いって話じゃなく、二人が、抜きん出ていたんだ…だから、一方が、いなくなれば、核が一つしかなくなるから、それを中心にまとまるしかない…」
「…それって、もしかして…だったら、高雄さんじゃなく、稲葉さんがいなくなっても、高雄さんで、山田会はまとまったんですか?…」
「…それは、どうかな?…」
葉山が、疑問を呈した…
「…どうして、高雄さんでは、ダメなんですか?…」
「…高雄さんは、経済ヤクザだから、抗争に弱い…いくら、金を持っていても、ヤクザは基本、抗争に強くないと、ダメだ…だから、高雄さんでは、ムリなんじゃないかな…」
葉山が言う…
…たしかに、葉山の言うことは、わかる…
よく、わかる…
でも、それじゃ…最初から、どうあがいても、高雄組組長は、稲葉五郎に勝てないことは、わかっていたのだろう…
だったら、なんで、高雄組組長は、稲葉五郎に対抗して、山田会の会長を狙っていたんだろう…
最初から、勝てないことが、わかっているのに、どうして、稲葉五郎に対抗しようとしたんだろう…
私は、考える…
そう思ったときに、
「…きっと、高雄さんは、みんなに推されて、断れなかったんじゃないかな…」
「…みんなに推されて?…」
「…稲葉さんのやり方に気に入らない人間は、どうしても、稲葉さんに対抗できる人間を担ぐというか…実力が、近い人間を担いで、稲葉さんに、対抗しようとする…それが、山田会では、高雄さんしか、いなかったということだろう…昔、豊臣秀吉が死ぬと、徳川家康が幅を利かせたというか…すると、家康を嫌いな人間は、皆、家康の次に、実力がある前田利家を頼った…それと同じさ…でも、家康と利家には、明確な力の差があった…家康は、250万石の大大名だったが、利家は、90万石だった…つまり、稲葉さんと高雄さんと同じというか…しかも、利家は、高雄さんと同じく、まもなく亡くなった…だから、誰一人、家康に対抗できる人間がいなくなったのさ…」
葉山が淡々と説明する…
「…だから、こう言っちゃ、高雄さんには、失礼だけど、最初から、高雄さんに、勝ち目はなかったと思うし…それは、高雄さん自身も、わかっていたんじゃないかな…でも、どうしても自分を頼ってくる人間を断りきれないというか…きっと悩んだと思うよ…拳銃自殺したっていうのは、そういう背景もあるんじゃないかな…」
葉山がシミジミと言う。
「…人間誰もが、ひとりきりで、生きてるわけじゃない…誰もが生きてゆくなかで、さまざまなしがらみができるというか…負けるとわかっていても、断れないこともあるし、それで、高雄さんも、悩んだんじゃないかな…」
「…」
「…それに、おそらく、高雄さんは、落としどころというか、妥協点を見つけられなかったんだと思う…」
「…妥協点…」
「…ほら、八方丸く収まるって言葉が、あるでしょ? …誰もが、納得する解決法…それが見つからなかったんじゃないかな…」
「…」
「…高雄さんは、稲葉さんと個人的に仲がいいって言われたし…本当は、互いに争いたくなかったと思うよ…でも、周囲の自分を推す勢力もあって、互いに、引くに引けなくなった…それで、結局…」
葉山が言う…
「…冥福を祈るよ…」
そう言って、葉山は、私の元から去った…
私は、考えた…
葉山の言うことは、十分納得できる…
だが、本当にそれだけだろうか?
考えた…
葉山の言うことは、筋が通っている…
が、
もしかしたら、今、葉山の言ったこととは、別に、誰かが、高雄組組長に、山田会会長の座を狙うように、強引に誘ったとしたら?
そんな可能性はないか?
ふと、気付いた…
そして、もし、そんな人物がいるとしたら?
それは、やはり、一人だけ…
高雄組組長に、そんなアドバイスを与えることのできる人間と言えば、たった一人だけ…
高雄悠(ゆう)に刺された、大場小太郎しかいない…
次期総理総裁候補の大場小太郎代議士しかいない…
そして、もし、それが、すべて、高雄組組長を破滅させる罠だとしたら?
高雄組組長を破滅させる目的で、大場小太郎が最初から、この計画を目論んでいたとしたら?
それを知った、高雄悠(ゆう)は、激怒して、大場代議士を刺した可能性がある…
なにより、稲葉五郎自身、その可能性に言及した…
大場小太郎の目的は、山田会の弱体化と、解散だと…
「…兄貴…そんなことも、見抜けねえのか?…」
と、高雄組組長に訴えていた…
だが、それも、もしかしたら、織り込み済みで、高雄組組長にとって、引くに引けない状態だったのかもしれない…
今さらながら、思った…
現実に、大場代議士が国会で、音頭を取ったからこそ、高雄組は、杉崎実業の株を、政府に40億円で、買わせることができた…
本当ならば、高雄組は、杉崎実業の株を買い占めるのに、100億円以上、投資したと、高雄組組長は、私に言った…
40億円は、その三分の一にも満たないと言った…
しかしながら、杉崎実業の株は、中国への製品の不正輸出が、世間に露見してから、紙屑ほどの価値になった…
つまり、限りなく、価値がなくなった…
現時点での価値で言えば、40億円はとてつもなく、高値…
1億いくか、どうかの価値と言われた…
それが、40億円戻ってくることになった…
これは、間違いなく、高値…
とんでもない高値だ…
だから、この点には、感謝するしかない…
だが、最初から、高雄組組長をハメる目的でいたとしたら、到底、許せることではない…
つまり、大場小太郎にとって、高雄組組長の扱いは、あくまで、高雄組の力を削ぐことであって、組の消滅ではない…
あくまで、高雄組の力を弱めることであって、それ以上ではなかったということだ…
そして、それ以上、やれば、間違いなく、大場小太郎自身も高雄組に命を狙われたに違いない…
だから、微妙な落としどころというか…
ここまで、やっていいという限度だったに違いない…
私は、思った…
そして、その日は、何事もなく終わった…
私は、心を入れ替え、葉山の言う通り、仕事に集中した…
そうしないと、やはりケガをするかも? と、思ったのだ…
私は、そもそも器用な人間ではない…
はっきり言って不器用で、トロい…
そんなトロい私が、ほかに考え事をして、仕事をすることが、そもそもの間違い…
下手をすれば、商品を傷つけたり、自分自身が、ケガをする危険に、あらためて、気付いた…
結局、その日は、葉山と話をしただけで、終わった…
ただ、葉山と話をすることで、以前よりは、高雄組組長の死の原因について、色々な可能性があることがわかった…
三人寄れば文殊の知恵ということわざがあるが、一人より二人、
二人よりも、三人の方が、色々な意見が出る…
自分一人では、思いもつかなかった意見が出ることがある…
これが、最大の強みだろう…
自分一人では、どうしても限界がある…
同じ意見しか、出ないからだ…
私は、高雄組組長の死について、さまざまな可能性を考えたが、それも限界があった…
ネットでも、さまざまな意見を見たが、葉山の意見は、ネットにもないものだった…
その点、役に立った…
一体、葉山は何者なんだろう? とも、思った…
もう何度考えたか、わからないが、葉山の正体について、考えた…
そして、その日は、夜も更けて、終わった…
週末…
私は、当初の目的通り、あの町中華の女将さんに会うべく、電車を乗り継いで、店に向かった…
駅を降りてから、記憶を頼りに、店に向かう…
この通りを歩くのは、もう何度目だろう?
考えた…
私の記憶では、3度目…
いや、
4度目だろうか?
考える…
一度目は、大場に連れられて、訪れた…
二度目は、自分ひとりで、訪れた…
そして、3度目は、前回、稲葉五郎を、あの女将さんが、呼び出して、
「…五郎…ホントは、アンタ、何者だい?…」
と、訊いた…
あの緊迫した場面だった…
だから、今日、ここを歩いて、やって来たのは、4度目だった…
私は、それを思い出した…
そして、それを思い出しながら、歩いて、店の前に立った…
が、
店は閉じられていた…
看板はあるが、店は閉まっている…
…しばらく、都合により、休業します…
と言う、手書きの張り紙だけがあった…
私は、それを見て、驚いた…
ビックリした…
が、それ以上に、落胆した…
あの町中華の女将さんだけが、私の希望だったのに…
私は、その場で、地団駄を踏んで、悔しがった…
と、言いたいところだが、さすがに、それは、しなかった…
ただ、心の中では、文字通り、地団駄を踏んで、悔しがった…
ただ一人の知恵袋というか…
今回の一件に対して、有意義な意見をくれる可能性の高い、あの町中華の女将さんが、いないなんて…
と、
そこまで、考えて、気付いた…
これは、偶然?
これは、本当に、偶然なのだろうか?
偶然、店を閉めたに過ぎないのだろうか?
気付いた…
…どう考えても、偶然ではない!…
私は、思った…
偶然、店を閉めたとは、とても、思えない…
店を閉めるのは、おそらく身を隠すため…
誰かから、身を隠すためだ…
とっさに、気付いた…
おそらく、女将さんは、身の危険を感じたに違いない…
だとすると、一体、女将さんを、脅かす存在は、誰なのか?
考えた…
女将さんの敵とは、一体、誰なのか?
考えた…
稲葉五郎?
真っ先に、その名前が、脳裏に浮かんだ…
稲葉五郎、次期山田会会長…
たしかに、稲葉五郎に、目の敵にされれば、あの町中華の女将さんは、生きてはゆけないだろう…
だが、
本当にそうか?
稲葉五郎が、あの女優の渡辺えりに似た女将さんを、目の敵にするか?
稲葉五郎と、あの渡辺えりに似た女将さんは、肝胆相照らす仲というか…
非常に仲が良かった…
稲葉五郎と、亡くなった高雄組組長は、互いに、
「…兄貴…兄貴…」
とか、
「…五郎…五郎…」
と、呼び捨てにして、仲が良かったが、それは、文字通り、兄弟の仲というか…
たしかに、仲が良いが、明らかに、一線を引いていた…
互いに、兄、弟という、立場と言うか、身分というか、その違いが、明確にあった…
しかし、あの渡辺えりに似た、女将さんと、稲葉五郎の間には、そんな身分の違いというか、立場の違いはなかった…
女将さんは、私と初対面の場面で、稲葉五郎が、
「…オバサン…」
と、呼ぶと、
女将さんが、
「…お姉さんだろう? いくつ、違うと思ってるんだい!…」
と、構わず、稲葉五郎に、言い返すほど、仲が良かった…
これは、誰の目にも、明らかだった…
だから、仮に、稲葉五郎が、あの女将さんの命を狙うとか?
そんな事態は、まったく考えられない…
想像ができない…
なにより、この店と、あの稲葉五郎のいる、稲葉一家の事務所とは、目と鼻の先…
距離にして、数分だ…
だから、稲葉五郎が、気軽に、この店に、やって来て、いたんだ…
そんな仲というか、距離感の、女将さんを稲葉五郎が、どうこうしようとか、まったく考えられない…
また、そんなことをすれば、普段の稲葉五郎と、女将さんの仲を知る、関係者からは、警察が、真っ先に、稲葉五郎を疑うに決まっている…
私は、そう思った…
だから、稲葉五郎を恐れて、女将さんが、店を閉めたとは、思えない…
だとしたら、一体、女将さんは、誰を恐れて?
私が思いつく人間といえば、あとは、今、入院中の、大場小太郎ぐらいだ…
高雄悠(ゆう)に刺されて、入院中の、大場小太郎代議士ぐらいだ…
しかし、大場小太郎代議士は、入院中…
意識があるかどうかも、わからない…
そんな状態の大場代議士が、まさか、病床で、あの町中華の女将さんを、どうこうしろ、と指示は出せないに違いない…
だとすれば、一体誰が、いるのか?
女将さんが、恐れる人間は、一体誰なのか?
考えた…
しばらく、店の前に立って、考え続けた…
すると、突然、
「…あの…」
と、遠慮がちの声がした…
「…あの…竹下のお嬢じゃ…」
その言葉で、私は、声をする方を振り返った…
そこには、若い男が立っていた…
私と同世代…
同じ二十代前半…
大きなカラダ…
私は、その男の顔に見覚えがあった…
その男は、稲葉五郎の若い衆というか、側近の戸田だった…
そう考えると、居ても立っても居られなくなった…
全身の毛が逆立つといえば、大げさだが、身体中の血が騒ぐというか…
とにかく内実を知りたくなった…
私は、コンビニで、バイトに精を出しながら、そのことに気付くと、文字通り、心、ここにあらずと言った状況になった…
すると、そんな私の状態に、葉山が気付いたのだろう…
「…竹下さん…仕事中は、仕事に集中すること…」
と、いきなり、私に忠告した…
「…そうでないと、下手をすると、大けがをするよ…」
「…大けが?…」
「…竹下さんは、このバイトが長いから、どうしても、注意力が散漫になるというか…誰もが、初めは、緊張するが、じきになれてくると、油断する…いい例が、交通事故だ…免許取りたての人間より、免許を取って、2、3年目の人間の方が、事故を起こしやすい…それと同じだ…」
…うまいことを言う…
私は、思った…
葉山は、私が、考え事をして、心ここにあらずと言った様子が、手に取るように、わかるのだろう…
今さらながら、気付いた…
だったら、どうだ?
この葉山は、町中華の女将さんではないが、なにか、知っているのかもしれない…
私は、思った…
葉山の正体が、なんなのかは、わからないが、どう考えても、ただ者ではない…
謎がある…
だから、わざと、
「…店長は、この後、どうなると、思いますか?…」
と、聞いた…
「…この後って?…」
「…高雄組の組長が、拳銃自殺した件です…」
「…ああ、あれね…」
葉山が、軽く言った…
「…とりあえず、まとまると思うよ…」
「…どうして、そう思うんですか?…」
「…あの山田会っていうのは、武闘派の稲葉さんと、経済ヤクザの高雄さんを中心に成り立っていたんだ…だから、一方の高雄さんが、自殺して、いなくなると、核というか、稲葉さんに対抗できる人間が、誰もいなくなる…高雄さんと同じ経済ヤクザの一派が、高雄さんを推していたんだろうけど、その高雄さんが、いない今、とても、稲葉さんを中心とする一派に対抗できない…だから、これまで、高雄さんを推していた一派は、稲葉さんに屈して、山田会に残るか、それとも、山田会を出るかの選択になるけど、とてもじゃないが、割って出て、いけるほど、力のある組はない…だから、残るしかない…」
葉山が説明する。
その説明は、私を十分、納得させるものだった…
「…だから、こんなことをいうと、アレだけど、自殺した高雄さんは、その状況を誰よりもわかっていたと思うよ…変な話、自分さえいなくなれば、山田会はまとまるっていう状況を…」
「…」
「…これは、稲葉さんが、悪いってわけでもなく、高雄さんが、悪いって、話でもない…誰が悪いって話じゃなく、二人が、抜きん出ていたんだ…だから、一方が、いなくなれば、核が一つしかなくなるから、それを中心にまとまるしかない…」
「…それって、もしかして…だったら、高雄さんじゃなく、稲葉さんがいなくなっても、高雄さんで、山田会はまとまったんですか?…」
「…それは、どうかな?…」
葉山が、疑問を呈した…
「…どうして、高雄さんでは、ダメなんですか?…」
「…高雄さんは、経済ヤクザだから、抗争に弱い…いくら、金を持っていても、ヤクザは基本、抗争に強くないと、ダメだ…だから、高雄さんでは、ムリなんじゃないかな…」
葉山が言う…
…たしかに、葉山の言うことは、わかる…
よく、わかる…
でも、それじゃ…最初から、どうあがいても、高雄組組長は、稲葉五郎に勝てないことは、わかっていたのだろう…
だったら、なんで、高雄組組長は、稲葉五郎に対抗して、山田会の会長を狙っていたんだろう…
最初から、勝てないことが、わかっているのに、どうして、稲葉五郎に対抗しようとしたんだろう…
私は、考える…
そう思ったときに、
「…きっと、高雄さんは、みんなに推されて、断れなかったんじゃないかな…」
「…みんなに推されて?…」
「…稲葉さんのやり方に気に入らない人間は、どうしても、稲葉さんに対抗できる人間を担ぐというか…実力が、近い人間を担いで、稲葉さんに、対抗しようとする…それが、山田会では、高雄さんしか、いなかったということだろう…昔、豊臣秀吉が死ぬと、徳川家康が幅を利かせたというか…すると、家康を嫌いな人間は、皆、家康の次に、実力がある前田利家を頼った…それと同じさ…でも、家康と利家には、明確な力の差があった…家康は、250万石の大大名だったが、利家は、90万石だった…つまり、稲葉さんと高雄さんと同じというか…しかも、利家は、高雄さんと同じく、まもなく亡くなった…だから、誰一人、家康に対抗できる人間がいなくなったのさ…」
葉山が淡々と説明する…
「…だから、こう言っちゃ、高雄さんには、失礼だけど、最初から、高雄さんに、勝ち目はなかったと思うし…それは、高雄さん自身も、わかっていたんじゃないかな…でも、どうしても自分を頼ってくる人間を断りきれないというか…きっと悩んだと思うよ…拳銃自殺したっていうのは、そういう背景もあるんじゃないかな…」
葉山がシミジミと言う。
「…人間誰もが、ひとりきりで、生きてるわけじゃない…誰もが生きてゆくなかで、さまざまなしがらみができるというか…負けるとわかっていても、断れないこともあるし、それで、高雄さんも、悩んだんじゃないかな…」
「…」
「…それに、おそらく、高雄さんは、落としどころというか、妥協点を見つけられなかったんだと思う…」
「…妥協点…」
「…ほら、八方丸く収まるって言葉が、あるでしょ? …誰もが、納得する解決法…それが見つからなかったんじゃないかな…」
「…」
「…高雄さんは、稲葉さんと個人的に仲がいいって言われたし…本当は、互いに争いたくなかったと思うよ…でも、周囲の自分を推す勢力もあって、互いに、引くに引けなくなった…それで、結局…」
葉山が言う…
「…冥福を祈るよ…」
そう言って、葉山は、私の元から去った…
私は、考えた…
葉山の言うことは、十分納得できる…
だが、本当にそれだけだろうか?
考えた…
葉山の言うことは、筋が通っている…
が、
もしかしたら、今、葉山の言ったこととは、別に、誰かが、高雄組組長に、山田会会長の座を狙うように、強引に誘ったとしたら?
そんな可能性はないか?
ふと、気付いた…
そして、もし、そんな人物がいるとしたら?
それは、やはり、一人だけ…
高雄組組長に、そんなアドバイスを与えることのできる人間と言えば、たった一人だけ…
高雄悠(ゆう)に刺された、大場小太郎しかいない…
次期総理総裁候補の大場小太郎代議士しかいない…
そして、もし、それが、すべて、高雄組組長を破滅させる罠だとしたら?
高雄組組長を破滅させる目的で、大場小太郎が最初から、この計画を目論んでいたとしたら?
それを知った、高雄悠(ゆう)は、激怒して、大場代議士を刺した可能性がある…
なにより、稲葉五郎自身、その可能性に言及した…
大場小太郎の目的は、山田会の弱体化と、解散だと…
「…兄貴…そんなことも、見抜けねえのか?…」
と、高雄組組長に訴えていた…
だが、それも、もしかしたら、織り込み済みで、高雄組組長にとって、引くに引けない状態だったのかもしれない…
今さらながら、思った…
現実に、大場代議士が国会で、音頭を取ったからこそ、高雄組は、杉崎実業の株を、政府に40億円で、買わせることができた…
本当ならば、高雄組は、杉崎実業の株を買い占めるのに、100億円以上、投資したと、高雄組組長は、私に言った…
40億円は、その三分の一にも満たないと言った…
しかしながら、杉崎実業の株は、中国への製品の不正輸出が、世間に露見してから、紙屑ほどの価値になった…
つまり、限りなく、価値がなくなった…
現時点での価値で言えば、40億円はとてつもなく、高値…
1億いくか、どうかの価値と言われた…
それが、40億円戻ってくることになった…
これは、間違いなく、高値…
とんでもない高値だ…
だから、この点には、感謝するしかない…
だが、最初から、高雄組組長をハメる目的でいたとしたら、到底、許せることではない…
つまり、大場小太郎にとって、高雄組組長の扱いは、あくまで、高雄組の力を削ぐことであって、組の消滅ではない…
あくまで、高雄組の力を弱めることであって、それ以上ではなかったということだ…
そして、それ以上、やれば、間違いなく、大場小太郎自身も高雄組に命を狙われたに違いない…
だから、微妙な落としどころというか…
ここまで、やっていいという限度だったに違いない…
私は、思った…
そして、その日は、何事もなく終わった…
私は、心を入れ替え、葉山の言う通り、仕事に集中した…
そうしないと、やはりケガをするかも? と、思ったのだ…
私は、そもそも器用な人間ではない…
はっきり言って不器用で、トロい…
そんなトロい私が、ほかに考え事をして、仕事をすることが、そもそもの間違い…
下手をすれば、商品を傷つけたり、自分自身が、ケガをする危険に、あらためて、気付いた…
結局、その日は、葉山と話をしただけで、終わった…
ただ、葉山と話をすることで、以前よりは、高雄組組長の死の原因について、色々な可能性があることがわかった…
三人寄れば文殊の知恵ということわざがあるが、一人より二人、
二人よりも、三人の方が、色々な意見が出る…
自分一人では、思いもつかなかった意見が出ることがある…
これが、最大の強みだろう…
自分一人では、どうしても限界がある…
同じ意見しか、出ないからだ…
私は、高雄組組長の死について、さまざまな可能性を考えたが、それも限界があった…
ネットでも、さまざまな意見を見たが、葉山の意見は、ネットにもないものだった…
その点、役に立った…
一体、葉山は何者なんだろう? とも、思った…
もう何度考えたか、わからないが、葉山の正体について、考えた…
そして、その日は、夜も更けて、終わった…
週末…
私は、当初の目的通り、あの町中華の女将さんに会うべく、電車を乗り継いで、店に向かった…
駅を降りてから、記憶を頼りに、店に向かう…
この通りを歩くのは、もう何度目だろう?
考えた…
私の記憶では、3度目…
いや、
4度目だろうか?
考える…
一度目は、大場に連れられて、訪れた…
二度目は、自分ひとりで、訪れた…
そして、3度目は、前回、稲葉五郎を、あの女将さんが、呼び出して、
「…五郎…ホントは、アンタ、何者だい?…」
と、訊いた…
あの緊迫した場面だった…
だから、今日、ここを歩いて、やって来たのは、4度目だった…
私は、それを思い出した…
そして、それを思い出しながら、歩いて、店の前に立った…
が、
店は閉じられていた…
看板はあるが、店は閉まっている…
…しばらく、都合により、休業します…
と言う、手書きの張り紙だけがあった…
私は、それを見て、驚いた…
ビックリした…
が、それ以上に、落胆した…
あの町中華の女将さんだけが、私の希望だったのに…
私は、その場で、地団駄を踏んで、悔しがった…
と、言いたいところだが、さすがに、それは、しなかった…
ただ、心の中では、文字通り、地団駄を踏んで、悔しがった…
ただ一人の知恵袋というか…
今回の一件に対して、有意義な意見をくれる可能性の高い、あの町中華の女将さんが、いないなんて…
と、
そこまで、考えて、気付いた…
これは、偶然?
これは、本当に、偶然なのだろうか?
偶然、店を閉めたに過ぎないのだろうか?
気付いた…
…どう考えても、偶然ではない!…
私は、思った…
偶然、店を閉めたとは、とても、思えない…
店を閉めるのは、おそらく身を隠すため…
誰かから、身を隠すためだ…
とっさに、気付いた…
おそらく、女将さんは、身の危険を感じたに違いない…
だとすると、一体、女将さんを、脅かす存在は、誰なのか?
考えた…
女将さんの敵とは、一体、誰なのか?
考えた…
稲葉五郎?
真っ先に、その名前が、脳裏に浮かんだ…
稲葉五郎、次期山田会会長…
たしかに、稲葉五郎に、目の敵にされれば、あの町中華の女将さんは、生きてはゆけないだろう…
だが、
本当にそうか?
稲葉五郎が、あの女優の渡辺えりに似た女将さんを、目の敵にするか?
稲葉五郎と、あの渡辺えりに似た女将さんは、肝胆相照らす仲というか…
非常に仲が良かった…
稲葉五郎と、亡くなった高雄組組長は、互いに、
「…兄貴…兄貴…」
とか、
「…五郎…五郎…」
と、呼び捨てにして、仲が良かったが、それは、文字通り、兄弟の仲というか…
たしかに、仲が良いが、明らかに、一線を引いていた…
互いに、兄、弟という、立場と言うか、身分というか、その違いが、明確にあった…
しかし、あの渡辺えりに似た、女将さんと、稲葉五郎の間には、そんな身分の違いというか、立場の違いはなかった…
女将さんは、私と初対面の場面で、稲葉五郎が、
「…オバサン…」
と、呼ぶと、
女将さんが、
「…お姉さんだろう? いくつ、違うと思ってるんだい!…」
と、構わず、稲葉五郎に、言い返すほど、仲が良かった…
これは、誰の目にも、明らかだった…
だから、仮に、稲葉五郎が、あの女将さんの命を狙うとか?
そんな事態は、まったく考えられない…
想像ができない…
なにより、この店と、あの稲葉五郎のいる、稲葉一家の事務所とは、目と鼻の先…
距離にして、数分だ…
だから、稲葉五郎が、気軽に、この店に、やって来て、いたんだ…
そんな仲というか、距離感の、女将さんを稲葉五郎が、どうこうしようとか、まったく考えられない…
また、そんなことをすれば、普段の稲葉五郎と、女将さんの仲を知る、関係者からは、警察が、真っ先に、稲葉五郎を疑うに決まっている…
私は、そう思った…
だから、稲葉五郎を恐れて、女将さんが、店を閉めたとは、思えない…
だとしたら、一体、女将さんは、誰を恐れて?
私が思いつく人間といえば、あとは、今、入院中の、大場小太郎ぐらいだ…
高雄悠(ゆう)に刺されて、入院中の、大場小太郎代議士ぐらいだ…
しかし、大場小太郎代議士は、入院中…
意識があるかどうかも、わからない…
そんな状態の大場代議士が、まさか、病床で、あの町中華の女将さんを、どうこうしろ、と指示は出せないに違いない…
だとすれば、一体誰が、いるのか?
女将さんが、恐れる人間は、一体誰なのか?
考えた…
しばらく、店の前に立って、考え続けた…
すると、突然、
「…あの…」
と、遠慮がちの声がした…
「…あの…竹下のお嬢じゃ…」
その言葉で、私は、声をする方を振り返った…
そこには、若い男が立っていた…
私と同世代…
同じ二十代前半…
大きなカラダ…
私は、その男の顔に見覚えがあった…
その男は、稲葉五郎の若い衆というか、側近の戸田だった…