第130話

文字数 6,168文字

 あの渡辺えりに似た町中華の女将さんならば、今回の事件の裏を色々知っているに違いない…

 そう考えると、居ても立っても居られなくなった…

 全身の毛が逆立つといえば、大げさだが、身体中の血が騒ぐというか…

 とにかく内実を知りたくなった…

 私は、コンビニで、バイトに精を出しながら、そのことに気付くと、文字通り、心、ここにあらずと言った状況になった…

 すると、そんな私の状態に、葉山が気付いたのだろう…

 「…竹下さん…仕事中は、仕事に集中すること…」

 と、いきなり、私に忠告した…

 「…そうでないと、下手をすると、大けがをするよ…」

 「…大けが?…」

 「…竹下さんは、このバイトが長いから、どうしても、注意力が散漫になるというか…誰もが、初めは、緊張するが、じきになれてくると、油断する…いい例が、交通事故だ…免許取りたての人間より、免許を取って、2、3年目の人間の方が、事故を起こしやすい…それと同じだ…」

 …うまいことを言う…

 私は、思った…

 葉山は、私が、考え事をして、心ここにあらずと言った様子が、手に取るように、わかるのだろう…

 今さらながら、気付いた…

 だったら、どうだ?

 この葉山は、町中華の女将さんではないが、なにか、知っているのかもしれない…

 私は、思った…

 葉山の正体が、なんなのかは、わからないが、どう考えても、ただ者ではない…

 謎がある…

 だから、わざと、

 「…店長は、この後、どうなると、思いますか?…」

 と、聞いた…

 「…この後って?…」

 「…高雄組の組長が、拳銃自殺した件です…」

 「…ああ、あれね…」

 葉山が、軽く言った…

 「…とりあえず、まとまると思うよ…」

 「…どうして、そう思うんですか?…」

 「…あの山田会っていうのは、武闘派の稲葉さんと、経済ヤクザの高雄さんを中心に成り立っていたんだ…だから、一方の高雄さんが、自殺して、いなくなると、核というか、稲葉さんに対抗できる人間が、誰もいなくなる…高雄さんと同じ経済ヤクザの一派が、高雄さんを推していたんだろうけど、その高雄さんが、いない今、とても、稲葉さんを中心とする一派に対抗できない…だから、これまで、高雄さんを推していた一派は、稲葉さんに屈して、山田会に残るか、それとも、山田会を出るかの選択になるけど、とてもじゃないが、割って出て、いけるほど、力のある組はない…だから、残るしかない…」

 葉山が説明する。

 その説明は、私を十分、納得させるものだった…

 「…だから、こんなことをいうと、アレだけど、自殺した高雄さんは、その状況を誰よりもわかっていたと思うよ…変な話、自分さえいなくなれば、山田会はまとまるっていう状況を…」

 「…」

 「…これは、稲葉さんが、悪いってわけでもなく、高雄さんが、悪いって、話でもない…誰が悪いって話じゃなく、二人が、抜きん出ていたんだ…だから、一方が、いなくなれば、核が一つしかなくなるから、それを中心にまとまるしかない…」

 「…それって、もしかして…だったら、高雄さんじゃなく、稲葉さんがいなくなっても、高雄さんで、山田会はまとまったんですか?…」

 「…それは、どうかな?…」

 葉山が、疑問を呈した…

 「…どうして、高雄さんでは、ダメなんですか?…」

 「…高雄さんは、経済ヤクザだから、抗争に弱い…いくら、金を持っていても、ヤクザは基本、抗争に強くないと、ダメだ…だから、高雄さんでは、ムリなんじゃないかな…」

 葉山が言う…

 …たしかに、葉山の言うことは、わかる…

 よく、わかる…

 でも、それじゃ…最初から、どうあがいても、高雄組組長は、稲葉五郎に勝てないことは、わかっていたのだろう…

 だったら、なんで、高雄組組長は、稲葉五郎に対抗して、山田会の会長を狙っていたんだろう…

 最初から、勝てないことが、わかっているのに、どうして、稲葉五郎に対抗しようとしたんだろう…

 私は、考える…

 そう思ったときに、

 「…きっと、高雄さんは、みんなに推されて、断れなかったんじゃないかな…」

 「…みんなに推されて?…」

 「…稲葉さんのやり方に気に入らない人間は、どうしても、稲葉さんに対抗できる人間を担ぐというか…実力が、近い人間を担いで、稲葉さんに、対抗しようとする…それが、山田会では、高雄さんしか、いなかったということだろう…昔、豊臣秀吉が死ぬと、徳川家康が幅を利かせたというか…すると、家康を嫌いな人間は、皆、家康の次に、実力がある前田利家を頼った…それと同じさ…でも、家康と利家には、明確な力の差があった…家康は、250万石の大大名だったが、利家は、90万石だった…つまり、稲葉さんと高雄さんと同じというか…しかも、利家は、高雄さんと同じく、まもなく亡くなった…だから、誰一人、家康に対抗できる人間がいなくなったのさ…」

 葉山が淡々と説明する…

 「…だから、こう言っちゃ、高雄さんには、失礼だけど、最初から、高雄さんに、勝ち目はなかったと思うし…それは、高雄さん自身も、わかっていたんじゃないかな…でも、どうしても自分を頼ってくる人間を断りきれないというか…きっと悩んだと思うよ…拳銃自殺したっていうのは、そういう背景もあるんじゃないかな…」

 葉山がシミジミと言う。

 「…人間誰もが、ひとりきりで、生きてるわけじゃない…誰もが生きてゆくなかで、さまざまなしがらみができるというか…負けるとわかっていても、断れないこともあるし、それで、高雄さんも、悩んだんじゃないかな…」

 「…」

 「…それに、おそらく、高雄さんは、落としどころというか、妥協点を見つけられなかったんだと思う…」

 「…妥協点…」

 「…ほら、八方丸く収まるって言葉が、あるでしょ? …誰もが、納得する解決法…それが見つからなかったんじゃないかな…」

 「…」

 「…高雄さんは、稲葉さんと個人的に仲がいいって言われたし…本当は、互いに争いたくなかったと思うよ…でも、周囲の自分を推す勢力もあって、互いに、引くに引けなくなった…それで、結局…」

 葉山が言う…

 「…冥福を祈るよ…」

 そう言って、葉山は、私の元から去った…

 私は、考えた…

 葉山の言うことは、十分納得できる…

 だが、本当にそれだけだろうか?

 考えた…

 葉山の言うことは、筋が通っている…

 が、

 もしかしたら、今、葉山の言ったこととは、別に、誰かが、高雄組組長に、山田会会長の座を狙うように、強引に誘ったとしたら?

 そんな可能性はないか?

 ふと、気付いた…

 そして、もし、そんな人物がいるとしたら?

 それは、やはり、一人だけ…

 高雄組組長に、そんなアドバイスを与えることのできる人間と言えば、たった一人だけ…

 高雄悠(ゆう)に刺された、大場小太郎しかいない…

 次期総理総裁候補の大場小太郎代議士しかいない…

 そして、もし、それが、すべて、高雄組組長を破滅させる罠だとしたら?

 高雄組組長を破滅させる目的で、大場小太郎が最初から、この計画を目論んでいたとしたら?

 それを知った、高雄悠(ゆう)は、激怒して、大場代議士を刺した可能性がある…

 なにより、稲葉五郎自身、その可能性に言及した…

 大場小太郎の目的は、山田会の弱体化と、解散だと…

 「…兄貴…そんなことも、見抜けねえのか?…」

 と、高雄組組長に訴えていた…

 だが、それも、もしかしたら、織り込み済みで、高雄組組長にとって、引くに引けない状態だったのかもしれない…

 今さらながら、思った…

 現実に、大場代議士が国会で、音頭を取ったからこそ、高雄組は、杉崎実業の株を、政府に40億円で、買わせることができた…

 本当ならば、高雄組は、杉崎実業の株を買い占めるのに、100億円以上、投資したと、高雄組組長は、私に言った…

 40億円は、その三分の一にも満たないと言った…

 しかしながら、杉崎実業の株は、中国への製品の不正輸出が、世間に露見してから、紙屑ほどの価値になった…

 つまり、限りなく、価値がなくなった…

 現時点での価値で言えば、40億円はとてつもなく、高値…

 1億いくか、どうかの価値と言われた…

 それが、40億円戻ってくることになった…

 これは、間違いなく、高値…

 とんでもない高値だ…

 だから、この点には、感謝するしかない…

 だが、最初から、高雄組組長をハメる目的でいたとしたら、到底、許せることではない…

 つまり、大場小太郎にとって、高雄組組長の扱いは、あくまで、高雄組の力を削ぐことであって、組の消滅ではない…

 あくまで、高雄組の力を弱めることであって、それ以上ではなかったということだ…

 そして、それ以上、やれば、間違いなく、大場小太郎自身も高雄組に命を狙われたに違いない…

 だから、微妙な落としどころというか…

 ここまで、やっていいという限度だったに違いない…

 私は、思った…

 そして、その日は、何事もなく終わった…

 私は、心を入れ替え、葉山の言う通り、仕事に集中した…

 そうしないと、やはりケガをするかも? と、思ったのだ…

 私は、そもそも器用な人間ではない…

 はっきり言って不器用で、トロい…

 そんなトロい私が、ほかに考え事をして、仕事をすることが、そもそもの間違い…

 下手をすれば、商品を傷つけたり、自分自身が、ケガをする危険に、あらためて、気付いた…

 結局、その日は、葉山と話をしただけで、終わった…

 ただ、葉山と話をすることで、以前よりは、高雄組組長の死の原因について、色々な可能性があることがわかった…

 三人寄れば文殊の知恵ということわざがあるが、一人より二人、

 二人よりも、三人の方が、色々な意見が出る…

 自分一人では、思いもつかなかった意見が出ることがある…

 これが、最大の強みだろう…

 自分一人では、どうしても限界がある…

 同じ意見しか、出ないからだ…

 私は、高雄組組長の死について、さまざまな可能性を考えたが、それも限界があった…

 ネットでも、さまざまな意見を見たが、葉山の意見は、ネットにもないものだった…

 その点、役に立った…

 一体、葉山は何者なんだろう? とも、思った…

 もう何度考えたか、わからないが、葉山の正体について、考えた…

 そして、その日は、夜も更けて、終わった…


 週末…

 私は、当初の目的通り、あの町中華の女将さんに会うべく、電車を乗り継いで、店に向かった…

 駅を降りてから、記憶を頼りに、店に向かう…

 この通りを歩くのは、もう何度目だろう?

 考えた…

 私の記憶では、3度目…

 いや、

 4度目だろうか?

 考える…

 一度目は、大場に連れられて、訪れた…

 二度目は、自分ひとりで、訪れた…

 そして、3度目は、前回、稲葉五郎を、あの女将さんが、呼び出して、

 「…五郎…ホントは、アンタ、何者だい?…」

 と、訊いた…

 あの緊迫した場面だった…

 だから、今日、ここを歩いて、やって来たのは、4度目だった…

 私は、それを思い出した…

 そして、それを思い出しながら、歩いて、店の前に立った…

 が、

 店は閉じられていた…

 看板はあるが、店は閉まっている…

 …しばらく、都合により、休業します…

 と言う、手書きの張り紙だけがあった…

 私は、それを見て、驚いた…

 ビックリした…

 が、それ以上に、落胆した…

 あの町中華の女将さんだけが、私の希望だったのに…

 私は、その場で、地団駄を踏んで、悔しがった…

 と、言いたいところだが、さすがに、それは、しなかった…

 ただ、心の中では、文字通り、地団駄を踏んで、悔しがった…

 ただ一人の知恵袋というか…

 今回の一件に対して、有意義な意見をくれる可能性の高い、あの町中華の女将さんが、いないなんて…

 と、

 そこまで、考えて、気付いた…

 これは、偶然?

 これは、本当に、偶然なのだろうか?

 偶然、店を閉めたに過ぎないのだろうか?

 気付いた…

 …どう考えても、偶然ではない!…

 私は、思った…

 偶然、店を閉めたとは、とても、思えない…

 店を閉めるのは、おそらく身を隠すため…

 誰かから、身を隠すためだ…

 とっさに、気付いた…

 おそらく、女将さんは、身の危険を感じたに違いない…

 だとすると、一体、女将さんを、脅かす存在は、誰なのか?

 考えた…

 女将さんの敵とは、一体、誰なのか?

 考えた…

 稲葉五郎?

 真っ先に、その名前が、脳裏に浮かんだ…

 稲葉五郎、次期山田会会長…

 たしかに、稲葉五郎に、目の敵にされれば、あの町中華の女将さんは、生きてはゆけないだろう…

 だが、

 本当にそうか?

 稲葉五郎が、あの女優の渡辺えりに似た女将さんを、目の敵にするか?

 稲葉五郎と、あの渡辺えりに似た女将さんは、肝胆相照らす仲というか…

 非常に仲が良かった…

 稲葉五郎と、亡くなった高雄組組長は、互いに、

 「…兄貴…兄貴…」

 とか、

 「…五郎…五郎…」

 と、呼び捨てにして、仲が良かったが、それは、文字通り、兄弟の仲というか…

 たしかに、仲が良いが、明らかに、一線を引いていた…

 互いに、兄、弟という、立場と言うか、身分というか、その違いが、明確にあった…

 しかし、あの渡辺えりに似た、女将さんと、稲葉五郎の間には、そんな身分の違いというか、立場の違いはなかった…

 女将さんは、私と初対面の場面で、稲葉五郎が、

 「…オバサン…」

 と、呼ぶと、

 女将さんが、

 「…お姉さんだろう? いくつ、違うと思ってるんだい!…」

 と、構わず、稲葉五郎に、言い返すほど、仲が良かった…

 これは、誰の目にも、明らかだった…

 だから、仮に、稲葉五郎が、あの女将さんの命を狙うとか?

 そんな事態は、まったく考えられない…

 想像ができない…

 なにより、この店と、あの稲葉五郎のいる、稲葉一家の事務所とは、目と鼻の先…

 距離にして、数分だ…

 だから、稲葉五郎が、気軽に、この店に、やって来て、いたんだ…

 そんな仲というか、距離感の、女将さんを稲葉五郎が、どうこうしようとか、まったく考えられない…

 また、そんなことをすれば、普段の稲葉五郎と、女将さんの仲を知る、関係者からは、警察が、真っ先に、稲葉五郎を疑うに決まっている…

 私は、そう思った…

 だから、稲葉五郎を恐れて、女将さんが、店を閉めたとは、思えない…

 だとしたら、一体、女将さんは、誰を恐れて?

 私が思いつく人間といえば、あとは、今、入院中の、大場小太郎ぐらいだ…

 高雄悠(ゆう)に刺されて、入院中の、大場小太郎代議士ぐらいだ…

 しかし、大場小太郎代議士は、入院中…

 意識があるかどうかも、わからない…

 そんな状態の大場代議士が、まさか、病床で、あの町中華の女将さんを、どうこうしろ、と指示は出せないに違いない…

 だとすれば、一体誰が、いるのか?

 女将さんが、恐れる人間は、一体誰なのか?
 
 考えた…

 しばらく、店の前に立って、考え続けた…

 すると、突然、

 「…あの…」

 と、遠慮がちの声がした…

 「…あの…竹下のお嬢じゃ…」

 その言葉で、私は、声をする方を振り返った…

 そこには、若い男が立っていた…

 私と同世代…

 同じ二十代前半…

 大きなカラダ…

 私は、その男の顔に見覚えがあった…

 その男は、稲葉五郎の若い衆というか、側近の戸田だった…

               
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