第86話

文字数 4,830文字

 …松尾聡(さとし)…

 …松尾会会長…

 あの一見、好々爺に見える老人の容態は、どうなのだろう?

 私は、ふと、思った…

 松尾会会長は、誰かに銃撃されて、病院に入院している…

 …一体、誰に銃撃されたのだろう?…

 …容態は、どうなのだろう?…

 今さらながら、思った…

 考えた…

 もしかしたら、さっき、高雄に訊けば、松尾会長の容態がわかったのかもしれない…

 そう考えれば、今さらながら、自分の失態を悔やんだ…

 いきなり、高雄から電話がかかってきたことで、気が動転して、高雄ペースで、ほぼ話が一方的に進んでしまった…

 そして、高雄の話は、ほぼ、亡くなった古賀会長の話だった…

 古賀会長の正体…

 古賀会長が、実は、宋国民という名前の中国人で、中国政府のバックアップで、自分の作ったヤクザ組織、山田会を大きくした…

 その点を、強調していた…

 私は、あまりにも、意外な展開に、ただ、高雄の話に食い入るように、耳を傾けるだけだった…

 だから、古賀会長の銃撃について、聞くことすら、忘れていた…

 しかし、

 しかし、だ…

 冷静に考えれば、謎がある…

 そもそも、一体、全体、どうして、高雄は、そんなことを知っているのだろうか?

 それが、一番の謎だ…

 普通に考えれば、高雄は、父親?の高雄組組長から、聞いたと考えるのが、妥当だが、二人の関係はだいぶ怪しい…

 だから、高雄組組長から、聞いたとも、考えられるが、確信は持てない…

 だが、だとしたら、どうだ?

 高雄は、誰か別のルートから、情報を仕入れていることになる…

 ならば、一体?

 一体、高雄の正体は、なんだ?

 私は、突然、思った…

 敵か味方か?

 そんなことを、ふと思った…

 どう考えても、高雄の行動が怪しすぎるからだ…

 そして、そう考えたとき、ふと、高雄がさっき、口にした、

 「…潮目が変わってきている…」

 という言葉の意味を考えた…

 あれは、もしかしたら、松尾会長が銃撃されたことを指しているのではないか?

 ふと、思った…

 気付いた…

 松尾会長が、誰に撃たれたか、わからないが、案外、高雄はその背後関係というか、誰に撃たれたか、見当がついているのかもしれない…

 だから、

 「…潮目が変わってきている…」

 と、言ったのかもしれない…

 そう考えるのが、一番納得する…

 また、私の知る限り、他に、なにか、目立った変化はない…

 あくまで、私の知る限りだから、大きなことは、言えないが、世の中で、目に見えて、大きく世間に報道された、ヤクザ界を見る限りは、そういうことだった…

 一体、誰が、古賀会長を銃撃したのだろう?

 私の関心は、そこに向かった…

 ヤクザ界のゴタゴタだろうか?

 一瞬、考えたが、それより、あの林の父親が、中国政府のスパイの疑いで、逮捕されたことが、脳裏に浮かんだ…

 あの大金持ちの林の父親が逮捕された?

 それも、中国のスパイ容疑で…

 すると、どうだ?

 やはり、これは、中国政府が、一枚噛んでいるのだろうか?

 関与しているのだろうか?

 そう考えるのは、自然に思える…

 私は、思った…

 しかし、あの林の父親が、中国のスパイだなんて?

 これは、驚きを通り越して、絶句する展開だった…

 稲葉五郎も、高雄組組長も、世間に名の知れた大物ヤクザだが、当然のことながら、スパイではない…

 ヤクザとスパイとどっちが、遭遇する機会が、あると考えれば、普通は、ヤクザだ…

 それに、なにより、スパイというと、響きが悪い…

 ヤクザよりもはるかに悪い…

 しかも、どこのスパイかと問われれば、中国のスパイ…

 これは、最悪だ…

 スパイ=売国奴に他ならない…

 どこの国民も同じかもしれないが、自分の国を売る人間に、目を向ける視線は厳しい…

 いや、これは、中国政府だけではない…

 産業スパイも同じ…

 いわゆる、仲間と言うか、会社でも、国家でも、それを裏切る人間への視線は、厳しい…

 当たり前のことだ…

 私は、考える。

 そして、思った…

 林の父親は、どうして、スパイになったのだろうか?

 一度訪れただけだが、林の家は、江戸時代の大豪邸かと思われるほど、大きかった…

 立派だった…

 もしかしたら、あの豪邸を維持するために、多額の金が必要なのかも?

 そうも、思った…

 下世話の話だが、あれだけの豪邸を維持するだけで、もの凄くお金がかかるのは、誰の目にもわかる…

 税金だけでも、莫大な金額だろう…

 林の父親は、会社を経営しているだろうが、会社の経営が厳しいのだろうか?

 そうも、思った…

 が、

 そこまでだった…

 それ以上、林の父親のことを、考えても、仕方がなかった…

 考えるのは、むしろ、杉崎実業…

 今回の件では、まだ名前が出てないが、杉崎実業…

 私の内定した会社だった…

 あの杉崎実業は、中国政府とパイプがある…

 そう言われている…

 だとすれば、今回の件に関係がないわけがない…

 古賀会長も、松尾会長も、中国政府が関係している…

 すべて、中国が関係している…

 ならば、中国政府と繋がっているかもしれない、杉崎実業が、関係がないわけがない…

 私は、考える…

 しかし、そこまでだった…

 私の考えは、そこで、止まった…

 それ以上、なにも考えられなかった…

 私の頭が悪いこともあるが、いかんせん、情報が少なすぎた…

 これも、原因というか、一因だった…

 中国政府が、関係があるのは、わかるが、それが、どう絡んでくるのか、わからない…

 とにかく、気を付けることだ…

 私は、思った…

 なにがどうなるか、わからないし、皆目見当もつかないからだ…

 私は、それを強く肝に銘じた…

 そして、肝に強く命じて、生きることにした…

 
 そんな固い決意を胸に秘めて、私は、翌日も、せっせと、コンビニで、バイトに励んだ…

 私の決意は、固かった…

 なにが、固いかと言えば、もしかしたら、来年の、杉崎実業への就職は、事実上、なくなるのでは? と、ふと、前夜、気付いたのだ…

 それゆえ、バイトに励まなければ、ならないという決意だった…

 お金を貯めなければ、ならないという決意だった…

 どう考えても、私が、杉崎実業に、内定をもらってから、この騒動に巻き込まれた…

 それが、偶然か、否かは、置いといても、このままでは、杉崎実業が、なんらかの形で、関わって来るのは、目に見えてるというか…

 そうなれば、新卒の採用どころではなくなるのは、誰の目にも、わかる…

 最悪、倒産の可能性もなきにしもあらず、だ…

 すると、どうだ?

 もはや、この時期、就活は、事実上、終わっている…

 だから、私としては、お金を貯めて、来年、一年、大学を留年して、就活に励むか、大学を卒業して、就活するしかない…

 いずれにしても、お金がかかる…

 金がかかるのだ…

 だから、私は、このコンビニのバイトに精を出した…

 とにかく、金を稼がなければ、ならないからだ…

 私は、馬車馬の如く働いた…

 「…なんだか、今日は、竹下さん…精が出るね…」

 そんな私の姿を見た、店長の葉山が、私に声をかけた…

 私は、

 「…お金が必要ですから…」

 と、短く答える…

 私の返答に、葉山は、目を丸くして、驚いた…

 「…お金が必要? …どうして?…」

 私は、葉山の質問に一瞬、躊躇ったが、

 「…なんか、内定した会社の将来が、危ういと言うか…」

 曖昧に言葉を濁した…

 私の言葉に、葉山は、

 「…」

 と、絶句した…

 しばし、

 「…」

 と、黙り込んだ…

 それから、

 「…そうなんだ…」

 と、小さく続けた…

 「…竹下さんも、大変なんだ…」

 「…当たり前です…誰だって、生きるのは、大変なんですよ…」

 と、私は返す。

 「…生きるのが、大変って…」

 葉山が目を丸くする…

 それから、

 「…なんだか、竹下さんも、トラブルに巻き込まれてるみたいだね…」

 と、言った。

 「…トラブル? トラブルなんかじゃない! いえ、トラブルかも…」

 そんな言葉が、つい私の口を突いて出た…

 たしかに言われてみれば、これはトラブルかもしれない…

 なにしろ、来年、就職予定の会社が危ないかもしれないのだ…

 が、

 その一方で、それは、一方的な、私の思い込み…

 まだ、なにも、起きちゃいない…

 もしかしたら、杉崎実業は、古賀会長や、林の父親とは、何の関係もないかもしれない…

 だから、トラブルなんかじゃないかもしれない…

 それよりなにより、私は、まだトラブルと呼べるほど、身の危険を感じたことは、一度もない…

 あのヤクザ界のスター、稲葉五郎と知り合っても、身の危険は、感じたことは、一度もなかった…

 が、

 考えてみれば、それも当たり前かもしれない…

 トラブルというのは、ヤクザで言えば、チンピラ…

 末端と関わって起こるものだからだ…

 トップと関わって、起きることは、普通、ありえない…

 ヤクザでもトップとなれば、法律にも詳しい…

 簡単に逮捕されるかもしれないことを、トップ自らが、やるわけはないからだ…

 「…生きるのが、大変か…」

 と、葉山が、独り言のように、呟く。

 そして、

 「…そんな言葉を言うなんて、竹下さんも成長したんだ…」

 と、続けた。

 「…成長?…」

 私は、葉山の言葉に、反応をして、思わず、葉山の言葉をオウム返しに、繰り返した…

 そして、考えた…

 たしかに、成長と言われれば、成長しているのかもしれない…

 杉崎実業に内定をもらって以来、さまざまな人間と知り合った…

 それは、これまで、会ったことのない人間…

 私レベルの人間が、会ったことのないひとたちだった…

 お金持ち…

 大物ヤクザ…

 大物政治家…

 さらに、そのひとたちの息子?や娘…

 いずれにしろ、この平凡を絵に描いたような竹下クミが、普通なら、出会うことのないひとたちだった…

 そんな凄いひとたちと、杉崎実業の内定を得てからの短期間で、知り合った…

 考えてみれば、夢のような時間だった…

 なにしろ、この平凡な竹下クミが、そんなキラ星の如く、有名な人間と知り合ったのだ…

 冷静に考えれば、考えるほど、ありえない出来事だった…

 葉山の

 「…成長した…」

 という言葉で、そんな現実と言うか、置かれた環境をあらためて、考えた…

 だから、

 「…たしかに、成長したかも…」

 と、ポツリと呟いた…

 その言葉に、すぐさま葉山が、

 「…自分自身で、成長したかもって言葉が言えるのは、成長した証拠だよ…」

 と、声をかけた…

 「…とにかく、いろんな人に会うことだよ…」

 と、葉山が言った…

 「…いろんなひと?…」

 と、またも、これも、葉山の言葉をオウム返しに繰り返した…

 「…いろんなひと…」

 繰り返しながら、どうして、葉山は、私が、いろんなひとと、会ったのを知ってるのか、疑問に思った…

 いや、

 以前、高雄の父? 高雄組組長が、このコンビニに私を尋ねて、やって来たのを、葉山は見ている…

 そのとき、すぐに、

 「…あのひと…堅気じゃないね…」

 と、指摘した…

 それを覚えているからだろうか?

 そして、

 たしか、あの大場代議士がやって来たときも、いたはずだ…

 この葉山は、いたはずだ…

 いや、いたはず、もなにも、皆、このコンビニが舞台になっている…

 この私のバイトする、このコンビニが、舞台になっているから、このコンビニにで、雇われ店長をしている、葉山が、いたに決まっている…

 でも、

 それは、偶然?

 偶然に過ぎないのだろうか?

 山田会の高雄組組長という大物ヤクザと、次期総理総裁候補に名前が挙がる大物政治家の大場小太郎代議士…

 そんな大物二人が、このコンビニにやって来たのは、偶然に過ぎないのだろうか?

 私がここにいたから、あの大物二人が、やって来た…

 これは、事実…

 現実だ…

 だが、同時に、私が勤務するコンビニに、葉山がいたことも、事実…

 現実だ…

 果たして、これは、偶然…

 それとも…?

 私は、今さらながら、葉山の存在に疑問を抱いた…

                
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