第151話

文字数 5,075文字

 待て…

 待て…

 待て…

 なにか、おかしい…

 高雄悠(ゆう)は、この大場小太郎の血を分けた息子だった…

 これは、わかった…

 だから、大場小太郎の義理の娘である、大場敦子と、高雄悠(ゆう)が、付き合っていることで、大場小太郎が、高雄組の資産を狙っているのでは? と、噂が立った…

 要するに、大物代議士が、大物の経済ヤクザと、家族で、仲良くしていたからだ…

 だから、そう、勘ぐられた…

 だが、事実は、高雄悠(ゆう)が、大場小太郎の実子だったからだ…

 要するに、顔見せというか…

 きっと、亡くなった高雄組組長が、気を利かせて、大場小太郎に会わせるように、配慮したに違いない…

 誰だって、自分の息子ならば、その後の動静が気になるもの…

 あの松下幸之助すら、公式には、娘が一人いるだけだが、実は、愛人との間に息子が数人いて、その息子を、松下グループで、雇っていて、幸之助は、ときおり、息子が在籍するグループ会社の幹部に会って、自分の息子の様子を、気にかけていたという…

 これは、以前、週刊誌に書いてあったと、父が言っていた…

 さもありなん…

 やはり、血を分けた、自分の子供が、どうしているか、普通の父親ならば、誰もが、気になるであろう…

 高雄組組長は、それを察して、大場元議員に配慮したに違いない…

 私は、思った…

 そのときだった…

 敦子が、まだ怒り狂っていた…

 「…まさか…悠(ゆう)さんが、パパの血を分けた実の息子だったなんて…」

 敦子が、繰り返した…

 たしかに、いきなり、自分の幼馴染(おさななじみ)というか、子供の頃から、見知った人間が、実は、自分の父の血が繋がった息子だと知って、納得する人間はいない…

 敦子は、動揺していた…

 それは、ハタから見ても、動揺していたと、いう言葉で、簡単に言い切れないほど、動揺していた…

 だから、誰も、なんと声をかけていいか、わからなかった…

 敦子が、あまりにも、落ち込んでいたからだ…

 それは、普通ではなかった…

 すると、町中華の女将さんが、ピンときた様子だった…

 「…あっちゃん…アンタ、まさか、悠(ゆう)さんの子供とか、お腹にいるんじゃ、ないだろうね…」

 突然の言葉だった…

 私も、大場元代議士も、唖然として、敦子を見た…

 「…女将さん…どうして、そう思うんですか?…」

 私は、聞いた…

 すると、女将さんは、

 「…今、この大場さんが、実は、悠(ゆう)さんが、自分の血を分けた息子だと言ったとき、あっちゃんが、怒りまくったけど、そのときに、何度か、自分のお腹を見ていたから…もしかしてと、思って…」

 と、説明した…

 私と、大場元議員は、驚いて、敦子のお腹を見た…

 だが、別段、変わりはない…

 全然、お腹は大きくなってなかった…

 だが、大場元議員は、

 「…女将さんの言うことは、本当なのか? 敦子…」

 と、優しく言った…

 その言葉に、

 「…わからない…」

 と、敦子が、首を横に振った…

 「…わからないって…」

 と、女将さん…

 「…今、生理が遅れてるの…」

 と、大場が告白する…

 「…だから、もしかして…」

 大場が、悩んだ表情で言う…

 「…だから、もしかして、悠(ゆう)さんとの子供が、私のお腹の中に…」

 敦子の告白に、私も、女将さんも、大場小太郎も、愕然とした…

 …まさか…

 …まさか、そんな展開になると、思わなかった…

 とりわけ、愕然とした表情だったのは、大場元議員だ…

 敦子の告白に、驚愕した表情だった…

 そして、同時に、戸惑った様子だった…

 「…私は、一体、どうしたら、いいのでしょう…」

 小さく、力なく呟いた…

 「…怒った方が、いいのでしょうか? …それとも、喜んだ方が、いいのでしょうか?…」

 大場小太郎が、戸惑った表情で、言う。

 「…まだ、大学生の身で、子供を妊娠するような真似をしてと、怒った方が、いいのでしょうか? それとも、悠(ゆう)クンとの子供ならば、私の孫になる…だから、喜んだ方がいいのでしょうか…」

 大場小太郎が、考え込んだ…

 しかし、

 娘の敦子は、大場小太郎と、真逆だった…

 「…悠(ゆう)さんとの間の子供ならば、できてもいい…でも、大場小太郎の孫ならば、いらない…」

 敦子が、鬼気迫った表情で、言う…

 「…大場小太郎の血が繋がった子供なら、いらない…」

 そう言って、いきなり、自分のお腹を、自分で、ボコボコ殴り始めた…

 私たち三人は、唖然として、言葉もなく、それを見ていたが、すぐに、女将さんが、

 「…あっちゃん…バカな真似はおよし…」

 と、言って、敦子の手を抑えた…

 「…そんなことをするものじゃないよ…」

 女将さんが、敦子をなだめる…

 「…子供ができたか、どうかは、わからないけど、生まれてくる子供に罪はないんだよ…」

 女将さんが、優しく諭した…

 その言葉に、

 「…ワーッ!」

 と、敦子が号泣した…

 「…子供はできても、できなくてもいい…でも、大場小太郎の血の繋がった子供は嫌…絶対嫌…」

 敦子が、号泣する…

 たしかに、敦子のこれまでの発言から、敦子が、どれほど、養父である、大場小太郎を憎んでいるのが、わかった…

 だから、もし、生まれてくる、自分の子供が、憎んでも憎みきれない大場小太郎の血が繋がった孫ならば、自分でも、どうして、いいのか、わからないに違いない…

 なにしろ、自分が、産んだ子供が、憎むべき敵の血を引いているのだ…

 どうして、いいのか、わからないのは、私でも、わかる…

 憎みべき敵?
 
 ふと、思った…

 この女将さんは、稲葉五郎と仲が良かった…

 一方は、

 「…五郎…五郎…」

 と、呼び捨てにし、

 もう一方は、

 「…オバサン…オバサン…」

 と、気さくに呼んでいた…

 稲葉五郎が、山田会を背負って立つ大物ヤクザにも、かかわらず、だ…

 なぜ、この女将さんは、そんな大物ヤクザである、稲葉五郎を、親しげに呼ぶのか?

 それは、稲葉五郎を、若い時分から、知っているから、と、説明していた…

 それに、なにより、この女将さんは、山田会の古賀会長の事実上の家族と言うか…

 この女将さんの祖父母が、幼い古賀会長を、終戦時の満州から、命からがら、日本に連れてきた、古賀会会長の命の恩人だからと、説明していた…

 しかし、

 しかし、だ…

 だったら、なぜ、あのとき…

 私と、この大場敦子がいる目の前で、稲葉五郎を呼び出して、稲葉五郎に、

 「…五郎…アンタ、一体、何者だい?…」

 と、問い詰めたんだ?…

 稲葉五郎の正体は、おそらく、あの時点で、掴んでいたに違いない…

 おそらく、公安のスパイじゃないかという疑念…

 あるいは、確信があったに違いない…

 それは、わかる…

 それは、理解できる…

 が、

 問題は、そこではない…

 なぜ、私と、大場敦子を呼び出して、そういう行動を取ったのか?

 それが、問題なのだ…

 稲葉五郎が、本当は何者か?

 私に見せたかった?

 あるいは、

 大場敦子に見せたかった?

 私に見せる意味は、わからないが、大場敦子に見せる意味はわかる…

 敦子が、義父である、大場小太郎に、その顛末を伝える可能性があるからだ…

 そして、もう一方の視点というか…

 稲葉五郎の立場に立てば、どうだろうか?

 わざわざ、この女将さんに、呼び出され、私と、大場敦子の目の前で、

 「…五郎…アンタ、一体、何者だい?…」

 と、問い詰められた…

 これが、なにを意味するか? だ…

 なぜなら、そんなことは、稲葉五郎と、この女将さんが、一対一で、できることだからだ…

 誰もいない二人だけの密室で、聞けばいいだけの話だ…

 それを、わざわざ、私と大場敦子の二人の前で、言う意味だ…

 稲葉五郎の立場に立てば…

 大場敦子を通じて、大場小太郎に、自分の正体がバレる危険性がある…

 あるいは、

 この女将さんが、念を押した可能性もある…

 念を押すというのは、

 「…五郎…アンタ、一体、何者だい?…」

 と、私や、大場敦子のいる前で、聞かれることで、あらためて、自分の任務を確認するということだ…

 …任務を確認する?…

 もし、それならば、この女将さんの正体は、稲葉五郎同様、公安のスパイということになる…

 山田会の会長に上り詰める稲葉五郎…

 でも、アンタの本当の役割は、

 …公安のスパイ!…

 と、念を押したことになる…

 だが、果たして、その可能性はあるのだろうか?

 この女将さんの事実上の家族である、山田会の創設者である、古賀会長は、中国政府の後ろ盾を背景に、山田会を大きくした…

 資金面で、協力してもらい、その金で、武器・弾薬を買い、他の暴力団との抗争に打ち勝った…

 いわば、中国寄り…

 中国政府は、中国出身者である、古賀会長を援助することにより、日本社会で、山田会を通じて、影響力を、拡大する道を模索したといえる…

 だが、古賀会長は、中国政府の言いなりにならなかったと言われている…

 山田会の力を背景に、のらりくらりと、中国政府の要求をかわしていたという…

 要するに、避けていたのだ…

 といっても、まるっきり、力を貸さなければ、資金援助は、してもらえないに決まっている…

 普通に考えれば、たいしたことのないことは、応じ、難しい任務や、危険な任務は、受けないで、のらりくらりと、かわしていたのだろう…

 そう考えられる…

 だから、まるっきりの中国のスパイかというと、それは違うと思う…

 要するに、お互いが、お互いを利用する関係だったに違いない…

 もっと、ハッキリ言えば、互いの利害関係が、一致しているから、手を握ったに過ぎない…

 協力したに過ぎない…

 つまりは、生粋の中国のスパイではないということだ…

 と、いうことは、どうだ?

 と、いうことは、この女将さんも、中国のスパイとは、限らない…

 むしろ、

 「…五郎…アンタ、一体、何者だい?…」

 という言葉は、あらためて、稲葉五郎に、自分の任務を確認させるというか…

 立場をわからせたとも取れる…

 と、なれば、どうだ?

 この女将さんも、公安のスパイ?…

 稲葉五郎と、同じく、公安のスパイ?

 その可能性もある…

 「…五郎…オマエは、公安の人間なんだよ…」

 と、わからせるために、あえて、あの場で、ああ言った可能性が、ある…

 「…五郎…アンタ、一体、何者だい?…」

 といった、

 …何者…

 は、公安の人間だと、悟らせたかった可能性もある…

 山田会という日本で二番目に大きな暴力団のトップに立つことで、本来の自分の任務を忘れてしまうのでは? と、危惧したのだ…

 だが、本当に、その可能性はあるのか?

 考えた…

 この女将さんが、公安のスパイの可能性はあるのだろうか?

 考え続けた…

 今、同席している大場小太郎元議員は、父が、同じ国会議員で、かつて、国家公安委員長をしていた縁で、ヤクザ界を監視する目的で、山田会の古賀会長をはじめとする、人々と、付き合った…

 交際した…

 その縁で、知り会った高雄組組長に、自分の息子である、悠(ゆう)を、養子にしてもらうほど、親しい関係を築いた…

 国会議員と、ヤクザ…

 この関係は、一歩間違えば、危ない…

 文字通り、ミイラ取りがミイラになる…

 ヤクザに国会議員と付き合って、損はないが、国会議員にとって、ヤクザと付き合うメリットは、表面上は、なにもない…

 だが、実際は、選挙の票のとりまとめから、公共工事の発注まで、メリットだらけ…

 互いが、互いを利用できる関係だ…

 が、

 あくまで、互いに利用できる関係であっても一歩、線は引いている…

 それゆえ、問題にならなかった…

 世間に知られなかった…

 だが、

 これは、偶然だろうか?

 意図的に、マスコミに無言の圧力を加えた人間は、いないのだろうか?

 いるとすれば、政府…

 あるいは、国家側の人間が関与しているということだ…

 なにより、仮に、もし、この女将さんが、公安のスパイだとしても、大場元議員には、わからないと、元議員自身が、言っていた…

 稲葉五郎が、公安のスパイか、どうか、わからないように、スパイかどうかは、警察のトップクラスの片手の指よりも、少ない人間が、知っているだけだと、この大場元議員が、口にした…

 この大場元議員のように、与党の自民党の派閥の領袖クラスの人間で、なおかつ、警察人脈に詳しい人間ですら、知らないわけだ…

 だから、仮に、この女将さんが、公安のスパイだとしても、やはり、稲葉五郎が、スパイかどうか、わからないように、大場元議員ですら、知らないに違いない…

 私は、思った…

               
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