第65話

文字数 5,866文字

 私は、黙って、高雄悠(ゆう)に、向かって、進んだ…

 高雄の顔をジッと見つめながら、進んだ…

 まるで、好敵手に再会した感じだった…

 私の人生最大のライバルに再会した感じだった…

 寺沢武一のコブラでいえば、クリスタル・ボーイに再会したようなものだ…

 つまりは、高揚感…

 圧倒的な高揚感があった…

 ずばり、気持ちが高ぶった…

 竹下クミ、22歳…

 これまで、生きてきて、これほどの高揚感を感じたことは、かつてなかった…

 が、

 高雄は、そんなことは、まったくなかったらしい…

 私の姿が、高雄の間近に迫ると、

 「…おや…偶然ですね…」

 と、気安く、私に声をかけた…

 …偶然?…

 …偶然であるものか!…

 なんて、しらじらしい…

 私は、頭にきた…

 しかし、眼前の高雄は、私の怒りなど、どこ吹く風…

 澄ました表情だ…

 …食えない男!…

 とっさに、そう思った…

 すでに、それは、わかっていたが、あらためて、そう思った…

 が、

 私は、怒りを押し殺して、

 「…ホント、偶然ですね…」

 と、返した…

 すると、高雄も、一瞬…わずか、一瞬、たじろいだ様子だったが、

 「…ホント、偶然…」

 と、これも、私に返した…

 この言葉で、私の怒りが倍増した…

 私の内に秘めたマグマが、爆発寸前になった…

 私が、男ならば、いきなり殴りかかっているところだ…

 が、

 私は、女だから、それはできない…

 だから、私は、高雄に殴りかかる代わりに、グッと力強く、拳を握り締めた…

 ありったけの力を込めて、拳を握り締めた…

 とんでもない食わせ者…

 私の脳裏に、そんな言葉が浮かんだ…

 目の前の、長身の優男…

 まるで、図書館や花屋が似合う、清潔感溢れた、好青年…

 だが、その内側が、ドロドロだ…

 狡猾な男…

 私を、竹下クミを利用しようと、手ぐすね引いている…

 私は、今、それを悟っている…

 この眼前の高雄悠(ゆう)が、顔だけの男…

 善良を装った顔だけの男と、見抜いている…

 だからだろうか?

 最初は、薄ら笑いを浮かべていた、高雄の表情が、少しばかり、強張ったように、見えた…

 余裕を持って、私を見ていた、高雄の表情に焦りが見えたと言っては、言い過ぎだろうか?

 私は、ゆっくりと、高雄に向けて、歩いた…

 そして、やがて、高雄の前で、歩みを止めた…

 しかし、互いに、言葉をかけることは、なかった…

 ただ、黙って、お互いを、睨んだ…

 それは、誰が見ても、最愛の人に再会した感じではなかった…

 まるで、生涯の敵に再会した感じだった…

 それは、また大場小太郎代議士にしても、同じだった…

 「…お二人とも、どうしました?…まるで、生涯の宿敵にでも再会した感じですね…」

 大場代議士が、戸惑うように、言った…

 「…同じような年齢のお二人だから、似合いのカップルだと思ってたんですが…」

 明らかに当惑した感じだった…

 私は、その言葉に怒りを覚えた…

 「…大場さん…このひとに、会わせるために、今日、私を待っていたんですか?…」

 誰が見ても、怒気を含んだ、私の声に、大場は、たじろいだ…

 「…たしかに…今日、私が、お嬢さんを誘ったのは、確かですが、彼に会わせるためではありません…」

 大場代議士が説明する。

 「…では、どうして、高雄さんが、ここにいるんですか?…」

 「…たまたま、彼から連絡があって、それで、今日、この場所ならば、私もお嬢さんに会うつもりだったので、時間が空いていると伝えたんです…それで…」

 私は、大場の父の話を遮るように、

 「…ウソですね…」

 と、断言した…

 「…ウソ?…」

 「…見え透いたウソです…私に彼と会わせるために仕組んだんですね…」

 私の予想外の怒りは、大場代議士にとって、想定外だったようだ…

 「…お嬢さん…ウソではありません…」

 大場が言い訳するように、言った…

 「…ホントのことです…先ほども、お嬢さんに言ったように、いくら私が、ホントだと言っても、その様子では、私の言うことを信じない様子ですね…」

 「…ええ…」

 ハッキリと、私は、断言した…

 私の態度に、大場代議士は、お手上げのようだった…

 どうしていいか、わからないようだった…

 「…私、帰ります…」

 私は、断言した…

 「…帰る?…」

 大場代議士が、驚きの声を上げた…

 「…私は、このひとといっしょにいたくは、ありません…」

 私は、高雄を指さした…

 「…それに、失礼ながら、大場さんも、です…私を騙して、ここに連れてきた大場さんとも、これ以上、ごいっしょしたくありません…」

 私は、断言して、踵を返して、歩き出した…

 はっきり、言って、これ以上、ここにいたくなかった…

 高雄の顔を見たくなかった…

 高雄は、嫌いではない…

 本当は、好きだ…

 惹かれる…

 だが、それ以上に、怖い…

 いわゆる、ヤクザの息子とか、そういうことではなく、高雄自身が、はっきり言って、胡散臭いというか…

 なにを考えているか、わからない…

 そんな怖さがある…

 だから、高雄に惹かれる一方、高雄にこれ以上、近付いては、まずいと、判断する私がいる…

 つまり、感情では、高雄に一歩でも近くに近寄りたいが、理性では、一刻も早く、高雄から逃げ出さなければならないと、思っている…

 うーむ、

 実に悩ましい選択だ(笑)…

 だから、私は、一刻も早く、その場から、立ち去ろうとした…

 グズグズしていると、私の決断が鈍ると言うか…

 高雄に取り込まれる危険がある…

 穏やかなイケメンの高雄に利用される危険がある…

 そう判断したのだ…

 そう考え、歩き出した、私の背中に、

 「…お嬢さん…帰るって、一体、どうやって、帰るんですか?…」

 という、大場代議士の声がした…

 私は立ち止まって、大場代議士を振り返った…

 「…これから、スマホで、タクシーでも呼んで、家に帰ります…」

 私は、宣言した…

 「…タクシーって…」

 大場議員は、絶句する…

 「…それでは、失礼します…」

 私は、大場議員に一礼して、再び、歩き出した…

 暗闇の中、一歩ずつ歩き出す…

 まるで、それは、おおげさに言えば、私の人生のようだった…

 これから始まる、私の人生のようだった…

 が、

 そのときは、まだ、私自身、気付いていなかった…

 と、歩き出した、私の背中に、

 「…お嬢さん…逃げるんですか?…」

 という、高雄の声が響いた…

 「…逃げる?…」

 その言葉に、私は、反応した…

 私は、即座に足を止めて、高雄を振り返った…

 「…逃げるって、どういう意味ですか?…」

 「…それとも、ボクが怖い?…」

 高雄が、ニヤッと笑って言う…

 が、

 それが、私の本心だった…

 それこそが、隠された私の本心だった…

 なにより、高雄自身が、ある意味、不気味だった…

 いわゆる、コワモテのヤクザが、怖いのは、わかる…

 しかしながら、高雄のように、花屋や図書館が似合う、おとなしめの男子が、なにを考えているのか、わからないのは、別の意味で、怖い…

 高雄は、一見、暴力とは、無縁…

 だが、本当は、著名な暴力団の組長の息子…

 それを考えれば、すぐにでも、暴力を行使することができる…

 父の配下のヤクザを使うことができる…

 虫も殺せぬ外観でありながら、その実、誰よりも、暴力に近い存在…

 そんなことを、考えると、私は、怖い…

 高雄悠(ゆう)が、怖い…

 そして、その一方で、だからこそ、高雄に惹かれる…

 まるで、磁石に引き寄せられる砂鉄のように、高雄に引き寄せられる…

 だから、怖い…

 いわゆる、怖いもの見たさ…

 それが、私の心の根底にある…

 そして、それを今、高雄に見透かされた…

 だから、

 「…怖いって、なにがですか?…」

 と、真逆に、高雄に訊いた…

 開き直ったといっていい…

 ホントは、高雄が怖いから、それを知られたくないから、

 「…なにが、怖いんですか?…」

 と、さらに、言葉を続けた…

 私の恐怖を知られるのが、怖かった…

 高雄に知られるのが、怖かったのだ…

 それが、すべてだった…

 「…ボクが、怖くないのならば、いっしょに、食事を取りましょう…お嬢さん…」

 高雄が言った…

 提案した…

 「…ボクも竹下さんと、再会できて、嬉しいです…」

 高雄が言う…

 事実、その言葉通り、満面に笑みを浮かべている…

 そして、それが、見せかけだけであることは、明らかだった…

 この高雄は、自分が、よくわかっている…

 自分自身を研究しているといっていい…

 自分の魅力がなにで、欠点がなにであるかを熟知している…

 高雄の最大の長所は、その穏やかな虫も殺さぬ顔…

 図書館や花屋が似合う、おとなしめの男子…

 その外観が、相手の警戒心を解かせる…

 本当は、その外観とは、真逆の、ズルい性格であることは、この竹下クミを騙したことからも明らかだ…

 だから、私も、高雄に言い返した…

 「…ホント、今日、高雄さんに、再会できて、私も嬉しかったです…」

 私は、作り笑顔で、応じた…

 「…ですが、私は、高雄さんが、嫌いです…」

 私は、はっきりと、言った…

 「…嫌い? どうして?…」

 「…私を騙したからです…」

 「…ボクが、竹下さんを騙した?…」

 「…ハイ…」

 「…いつ、竹下さんを騙したんですか?…」

 「…最初に会ったときです…」

 「…最初に会ったとき?…」

 「…私が、杉崎実業の内定式の帰りに、高雄さんは、電車の中で、私を待ち伏せて、私と途中下車して、駅のホームで、私に杉崎実業の内定を蹴らないで欲しい、と、頼みました…」

 「…」

 「…覚えていますか?…」

 「…覚えています…」

 「…だったら、そのときに、高雄さんは、私に、どういう話をしたか、覚えていますか?…」

 「…」

 「…覚えていらっしゃらないようでしたら、私が、言います…高雄さんは、こう、おっしゃいました…自分は、狙われていると…」

 「…」

 「…狙われているという、言葉を使ったかどうかは、覚えていませんが、そんなふうな意味で、言われました…具体的には、杉崎実業を食おうとしている、組織があり、私たち、5人の杉崎実業の内定者の中に、その人間がいる…真逆に、こちらが、食おうと狙っている組織の人間もいる…だから、下手をすれば、こちらが食われるかもしれないし、真逆に、こちらが、相手を食うこともできる…」

 「…」

 「…私は、杉崎実業に内定した、5人の話から、それが、高雄組の話だと、推測しました…つまり、高雄さんと、結婚して、うまく高雄組に潜入して、内側から、高雄組に潜入して、高雄組を乗っ取ろうとしている勢力がある…一方で、高雄さんが、乗っとろうとしている、組織がある…そう考えました…」

 「…」

 「…高雄さんは、あのとき、そんな自分の内情を私に説明して、私に杉崎実業の内定を辞退しないで、もらいたい…自分に力を貸して、欲しいと、私に懇願しました…」

 「…」

 「…だから、私は、杉崎実業の内定を辞退しませんでした…でも、その後、林さんや、大場さんと、接するうちに、なんだか、当初、聞いた話と違う話が出てきました…」

 「…違う話? どう違うんですか?…」

 「…まず…ヤクザはいない…」

 「…」

 「…林さんは、お金持ち…大場さんは、著名な政治家の娘…つまり、誰も、高雄組を乗っ取ろうとしている人間はいない…」

 「…」

 「…これは、おかしいです…」

 「…」

 「…つまり、高雄さんは、私を騙したんです…」

 私は、断言した…

 「…騙した?…」

 「…ハイ…」

 私は、答えた。

 高雄は、私の話に考え込んだ…

 それから、ポツリと、

 「…竹下さんは、そう思ったんだ…」

 と、小さく、呟いた…

 私は、その言葉に、

 「…」

 と、なにも言わなかった…

 黙っていた…

 それは、所詮、高雄の独り言だからだ…

 が、高雄は、その後、

 「…竹下さんは、誤解していますね…誤解している…」

 と、はっきりと、私に向かって言った…

 それは、まるで、私に挑戦しているようにも…

 ケンカを売っているようにも、見えた…

 「…誤解? …なにが、誤解なんですか?…」

 私は、高雄のケンカを買った…

 正面切って、反論した…

 「…まず、ボクは、敵が、ヤクザ組織うんうんは、一言も言っていない…」

 「…」

 「…相手が、どこの誰とも、一言も言っていない…」

 「…」

 「…つまりは、竹下さんの話に根拠はない…ただ…」

 「…ただ、なんですか?…」

 「…一つだけ、当たっています…あの五人の中で、父の高雄組を乗っ取ろうとしている、人間が、混じってました…ボクは、その人間を、もっとも、警戒していました…」

 「…」

 「…その人間は、無邪気を装って、ボクに近付き、ボクの父親の組織を乗っ取ろうとしました…だから、ボクは、父のためにも、その人間から、父を、組織を守らなければならない…」

 …そんな人間が、身近にいたのか?…

 …それは、一体、誰なのだろう?…

 …林?…

 …大場?…

 それとも、

 …柴野?…

 …野口?…

 私は、考える…

 そんな私の様子を見て、高雄が面白そうに、言った…

 「…竹下さん…誰だか、考えているようですね?…」

 「…」

 と、私は、無言だった…

 「…ならば、教えます…それは、竹下クミ…アナタです…」

 高雄は言った…

                
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み