第98話

文字数 5,397文字

 果たして、これは、偶然なのか?

 それとも…

 それとも、誰かが絵を描いているのか?

 推理小説ではないが、あらかじめ、想定して、行動しているのか?

 疑問に思う…

 だが、少なくとも、あの場にいた4人のうち、松尾会長と、高雄組組長の力は、衰えた…

 すると、当たり前だが、誰が得をしたのか、考える。

 得をした者が絵を描いている…

 作戦を練っている…

 その可能性が高いからだ…

得をしたのは、稲葉五郎…

 稲葉五郎に決まっている…

 これで、堂々と、次期山田会会長の座に座ることができる…

 同じ山田会で、ライバルと目された高雄組組長の力は衰退…

 亡くなった山田会の古賀会長の兄弟分で、五分の盃を交わした松尾会会長、松尾聡(さとし)の力も、自作自演で、病院に逃げ隠れるほど、衰えた…

 つまりは、稲葉五郎にとって、目の上のたんこぶと言おうか、邪魔な人間、二人が、いなくなったことを意味する…

 高雄組組長は、稲葉五郎の兄貴分…

 松尾会長は、叔父…

 名目上は、稲葉五郎よりも立場が上…

 しかし、今回の騒動で、明らかに、稲葉五郎よりも立場が下になった…

 地位が逆転した…

 これで、なにがあっても、この先、稲葉五郎に意見することなど、できないだろう…

 いや、それ以前に、たしか、稲葉五郎は、

 「…兄貴は、山田会から追放の危機にある…」

 と、私に告げた…

 松尾会との騒動で、高雄組組長が下手を打ったからだ…

 うまく収めることができなかったからだ…

 それゆえ、山田会内部で、あらためて、高雄組組長が、ケンカ=抗争に弱いことが、わかったというか…

 頼りにならないことがわかった…

 それで、急速に、山田会内部で、人心が離れていった…

 だから、稲葉五郎は、

 「…兄貴は、山田会から追放の危機にある…」

 と、私に言ったのだ…

 そこへ追い打ちをかけるように、高雄組傘下の杉崎実業の一件だ…

 経済ヤクザである、高雄組の資金が枯渇することは、目に見えてる…

 金が力の源泉である高雄組から、金がなくなれば、山田会内部で、急速に力を失うだろう…

 もはや、その命運は風前の灯火だろう…

 すべて、稲葉五郎に有利になった…

 私は、今さらながら、その現実に気付いた…

 そして、また、もう一つの事実に、気付いた…

 松尾会長と、高雄組組長の繋がりだ…

 なぜ、松尾会長は、杉崎実業に、手を出そうとしたか?

 杉崎実業が、中国への不正輸出で、儲けているのは、わかっている…

 しかし、その杉崎実業は、高雄組の傘下…

 高雄組のフロント企業に他ならない…

 その杉崎実業に手を出すと言うことは、高雄組に、ちょっかいを出すことだ…

 抗争=ケンカを売ることだ…

 それが、わかっていて、松尾会長は、杉崎実業に手を出そうとするだろうか?

 普通は、ありえないだろう…

 手を出すとすれば、松尾会長の背後に誰かいるか?

 後ろ盾がいるか?

 あるいは、

 最初から、高雄組組長が承知していたか?

 の、どっちかだ…

そして、普通に考えれば、高雄組組長が、承知していた可能性が高い…

それゆえ、杉崎実業に、松尾会会長は、手を出そうとしたのではないか?

私は、その事実に、気付いた…

その可能性に、気付いた…

それならば、松尾会長が、杉崎実業に手を出そうとしていたのは、わかる…

あらかじめ、二人の間に、取り決めといおうか、密約といおうか…

そんなものが、あったに違いない…

だから、松尾会長は、杉崎実業に手を出そうとしたに違いない…

考えてみれば、さっき、稲葉五郎は、

「…兄貴は、山田会を追放の危機にある…」

と、言った…

これは、松尾会と山田会の抗争で、高雄組組長が下手を打ったから…

うまく、抗争を収められなかったからに、他ならない…

だから、高雄組組長は、あの後、松尾会長とうまくやろうとしたのではないか?

事実上、引退状態に近い、松尾会長と繋がることで、自らの汚名を、挽回しようとしたのではないか?

その交換条件というか、松尾会長とうまくやる代わりに、高雄組傘下の杉崎実業による、中国への不正輸出に一枚噛んで、儲けさせることを了承したのではないか?

そう思った…

しかし、誤算があった…

中国政府からの報復が、迅速だったこと…

手を出そうとした松尾会のヤクザが、まるで、見せしめのように、機関銃で、ハチの巣にされて、路上に、放置されたのだ…

誰が見ても、文字通り、見せしめだった…

杉崎実業に手を出せば、こんな目にあわせてやる…

その見本だった…

その報復を見た、松尾会長は、顔が蒼ざめ、慌てて、病院に逃げ込んだ…

あたかも、自分が、襲われたように、自作自演の銃撃を演出して、病院に逃げ込んだ…

だが、冷静に考えれば、最初から、松尾会会長は、一人で、決断したわけではなかったに違いない…

高雄組組長という、協力者がいたに違いない…

だから、杉崎実業に手を出した…

 しかし、その反撃が、あまりにも、迅速で、しかも、凄惨なものだったので、松尾会長は、ブルッた…

 みっともなくも、病院に逃げ込む醜態を演じた…

 それを見た、松尾会と敵対するヤクザは、松尾会会長の力が衰えたことを知り、松尾会を攻撃することに至った…

 そういうことだろう…

 要するに、松尾会会長の、目論見がはずれた…

 賭けがはずれた…

 それだけのことに、過ぎない…

 ただ、そこに松尾会と敵対するヤクザは、松尾会会長、松尾聡(さとし)の、衰えを見た…

 おそらく、以前の松尾聡(さとし)ならば、そんな下手を打たなかった…

 十分に、策を検討して、それから、動いたに違いない…

 仮に、自分の組員が、中国政府の工作員から、機関銃で、ハチの巣にされる醜態を演じても、松尾自身が、慌てて、病院に隠れるような真似はしなかったに違いない…

 それでは、コメディだ…

 威厳もなにも、あったものではない…

 全国のヤクザ者に舐められるのは、わかっている…

 もはや、松尾会長が、ヤクザ界で、生きることは不可能…

 それほどの醜態だった…

 それを世間に晒すことが、どういう結果を意味するのか?

 それが、わからないほど、松尾会長は老いた…

 判断力が衰えた…

 それを、全国の暴力団に知らしめたということだった…

 私は、考える。

 そして、また、さらに、もう一つの可能性について、考えた…

 あの大場小太郎代議士の存在だ…

 あの大場小太郎代議士は、この件について、一枚噛んでいるのだろうか?

 関係しているのだろうか?

 それが、謎だった…

 結果的に、あの日、私と大場代議士、松尾会長、高雄組長の4人で会ったが、松尾会長と高雄組長は、没落した…

 凋落した…

 もはや、復活は不可能だろう…

 以前のような力を取り戻すのは、不可能だろう…

 だとすれば、大場代議士は、それにまったく無関係なのだろうか?

 あの場にいた、大場小太郎代議士は、まったく無関係なのだろうか?

 どうしても、気になる…

 以前、高雄悠(ゆう)は、大場代議士は、父親が、国家公安委員長で、その関係で、ヤクザを監視するために、山田会の古賀会長と親しくしていたと、言った…

 高雄組組長や、松尾会会長も、古賀会長の縁で、知り合い、引き続き、監視している…

 そう思った…

 そして、今回、この二人が、凋落した…

 没落した…

 そのことに、大場代議士は、どう関わっているのだろうか?

 いや、

 そこまで、考えて、さらに思った…

 あの高雄…

 高雄悠(ゆう)は、大場代議士が、公安関係者だと知っている…

 そのソースというか、情報源は、一体誰か? 

 ということは、いったん、横に置いても、高雄の父である、高雄組組長は、大場代議士が、公安関係者だと知らなかったのだろうか?

 その疑問が残る…

 松尾会長や、稲葉五郎は、ともかく、高雄組組長は、血が繋がってないとはいえ、父子だ…

 育ての親だ…

 普通は、教えるだろう…

 あの二人は、感情に行き違いはあるが、憎み合っているようには、見えない…

 ということは、教えないか? 最初から、高雄組組長が知っていたかのどっちか?

 あるいは、高雄組組長から、大場代議士の素性を聞いていたかのどっちかだ…

 その場合は、情報源は、高雄組組長となる…

 また、そう考える方が、自然だ…

 なんといっても、血が繋がっていないとはいえ、父子だからだ…

 だが、私には、どうしても、そうは思えない…

 理由はない…

 ただ、どうしても、そうは、思えないのだ…

 以前も言ったが、これは、女の直感かもしれない…

 証拠もなにもないが、ただ、そう思うのだ…

 そして、さっきの話に戻るが、松尾会の組員が、中国からの工作員に機関銃で、ハチの巣にされた件…

 杉崎実業を事実上、牛耳る、高雄組組長は、松尾会が、加わることを、知らせなかったのだろうか?

 中国政府と合意があれば、松尾会が、あらたに加わっても、排除することはあり得ない…

 この場合の考えられる可能性は、二つ…

 高雄組組長の力が、杉崎実業で及ばないか?

 あるいは、

 最初から、高雄組組長が、松尾会を杉崎実業に引きずり込んだのは、罠で、中国政府の力を借りて、松尾会の組員を始末させたかった…

 この可能性も考えられる…

 とにかく、誰が敵で、誰が味方か、考えれば、考えるほど、わからなくなる…

 ただ、一つ、その中で言えるのは、あの稲葉五郎の一人勝ちと言うか、つまるところ、稲葉五郎が、得をした事実だった…

 杉崎実業は、高雄組のフロント企業だが、その杉崎実業が、仮に倒産しても、山田会は、痛くもかゆくもないだろう…

 高雄組は、山田会の二次団体だが、仮に、高雄組が解散しても、困ることは、ないに違いない…

 あくまで、杉崎実業は、高雄組に関係する会社であり、山田会とは、関係ないからだ…

 つまり、稲葉五郎にとって、杉崎実業が、潰れようが、どうしようが、なにも関係がない…

 痛手がない…

 困ることがないのだ…

 いわば、稲葉五郎のみが、勝ち残ったことになる…

 これは、果たして、偶然なのか?

 それとも、

 最初から、これが、稲葉五郎の目論見なのか?

 稲葉五郎が描いた絵なのか?

 稲葉五郎が、考えた作戦なのか?

 気になる…

 いや、

 気にならないはずはない…

 だが、

 私にとって、稲葉五郎は、恩人というか…

 いや、

 恩人ではないが、私を大切に思ってくれる、人間だった…

 年齢は、私の父親と、同世代だが、ある意味、父親以上に、私に優しかった…

 あんなコワモテの外観なのに、なぜだか、知らないが、ビックリするほど、私に優しかった…

 それが、そんな抜け目がないというか…

 最初から、高雄組組長を陥れるような真似をしたのだろうか?

 当たり前だが、どうしても、私には、そんなふうには、思えない…

 私に、異常なまでに、優しいから、私の感覚が、おかしくなっているのだろうか?

 誰もが、自分を好きな人間を、嫌いになることはできない…

 変な話、男と女の間で、下心丸出しで、

 「…オマエが好きだ…」

 と、言われれば、誰もが引く…

 好きになれない…

 ただ、稲葉五郎は、父子ほど、歳が離れているし、誰が、どう見ても、私に下心があるようには、見えない…

 あるのは、下心ではなく、愛情だ…

 父親のような優しい眼差しで、いつも、私を見ている…

 だからだろうか?

 仮に、稲葉五郎が、そんな策士であっても、どうしても、そうは思えない…

 いや、

 そうは、思いたくない…

 自分が好きな稲葉五郎が、そんな人間で、あって欲しくなかった…

 そんな策を弄する人間であって、欲しくなかった…

 それが、私の本心だった…

 私の願いだった…

 そして…

 ふと、気付いた…

 もし、

 もしも、だ…

 稲葉五郎の本性が、そんな策を弄する卑劣な人間だとしたら、私を、

 「…お嬢…お嬢…」

 と、持ち上げるのに、理由がある…

 いや、

 その理由は、今は亡き、古賀会長の血筋を引く者というのが、公の理由だ…

 それが、真実か否かは、ともかく、もしも、稲葉五郎が、そんな卑劣というか、計算高い人間ならば、稲葉五郎が、正式に山田会会長に就任するまでもなく、すでに、ライバルの高雄組組長が、会長レースで、脱落した時点で、私は、用済み…

 必要な存在ではなくなる…

 と、なれば、不要な存在になった以上、私に対する態度は、急変することになるではないか?

 私は、思った…

 稲葉五郎が、もし、そんな計算高い人間であれば、私に対する態度が、変わるのではないか?

 そんな事実について、気付いた…

 そんな可能性に、気付いた…

 私は、いつのまにか、稲葉五郎について、考えていた…

 自分の未来…

 杉崎実業への内定が、ほぼ白紙状態になって、自分の将来を真っ先に考えなければ、ならないにも、かかわらず、稲葉五郎のことを考えていた…

 まさか、恋?

 一瞬、思った…

 まさか、私は、稲葉五郎に、恋している?

 一瞬、考えた…

 いや、

 それは、ありえない…

 いくら、稲葉五郎のことを、考えようと、これは、恋ではない…

 稲葉五郎は、嫌いではない…

 稲葉五郎が、私を可愛がってくれるから、私も稲葉五郎を、嫌いではない…

 好きだ…

 しかし、これは、恋とは違う…

 例えば、親戚の叔父さんを好きと同じような好きだ…

 私は、自分自身に言い聞かせる…

 これは、恋ではないと、自分自身に言い聞かせる…

 なぜか、稲葉五郎の存在が、私の中で、急速に大きくなっていった…

                
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み