第98話
文字数 5,397文字
果たして、これは、偶然なのか?
それとも…
それとも、誰かが絵を描いているのか?
推理小説ではないが、あらかじめ、想定して、行動しているのか?
疑問に思う…
だが、少なくとも、あの場にいた4人のうち、松尾会長と、高雄組組長の力は、衰えた…
すると、当たり前だが、誰が得をしたのか、考える。
得をした者が絵を描いている…
作戦を練っている…
その可能性が高いからだ…
得をしたのは、稲葉五郎…
稲葉五郎に決まっている…
これで、堂々と、次期山田会会長の座に座ることができる…
同じ山田会で、ライバルと目された高雄組組長の力は衰退…
亡くなった山田会の古賀会長の兄弟分で、五分の盃を交わした松尾会会長、松尾聡(さとし)の力も、自作自演で、病院に逃げ隠れるほど、衰えた…
つまりは、稲葉五郎にとって、目の上のたんこぶと言おうか、邪魔な人間、二人が、いなくなったことを意味する…
高雄組組長は、稲葉五郎の兄貴分…
松尾会長は、叔父…
名目上は、稲葉五郎よりも立場が上…
しかし、今回の騒動で、明らかに、稲葉五郎よりも立場が下になった…
地位が逆転した…
これで、なにがあっても、この先、稲葉五郎に意見することなど、できないだろう…
いや、それ以前に、たしか、稲葉五郎は、
「…兄貴は、山田会から追放の危機にある…」
と、私に告げた…
松尾会との騒動で、高雄組組長が下手を打ったからだ…
うまく収めることができなかったからだ…
それゆえ、山田会内部で、あらためて、高雄組組長が、ケンカ=抗争に弱いことが、わかったというか…
頼りにならないことがわかった…
それで、急速に、山田会内部で、人心が離れていった…
だから、稲葉五郎は、
「…兄貴は、山田会から追放の危機にある…」
と、私に言ったのだ…
そこへ追い打ちをかけるように、高雄組傘下の杉崎実業の一件だ…
経済ヤクザである、高雄組の資金が枯渇することは、目に見えてる…
金が力の源泉である高雄組から、金がなくなれば、山田会内部で、急速に力を失うだろう…
もはや、その命運は風前の灯火だろう…
すべて、稲葉五郎に有利になった…
私は、今さらながら、その現実に気付いた…
そして、また、もう一つの事実に、気付いた…
松尾会長と、高雄組組長の繋がりだ…
なぜ、松尾会長は、杉崎実業に、手を出そうとしたか?
杉崎実業が、中国への不正輸出で、儲けているのは、わかっている…
しかし、その杉崎実業は、高雄組の傘下…
高雄組のフロント企業に他ならない…
その杉崎実業に手を出すと言うことは、高雄組に、ちょっかいを出すことだ…
抗争=ケンカを売ることだ…
それが、わかっていて、松尾会長は、杉崎実業に手を出そうとするだろうか?
普通は、ありえないだろう…
手を出すとすれば、松尾会長の背後に誰かいるか?
後ろ盾がいるか?
あるいは、
最初から、高雄組組長が承知していたか?
の、どっちかだ…
そして、普通に考えれば、高雄組組長が、承知していた可能性が高い…
それゆえ、杉崎実業に、松尾会会長は、手を出そうとしたのではないか?
私は、その事実に、気付いた…
その可能性に、気付いた…
それならば、松尾会長が、杉崎実業に手を出そうとしていたのは、わかる…
あらかじめ、二人の間に、取り決めといおうか、密約といおうか…
そんなものが、あったに違いない…
だから、松尾会長は、杉崎実業に手を出そうとしたに違いない…
考えてみれば、さっき、稲葉五郎は、
「…兄貴は、山田会を追放の危機にある…」
と、言った…
これは、松尾会と山田会の抗争で、高雄組組長が下手を打ったから…
うまく、抗争を収められなかったからに、他ならない…
だから、高雄組組長は、あの後、松尾会長とうまくやろうとしたのではないか?
事実上、引退状態に近い、松尾会長と繋がることで、自らの汚名を、挽回しようとしたのではないか?
その交換条件というか、松尾会長とうまくやる代わりに、高雄組傘下の杉崎実業による、中国への不正輸出に一枚噛んで、儲けさせることを了承したのではないか?
そう思った…
しかし、誤算があった…
中国政府からの報復が、迅速だったこと…
手を出そうとした松尾会のヤクザが、まるで、見せしめのように、機関銃で、ハチの巣にされて、路上に、放置されたのだ…
誰が見ても、文字通り、見せしめだった…
杉崎実業に手を出せば、こんな目にあわせてやる…
その見本だった…
その報復を見た、松尾会長は、顔が蒼ざめ、慌てて、病院に逃げ込んだ…
あたかも、自分が、襲われたように、自作自演の銃撃を演出して、病院に逃げ込んだ…
だが、冷静に考えれば、最初から、松尾会会長は、一人で、決断したわけではなかったに違いない…
高雄組組長という、協力者がいたに違いない…
だから、杉崎実業に手を出した…
しかし、その反撃が、あまりにも、迅速で、しかも、凄惨なものだったので、松尾会長は、ブルッた…
みっともなくも、病院に逃げ込む醜態を演じた…
それを見た、松尾会と敵対するヤクザは、松尾会会長の力が衰えたことを知り、松尾会を攻撃することに至った…
そういうことだろう…
要するに、松尾会会長の、目論見がはずれた…
賭けがはずれた…
それだけのことに、過ぎない…
ただ、そこに松尾会と敵対するヤクザは、松尾会会長、松尾聡(さとし)の、衰えを見た…
おそらく、以前の松尾聡(さとし)ならば、そんな下手を打たなかった…
十分に、策を検討して、それから、動いたに違いない…
仮に、自分の組員が、中国政府の工作員から、機関銃で、ハチの巣にされる醜態を演じても、松尾自身が、慌てて、病院に隠れるような真似はしなかったに違いない…
それでは、コメディだ…
威厳もなにも、あったものではない…
全国のヤクザ者に舐められるのは、わかっている…
もはや、松尾会長が、ヤクザ界で、生きることは不可能…
それほどの醜態だった…
それを世間に晒すことが、どういう結果を意味するのか?
それが、わからないほど、松尾会長は老いた…
判断力が衰えた…
それを、全国の暴力団に知らしめたということだった…
私は、考える。
そして、また、さらに、もう一つの可能性について、考えた…
あの大場小太郎代議士の存在だ…
あの大場小太郎代議士は、この件について、一枚噛んでいるのだろうか?
関係しているのだろうか?
それが、謎だった…
結果的に、あの日、私と大場代議士、松尾会長、高雄組長の4人で会ったが、松尾会長と高雄組長は、没落した…
凋落した…
もはや、復活は不可能だろう…
以前のような力を取り戻すのは、不可能だろう…
だとすれば、大場代議士は、それにまったく無関係なのだろうか?
あの場にいた、大場小太郎代議士は、まったく無関係なのだろうか?
どうしても、気になる…
以前、高雄悠(ゆう)は、大場代議士は、父親が、国家公安委員長で、その関係で、ヤクザを監視するために、山田会の古賀会長と親しくしていたと、言った…
高雄組組長や、松尾会会長も、古賀会長の縁で、知り合い、引き続き、監視している…
そう思った…
そして、今回、この二人が、凋落した…
没落した…
そのことに、大場代議士は、どう関わっているのだろうか?
いや、
そこまで、考えて、さらに思った…
あの高雄…
高雄悠(ゆう)は、大場代議士が、公安関係者だと知っている…
そのソースというか、情報源は、一体誰か?
ということは、いったん、横に置いても、高雄の父である、高雄組組長は、大場代議士が、公安関係者だと知らなかったのだろうか?
その疑問が残る…
松尾会長や、稲葉五郎は、ともかく、高雄組組長は、血が繋がってないとはいえ、父子だ…
育ての親だ…
普通は、教えるだろう…
あの二人は、感情に行き違いはあるが、憎み合っているようには、見えない…
ということは、教えないか? 最初から、高雄組組長が知っていたかのどっちか?
あるいは、高雄組組長から、大場代議士の素性を聞いていたかのどっちかだ…
その場合は、情報源は、高雄組組長となる…
また、そう考える方が、自然だ…
なんといっても、血が繋がっていないとはいえ、父子だからだ…
だが、私には、どうしても、そうは思えない…
理由はない…
ただ、どうしても、そうは、思えないのだ…
以前も言ったが、これは、女の直感かもしれない…
証拠もなにもないが、ただ、そう思うのだ…
そして、さっきの話に戻るが、松尾会の組員が、中国からの工作員に機関銃で、ハチの巣にされた件…
杉崎実業を事実上、牛耳る、高雄組組長は、松尾会が、加わることを、知らせなかったのだろうか?
中国政府と合意があれば、松尾会が、あらたに加わっても、排除することはあり得ない…
この場合の考えられる可能性は、二つ…
高雄組組長の力が、杉崎実業で及ばないか?
あるいは、
最初から、高雄組組長が、松尾会を杉崎実業に引きずり込んだのは、罠で、中国政府の力を借りて、松尾会の組員を始末させたかった…
この可能性も考えられる…
とにかく、誰が敵で、誰が味方か、考えれば、考えるほど、わからなくなる…
ただ、一つ、その中で言えるのは、あの稲葉五郎の一人勝ちと言うか、つまるところ、稲葉五郎が、得をした事実だった…
杉崎実業は、高雄組のフロント企業だが、その杉崎実業が、仮に倒産しても、山田会は、痛くもかゆくもないだろう…
高雄組は、山田会の二次団体だが、仮に、高雄組が解散しても、困ることは、ないに違いない…
あくまで、杉崎実業は、高雄組に関係する会社であり、山田会とは、関係ないからだ…
つまり、稲葉五郎にとって、杉崎実業が、潰れようが、どうしようが、なにも関係がない…
痛手がない…
困ることがないのだ…
いわば、稲葉五郎のみが、勝ち残ったことになる…
これは、果たして、偶然なのか?
それとも、
最初から、これが、稲葉五郎の目論見なのか?
稲葉五郎が描いた絵なのか?
稲葉五郎が、考えた作戦なのか?
気になる…
いや、
気にならないはずはない…
だが、
私にとって、稲葉五郎は、恩人というか…
いや、
恩人ではないが、私を大切に思ってくれる、人間だった…
年齢は、私の父親と、同世代だが、ある意味、父親以上に、私に優しかった…
あんなコワモテの外観なのに、なぜだか、知らないが、ビックリするほど、私に優しかった…
それが、そんな抜け目がないというか…
最初から、高雄組組長を陥れるような真似をしたのだろうか?
当たり前だが、どうしても、私には、そんなふうには、思えない…
私に、異常なまでに、優しいから、私の感覚が、おかしくなっているのだろうか?
誰もが、自分を好きな人間を、嫌いになることはできない…
変な話、男と女の間で、下心丸出しで、
「…オマエが好きだ…」
と、言われれば、誰もが引く…
好きになれない…
ただ、稲葉五郎は、父子ほど、歳が離れているし、誰が、どう見ても、私に下心があるようには、見えない…
あるのは、下心ではなく、愛情だ…
父親のような優しい眼差しで、いつも、私を見ている…
だからだろうか?
仮に、稲葉五郎が、そんな策士であっても、どうしても、そうは思えない…
いや、
そうは、思いたくない…
自分が好きな稲葉五郎が、そんな人間で、あって欲しくなかった…
そんな策を弄する人間であって、欲しくなかった…
それが、私の本心だった…
私の願いだった…
そして…
ふと、気付いた…
もし、
もしも、だ…
稲葉五郎の本性が、そんな策を弄する卑劣な人間だとしたら、私を、
「…お嬢…お嬢…」
と、持ち上げるのに、理由がある…
いや、
その理由は、今は亡き、古賀会長の血筋を引く者というのが、公の理由だ…
それが、真実か否かは、ともかく、もしも、稲葉五郎が、そんな卑劣というか、計算高い人間ならば、稲葉五郎が、正式に山田会会長に就任するまでもなく、すでに、ライバルの高雄組組長が、会長レースで、脱落した時点で、私は、用済み…
必要な存在ではなくなる…
と、なれば、不要な存在になった以上、私に対する態度は、急変することになるではないか?
私は、思った…
稲葉五郎が、もし、そんな計算高い人間であれば、私に対する態度が、変わるのではないか?
そんな事実について、気付いた…
そんな可能性に、気付いた…
私は、いつのまにか、稲葉五郎について、考えていた…
自分の未来…
杉崎実業への内定が、ほぼ白紙状態になって、自分の将来を真っ先に考えなければ、ならないにも、かかわらず、稲葉五郎のことを考えていた…
まさか、恋?
一瞬、思った…
まさか、私は、稲葉五郎に、恋している?
一瞬、考えた…
いや、
それは、ありえない…
いくら、稲葉五郎のことを、考えようと、これは、恋ではない…
稲葉五郎は、嫌いではない…
稲葉五郎が、私を可愛がってくれるから、私も稲葉五郎を、嫌いではない…
好きだ…
しかし、これは、恋とは違う…
例えば、親戚の叔父さんを好きと同じような好きだ…
私は、自分自身に言い聞かせる…
これは、恋ではないと、自分自身に言い聞かせる…
なぜか、稲葉五郎の存在が、私の中で、急速に大きくなっていった…
それとも…
それとも、誰かが絵を描いているのか?
推理小説ではないが、あらかじめ、想定して、行動しているのか?
疑問に思う…
だが、少なくとも、あの場にいた4人のうち、松尾会長と、高雄組組長の力は、衰えた…
すると、当たり前だが、誰が得をしたのか、考える。
得をした者が絵を描いている…
作戦を練っている…
その可能性が高いからだ…
得をしたのは、稲葉五郎…
稲葉五郎に決まっている…
これで、堂々と、次期山田会会長の座に座ることができる…
同じ山田会で、ライバルと目された高雄組組長の力は衰退…
亡くなった山田会の古賀会長の兄弟分で、五分の盃を交わした松尾会会長、松尾聡(さとし)の力も、自作自演で、病院に逃げ隠れるほど、衰えた…
つまりは、稲葉五郎にとって、目の上のたんこぶと言おうか、邪魔な人間、二人が、いなくなったことを意味する…
高雄組組長は、稲葉五郎の兄貴分…
松尾会長は、叔父…
名目上は、稲葉五郎よりも立場が上…
しかし、今回の騒動で、明らかに、稲葉五郎よりも立場が下になった…
地位が逆転した…
これで、なにがあっても、この先、稲葉五郎に意見することなど、できないだろう…
いや、それ以前に、たしか、稲葉五郎は、
「…兄貴は、山田会から追放の危機にある…」
と、私に告げた…
松尾会との騒動で、高雄組組長が下手を打ったからだ…
うまく収めることができなかったからだ…
それゆえ、山田会内部で、あらためて、高雄組組長が、ケンカ=抗争に弱いことが、わかったというか…
頼りにならないことがわかった…
それで、急速に、山田会内部で、人心が離れていった…
だから、稲葉五郎は、
「…兄貴は、山田会から追放の危機にある…」
と、私に言ったのだ…
そこへ追い打ちをかけるように、高雄組傘下の杉崎実業の一件だ…
経済ヤクザである、高雄組の資金が枯渇することは、目に見えてる…
金が力の源泉である高雄組から、金がなくなれば、山田会内部で、急速に力を失うだろう…
もはや、その命運は風前の灯火だろう…
すべて、稲葉五郎に有利になった…
私は、今さらながら、その現実に気付いた…
そして、また、もう一つの事実に、気付いた…
松尾会長と、高雄組組長の繋がりだ…
なぜ、松尾会長は、杉崎実業に、手を出そうとしたか?
杉崎実業が、中国への不正輸出で、儲けているのは、わかっている…
しかし、その杉崎実業は、高雄組の傘下…
高雄組のフロント企業に他ならない…
その杉崎実業に手を出すと言うことは、高雄組に、ちょっかいを出すことだ…
抗争=ケンカを売ることだ…
それが、わかっていて、松尾会長は、杉崎実業に手を出そうとするだろうか?
普通は、ありえないだろう…
手を出すとすれば、松尾会長の背後に誰かいるか?
後ろ盾がいるか?
あるいは、
最初から、高雄組組長が承知していたか?
の、どっちかだ…
そして、普通に考えれば、高雄組組長が、承知していた可能性が高い…
それゆえ、杉崎実業に、松尾会会長は、手を出そうとしたのではないか?
私は、その事実に、気付いた…
その可能性に、気付いた…
それならば、松尾会長が、杉崎実業に手を出そうとしていたのは、わかる…
あらかじめ、二人の間に、取り決めといおうか、密約といおうか…
そんなものが、あったに違いない…
だから、松尾会長は、杉崎実業に手を出そうとしたに違いない…
考えてみれば、さっき、稲葉五郎は、
「…兄貴は、山田会を追放の危機にある…」
と、言った…
これは、松尾会と山田会の抗争で、高雄組組長が下手を打ったから…
うまく、抗争を収められなかったからに、他ならない…
だから、高雄組組長は、あの後、松尾会長とうまくやろうとしたのではないか?
事実上、引退状態に近い、松尾会長と繋がることで、自らの汚名を、挽回しようとしたのではないか?
その交換条件というか、松尾会長とうまくやる代わりに、高雄組傘下の杉崎実業による、中国への不正輸出に一枚噛んで、儲けさせることを了承したのではないか?
そう思った…
しかし、誤算があった…
中国政府からの報復が、迅速だったこと…
手を出そうとした松尾会のヤクザが、まるで、見せしめのように、機関銃で、ハチの巣にされて、路上に、放置されたのだ…
誰が見ても、文字通り、見せしめだった…
杉崎実業に手を出せば、こんな目にあわせてやる…
その見本だった…
その報復を見た、松尾会長は、顔が蒼ざめ、慌てて、病院に逃げ込んだ…
あたかも、自分が、襲われたように、自作自演の銃撃を演出して、病院に逃げ込んだ…
だが、冷静に考えれば、最初から、松尾会会長は、一人で、決断したわけではなかったに違いない…
高雄組組長という、協力者がいたに違いない…
だから、杉崎実業に手を出した…
しかし、その反撃が、あまりにも、迅速で、しかも、凄惨なものだったので、松尾会長は、ブルッた…
みっともなくも、病院に逃げ込む醜態を演じた…
それを見た、松尾会と敵対するヤクザは、松尾会会長の力が衰えたことを知り、松尾会を攻撃することに至った…
そういうことだろう…
要するに、松尾会会長の、目論見がはずれた…
賭けがはずれた…
それだけのことに、過ぎない…
ただ、そこに松尾会と敵対するヤクザは、松尾会会長、松尾聡(さとし)の、衰えを見た…
おそらく、以前の松尾聡(さとし)ならば、そんな下手を打たなかった…
十分に、策を検討して、それから、動いたに違いない…
仮に、自分の組員が、中国政府の工作員から、機関銃で、ハチの巣にされる醜態を演じても、松尾自身が、慌てて、病院に隠れるような真似はしなかったに違いない…
それでは、コメディだ…
威厳もなにも、あったものではない…
全国のヤクザ者に舐められるのは、わかっている…
もはや、松尾会長が、ヤクザ界で、生きることは不可能…
それほどの醜態だった…
それを世間に晒すことが、どういう結果を意味するのか?
それが、わからないほど、松尾会長は老いた…
判断力が衰えた…
それを、全国の暴力団に知らしめたということだった…
私は、考える。
そして、また、さらに、もう一つの可能性について、考えた…
あの大場小太郎代議士の存在だ…
あの大場小太郎代議士は、この件について、一枚噛んでいるのだろうか?
関係しているのだろうか?
それが、謎だった…
結果的に、あの日、私と大場代議士、松尾会長、高雄組長の4人で会ったが、松尾会長と高雄組長は、没落した…
凋落した…
もはや、復活は不可能だろう…
以前のような力を取り戻すのは、不可能だろう…
だとすれば、大場代議士は、それにまったく無関係なのだろうか?
あの場にいた、大場小太郎代議士は、まったく無関係なのだろうか?
どうしても、気になる…
以前、高雄悠(ゆう)は、大場代議士は、父親が、国家公安委員長で、その関係で、ヤクザを監視するために、山田会の古賀会長と親しくしていたと、言った…
高雄組組長や、松尾会会長も、古賀会長の縁で、知り合い、引き続き、監視している…
そう思った…
そして、今回、この二人が、凋落した…
没落した…
そのことに、大場代議士は、どう関わっているのだろうか?
いや、
そこまで、考えて、さらに思った…
あの高雄…
高雄悠(ゆう)は、大場代議士が、公安関係者だと知っている…
そのソースというか、情報源は、一体誰か?
ということは、いったん、横に置いても、高雄の父である、高雄組組長は、大場代議士が、公安関係者だと知らなかったのだろうか?
その疑問が残る…
松尾会長や、稲葉五郎は、ともかく、高雄組組長は、血が繋がってないとはいえ、父子だ…
育ての親だ…
普通は、教えるだろう…
あの二人は、感情に行き違いはあるが、憎み合っているようには、見えない…
ということは、教えないか? 最初から、高雄組組長が知っていたかのどっちか?
あるいは、高雄組組長から、大場代議士の素性を聞いていたかのどっちかだ…
その場合は、情報源は、高雄組組長となる…
また、そう考える方が、自然だ…
なんといっても、血が繋がっていないとはいえ、父子だからだ…
だが、私には、どうしても、そうは思えない…
理由はない…
ただ、どうしても、そうは、思えないのだ…
以前も言ったが、これは、女の直感かもしれない…
証拠もなにもないが、ただ、そう思うのだ…
そして、さっきの話に戻るが、松尾会の組員が、中国からの工作員に機関銃で、ハチの巣にされた件…
杉崎実業を事実上、牛耳る、高雄組組長は、松尾会が、加わることを、知らせなかったのだろうか?
中国政府と合意があれば、松尾会が、あらたに加わっても、排除することはあり得ない…
この場合の考えられる可能性は、二つ…
高雄組組長の力が、杉崎実業で及ばないか?
あるいは、
最初から、高雄組組長が、松尾会を杉崎実業に引きずり込んだのは、罠で、中国政府の力を借りて、松尾会の組員を始末させたかった…
この可能性も考えられる…
とにかく、誰が敵で、誰が味方か、考えれば、考えるほど、わからなくなる…
ただ、一つ、その中で言えるのは、あの稲葉五郎の一人勝ちと言うか、つまるところ、稲葉五郎が、得をした事実だった…
杉崎実業は、高雄組のフロント企業だが、その杉崎実業が、仮に倒産しても、山田会は、痛くもかゆくもないだろう…
高雄組は、山田会の二次団体だが、仮に、高雄組が解散しても、困ることは、ないに違いない…
あくまで、杉崎実業は、高雄組に関係する会社であり、山田会とは、関係ないからだ…
つまり、稲葉五郎にとって、杉崎実業が、潰れようが、どうしようが、なにも関係がない…
痛手がない…
困ることがないのだ…
いわば、稲葉五郎のみが、勝ち残ったことになる…
これは、果たして、偶然なのか?
それとも、
最初から、これが、稲葉五郎の目論見なのか?
稲葉五郎が描いた絵なのか?
稲葉五郎が、考えた作戦なのか?
気になる…
いや、
気にならないはずはない…
だが、
私にとって、稲葉五郎は、恩人というか…
いや、
恩人ではないが、私を大切に思ってくれる、人間だった…
年齢は、私の父親と、同世代だが、ある意味、父親以上に、私に優しかった…
あんなコワモテの外観なのに、なぜだか、知らないが、ビックリするほど、私に優しかった…
それが、そんな抜け目がないというか…
最初から、高雄組組長を陥れるような真似をしたのだろうか?
当たり前だが、どうしても、私には、そんなふうには、思えない…
私に、異常なまでに、優しいから、私の感覚が、おかしくなっているのだろうか?
誰もが、自分を好きな人間を、嫌いになることはできない…
変な話、男と女の間で、下心丸出しで、
「…オマエが好きだ…」
と、言われれば、誰もが引く…
好きになれない…
ただ、稲葉五郎は、父子ほど、歳が離れているし、誰が、どう見ても、私に下心があるようには、見えない…
あるのは、下心ではなく、愛情だ…
父親のような優しい眼差しで、いつも、私を見ている…
だからだろうか?
仮に、稲葉五郎が、そんな策士であっても、どうしても、そうは思えない…
いや、
そうは、思いたくない…
自分が好きな稲葉五郎が、そんな人間で、あって欲しくなかった…
そんな策を弄する人間であって、欲しくなかった…
それが、私の本心だった…
私の願いだった…
そして…
ふと、気付いた…
もし、
もしも、だ…
稲葉五郎の本性が、そんな策を弄する卑劣な人間だとしたら、私を、
「…お嬢…お嬢…」
と、持ち上げるのに、理由がある…
いや、
その理由は、今は亡き、古賀会長の血筋を引く者というのが、公の理由だ…
それが、真実か否かは、ともかく、もしも、稲葉五郎が、そんな卑劣というか、計算高い人間ならば、稲葉五郎が、正式に山田会会長に就任するまでもなく、すでに、ライバルの高雄組組長が、会長レースで、脱落した時点で、私は、用済み…
必要な存在ではなくなる…
と、なれば、不要な存在になった以上、私に対する態度は、急変することになるではないか?
私は、思った…
稲葉五郎が、もし、そんな計算高い人間であれば、私に対する態度が、変わるのではないか?
そんな事実について、気付いた…
そんな可能性に、気付いた…
私は、いつのまにか、稲葉五郎について、考えていた…
自分の未来…
杉崎実業への内定が、ほぼ白紙状態になって、自分の将来を真っ先に考えなければ、ならないにも、かかわらず、稲葉五郎のことを考えていた…
まさか、恋?
一瞬、思った…
まさか、私は、稲葉五郎に、恋している?
一瞬、考えた…
いや、
それは、ありえない…
いくら、稲葉五郎のことを、考えようと、これは、恋ではない…
稲葉五郎は、嫌いではない…
稲葉五郎が、私を可愛がってくれるから、私も稲葉五郎を、嫌いではない…
好きだ…
しかし、これは、恋とは違う…
例えば、親戚の叔父さんを好きと同じような好きだ…
私は、自分自身に言い聞かせる…
これは、恋ではないと、自分自身に言い聞かせる…
なぜか、稲葉五郎の存在が、私の中で、急速に大きくなっていった…