第45話

文字数 5,206文字

 …私が、来なければ、始まらない…

 誰もが、そう言われて、悪い気はしない…

 事実、あのヤクザ界のスター、稲葉五郎に、お姫様扱いされて、私は、悪い気はしなかった…

 稲葉五郎は、たしかに見てくれは、怖いし、怒れば、私など、簡単に、殺されそうだが、なぜか、稲葉五郎は、私に優しい…

 演技かもしれないが、演技とは、思えないほど、私を優しく見る…

 優しい眼差しで、見る…

 50歳の稲葉五郎から見れば、22歳の私は、娘…

 もしかしたら、稲葉五郎には、私と同じくらいの年齢の娘がいて、私にその娘の面影を見ているのかもしれない…

 私は、ふと思った…

 稲葉五郎は、ヤクザ者…

 ヤクザ者は、やはり、離婚が多いに違いない…

 いや、ヤクザ者に限らず、一般人も、今の時代、離婚が多い…

 離婚した元の奥さんに、私と同年齢ぐらいの娘がいて、稲葉五郎が、私に、その娘を重ねて見ていた、可能性が高い…

 ホントのところ、稲葉五郎が、ロリコンで、あるいは、私に下心がある…

 その可能性も捨てきれない(笑)…

 しかしながら、自分でいうのも、なんだが、私はそれほどキレイではない…

 美人ではない…

 稲葉五郎のような高名なヤクザ者ならば、父子ほど歳の離れた、女でも、なんとか、なるに違いない…

 私のような、そこそこの美人よりも、本物の美人を手に入れられるに違いない…

 だから、どう考えても、稲葉五郎が、私に下心があるようには、見えない…

 見えないのだ…

 私が、そんなことを考えてると、

 「…どうしたの…お嬢ちゃん…ボーっとして…さっさと来ないと、置いてっちゃうよ…」

 と、藤原綾乃が、声をかけたので、慌てて、歩き出した。

 「…スイマセン…」

 私は、慌てて、藤原綾乃に駆け寄った…

 そんな私を、藤原綾乃は、ニコニコと見た…

 「…お嬢ちゃん…面白いね…」

 藤原綾乃が、意外なことを言った…

 「…面白い? …」

 私は、思わず、オウム返しに、繰り返した…

 「…いえ、お嬢ちゃんだけじゃないわ…お嬢ちゃんといっしょに、入社する予定の他の4人もみんな、面白い…」

 藤原綾乃が続けた。

 しかし、私は、それを信じなかった…

 おそらく、

 「…お嬢ちゃん…面白いね…」

 と、思わず、口にした言葉が真実というか、本音では? と、考えた。

 なぜなら、他の4人は、面白いのではなく、優れているのだ…

 何度も言うように、林は、大金持ち、大場は、次期総理総裁候補の娘、残りの、柴野と野口の素性はわからないが、柴野は一橋大、野口は東京外語大と、頭脳が優れている…

 私だけ、なにもない…

 同じような顔をして、同じような身長の5人の女の中で、私だけ、なにもない…

 だから、この藤原綾乃は、

 「…お嬢ちゃん…面白いね…」

 と、言ったに違いない…

 私は、そう見抜いた…

 私は、そう判断した…

 そう考えると、自然に、

 「…承知…」

 と、心の中で、叫んだ…

 私だけ、なにもない…

 でも、恐れることはない…

 なぜか、私は、好かれている。

 自分で言うのも、なんだが、周囲の人間から、大事にされてる…

 だから、この藤原綾乃もまた、
 
 「…お嬢ちゃん…面白いね…」

 と、言ったに違いない…

 なにもない、私、竹下クミが、周囲から好かれている…

 大事にされてる…

 その事実を指して、
 
 「…お嬢ちゃん…面白いね…」

 と、言ったに違いないのだ…

 私は、そう固く、信じた…

 いや、信じ込もうとした…

 そうでなければ、やってられないからだ…

 私だけ、なにもない…

竹下クミだけが、なにもない中で、他の4人の女と席を並べるのは、苦痛しかないからだ…

 私は、そう信じて、藤原綾乃の後を追った…

 杉崎実業のあるビルに入った…


 結局、その日は、なにもなかった…

 なにもなかったというのは、正直、顔見せに過ぎなかった…

 前回、同様、この杉崎実業に、入社するか否かの意思確認に過ぎなかった…

 実際は、そうはいってないが、カリキュラムといおうか、講義といおうか、講座といおうか、藤原綾乃が講師となって、私を含めた5人の入社予定者の前で、語ったのは、社会人としてのマナーだとか、心構えとか、一言で言って、どうでもいい内容と言うか、ありきたりな内容だった…

 だから、どうしても、この日集まったのは、
顔見せに過ぎないと、とろい私でも、気付いた…

 とろい、竹下クミでも、気付いた(笑)…

 これは、この杉崎実業にかかわらず、どこの会社もやること…

 どこの企業でも、行われることだと、以前から、父が言っていた…

 要するに、入社予定の学生に、入社前に逃げられては、困るからだ…

 他社に逃げられては、困るからだ…

 だから、入社前にもかかわらず、何度も顔を会わせ、仲良くさせる。

 そうすることで、脱落者を少なくさせる。

 いわば、団結心を固めさせるというか…

 オレも、アイツも、来年、この会社に入社するんだと、頭の中だけでなく、体験させることで、心の中だけでなく、カラダでわからせるというか(笑)…

 つまり、そういうことだ(笑)…

 そして、これは、以前も書いたが、入社後も、数年は続ける…

 いわゆる、同じ入社年次=同期の人間を集めて、アレコレ、今の私と同じように、講義やら、あるいは、飲み会やらを行うことで、団結心を固めさせるというか…

 脱落者を出さないように、させる。

 退職者を出さないように、させる。

 要するに、目的は、コレに過ぎない(笑)…

 だから、私は、藤原綾乃の講義を聞きながら、退屈だった…

 いや、私だけではない、他の4人も退屈だったに違いない…

 なぜなら、他の4人は、優秀…

 私よりも、はるかに優秀なのは、誰の目にも明らか…

 そんな優秀な4人だから、私よりもはるかに先に、今日集まった目的が、わかったに違いない…

 理解できたに違いない…

 私は、そう考えて、他の4人の顔色を窺ったが、他の4人は、思いのほか、マジメといおうか…

 今日集まった目的は、私よりもはるかに先にわかったに違いないにも、かかわらず、そんな態度は、おくびにも出さなかった…

 さすがというか…

 優秀な人間は、どんなことにも、優秀だ…

 能力がない人間は、むしろ、こんなときは、

 「…今日、私たちを集めた目的は、単なる顔見せと言うか、この会社に入る予定の人間に、他社に逃げられないために、集めたんでしょ?…」

 と、言葉にしないまでも、露骨に態度に示しかねない…

 私は、今日、私たちを集めた目的は、わかっているとばかりに、それを態度に示すことで、自分が優秀だと、周囲にアピールするのだ…

 真逆に、能力がある人間は、わかっていても、それを態度に示さない…

 あからさまに、態度に示すことで、周囲の反感を買うことを、恐れているからだ…

 能ある鷹は爪を隠す…

 そういうことだ(笑)…

 私は、思った…

 だが、私の見立てと違ったのか、講師の杉原綾乃が、突然、

 「…なんだか、皆さん、退屈そうね…」

 と、口にした…

 私は、驚いた…

 とても、私には、そんなふうに、思えなかったからだ…

 「…やはり、皆さんには、高雄取締役が、来なければ、ダメなようね…」

 と、藤原綾乃が、突然、高雄悠(ゆう)の名前を口にした…

 私は、ビックリした…

 まさか、ここで、いきなり高雄の名前が出るとは、思わなかったからだ…

 「…私も、皆さんが、男性ならば、少しは、興味を持たせることが、できたと思う…」

 と、藤原綾乃が、意味深に笑う…

 たしかに、藤原綾乃は、30歳は過ぎているが、長身で、抜群にプロポーションが、良いだけでなく、ずばり色気がある…

 いくら、美人で、プロポーションが良くても、色気がまったくなければ、男が、興味が湧かない…

 いや、

 湧かないわけではないが、色気があるか、ないかで、周囲の注目度というか、視線の数が異なってくる…

 いわゆる、セクシーであるか、否か、だ…

 逆をいえば、色気があれば、顔やスタイルが良くなくても、ある程度の視線を集められるとも言える…

 色気=要するに、雰囲気だ…

 藤原綾乃は、私たちが女ではなく、男だったら、もう少し、私たちが、身を入れてというか、真剣に、藤原綾乃の話を聞いてくれると、思ったに違いない…

 事実、その通り…

 藤原綾乃の言う通りだ(笑)…

 藤原綾乃は、私たち5人から見れば、いわゆるキレイなお姉さん…

 歳も十歳ぐらい上だ…

 だが、たしかにキレイだが、特段、関心はない…

 失礼ながら、藤原綾乃が芸能人かなにか、有名人ならば、話は別だ…

 美人だし、抜群のプロポーションの持ち主だから、憧れる…

 でも、藤原綾乃が、一般人である以上、失礼ながら、それだけ…

 それ以上の関心はない(笑)…

 同性に関心のある女もいるに違いないが、それは、ごく少数派…

 世間一般が騒ぐほど、男も女も、同性に、関心のある人間はいない…

 それが、痛いほどわかっているからこそ、眼前の藤原綾乃は、高雄の名前を出したのだろう…

 思えば、高雄悠(ゆう)も、また、藤原綾乃と同じ…

 一言で言って、街中を歩けば、誰もが思わず振り返って、見たくなるほど、ルックスが、優れている…

 ルックス+雰囲気がある…

 誰もが、いっしょに歩きたい存在…

 いっしょに歩くだけで、友人や、会社の同僚に、自慢できる存在だからだ…

 あんなキレイな女と、どこで知り合ったんだ? 

 とか、

 あんなカッコイイ男と、どこで知り合ったんだ?

 とか、聞かれて、嬉しくなる…

 例え、藤原綾乃や高雄悠(ゆう)と、恋人同士でもなんでもなく、ただの友人に過ぎない場合でも、やはり嬉しくなる…

 他人が、羨ましがっているのが、わかるからだ…

 例えて言えば、いいクルマ=高級なクルマ=ポルシェやフェラーリに乗っているのと、同じ…

 例え、それが、友人から借りたクルマでも、そんなことを知らない、第三者が、ハンドルを握るドライバーを羨ましがって見る…

 それと一緒だ…

 「…皆さんも、やっぱり、年頃の女のコね…高雄取締役と、私とでは、皆さんの態度が違う…」

 と、藤原綾乃が、自嘲気味に呟く。

 「…でも、皆さん、ご心配なく…高雄取締役は、まもなくやって来ます…」

 藤原綾乃が、突然、言った…

 「…エーッ?…」

 思わず、私を含む五人の女の中から、悲鳴といおうか、歓声といおうか、声が上がった…

 その声に、思わず、藤原綾乃の顔が、ニヤリと、した…

 ずばり、笑った…

 「…やはり、私とは、反応が違うわね…」

 藤原綾乃が、笑った…

 だが、その笑いは、意味深だった…

 「…皆さんが、高雄さんには、憧れるのは、わかる…」

 藤原綾乃が、わざと、もったいぶって、言う。

 しかも、

 「…ルックスだけではなく、色々な意味で…」

 と、付け加えた。

 と、そのとき、明らかに、空気が変わった…

 その言葉で、周囲に緊張が走ったというか…

 途端に、ピリピリとした雰囲気になった…

 その変化を見て、

 「…あらあら、図星ね…」

 と、藤原綾乃が笑った…

 「…たった一人を除いて…みんなピリピリしている…」

 …たった一人を除いて?…

 …一人って、誰だ?…

 って、私は、言いたかったが、気が付くと、そう発言した藤原綾乃が、私を見ていた…

 気のせいではない…

 ずばり、誰が見ても、藤原綾乃の視線が、私に向けられていた…

 しかも、

 しかも、だ…

 そのことに、他の四人は、別段、関心がない様子だった…

 当然と言うか、誰も驚いている様子はなかった…

 私には、その方が、驚きだった…

 …なんだ?…

 …一体、どうしてなんだ?…

 …一体、私がなにをしたというんだ?…

 私は叫び出したい気持ちだった…

 ちょうど、そのときに、

 バタンと、いきなり、部屋のドアが開いた…

 すぐに、すらりとした長身の男が、

 「…遅れて、スイマセン…」

 と、詫びながら、部屋に入って来た…

 高雄…

 高雄悠(ゆう)だった…

                
  
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