第33話

文字数 5,882文字

 「…大あり?…」

 私は、この店の女将さんの言葉に、絶句する。

 それから、すぐに反射的に、女将さんに、

 「…大ありって、どういう意味ですか?…」

 と、聞いた。

 女将さんは、誰が、どう見ても、強そうだが、怖くはない…

 そこが、眼前のヤクザ界のスターとは、違う…

 ちょうど、女優でいえば、渡辺えりのような人物…

 実際、ここだけの話、怖くないといえば、ウソになるが、目の前のヤクザ界のスターに比べれば、はるかに、話しやすい…

 そういうことだ(笑)…

 「…死んだ、古賀会長は、任侠界の秀吉と言われた男だよ…」

 「…任侠界の秀吉? どういう意味ですか?…」

 私は、またも、女将さんに、聞いてしまった(苦笑)…

 「…秀吉は、当然、あの豊臣秀吉さ…一代で、任侠界の大物になった伝説の侠客さ…」

 女将さんは説明する。

 「…そして、その娘は、秀吉の息子、秀頼に匹敵する…」

 「…秀頼?…」

 「…秀頼が、秀吉の財産と威光を受け継いだように、その娘には、死んだ古賀会長の財産と、山田会の神輿(みこし)としての威光がある…」

 「…神輿(みこし)ですか?…」

 「…はっきり言えば、次の山田会の会長を決めるのに、死んだ古賀会長の威光なんて、ないに等しい…ヤクザ社会は、基本的に、実力社会だからね…あの山口組の田岡組長の奥さんが、力を持っていたのは、山口組の重鎮と言われた大物も、若い頃は、奥さんに世話になっていて、頭が上がらなかったからさ…だから、死んだ古賀会長の探していた娘さんが、姿を現しても、直接の影響力はない…」

 「…」

 「…でも、ちょうど、田岡組長の息子さんや娘さんが、誰々を毛嫌いしていると、噂でも上がったら、困るように、この五郎は、手を打っているんだろ…」

 女将さんが、ヤクザ界のスターの思惑を喝破する。

 女将さんの言葉に、ヤクザ界のスターは、困ったような顔を見せた。

 「…仮に、お嬢さんが、古賀会長の探していた娘さんであろうとなかろうと、娘さんに、山田会の次期会長を選ぶ力など、あるわけがないさ…でも、少しでも自分の有利になるように、この五郎は動いているんだろ…ちょうど、秀吉が、信長の死後、信長の孫の三法師を抱いて、信長の後継者を決める清州会議に現れたのと、同じさ…3歳の三法師を抱いた秀吉に、家臣は皆、頭を下げるしかない…必然的に、三法師に頭を下げることで、三法師を抱いた、秀吉に頭を下げることになった…それと同じ効果を狙ってるんだろ…」

 私は、女将さんの理路整然とした説明に、納得した…

 たしかに、死んだ古賀会長の探していた娘さんが、現れたとしても、次の山田会の会長を決める人事に、二十歳ぐらいの小娘の威光など、あるはずがない(笑)…

 歴史を見れば、二十歳そこそこの武将が、家臣を束ねたような記述を見ることがあるが、当然眉唾ものだ(笑)…

 実際は、いつの時代も、二十歳そこそこの若造が、実権を握っていることなど、普通はありえない…

 老練で、キャリアを積んだ家臣の意向を汲んで、その通りに動いてるのが、実際のところだろう…

 これは、今も昔も変わらない…

 ただ、私が気になったのは、死んだ古賀会長が、探していた娘さんに、

「…秀頼が、秀吉の財産と威光を受け継いだように、その娘には、死んだ古賀会長の財産と、山田会の神輿(みこし)としての威光がある…」

と、女将さんが言ったことだ…

これが、本当とすると、実は、古賀会長の探していた娘さんの威光よりも、その娘が受け継ぐかもしれない財産に、この目の前のヤクザ界のスターは、興味があるのかもしれない…

いや、目の前の稲葉一家の組長だけでなく、あの高雄組長も同じ…

高雄の父親も同じだ…

当然、二人はライバル…

山田会の次期会長の座を巡るライバルだからだ…

女将さんの言葉で、ようやく謎が解けた…

これまで、この平凡な竹下クミになぜ、さまざま人間が接触してきたのか、ようやく、その謎が解けた…

女将さんには、感謝してもしきれない…

私は、女将さんを見ながら、考えた。

しかしながら、さすがに、その女将さんにも、このヤクザ界のスターや、高雄の父の真の狙いが、死んだ古賀会長が、探していた娘にやる財産なのでは? と、聞けなかった…

さすがに、それは、まずい(笑)…

できない(笑)…

なにしろ、目の前に、その財産を狙っているかもしれない、ヤクザ界のスターがいるのだ…

いくらなんでも、私は、そこまでのチャレンジャーではない…

身の程知らずではない…

私は、思った…

 「…私は、探していた娘さんではありません…」

 もう何度目になるか、わからないが、否定した。

 「…ですから、誤解です…きっと、稲葉さんも、高雄さんも、誤解しているんです…」

 私は、つい口に出した。

 それが、いけなかった…

 「…高雄?…」

 と、目の前のいかつい、ガタイをした大柄なヤクザ界のスターが絶句した。

 高雄の父親は、この稲葉一家の組長のライバル…

 山田会の古賀会長の跡目を巡るライバルだ…

 当たり前だが、高雄の名前を出して、いい顔をするわけがない…

 私は、そんな当たり前のことを忘れていた…

 私は、恐怖した。

 この稲葉一家の組長が、どういう態度に出るか、わからないからだ…

 が、それを助けたのは、意外にも、同席する大場だった…

 「…高雄さんが、今のオジサンと同じように、この竹下さんに手を出しているの…」

 大場があっさりと言う。

 「…高雄総業のフロント企業である、杉崎実業の内定式に、この竹下さんを選んで、竹下さんを手に入れようとしているの…」

 「…兄貴が?…」

 目の前のヤクザ界のスターが、絶句する。

 だが、以外と言うか、その表情には、高雄の父親を毛嫌いしている様子は、微塵も感じられなかった…

 「…相変わらず、やることが早い…」

 そう言って、ため息を漏らした。

 「…兄貴は昔から、抜け目がないというか、利にさといというか…オレのように、ただケンカが強いだけの男じゃない…」

 眼前のヤクザ界のスターが呟く。

 「…むろん、一対一のケンカなら、兄貴には、負けない…でも、こんなふうに…うまく立ち回るというか…すぐにお嬢を手に入れようとするなんて、オレには、ムリ…できない…」

 そう言って、眼前のヤクザ界のスターは落ち込んだ…

 たしかに、目の前のヤクザ界のスターの言うことは、わかる…

 ウソではないに違いない…

 高雄の父は、ヤクザ界のスター同様、背が高いが、決して、いかついガタイではない…

 むしろ、すらりとして、カッコイイ…

 だから、このヤクザ界のスターが言うように、一対一のケンカならば、ヤクザ界のスターの方が強いに違いない…

 私は、思った…

 「…五郎は、昔からケンカは強いけど、頭の方は、からっぽだからね…」

 それを近くで聞いていた女将さんが、口を出した。

 「…からっぽとは、ひでえな…」

 「…からっぽは、からっぽだろ…だから、アンタんとこの若い衆も、アンタに憧れて、ケンカは強いが、頭の中はからっぽな人間ばかり…そんなんじゃ、いいように利用されて、捨てられるよ…」

 …いいように利用にされて、捨てられる?…

 女将さん、すごいことを言う…

 私は、唖然とした…

 「…昔は、高雄さんとは、仲が良く、それこそ本当の兄弟のような関係だったんだ…それを、少しばかりケンカが強いからって、ヤクザ界のスターなんて、周囲に持ち上げられて、本人も天狗になってんだから、世話がないよ…」

 …天狗?…

 …この女将さん…凄いことを言う…

 …まさか、ここまでのことを言うとは?…

 が、さすがに、この言葉に堪忍袋の緒が切れたのだろう…

 ヤクザ界のスターが、

 「…天狗になんて、なってねえよ…」

 と、女将さんに反論した。

 「…本人がそう思ってるだけだろ?…」

 女将さんも、ヤクザ界のスターの反論を意にも介さない…

 私は、驚いた…

 さすがに、ヤクザ界のスターの我慢にも限界があると思ったからだ…

 なにより、面子がある…

 私は、どうなるかと思って、固唾を飲んで、成り行きを見守った…

 が、以外と言うか、

 「…イマドキ、このオレにそんなことを言うのは、オバサンぐらいのものだ…」

 と、しんみりと、呟いた。

 「…オバサンじゃない、お姉さんだとさっきも言っただろ…」

 女将さんが、返す…

 私は、なんだかんだ言いながら、この二人は、互いに信頼しあってると、思った…

 だから、相手がなにを言っても、気にしない…

 動じない…

 互いに信頼しているからこそ、本音で、言える…

 上っ面だけの薄っぺらい関係ではない…

 私は、思った…

 「…いいかい、五郎…ヤクザ界のスターなんて、持ち上げられて、調子に乗ってんじゃないよ…もう50にもなるんだ…アンタについてくる若い衆もいっぱいいるんだ…くれぐれも軽挙妄動は慎むんだよ…アンタが下手を打てば、路用に迷う人間もいっぱいいるんだ…」

 女将さんの言葉に、ヤクザ界のスターはなにも言わなかった…

 ただ、ジッと、テーブルを見ていた…

 下を向いて、テーブルを見続けた…

 それから、ボソッと、

 「…わかってるよ…」

 と、小さく呟いた。

 「…オレだって、自分についてくる人間は、嬉しい…少しでも、アイツらの役に立ってやりたい…その気持ちは、いつも持ってるつもりだ…」

 「…それなら、ヤクザ界のスターだなんて、言ってないで、少しは、己の分をわきまえて、生きな…五郎…オマエは、戦闘隊長だ…ケンカは強いし、誰にも負けないかもしれないが、戦闘隊長じゃ、組は仕切れないよ…組を仕切るのは、政治が出来るヤツ…」

 「…政治?…」

 思わず、私は、素っ頓狂な声を上げた。

 自分でも、しまったと、思ったが、つい、口に出してしまった…

 「…政治っていうのは、お嬢ちゃん…政治家だけが、やるものじゃないんだよ…」

 女将さんが、私の方を向いて、私に諭すように言った…

 「…人が集まれば、政治が必要になる…会社でも、ヤクザでも、同じさ…集団をうまくまとめる能力が必要になる…そして、この五郎は、昔からケンカが強くて、自分に立ち向かってくる相手を叩き潰して、のし上がってきた…そんな五郎に憧れて、子分になった人間も多い…五郎は面倒見もいいから、そこそこ、山田会でも、重要な地位を占めた…だが、それ以上は、難しい…」

 「…どうしてですか?…」

 「…五郎に政治はできないからさ…政治っていうのは、はっきり言えば、大勢の集団の中で、うまく立ち回ることさ…会社でも、ヤクザでも、例えば、それほどの実績がなくても、取締役とか、上の地位についてる人間がいるだろ…たいした実績がなくても、上の地位に就く人間は、機を見るに敏だったり、有力者にうまく取り入ったりして、その地位を得てる…この五郎は、馬鹿正直で、そんなことはからきしダメだ…だから、仮に、今以上の地位を得ても、周りに使われて、利用されるのが、オチさ…アタシは、それを心配してるんだ…」

 …なるほど、そういうことか…

 私は、女将さんが、眼前のヤクザ界のスターの身を本気で、心配してるのが、わかった…

 たしかに、この稲葉五郎と言う男は、私の父親と比べれば、いくつか若いが、外見は、いかついが、見るからに不器用そうだ…

 猪突猛進というか、失礼ながら、ケンカが合っている…

 戦争で言えば、自分が、指揮を執りながら、自らも先頭に立って、闘うタイプだ…

 自ら、先頭に立つことで、周囲の信頼は得られるが、それは、戦場での評価…

 場所が、会社であったり、組であったりすれば、戦闘をしているわけではないからだ…

 要するに、政治だ…

 会社でも、ヤクザ組織でも、誰々が今どうしているとかいう社内情報に妙に詳しい輩が、どこの会社(ヤクザ組織)にもいる…

 そして、その情報を得て、いかに、うまく組織の中で、立ち回るか、常に考えてる…

 この稲葉五郎とて、当然、バカではないから、歳を取れば、嫌でも、そのあたりのことが、わかってくる…

 が、

 わかってくるのと、できるのは、違う…

 つまり政治の才能があるか否かという問題になる…

 誰でも、そのあたりのことが、歳を取ってわかってくれば、自ずから、自分もそう動こうと考えるが、それが、できる人間と、できない人間がいる…

 それが、才能の有無に他ならない…

 いかに、ケンカに強くても、戦争がなければ、無用の長物…

 集団の中で、己の存在を誇示できない…

 ただし、ケンカが強ければ、その存在を無下にもできない…

 なにか、抗争が起きたとき、必要な人材だからだ…

 余人に代えがたい人材だからだ…

 だから、おそらく、山田会という組織は、簡単に、この稲葉五郎を切れない…

 私は、そう見た…

 私は、そう考えた…

 そのときだった…

 「…でも、オジサンも、政治をしようとしているんだよね…」

 と、突然、誰かが言った。

 それは、私でもない…

 女将さんでもない…

 大場だった…

 私は、ビックリした…

 今の今まで、黙っていた大場が、口を出したのに、驚いたのだ…

 そして、またも、私は、

 「…政治って、どういう…」

 と、口に出して、しまった…

 相手が、大場だから、聞きやすかった…

 本当は、大場は苦手だったが、目の前のヤクザ界のスターや、この店の女将さんに比べれば、はるかに聞きやすかった…

 そういうことだ(笑)…

 「…それは、竹下さん…アナタ…」

 大場が意外にも私を名指しした…

 「…わ…私? …どういうこと?…」

 私の質問に、大場がニヤリとした。

 「…死んだ古賀会長の探していた娘を味方につけて、山田会の次期会長の座を狙う…これが、政治じゃなくて、なんなの?…」

 大場が、断言した…

                
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