第14話

文字数 5,431文字

 マイバッハは進んだ…

 最初は、都内を…

 そして、地方へ、と、進んだ…

 真っ黒な、大きな、高級車…

 道行く人間が、つい、見てしまう大きさだ…

 首都圏から離れて行くうちに、人通りも、少なくなると、余計に、マイバッハは目立った…

 私がなにげなく、窓から、外を見ていると、たまたま目に映った人間が、老若男女を問わず、このマイバッハを見ていることが、わかった…

 そんな私の視線に気付いたのだろう…

 林が、

 「…竹下さん…そんなに窓から、外を見ないで…」

 と、小さな声で、私に言った。

 私は、窓から、外を見るのを止めて、林を見た。

 林の顔は、真っ赤だった…

 「…みんな、このクルマを見ているでしょ?…」

 と、林が、小さく、呟いた…
 私は、

 「…ええ…」

 と、これも、小さな声で、言った…

 林に合わせたのだ…

 「…ホント、やんなっちゃう…このクルマで、実家に戻ったことで、林のお嬢様のご帰還って、まるで、旗を振るように、目立っちゃう…」

 林が、真っ赤の顔のまま、嘆く…

 「…だから、実家に戻りたくなかったのよ…」

 林の口から恨み節が、出た。

 「…実家に戻るたびに、わざわざ、水沢さんを呼んで、マイバッハを運転させて、帰るなんて、まるで、江戸時代の大名行列じゃあるまいし…」

 「…大名行列?…」

 「…そう…つまり、パフォーマンス…パパは、それが大好きなの…」

 林が吐露する…

 たしかに、こんな大きなクルマに乗って、街を走れば、嫌でも目立つ…

 でも、それがパフォーマンスとは、恐れ入る…

 私は、林の話を聞きながら、一体、これから会う林の父親とは、どんな人物なのだろう? と、考えた。

 おそらくは、娘の帰還を大々的に、周囲に周知させる人物…

 そんなパフォーマンスを講じる人間とは、一体どんな人物なのだろうか? と、むしろ、興味を持った…

 だが、まさか、それを口にすることはできない…

 その後は、二人とも、黙った…

 黙りこくった…

 一言で言って、会話が続かなかった…

 知り合ったばかりなので、話すことがなかったことも、大きい…

 そして、いつしか、マイバッハは、林の自宅に辿りついた…

 「…お嬢様…到着しました…」

 水沢が言った。

 「…そのようね…」

 林が言った。

 「…竹下さん…着いたわ…」

 そう言って、林は、マイバッハから、降りた…

 私も後に続いた…

 マイバッハから、降りた…

 そして、驚いた…

 マイバッハから、降り立った地…

 それは、まるで、江戸時代だった…

 江戸時代といえば、おかしいのかもしれないが、要するに、だだっ広い庭に、昔ながらの平屋がある…

 ただ、その平屋は、あまりにも、広く大きい…

 例えて言えば、江戸時代の豪商とかなにかの屋敷…

 今では、重文…重要文化財にでも、指定されるような古いが、堂々とした建物だった…

 「…このお屋敷が、林さんの実家?…」

 私は、口をあんぐりとして、開いて言った…

 が、

 林からは、なんの返答もなかった…

 だから、私は、林を見た…

 林は、さっきと同じく、顔を真っ赤にしていた…

 それから、小さく呟いた。

 「…恥ずかしい…」

 「…恥ずかしい? …どうして、恥ずかしいの?…」

 「…イマドキ、こんなお屋敷に住むよりも、もっと平凡な家に住みたかった…こんなお屋敷に住んでることで、小学校や中学校で、どれほど、お嬢様とからかわれたことか…私がこの実家から出て、都内に住んだのも、それが原因…」

 林が心境を吐露する。

 私は、驚いたが、たしかに、こんなお屋敷に住めば、他人からいじられるに決まっている…

 下手をすれば、イジメの標的にもなりかねない…

 要するに、嫉妬だ…

 大人でも嫉妬はあるが、普通は、それを態度に出さないものだ…

 それが、子供にはない…

 つまり、他人にどう見られるか、考えないのだ…

 だから、嫉妬を、行動に出す…

 それが、いじるにとどまるか、イジメに発展するかは、わからない…

 だが、いずれしろ、林にとっては、いい思い出でないのは、間違いないだろう…

 私は、思った。

 「…お嬢様…」

 水沢が声をかける。

 「…私は、このクルマを車庫に止めますので、後は…」

 「…わかった…ご苦労様…」

 林は、答える。

 実に、堂々とした、受け答えだった…

 いかにも、慣れている…

 私は、目の前の、日本式家屋のお屋敷と、林を交互に見比べて、思った…

 …生粋のお嬢様…

 ふと、そんな言葉が、私の脳裏に浮かんだ…

 そんなことを考えていると、

 「…竹下さん…行きましょう…」

 と、林が声をかけた。

 私は、林の後に続きながら、広い庭を歩いた…

 庭は、完全な日本庭園だった…

 そして、まもなく、お屋敷に入った…

 「…ただいま…今、戻った…」

 林が大きな声で、言った…

 すると、すぐに、着物を着た一人の中年の女性が現れた。

 「…お帰り…康子…」

 そう言った、女性は、林そっくりの顔なので、すぐに、林の母親だと、私にもわかった…

 「…久しぶり…ママ…パパは?…」

 「…奥で、アナタの帰りを今か今かと、待ってるわ…」

 「…そう…」

 林は、短く答えた。

 それから、私を振り返り、

 「…杉崎実業に内定した、会社の同僚になる、竹下さん…似ているでしょ?…」

 と、母親に、私を紹介した。

 が、林の母親は、私が林に似ていることには、触れず、

 「…林の母親です…娘のことをよろしくお願いします…」

 と、丁寧に、私に頭を下げた。

 私は、ビックリして、

 「…ハ、ハイ…こちらこそ…」

 と、慌てて、頭を下げた。

 まさか、着物姿の私の母親と同世代の女性に、頭を下げられるとは、思わなかった…

 これでは、まるで、旅館や料亭に、行ったみたいだ…
 
 私も、友達の家に行き、母親を紹介されることは、当然あった…

 しかしながら、こんな重要文化財のようなお屋敷で、着物姿の中年女性が、姿を現すような、家には、行ったことがなかった…

 これでは、まるで、江戸時代…

 江戸時代にタイムスリップした感じだった…

 だから、驚いた…

 驚いたのだ…

 だから、林の母親に、娘のことを、よろしくお願いしますと、言われても、

 「…承知!…」

 と、いつものように、返すことができなかった…

 私が、そんなことを考えていると、

 「…竹下さん、こっち…」

 と、すでに、家に上がった林が、私を誘った…

 私は、

 「…お邪魔します…」

 と、言って、靴を脱ぎ、用意されたスリッパに履き替え、お屋敷に上がった…

 林に続いて、廊下を歩きながら、まるで、時代劇のセットを歩いているような感覚だった…

 「…このお屋敷は、一体いつの建物なんですか?…」

 私は、つい聞いてしまった…

 しかも、いつのまにか、敬語になっていた(笑)…

 すでに、このお屋敷を見た時点で、私と林は、対等の関係では、なくなっていた(涙)…

 「…さあ、私も正式には、わからないけど、百年やそこらじゃないことは、たしか…間違いなく江戸時代に建てた建物よ…それを改装して、住んでるの…」

 「…江戸時代…」

 私は、絶句した。

 あらかじめ、わかっていたというか、想像がついたことだったが、それでも、そんなことをあっさりと、告白されると、驚くと言うか、ビビるというか…

 あらためて、目の前の林が、いかにお嬢様か、納得するというか…

 が、そんなことを、いつまでも、考えてるわけには、いかなかった…

 林が、スタスタと歩いてゆくものだから、それを追うのが、大変だったからだ…

 私が、林を見ると、なんとなく緊張しているのが、わかった…

 林にとって、これから会う父親は、そんなに緊張するものなんだろうか?

 そう考えると、なんだか、私の方まで、緊張してきた…

 やがて、林は、ある部屋の前に立った…

 「…ここよ…」

 林が告げる。

 それから、

 「…パパ…康子です…ただいま、帰りました…」

 と、告げ、

 中から、

 「…入りなさい…」

 という声が聞こえてきて、初めて、林は、部屋の扉を開けて、中に入ろうとした…

 「…竹下さんも…」

 部屋の扉を開けたまま、私に告げた。

 私は、無言で、頷いて、林に続いて、中に入った…

 そこは、日本間…

 純然たる日本間だった…

 ちょうど、京都の名のある建物…

 例えば、二条城などの部屋に似ている…

 そして、その奥に、目的の人物というか…
林の父親がいた。

 和服を着て、座っていた…

 ただし、決して、その和服が似合っているとか、そういうのではない…

 はっきり言って、林の父親は、和服を着ていることを、除けば、平凡な人物だった…

 とりたてて印象の薄い、どこにでもいる人物といった感じ…

 身長も、おそらく170㎝ぐらい…

 丸顔で、眼鏡をかけた人物だった…

 「…パパ…久しぶり…」

 林は、父親の姿を見るなり、開口一番、言った…

 「…お帰り、康子…」

 林の父親は答える。

 そして、私の方を見た。

 「…その方は?…」

 私は、慌てて、頭を下げて、口を開きかけると、

 先に、林が、

 「…今度、内定した杉崎実業の同僚となる、竹下さん…」

 と、私を紹介した。

 「…その方が…」

 林の父親が頷く。

 私は、慌てて、

 「…竹下クミと言います…」

 と、だけ言って、頭を下げた。

 正直言って、目の前の林の父親は、平凡で、威厳もなにもなかったが、私は、このお屋敷に、そして、この部屋に圧倒されていた…

 圧倒され続けていた…

 こんなすごい、お屋敷に住んでいる人間は、誰でも、尊敬できるというか、すごい人間に見えた。

 それは、例えば、犬や猫でも、同じ…

 同じ、犬や猫でも、なんとなく高級に見えると言うか、豪華に見えるというか…

 まあ、人間、誰でも、そんなものかもしれない(笑)…

 こんなお屋敷に住んでいる人間は、高級で、大学も一流大学を出て、息子や娘も、一流の中学、高校を出ている…

 誰もなにも言わずとも、勝手に、自分の脳内で、そう思い込む…

 そういうものだ(笑)…

 私は、いつのまにか、緊張で、カラダが、ガチガチに固まっていた…

 無理もない…

 竹下クミ、22歳…

 とりたてて、なにもない、平凡極まりない女…

 そんな平凡極まりない、竹下クミが、こんな豪華な家に招かれている…

 それで、緊張するなというのは、どだい無類…

 無理筋だ…

 私は、まるで、人形のように、その場に立っていた…

 だから、林の父親に促され、

 「…どうぞ、お座りください…」

 と、目の前の座布団を進められたときも、カラダがガチガチで、うまく足を動かすことができなかった…

 まるで、ロボットのように、ギクシャクと動いた…

 勧められた座布団の上に座ることはできたが、率直に言って、カラダは、緊張したままだった…

 その姿を見て、林の父親は、

 「…竹下さん…」

 と、私に声をかけた。

 「…ハッ…ハイ…な、なんでしょうか?…」

 「…康子が笑ってますよ…」

 私は、その言葉で、林を見た。

 たしかに、林は、笑っていた…

 遠慮がちに、笑っていた…

 「…竹下さん…緊張しすぎ…」

 林が、笑いながら、言う。

 それから、一転して、真顔で、

 「…でも、これで、竹下さんが、信用できる人間だとわかった…」

 と、呟いた…

 …信用できる人間?…

 …どういうことだ?…

 私は、林を見た…

 それから、林の父親を見た…

 和服を着た、林の父親を見た…

 さらに、この豪華な大部屋…

 もっと言えば、この壮大なお屋敷を考えた…

 これは、もしや、演出…

 私が、ここで、どういう振る舞いを見せるか、確かめるために、仕組んだ演出では、ないのか?

 ふと、そんな思いが、脳裏に閃いた…

 いや、

 そもそも、私をわざわざ、都内から、あのマイバッハという、誰もが人目を惹く豪華なクルマで、送迎して、見せたのも、演出ではないのか?

 つまりは、あのマイバッハに乗った時点で、私、竹下クミは、林の術中にはまったのではないのか?

 マイバッハに乗った時点?

 いや、違う…

 それ以前、林がいつもと違う派手な服で、私を出迎えた時点で、私を試す、この演出が、始まったのではないか?

 私は、今さらながら、そんな現実に気付いた…

 竹下クミ…22歳…

 あっては、ならない失態だった(涙)…

 あらためて、自分の愚かさに、気付いた(涙)…

 バカさ加減に気付いた(涙)…

                
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み