第53話

文字数 7,143文字

 「…高雄さんの息子?…」

 私は、思わず、オウム返しに呟いた…

 高雄さんの息子と言えば、当然、高雄悠(ゆう)のはず…

 まさか、仮に高雄に兄弟がいて、別の兄弟を、女将さんが、指摘しているとは、思えない…

 「…それって、悠(ゆう)さんのことですか?…」

 「…その通り…」

 あっけなく、女将さんが、返答する。

 そして、私は、思い出した。

 以前、稲葉五郎が、高雄悠(ゆう)について、私に、

 「…悠(ゆう)は、見かけとは、違う…」

 と、言いにくそうに言った…

 アレは、ずばり、高雄悠(ゆう)が、自分を利用しようとしていることに、稲葉五郎が気付いているからに違いない…

 だからこそ、私に、高雄に注意しろ!

 安易に、気を許すな! と、言いたかったに違いない…

 だが、そこまで、考えると、ふと、気付いた…

 高雄悠(ゆう)にとって、稲葉五郎は、敵方…

 なぜなら、悠の父親である、高雄組の父親は、稲葉五郎のライバル…

 山田会の次期会長を巡るライバルだからだ…

 それが一体、父のライバルである、稲葉五郎を利用しようとしているというのは、どういうことだろう?

 疑問が残る…

 「…でも、稲葉さんと、高雄さんのお父様は、山田会の次期会長の座を巡って、争ってるんじゃ…それが、高雄さんが、稲葉さんを利用しようとしているっていうのは、一体…」

 私は、女将さんに聞いた…

 「…それさ…」

 女将さんは、したり顔で、言う。

 「…普通は、誰もがそう思うだろ…悠(ゆう)にとって、五郎は敵方の人間だ…それを利用するっていうのは、どういうこと? って、思うのが、当たり前だ…」

 「…」

 「…だが、そうじゃない…そもそも、五郎に、山田会の次期会長の座を巡る争いに、参加させたというか、巻き込まれるように、仕向けたのが、悠(ゆう)なのさ…」

 「…仕向けた?…」

 「…要するに、悠(ゆう)は、父親と対立しているのさ…」

 「…お父さんと、対立?…」

 「…そうさ…悠(ゆう)は、高雄さんの息子だから、当然、山田会の主要メンバーの幹部クラスの親分たちと、顔馴染みさ…それが、実の父親を差し置いて、父以外が、山田会を率いた方が、組織が伸びると、あっちこっちで、触れ回ってたらしい…」

 「…」

 「…すると、どうなると思う?…」

 突然、女将さんが、私に質問した。

 私は、しばし、考えたが、

 「…わかりません…」

 と、白旗を揚げた。

 「…高雄さんを嫌ってる親分たちが、別の人間を山田会の次期会長に推そうと動き出したのさ…それで、担がれたのが、人のいい五郎さ…」

 「…稲葉さん?…」

 「…そう…本当は、悠(ゆう)は、ヤクザでもなんでもないから、山田会の次期会長の座を巡るゴタゴタに、口を出す権利はないし、そんな発言をしても、他の親分たちも相手にしないだろう…でも、高雄さんは、山田会の主力メンバーで、圧倒的に力を持っている…にもかかわらず、その息子が、あちこちで、父には、山田会を率いる器量がないと、触れ回れば、どうなると思う?…」

 「…それは…」

 「…お嬢ちゃんにも、わかると思うけど、いかに、山田会で、父親が、力を持っていようと、その息子が、親父には、そんな器量はないと、至る所で、言い触らせば、誰もが、疑心暗鬼になる…本当に、高雄さんで、いいのかな? と、考え出す…」

 「…」

 「…すると、どうだ? 自分の息子に、そんな陰口を叩かれる人間に、山田会を任せられるのか? という人間が、必ず出てくる…当たり前さ…」

 「…」

 「…つまりは、悠(ゆう)は、最初から、内心、自分の父親に反感を抱いている人間たちに、火を点けたのさ…」

 「…火を点けた?…」

 「…誰もが、あんな奴、大っ嫌いだと思っていても、一人じゃ言えない…でも、同じような人間が、集まれば、声にも出せる…そういうことさ…」

 「…」

 「…悠(ゆう)は、昔でいえば、アジテーターっていうのかな…」

 「…アジテーター?…」

 「…いわゆる、人々を扇動するっていうか、他人の心に火を点けるのが、うまい…自分が、子供の頃から見知った親分衆に、ウチの親父じゃ、山田会を任せる器量はありませんよと、あっちこっちで、触れ回れば、親分衆の中でも、ああ、悠(ゆう)の言う通りだなと、同調する親分たちも出てくる…つまり、そういうことさ…」

 女将さんが、説明する。

 たしかに、そう説明されれば、女将さんの言うことは、わかる…

 でも、一体、どうして、高雄悠(ゆう)は、そんなことをするのだろう?

 どうして、自分の父親に不利な真似をするのだろう?

 私は、考える。

 そして、その疑問を口にした…

 「…一体、高雄悠(ゆう)さんは、どうして、自分の父親の不利になることを、するんでしょうか?…」

 「…それは、私にもわからない…」

 女将さんが、答える。

 「…一説には、悠(ゆう)が、高雄さんの実の息子じゃないんじゃないかって、話もある…」

 「…実の息子じゃない? どういう意味ですか?…」

 「…言葉通り…血が繋がってない…そんな噂もある…」

 「…」

 「…でも、それは、ガセだと思う?…」

 「…どうして、ガセなんですか?…」

 「…見てくれさ…あの二人は、顔こそ違うけど、雰囲気が似ている…悠(ゆう)は、いわゆるヤクザと真逆の雰囲気を持つ優男(やさおとこ)だけど、高雄さんの若い頃も同じ…誰が見ても、ヤクザには見えなかった…」

 「…」

 「…むしろ、問題は、悠(ゆう)の母親じゃないかと、アタシは、思う…」

 「…お母さま?…」

 「…高雄さんは、若い頃、やっぱり、今の悠(ゆう)と同じで、女にモテまくった…それこそ、あっちの女…こっちの女と、入れ食い状態だった…そんなだから、悠(ゆう)の母親も捨てられて、その母親も失踪…頼る人間がいなくなり、天涯孤独になった悠(ゆう)は、高雄さんに引き取られた…だから、高雄さんを恨んでいても、おかしくはない…」

 私は、女将さんの言葉で、以前、高雄が、私に、自分は、今の家庭とは、別の家庭で生まれて、今の家庭に引き取られたと言ったことを思い出した…

 「…誰でも、そうだけど、子供の頃の体験は大きい…下手をすりゃ、一生その体験に縛られる…」

 「…縛られる?…」

 「…そうさ…悠(ゆう)は、母親が、高雄さんに、捨てられたことを、生涯、恨むだろう…すると、どうだ? 今度は、自分の結婚が、障害になる…」

 「…どうして、障害になるんですか?…」

 「…悠(ゆう)が、優男(やさおとこ)のイケメンだからさ…」

 「…イケメンだから?…」

 「…そうさ…イケメンだから、女にモテモテ…知らず知らずの間に、あっちの女、こっちの女と、モテまくる…」

 「…でも、それが一体?…」

 「…父親と同じさ…」

 「…お父さんと?…」

 「…高雄さんも、若い頃は、俳優のように、イケメンだった…だから、女にモテまくった…女は穿いて捨てるほど、言い寄って来る…しかも、高雄さんは、ヤクザには見えないから、普通の女も多かった…」

 「…」

 「…そして、悠(ゆう)は、いつしか、自分も父親と同じになるんじゃないかと、気付いた…あっちの女、こっちの女と、付き合って、まるで、クルマかなにかを乗り換えるように、付き合う女を変える…それで、子供ができれば、どうだ? 自分と、同じ境遇の子供ができるんじゃないかって…それで、いつしか、女遊びも控えて、マジメになった…」

 「…マジメに?…」

 「…普通に結婚して、浮気もなにもしない、穏やかな家庭を作る…それが、悠(ゆう)の夢になった…」

 「…夢?…」

 「…だから、噂だけど、悠(ゆう)が、高雄さんの会社の資金を使って、なにか、やろうとしている…それも、すべて、自分を守るためというか…」

 「…守るためって?…」

 「…悠(ゆう)はヤクザにはならない…だけど、著名なヤクザを父親に持てば、まともな会社に就職なんてできるわけない…だから、杉崎なんとかいう会社を買収して、その会社を、自分のものにしようとした…」

 「…」

 「…すべては、自分の夢のため…穏やかで、平凡な自分の家庭というか、生活をするためさ…」

 女将さんが、言う。

 そして、私は、女将さんの説明で、高雄悠(ゆう)という男が、わかって来た…

 図書館や花屋が似合う、おとなしめのイケメンだが、いかに中身が、違うか…

 そして、その原点というか、その思考の元になったのが、実の母親が父親に捨てられたからだと、わかった…

 すると、ふと気付いた…

 女将さんは、今、どうして、高雄悠(ゆう)が、父親に不利なことをするのか、わからないと言いながら、その理由をしっかり説明している…

 むしろ、そこまで、わかっていて、どうして、高雄が、父親に不利になることをするのか、わからないと言った、女将さんの方が、私には、わからなかった…

 意味不明だった…

 だから、訊いた…

 「…女将さん、最初、高雄さんが、父親に不利な行動をするのが、わからないと言ってましたけど、高雄さんが、母親が、父親に捨てられたからと、はっきり言ってるじゃないですか?…」

 私の言葉に、女将さんは、一瞬、驚いたが、すぐに、その言葉を否定した…

 「…お嬢ちゃん…それは、違うよ…」

 「…違う…なにが、違うんですか?…」

 「…悠(ゆう)の行動から、そう見えるだけさ…」

 「…見えるだけ?…」

 「…普通に考えれば、実の母親が、父親に捨てられたから、その父親に反発して、父親に不利な行動を取る…誰もが、そう思う…」

 「…違うんですか?…」

 「…だから、それがわからない…」

 「…わからない? …どうして、わからないんですか?…」

 私の質問に、女将さんは、考え込みながら、ゆっくりと、説明した…

 「…例えば、お嬢ちゃんが、なにか話すだろ?…」

 「…ハイ…」

 「…でも、それを心の底から、思ってるのか、どうか、わからない…」

 「…どういう意味ですか?…」

 「…わかりやすい例だと、男でも女でも、自分はモテないと、口にする人間は多いだろ? …でも、例えば、どうして、自分はモテないのかと、お嬢ちゃんが訊かれて、オマエは、ブザイクだからとは、言えないだろ?…」

 「…」

 「…だから、そんなことないよとか、周りに、アンタの良さがわからないヤツばかりだからとか、思ってもいないお世辞を言う…つまり、心の中で、思っていることと、口に出したセリフが違う…」

 「…」

 「…もっと、言えば、例えば、お嬢ちゃんが、私の知り合いで、今付き合ってないひとがいれば、今度、アンタに紹介するね、とか、付け加えるとする。ホントは、その場限りの言葉で、実際に、行動することは、ありえないっていうか、ほとんどない…つまり、心の底で、思ったことと、実際に口に出す言葉、さらに、行動と、誰もが繋がっていると思うことが、全然繋がっていない…だから、本当のことは、わからないと言ったんだ…」

 女将さんがゆっくりと、考え考え、途切れ途切れに、説明する。

 たしかに、そう言われば、誰しもわかる…

 身に覚えがある…

 今、女将さんが、言ったように、どう見ても、さえない男女に、どうして、自分はモテないんだろ? と、言われて、まさか、アンタがブザイクだからとは、言えないし…だから、周りにアンタの良さがわかるヤツがいないんだよとか、言うのは、誰もが、身に覚えがある…

 そして、今度、私の知り合いで、今、付き合ってないコがいれば、アンタに紹介するよ、と言うのも、よく言う言葉…

 でも、実際に紹介することは、まずない…

 これも、別に悪気はないが、誰もが身に覚えがある…

 ある意味、ありふれた光景だ…

 だから、たしかに、女将さんが、言うように、自分が心の中で、思っていることと、口にすること…そして、行動は別だということは、わかる…

 それを、高雄を当てはめれば、母親が、父親に捨てられたから、父親を恨んでいると、考えるのは、誰でもわかるが、本当のところは、わからない…

 まして、高雄に尋ねても、本当のことを、言うのか、どうかも、わからない…

 …怪しい…

 本当の本音は、高雄自身にしか、わからない…

 私は、そう思った…

 しかし、どうして、この女将さんは、そんなに、高雄に詳しいのだろう…

 いや、

 高雄だけではない…

 山田会についても、そうだ…

 どうして、そんな内部情報に詳しいのだろう…

 「…女将さん…失礼ですが、どうして、そんなに、山田会の内部事情に詳しいんですか?…」

 私の直球の質問に、

 「…まあ、それは、色々だよ…」

 と、笑って、はぐらかした…

 「…この店は、五郎も、そうだし、五郎の組の若い衆も、しょっちゅう来る…だから、色々な話も聞くし、嫌でも、耳にする…」

 そう言って、笑った…

 「…客商売っていうのは、そういうものさ…ほら、昔から、言うだろ…床屋は情報の宝庫って?…」

 「…床屋は、情報の宝庫? …どういう意味ですか?…」

 「…床屋に限らず、美容院でも、主人は、お客さん相手に、話をするだろ? …そういったときに、色々世間話をする…その街に、大きな工場があれば、最近、あの工場は、リストラが激しいとか、下手をすりゃ、リストラどころか、工場閉鎖の噂があるとか、そんな話さ…だから、嫌でも、その街の情報に詳しくなる…そういうことさ…」

 女将さんが、説明する。

 女将さんの話はわかる…

 だが、本当にそれだけだろうか?

 疑心暗鬼になる…

 疑えば、切りがないと、思いながらも、女将さんの言葉を信じきれない…

 しかしながら、これ以上、女将さんに聞いても、無駄だとも思った…

 女将さんが、床屋にかこつけて、山田会の内部事情を、どうして知ったのか、私に説明した以上、なにを聞いても、それで押し通すつもりだろう…

 だから、なにを言っても無駄だと思った…

 そして、気付いた…

 これこそが、さっき、女将さんが言った言葉…

 心の底で、思った言葉と、口に出した言葉、さらに行動とは、一見、関係があるように見えるけど、その実、なにも関係がない…

 私が、女将さんに、

「…どうして、そんなに山田会の内部事情に詳しいんですか?…」

と、聞いて、女将さんが、床屋を例に、

「…この店は、稲葉五郎や、その組の若い衆が集まって、話をするから…嫌でも、耳に入る…」

と、答えた。

だが、女将さんが、本当のことを言ったか、どうかは、わからない…

つまり、女将さんの、心の中で、考えたことと、口に出した言葉は、違う可能性もある…

また、私自身も同じ…

女将さんの言葉に疑問を抱いても、それ以上、女将さんに聞くことはできない…

「…女将さん…それホントですか?…」

と、冗談でも、笑って、聞くことができない…

それ以上、聞くのは、マズいと、判断したからだ…

なにしろ、相手はヤクザ…

日本有数のヤクザだ…

普通でも、これ以上、聞くのは、マズいと思うところへ、話題が、ヤクザに関する話題…

誰もが、これ以上、聞くことはできない…

そして、これも同じ…

私自身が、心の底で、思っていることを、口に出せない…

つまり、心の底で、思っていることと、口に出す言葉は、違う…

そういうことだ(笑)…

その好例だ(笑)…

私は、内心、考えた…

そして、心の中で、高雄のことを思った…

あの高雄…

高雄悠(ゆう)…

図書館や、花屋が似合う、長身のイケメン…

父親が、日本有数のヤクザであるにもかかわらず、その見た目は、真逆…

虫も殺せない、ひ弱な男にも見える…

だが、内心は、違うのだろう…

はっきりと、自分の父親に逆らってる…

実の父親に敵対している…

一体全体、なにを狙ってる?

そこまで、考えて、ふと、気付いた…

あの大場は、私を含めた、杉崎実業に集められた五人の女が、似ているのは、私に似せたから…

この竹下クミに似せたから、だと、告白した…

これは、一体どういう意味だ?

高雄の目的は、私だと、大場は言った…

とすると、高雄のやりたいことの中に、この竹下クミも組み込まれているということだ…

少なくとも、高雄の野心というか、野望の根底に、この竹下クミが、いるということだ…

存在するということだ…

きっと、私、竹下クミ抜きで、高雄の野望は、成就しないということだ…

そこまで、考えたとき、自然と、

「…承知!…」

と、心の中で、呟いた…

まさか、目の前に、女将さんがいるのに、

「…承知!…」

と、口にするわけにはいかない…

ただ、自分自身に呟いたに過ぎない…

自分自身に高雄の野心というか、野望に注意せよ! と、命じたに過ぎない…

警戒せよ! と、命じたに過ぎない…

私、竹下クミは、いつしか、戦闘モードに、突入した(笑)…

               

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