第118話

文字数 4,527文字

 …まさか?…

 …そんなバカな?…

 私は、思った…

 私と、大場敦子が入れ替わる?

 …そんなバカなことがあるはずがない…

 私が、

 「…そんなバカなこと…」

 と、言おうとするより先に、

 「…オバサン、バカなこと、言わないで…」

 と、大場が抗議した…

 「…いくらなんでも、そんなこと、あるわけないじゃない…」

 大場が言う。

 が、

 女将さんは、納得しなかった…

 「…そんなことは、百も承知さ…でもね…」

 「…でも、なに?…」

 「…自分の血の繋がった娘が、ヤクザの息子と結婚するのを、普通、承知するかね? だから、案外、このお嬢ちゃんと、入れ替わって…」

 「…バカなこと、言わないで!…」

 大場が激高する…

 当たり前だった…

 「…それに、オバサンが、先走りし過ぎ…
私と悠(ゆう)さんは、付き合ってるけど、結婚するとか、なんとか、言ったことは、一度もない…これは、悠(ゆう)さんも、たぶん、同じ…」

 「…それでもさ…」

 「…どういうこと?…」

 「…普通は、付き合うこと自体に、難色を示すんじゃないかい? …男と女さ…男同士でも、女同士でもない…男と女が、付き合えば、妊娠もある…それが、男と女の付き合いさ…それを、大場代議士だって、わかってるんだろう…だけど、なにも、言わないんだろ?…」

 女将さんの言葉に、

 「…」

 と、大場は、なにも言わなかった…

 「…それにだ…もし、このお嬢ちゃんが、ホントは、大場代議士の血の繋がった娘で、あっちゃんが、五郎の血の繋がった娘だとする…そうだとすれば、どうだ?…」

 「…どうって?…」

 「…大場代議士は、五郎の血の繋がった娘を手元に置いているんだ…いざ、五郎とことを構えても、大場代議士は、五郎の弱みを握っていることになる…」

 女将さんが言う…

 …うまいことを言う…

 私は、思った…

 たしかに、私が、大場代議士の娘で、敦子が、実は、稲葉五郎の娘と言うのは、ストーリーが面白いというか…

 説得力がある…

 ただし、だ…

 この発想には、無理がある…

 「…オバサン…頭、大丈夫?…」

 敦子が、大声を出した…

 「…自分の娘を交換して、どうなるの?…
 なにより、稲葉のオジサンの血の繋がった娘を、大場の娘として、育てるわけがないでしょ? 自分で言うのもなんだけど、大場の娘ならば、お金持ちで、なに不自由ない暮らしができる…それが、実の血の繋がった娘には、平凡な暮らしをさせるなんて、あり得ない…いざというときに、人質にできると、考えても、他人の娘に、あんな豪勢な生活を送らせるなんて、考えられない…」

 大場が、絶叫する…

 大場の言葉に、

 「…」

 と、女将さんは、なにも、言わなかった…
 
 大場が言ったことは、私が思ったことと、同じだった…
 
 私が、考えたことと、いっしょだった…

 有名政治家の娘であることは、メリットだらけ…

 自分の血の繋がった実の娘に、それを捨てさせることは、普通、あり得ない…

 考えられない…

 「…たしかに、ね…」

 女将さんも、大場の話を認めた…

 「…あくまで、可能性さ…それを口にしただけ…」

 女将さんは、あっさり、白旗を揚げた…

 話は、それで、終わった…
 
 「…つまらないことを言って、すまなかったね…」

 女将さんが、大場に、頭を下げた…

 大場は、なにも言わなかった…

 余裕が、なかったのだろう…

 自分の父親が、刺された…

 しかも、刺した人間は、自分が、子供の頃から、知っている幼馴染(おさななじみ)…

 そして、恋人だ…

 頭の中が、混乱するに、決まっている…

 私が、そう考えたとき、女将さんが、

 「…あっちゃん…家に、電話して…早く帰った方が、いいよ…」

 と、大場に助言した…

 大場もまた、今さらながら、その必要に、気付いた…

 自分の父親が、高雄悠(ゆう)に、刺されたことへの衝撃で、頭が混乱していたのだろう…

 今さらながら、その必要性に気付いた…

 ケータイを取り出し、電話をする…

 が、

 プル…プル…プル…と、電話の呼び出し音が、鳴るだけで、いつまでも、電話が繋がらなかった…

誰も出なかった…

 やはり、緊急事態というか…

 電話に出るどころでは、ないのかもしれない…

 あらためて、戸田の言ったことが、事実だと、わかった…

 「…テレビ…」

 突然、大場が言った…

 「…テレビをつけて…」

 テレビは、自分のスマホでも見れるが、大場は、それを忘れているようだ…

 無理もない…

 自分の父親が刺されたのだ…

 女将さんが、慌てて、席から、立ち上がり、店のテレビの近くに、歩み寄り、テレビをつけた…

 テレビの画面では、テロップに、

 …大場代議士…刺される…犯人は、逃亡中…

 と、大きく、流れていた…

 …やはり、本当のことだったんだ…

 私は、あらためて、思った…

 あの戸田が、この店に飛び込んできて、稲葉五郎に、ウソを言うとは、思わないが、テレビのテロップを見て、あらためて、大場代議士が刺されたことを、実感した…

 …あの、大場代議士が刺されるなんて?…

 私は、今さらながら、思った…

 稲葉五郎や、高雄組組長といった、大物ヤクザと、接したが、暴力とは、無縁だった…

 有名なヤクザと接したにも、かかわらず、暴力とは、無縁だった…

 暴力団と接していたにも、かかわらず、暴力とは、無縁だった…

 いや、

 まったくの無縁だったわけではない…

 一度だけ、暴力に遭遇した…

 一度だけ、暴力を目の当たりにした…

 それは、さっき、慌てて、この店に飛び込んできた、戸田が、稲葉五郎に殴られたのを、見たときだ…

 私を、勝手に、稲葉一家の事務所に入れたので、稲葉五郎が、激高したのだ…

 あのときは、なぜ、あんなにも、稲葉五郎が、激高したのか、わからなかった…

 しかし、今になってみれば、わかる…

 自分の血の繋がった実の娘かもしれない、私に、暴力団の事務所にやって来られるのは、嫌だったのだ…

 稲葉五郎は、ヤクザ…

 大物ヤクザだ…

 しかし、それは、結果として…

 さっき、稲葉五郎がいみじくも言ったように、

 …適性があり過ぎたのだ…

 つまりは、職業として、ヤクザをやっているに過ぎない…

 仕事として、ヤクザをやっているに、過ぎない…

 そして、成功したに過ぎない…

 そして、自分の娘には、その領域に、一歩でも、足を踏み入れてもらいたくなかったに違いない…

 はっきり言って、ヤクザは世間から、褒められる職業ではない…

 尊敬される職業ではない…

 自分が、その職業に就いていることは、構わないが、実の娘には、一歩たりとも、関わせたくないに違いない…

 それが、稲葉五郎の本心だろう…

 私は、今さらながら、思った…

 子が親を思う以上に、親は子を思うと、世間では、言われている…

 おそらくは、稲葉五郎は、自分の子供は、ヤクザにしたくないに違いない…

 おそらく、ヤクザとは、無縁の真っ当な仕事に就いてもらいたいに違いない…

 そこまで、考えて、あらためて、思った…

 高雄悠(ゆう)が、大場代議士を刺した、事件を、だ…

 二人とも、当たり前だが、ヤクザではない…

 ヤクザと深く接しているが、ヤクザではない…

 稲葉五郎や、高雄組組長と言った大物ヤクザが、身近にいるにもかかわらず、刺した人間も、刺された人間も、ヤクザではない…

 これは、ある意味、これ以上の皮肉はない…

 これに、勝る皮肉は、ないとも言える…

 ヤクザが、暴力を使わず、その周辺にいる一般人が、暴力を振るったのだ…

 まさに、これ以上の皮肉はない…

 私は、思った…

 そんなことを考えて、ふと、大場を見た…

 大場は、目を凝らして、テレビに流れるテロップを凝視していた…

 当たり前だ…

 自分の父親が刺されたのだ…

 真剣な表情で、食い入るように、画面を見つめていた…

 そんな大場に、

 「…あっちゃん…」

 と、女将さんが、優しく声をかけた…

 「…なにが、あっても、落ち込んじゃダメだよ…気をしっかり、持つんだ…」

 当たり前のことを言った…

 だが、この当たり前のことを言わなければ、ならないほど、大場は、誰の目にも、動揺していた…

 大場は、画面を見つめたまま、女将さんの言葉に、無言で、首を縦に振って、頷いた…

 私は、黙って、その光景を見ていた…

 大場もどうしていいか、わからないに違いない…

 あまりにも、意外な展開に、心が動揺して、正常な判断ができないに違いない…

 と、そこまで、考えて、ハタと気付いた…

 さっき、戸田が、この店に飛び込んで、稲葉五郎に、

 「…大場代議士が刺されました…」

 と、告げ、

 稲葉五郎が、

 「…誰がやった?…」

 と、聞いたとき、戸田が言いにくそうに、

 「…刺したのは、高雄の坊ちゃんです…」

 と、告げた…

 それを聞いて、この大場敦子は、

 「…やっぱり…」

 と、呟いた…

 さらには、こんなことが起きる可能性があるから、事前に高雄悠(ゆう)を逮捕させたことすら、暴露した…

 つまり、最初から、この展開は、もしかしたら、この大場にとっては、想定通りなのかもしれない…

 だからかもしれない…

 この大場が、この店に私を連れてくる最中に、すでに車中で、大場が、もの凄く緊張していることに、気付いた…

 あれは、この女将さんと、結託して、稲葉五郎を呼び出して、私が、稲葉五郎の娘だと告げる…

 そう、あらかじめ、シナリオを決めていたから、緊張していたのだろうと、思っていた…

 なにより、そんなことをすれば、私ではなく、稲葉五郎が、どういう反応をするか、わからない…

 その恐怖ゆえ、大場は、緊張していたのだろうと、考えた…

 だが、違うのかもしれない…

 もとより、それは、間違いではないが、すでに、高雄…高雄悠(ゆう)が、なにか、起こすことが、想定内というか、わかっていたのかもしれない…

 そして、それは、ずばり、自分の父、大場代議士への報復…

 それが、事前にわかっていたからこそ、大場は、緊張していたのかもしれない…

 なにより、大場は、稲葉五郎が、私の実の父親かもしれないと、女将さんが言っていたときに、妙に高揚感があった…

 普段のというか、これまで、会った、大場敦子とは、明らかに違った…

 それは、やはり、今言ったように、稲葉五郎の件と、高雄悠(ゆう)の報復が、頭にあったからに違いない…

 私は、あらためて、思った…

 考えた…

 と、そこまで、思ったときだった…

 突然、プル…プル…プルと、ケータイの電話が鳴った…

 最初、誰のケータイか、わからなかった…

 いまや、誰もが、ケータイを持っているからだ…

 持っていない人間を探す方が、難しい…

 だから、私のかもしれない、と思ったが、そうではなかった…

 大場のケータイだった…

 私も、大場も、呼び出し音が同じというか、平凡中の平凡の呼び出し音だったので、どちらのケータイだか、わからなかったのだ…

 「…ハイ…大場です…」

 大場が電話に出た…

 それから、一気に、大場の表情が、緊張した…

 「…高雄…悠(ゆう)さんなの?…」

 大場が言った…

 その言葉に、私も女将さんも、一気に緊張した…

 あり得ない展開だった…

 思わず、私と女将さんは、互いの顔を見合わせた…

               
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