第112話

文字数 5,226文字

 …私?…

 …私、竹下クミが、大場小太郎の邪魔?…

 …大場小太郎が、総理になるのに、邪魔?…

 私は、思った…

 思いながら、

 …これは、一体なんの冗談だ?…

 考えた…

 大場小太郎は、たしかに、会ったことがあるが、数えるほど…

 隣で、今、ハンドルを握る大場の娘の敦子にしても、数えるほどしか、会ってない…

 それが、どうして、私が、大場小太郎の邪魔なんだ?

 どうしてだ?

 私は、考える…

 真剣に考え込んだ…

 そして、考え込んだ結果、これは、大場敦子の冗談に違いないと、気付いた…

 こんな平凡な竹下クミが、大場小太郎の邪魔であるはずがない…

 接点というか、似ているのは、今現在、隣で、クルマのハンドルを握る大場敦子と顔が似ているぐらい…

 …顔が似ている?…

 ここで、気付いた…

 まさか、

 そんなバカなとは思うが、

 …私が、大場小太郎の隠し子とか?…

 それならば、私と大場が似ているのは、わかるし、大場小太郎にとって、致命的なスキャンダルになる…

 外に、子供がいたのだ…

 これまで、報じられていなかったスキャンダル…

 セックススキャンダルに他ならない…

 もし、それが事実ならば、総理の座など、到底望むべくもない…

 完全に消滅だ…

 それに気付いた、私は、おずおずと、

 「…もしかして、私と大場さんが、血が繋がった姉妹とか?…」

 私の言葉に、ハンドルを握る大場が、ビックリして、私を見た…

 目を見開いて、私を凝視した…

 その表情で、私は、確信した…

 …やはり、大場と私、竹下クミは、姉妹…血の繋がった姉妹に他ならない…

 そして、ふいに、母を思った…

 まさか、母は父を騙して、本当は、私の父親が、大場小太郎なのに、それを隠して、父と結婚したのか?

 なんて、女だ!

 私は、同性ながら、母親が許せなかった…

 母は父を裏切っていたのだ…

 陰に隠れて、大場小太郎と…

 やはり、母は、大場小太郎の財力に目がくらんだのか?

 国会議員の家の跡取り息子だからか…

 私の心の中で、母に対する怒りが、フツフツと、湧いてきた…

 母、許すまじ!

 私の怒りは、もはや、爆発寸前だった…

 と、そのときだった…

 隣で、

 「…プッ…」

 と、音がした。

 次いで、

 「…キャハッハッハッ…」

 と、大場が爆笑した…

 私は、慌てて、隣で、ハンドルを握る大場を見た…

 「…一体、なにを言い出すんだと思ったら…竹下さん…面白い…面白すぎ…」

 ハンドルを握る大場が、爆笑する…

 「…パパの邪魔が、竹下さんだって、言ったら、いきなり、私と竹下さんが、血が繋がった姉妹だなんて…一体どういう思考形態をしているんだか…頭の中身を割って、見てみたい…」

 大場が笑いながら、言う。

 私は、大場の言い草に頭にきたが、さりとて、大場が、そう思うのは、わかる…

 理解できる…

 しかし、それを除けば、私が、大場小太郎の邪魔になるわけがない…

 やはり、冗談か?

 そう思った…

 外見が似ている、私と大場が、実は、父親が同じ、血が繋がった姉妹だった…

 ありえないことだが、それが、一番可能性があった…

 だから、私が、大場小太郎の邪魔なのだ、と…

 大場小太郎が、外に作った子供がいると、報道されれば、このご時世、真っ先に、次の首相の座が遠のく…

 今、政治家は、芸能人と同じく、セックススキャンダルが、命とり…

 品行方正でなければ、ならない…

 聖人君子でなければ、ならないからだ…

 しかし、それを、こんなにも、あっけなく否定するとは?

 正直、わけが、わからなかった…

 だから、やっぱり、冗談なのだろう…

 私は、そう思って、隣で、運転する大場を見た…

 が、

 大場は、私の予想に反して、緊張した表情のままだった…

 さっきまでと同じく、緊張した表情のままだった…

 …やはり、なにか、ある?…

 当たり前だが、気付いた…

 冗談で、私が、大場小太郎の邪魔だと、言ったわけではないことに、気付いた…

 …やはり、私に、なにか、あるのかもしれない…

 …私自身、気付いていない、なにかが、あるのかもしれない…

 そう、考えると、私自身も深刻になった…

 一体、私になにがあるのだろう?

 自分で、自分自身に問うた…

 が、

 当然のことながら、さっぱり、わからなかった…

 だから、

 「…」

 と、沈黙した…

 ハンドルを握る大場に、話しかけようとしたが、大場はとてもじゃないが、気やすく話しかけられる雰囲気ではなかった…

 だから、私も、辛うじて、

 「…どこに行くの?…」

 と、だけ、聞いた…

 なんだか、大場の緊張状態が、私にも、伝わってきて、怖かった…

 思わず、声が震えた…

 大場が、とてつもなく、緊張しているのが、わかったからだ…

 その緊張が、私に伝わって、車内の空気がピリピリと緊張した…

 ライターで、火を点ければ、一気に爆発するかも?

 そう思えるほどだった…

 それほど、緊張した…

 そして、徐々に、私にも、大場の緊張が移った…

 元々、気の小さい、私、竹下クミは、いつのまにか、今にも泣き出しそうになった…

 恐怖で、顔が蒼ざめた…

 こんな恐怖は、中学時代、ヤンキーの同級生の女のクラスメートに、

 「…放課後…トイレに来な…しめてやる!…」

 と、言われたとき、以来だ…

 私は、あまりの恐怖に、顔が蒼ざめ、その後の授業中に、卒倒して、保健室に担ぎ込まれた…

 それを見た、ヤンキーのクラスメートが、

 「…さすかに、あれを相手にしても…」

 と、なって、難を逃れた…

 それ以来の恐怖だった…

 あれ以来、ほぼ8年ぶりの、恐怖だった…

 もう少しで、泣きそうになった…

 涙が出てくる寸前になった…

 やはり、私は、弱かった…

 竹下クミは、弱かった…

 ヤンキーやヤクザが苦手…

 オラオラ系が、苦手だった…

 強くなれなかった…

 …神様…

 思わず、神に祈った…

 …私を助けて下さい…

 私は、真剣に祈った…

 今ほど、真剣に祈ったのは、これまで、一度もなかった…

 それほど、追い込まれていた…

 あまりの恐怖に、目をつぶると、涙が、ほんのわずかだが、流れた…

 涙が、ほんのわずかだが、頬を伝わった…

 それほど、怖かったのだ…

 すると、なぜか、突然、脳裏に、稲葉五郎の姿が映った…

 稲葉五郎の、大きなカラダと、ゴツイ顔が、映った…

 稲葉五郎を思い出した…

 私は、自分の脳裏に、稲葉五郎が映ったのに、自分でも、驚いた…

 が、考えてみると、当然だった…

 稲葉五郎は、強い…

 頼りになる…

 こんな弱っちい、竹下クミを救うのに、うってつけ…

 しかも、私は、これまで、稲葉五郎以上に、強い男を身近に見たことがなかった…

 見るからに、ゴツイ顔をしたヤクザだが、稲葉五郎以上に、頼りになる男は、身近にいなかった…

 だから、だ…

 私は、気付いた…

 なにより、神様は、空想の産物だが、稲葉五郎は、実在する…

 実在する人間に、救いを求めるのは、当たり前だ…

 「…稲葉さん…」

 つい、私の口から、ポロッと漏れた…

 「…稲葉さん…助けて…」

 小さく呟いた…

 自分でも、意外だった…

 まさか、稲葉五郎の名前を呼ぶとは?

 私は、急に恥ずかしくなって、慌てて、目を開けて、隣で、ハンドルを握る、大場を見た…

 すると、大場は、なぜか、さっき以上に、緊張した表情で、ハンドルを握っていた…

 そして、それは、緊張というより、恐怖に近かった…

 大場自身、なにかに、怯えているようだった…

 …一体、大場は、なにに、怯えているのだろう?…

 私は、思った…

 大場は、このマツダ3セダンという真っ赤なクルマに乗り、私をどこかへ連れてゆく…

 ただ、それだけのことだ…

 ただ、それだけだ…

 まさか、私をこのまま、拉致するわけではあるまい…

 大場は、大場小太郎の娘…

 次期総理総裁候補筆頭の娘だ…

 そんな大場が、私を拉致するわけがない…

 大場が拉致されることはあっても、私を拉致するわけがない…

 ひどく当たり前のことを思った…

 考えた…

 すると、当然だが、私は、安心した…

 こんな次期首相候補のお嬢さんが、私をどうこうするわけがない…

 そんなことをすれば、大場小太郎の次期総理の座が、吹き飛ぶ…

 木っ端みじんに、吹き飛ぶ…

 そう、考えると、安心した…

 ちょうど、そのときだった…

 「…稲葉五郎…次期山田会会長…」

 ポロッと、大場が稲葉五郎の名前を漏らした…

 口にした…

 「…稲葉のオジサンは、強い…子供の頃から、知ってるけど、ケンカが強いだけじゃなく、頭脳も明晰…頭もいい…」

 大場が、稲葉五郎を褒める…

 私は、なぜ、突然、大場が稲葉五郎を褒めるのか、わからなかった…

 が、

 口を挟まず、聞いていた…

 「…高雄…高雄悠(ゆう)さんの父親の高雄組組長や、松葉会会長が、束になっても勝てない…まさに、ヤクザ界のスター、モンスターね…」

 大場が激賞する…

 「…正直、子供の頃から、知ってるから、あまりにも、身近で、稲葉のオジサンが、あんなに凄いひとだなんて、思わなかった…」

 大場が語る。

 しかも、シミジミとした口調だった…

 実感がこもっていた…

 「…だから、亡くなった山田会の古賀会長が、生前から、稲葉のオジサンを警戒していたのは、わかる…」

 …警戒?…

 あまりにも、意外な言葉だった…

 「…自分の後継者として、非の打ちどころがない…でも、これ以上、大きくなっては、困る…だから、高雄さんのお父様に目を付けて、稲葉のオジサンのライバルにしようと目論んだ…」

 「…ライバル?…」

 思わず、声を上げた…

 「…山田会で、稲葉のオジサンひとりが、あまりにも、大きくなると、自分の座を脅かされると、恐れた、古賀さんは、稲葉のオジサンに匹敵するライバルを山田会の中に作ろうとした…それで、白羽の矢が立ったのは、高雄さんのお父様…でも、無理だった…」

 「…」

 私は、大場がなにを言いたいのか、わからなかった…

 私が、偶然、稲葉五郎の名前を口にしただけなのに、こんなことを言い出すなんて?

 正直、わけがわからなかった…

 「…だから、稲葉のオジサンの弱点を探した…」

 「…弱点?…」

 「…人間、誰でも、弱点はある…でも、オジサンにはなかった…若い頃から、独身主義で、ヤクザに家族はいらないというのが、オジサンの口癖だった…家族もなく、自分ひとり…たったひとりで、ヤクザを続けている…誰もが、そう思った…」

 …一体、大場は、なにを言いたいのだろう…

 私は、思った…

 すると、私の思いが伝わったのか…

 「…稲葉五郎は、あまりにも、山田会内部で、大きくなりすぎた…あまりにも、強くなり過ぎた…すると、当然のことながら、無用な敵を作る…」

 「…敵?…」

 「…稲葉のオジサンが、好むと好まないと、オジサンが嫌えば、山田会内部で、出世はできなくなる…オジサンとウマが合わない連中が、それを恐れた…そして、その中には、古賀さんもいた…」

 「…ウソ?…どうして?…」

 「…稲葉のオジサンが、自分より、山田会で、力を持ちかねないからよ…」

 「…」

 「…そのうちに、古賀さんが、ボケだして…」

 「…ボケだした?…」

 が、

 それ以上は、大場は、口にしなかった…

 これ以上、なにか、言っては、マズいと思ったのかもしれない…

 私が、隣で、運転する大場を見ると、さっき以上に、緊張した表情になっていた…

 その緊張が、隣の私に、ビシビシと伝わった…

 いや、

 緊張だけではない…

 明らかに、恐怖も、大場敦子は、感じていた…

 それは、大場の額に流れる汗からも、わかった…

 ただの汗ではない…

 冷や汗というか、恐怖によって、流れる汗だった…

 極限の恐怖=それによって、もたらされる緊張によって、流れる汗だった…

 …一体、これから、なにが?…

 …なにが、起こるのだろう?…

 私は、ビクビクと怯えた…

 …一体、これから、私は、どうなるのだろう?…

 …もしかして、殺されるのかも?…

 ありえないことかもしれないが、そんなことまで、私の脳裏をよぎった…

 私は、恐怖のあまり、無言になった…

 大場もまた無言のまま、クルマを走らせた…

 クルマが疾走する…

 ただ、それだけだった…

 私も大場も、一言も言わず、ただ、無言のままだった…

 それが、到着まで、ずっと続いた…

 私は、思わず、

 「…稲葉さん…稲葉五郎さん…助けて…」

 と、祈った…

 繰り返した…

 今現在、私の知り合いで、稲葉五郎以上に、頼りになるものは、いなかったからだ…

 思いつかなかったからだ…

 やがて、

 「…さあ、着いたわ…」

 と、言って、大場がクルマを停めた…

 駐車場に入れた…

 私は、それまで、緊張と恐怖で、目をつぶっていたので、周囲の風景は見ていなかった…

 が、目を開けて、周囲を見渡すと、以前、見た風景だと気付いた…

 …ここは、たしか?…

 その私の目に、偶然、

 …稲葉一家…

 と、書かれたビルのテナントの看板が、目に入った…

                
 
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