第131話

文字数 5,711文字

 「…お嬢…」

 目の前の戸田が、私の顔を見て繰り返した…

 私は、驚いた…

 まさか、

 まさか、

 この渡辺えりに似た女将さんの店の前で、戸田に、声をかけられるとは、思わなかった…

 …これは、偶然?…

 …これは、偶然なのだろうか?…

 ずばり、疑問だった…

 偶然にしては、出来過ぎている…

 私には、その思いの方が強かった…

 …偶然ではない!…

 考えた…

 そのときだった…

 「…やっと、お嬢に会えた…」

 安堵の声が漏れた…

 声の主は、目の前の戸田だった…

 「…やっと?…」

 私は、戸田の言葉尻を捉えて、言った…

 「…ハイ…やっとです…ずっと、お嬢に会えるのを、待ってました…」

 「…私に会えるのを?…」

 「…ハイ…」

 戸田が元気よく答える…

 まさか、私に会えるのを待って、ずっと、ここで、立って私を待っていたんじゃ…

 一瞬、そんな考えが、脳裏をよぎった…

 だから、

 「…あの…戸田さん?…」

 「…なんですか? …お嬢?…」

 「…ずっと、この場所に立って、私が、ここにやって来るのを、待ってたんですか?…」

 私の質問に、

 「…まさか…」

 と、戸田が、屈託なく笑った…

 それから、

 「…あの店です…」

 と、指で、向かいの店を指した…

 「…あの店のテーブルに座って、ずっとお嬢がやって来るのを、待ってたんです…オヤジの言いつけで…」

 「…稲葉さんの?…」

 「…高雄のオジキが、あんなことになって、たぶん、お嬢は、この店に、女将さんに会いにやって来るだろうから…と、オヤジが言って…」

 私は、その言葉で、稲葉五郎が、私の行動パターンを読んでいることに、気付いた…

 「…稲葉さんが、そんなことを…」

 私は、唖然とした…

 「…オヤジはああ見えて、結構、周囲に気を遣うんです…」

 「…気を遣う?…」

 「…お嬢が、この店にやって来るのを、あの店で、見張ってろと、言っても、一日中じゃなく、朝の10時から、夕方の6時までで、いいとか…」

 「…どうして、その時間なんですか?…」

 「…お嬢は、夜、訪れるようには、見えないから、日が暮れるまでに、やって来なければ、それまででいい…気軽に雑誌でも、スマホでも、見ながら、ぼんやりと、外を見ていろと…」

 私は、唖然とした…

 そこまで、読まれているとは、思わなかった…

 私が、なにか、言おうとすると、戸田が、

 「…こんなところで、立ち話もなんだから…」

 と、言って、

 「…お嬢も、オレが、さっきまで、いた店に来て下さい…」

 と、私を誘った…

 私は、迷うことなく、

 「…ハイ…」

 と、言った…

 それから、二人して、ついさっきまで、戸田がいたという向かいの店に向かって歩き出した…

 私は、戸田の後ろを歩いた…

歩き出すと、戸田の背中が大きく、見えた…

 この戸田も、稲葉五郎や、亡くなった高雄組組長同様、大男だと、今さらながら、思った…

 180㎝は、優に超えている…

 やはり、ヤクザは、カラダが大きくなければ、いけないのだろうか?…

 威圧感というか、相手を圧倒する、ものがなければ、いけないのだろうか?…

 考えた…

 それには、まず、なによりガタイがよくなければ、ならない…

 カラダが大きくなければ、ならない…

 そんな当たり前のことを、今さらながら、思った…

 
 店に入り、私と戸田、二人が、共に、席に着くと、すぐに、戸田が、

 「…ホントに良かった…」

 と、言った…

 「…良かった?…」

 「…オヤジがずっと心配してたんです…あの女将さんは、いち早く、連絡をしたから、店を閉めましたが…」

 「…どういう意味ですか?…」

 「…高雄のオジキの死です…」

 「…高雄さんの?…」

 「…オヤジは、高雄のオジキが大好きだった…それが、あんなことに…」

 「…どうして、高雄さんは、亡くなったんですか?…」

 私は、戸田に直球の質問をした…

 戸田は、私と同世代だから、話しやすかった…

 だから、つい直球で、訊いた(笑)…

 戸田は、どう言おうか、一瞬、迷った様子だったが、

 「…罠にかけられたんたと思います…」

 と、はっきりと言った…

 「…罠?…」

 「…ホントは、高雄のオジキは、うちのオヤジに対抗する気はまったくなかったんです…でも、大場代議士にそそのかされて…」

 「…大場代議士に?…」

 「…大場代議士は、うちのオヤジとも、高雄のオジキとも、付き合いが長かったんです。でも、それは表面上だけで、ホントは、山田会の消滅を狙っていたんです…」

 「…消滅?…」

 「…大場代議士は、高雄のオジキに、杉崎実業は儲かるからと、杉崎実業の株を、買わせ、それから、しばらくして、杉崎実業が、政府の目を盗んで、中国と不正な取引を行っていると、世間に暴露した…これで、杉崎実業の株は、大暴落した…高雄のオジキは、大損です…ですが、それは、すべて、最初から、大場代議士の目論見通りでした…」

 戸田は、私が、考えていた通りのことを言った…

 「…でも、大場代議士は、やり過ぎないというか…お嬢も知っているように、政府から、高雄組に40億円返すように、仕向けた…自分の命を狙われないためです…高雄のオジキは、罠に嵌められたことに、激怒したが、鉄砲玉に狙わせないように、手を打ったというか…具体的には、水面下の話し合いで、40億円返して、くれれば、良しとしようとなった…」

 「…」

 「…でも、これは、なにも、高雄のオジキのことを考えてだけのことじゃないんです…」

 「…どういう意味ですか?…」

 「…大場代議士は、高雄のオジキの金を狙っていたんです…」

 「…狙っていた…」

 「…言い換えれば、だから、40億円返した…」

 「…どうやって、狙っていたんですか?…」

 「…大場のお嬢さんと、悠(ゆう)さんの結婚です…」

 「…結婚?…」

 「…二人が、結婚すれば、文字通り、大場代議士と、高雄のオジキが親戚になる…そうすれば、大場代議士は、かなり大胆に高雄のオジキに金を無心できるというか…」

 …そういえば、以前、大場代議士が、娘の敦子と、悠(ゆう)を結婚させることで、高雄組の金を狙っていたと聞いた…

 今さらながら、それを思い出した…

 「…大場代議士は、ずっと以前から、高雄組に興味を示していたというか…狙ってました…」

 「…狙ってた?…」

 「…大場代議士もバカじゃありません…ヤクザの息子と、自分の娘が結婚できるなんて、ハナから、思ってません…だから、高雄組を武装解除と言うか…ヤクザから、うまく足を洗わせて、そのうえで、堅気になった高雄組の資産を狙ったというか…そうすれば、仮に結婚するとしても、世間からのハードルが下がるというか…世間の見る目も厳しくなくなる…ヤクザを辞めたんだから、いいじゃないかとなる可能性も高い…」

 「…」

 「…大場代議士も迷ってたんだと思います…」

 「…迷ってた?…」

 「…一方で、武装解除というか、高雄組にヤクザの看板を下ろさせてまで、自分の娘と結婚させる…そんなことが本当にできるのか、悩んでいたんだと思います…でも、そう思いながらも、それを実行した…それは、高雄のオジキも同じ…」

 「…高雄さんも同じ…」

 「…大場代議士の言葉が、自分を騙していることも、わかっていた…でも、このまま、ヤクザを続けていくべきかどうか、悩んでいた…高雄のオジキは、金融ヤクザ…ヤクザを辞めるのも、比較的ハードルが低いというか…武闘派のうちのオヤジに比べれば、低いっていやあ、低い…」

 …たしかに、そんなふうに説明されれば、わかる…

 以前、大場代議士が、高雄組の資産を狙っていたという話は聞いた…

 しかし、この戸田が言うまで、政府から、高雄組に返還する40億円に、そんな意味があるとは、思わなかった…

 つまり、この戸田の話を極論すれば、高雄組に40億円返還するから、ヤクザから足を洗えということだ…

 そして、ヤクザから、足を洗った高雄組は、投資家として、独立…

 堅気となった…

 それを契機に、大場代議士は、娘の敦子と、悠(ゆう)を結婚させる…

 そうすれば、敦子を通じて、高雄組の資産を手に入れられる…

 そう、目論んでいたということか?

 私は、今さらながら、大場代議士のしたたかな目的に気付いた…

 そして、あまりのしたたかさに、舌を巻いたというか…

 …ありえないことを考える…

 そう、思った…

 常人とは、違う発想に他ならない…

 私は、思った…

 考えた…

 しかし、大場代議士は、果たして、自分一人で、そんなことを考えたのだろうか?

 ふと、疑問が湧いた…

 そして、この戸田は、どうして、そこまで、知っているのだろう…

 稲葉五郎から聞いたのは、想像できるが、やはり、これは、稲葉五郎の英才教育というか…

 この戸田が、将来、山田会を背負って立つかもしれない逸材だから、稲葉五郎は、身近に、側近として、置いて、育てようとしているのだろうか?

 考えた…

 だから、

 「…戸田さんは、随分、そんな内情にお詳しいんですね…」

 と、訊いた…

 すると、

 「…すべてオヤジの受け売りです…」

 と、戸田が照れたように、言った…

 「…オヤジは、ああ見えて結構、おしゃべりで、よく状況を説明してくれるんです…」

 「…説明…ですか?…」

 「…物事の成り立ちっていうと、大げさですが、オレが、この先、ヤクザを続けるかどうかは、さておいて、ものの見方っていうか…誰が、どんな目的で、どう動いているかとか…そんなことを、ことこまかに説明してくれるんです…」

 「…どうして、稲葉さんは、そんなことを?…」

 「…オヤジは、以前も言いましたが、結構、ひとを育てようというか…これは、高雄のオジキもそうでしたが、ヤクザを続けるか、どうかは、いったん置いて、ヤクザを辞めても、どこの世界でも、食える人間を目指しているんだと思います…」

 「…そんなことを…」

 「…どんな仕事も長く続けるのは、結構しんどいでしょ? …オヤジは、とりあえず、自分の若い衆を、数年続ければ、どんな世界でも、すぐに音(ね)を上げない男に育つ…いつも、そう言ってます…」

 「…」

 私は、この戸田の口ぶりから、稲葉五郎を、この戸田が、好きだと言う事実に、あらためて、気付いた…

 「…それで、今、稲葉さんは?…」

 あらためて、思った…

 今、稲葉五郎は、どこにいるのだろう?

 あの稲葉一家の看板のある、事務所にいるのだろうか?

 「…オヤジは今、山田会の会長就任で、忙しくて…」

 「…そうですか?…」

 私は、言った…

 たしかに、山田会の襲名披露となれば、色々忙しいに違いない…

 そんなことは、素人の私でもわかる…

 すると、この戸田は、

 「…あの女将さんに、当面の間、店を閉めろと言ったのは、うちのオヤジなんです…」

 と、予想外のことを言った…

 「…稲葉さん?…」

 「…ハイ…なにが、起こるか、わからないからって…」

 「…どういう意味ですか?…」

 「…大場代議士です…」

 「…大場さん?…」

 「…大場代議士の容態が、さっぱり掴めないんです…生きているのか、死んでいるのかを含めて、今、どんな状況なのか? 重症なのか? 軽傷なのか? それとも、ひょっとすると、入院はしていないで、どっかから、指示を飛ばしているかもしれない…そんな話もあります…」

 「…どうして、稲葉さんは、そんなに、大場さんのことが、気になるんですか? いえ、大場さんと、あの町中華の女将さんが、身を隠すのと、一体、どういう関係があるんですか?…」

 「…大場代議士は、さっきも言ったように、高雄のオジキをハメました…高雄のオジキは、大人だし、さまざまな事情と言うか、しがらみもあって、返し=報復は、しませんでしたが、それに納得しない組員もいて、大場代議士もその状況は、掴んでいて…」

 「…それって、仮病っていうか…実は、大したケガじゃないのに、大げさに騒いで、身を隠したってことですか?…」

 「…ハイ…」

 戸田が頷く…

 「…でも、あくまで、可能性です…実際は、重症かもしれないし、大場代議士の容態は、さっぱりわかりません…」

 「…あの女将さんは、どうして、身を隠さなければ、ならないんですか?…」

 「…女将さんは、色々知り過ぎているんです…」

 「…知り過ぎてる?…」

 「…稲葉のオヤジとも、大場代議士とも、親しい…大場代議士の娘のあっちゃんなんて、子供の頃から知っている…だから、オヤジは、身を隠すように勧めたんです…実際、物事は、なにが起こるか、わからない…どう転ぶか、わからないが、オヤジの口癖なんです…それに…」

 「…それに、なんですか?…」

 「…松尾のオジキです…」

 「…松尾さん?…」

 松尾会会長…松尾聡(さとし)…

 もう七十代か、八十代の、高齢のお爺ちゃんだ…

 私は、思い出した…

 たしか、私の記憶だと、杉崎実業が、中国に不正に製品を輸出している事実を知ると、自分もまた、儲けようと思い、それに一枚加わろうとした…

 しかし、それが、中国政府の知るところとなり、松尾会の組員が、機関銃で、中国政府の差し向けた殺し屋から、銃撃されて、文字通り、蜂の巣にされた…

 それに、仰天した松尾会長は、たしか、どこかの病院に逃げ込んで、入院したはずだ…

 病院に入院することで、中国政府の殺し屋から、身を隠したのだ…

 私は、それを、思い出した…

 「…あの松尾のオジキ…オレにとっては、稲葉のオヤジのオジサンなんだから、ホントは、大叔父なんですが、あの大叔父の言動が気になるというか…」

 「…どういうことですか?…」

 「…稲葉のオヤジが言うには、大場代議士が、高雄のオジキの資産を狙ったのは、あの松尾の大叔父が、そそのかしたんじゃないかと、疑ってるんです…」

 「…松尾さんが?…」

 「…ハイ…しかも、今、大場代議士が入院している病院と、松尾の大叔父が、入院している病院が、同じ…同じ病院なんです…」

 ありえないことを、言った…

 とんでもないことを、言った…

 「…そんな…」

 私は、絶句した…

 これまでにもまして、混沌とした…

 未来が、混沌とした…

 そんな予感がした…

               
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