第132話

文字数 4,794文字

 …松尾…

 …松尾聡(さとし)…

 今さら、そんな人物の名前が出てくるとは、思わなかった…

 そして、その松尾聡(さとし)が、今回の杉崎実業に関する一件と言うか…

 高雄組の資産を、大場代議士が狙った一件というか…

 それに関わっているとは、思わなかった…

 大場敦子と、高雄悠(ゆう)の結婚にかかわっているとは、思わなかった…

 私は、仰天する…

 そんな仰天した私に、

 「…あの大叔父は、狸(たぬき)です…」

 と、追い打ちをかけた…

 「…狸(たぬき)?…」

 「…うちのオヤジが、一番警戒してました…大場代議士も策士ですが、あの大叔父も狸(たぬき)…あの二人が、手を組んだとなると、うちもヤバいというか?…」

 「…ヤバい? …どうヤバいんですか?…」

 「…山田会の追い落としです…」

 「…追い落とし?…」

 「…うちのオヤジが襲名披露するのに、わざと他団体の人間が来ないように、仕向けるとか…山田会で、高雄のオジキについた一派を離脱させて、他の組と合併させようとするとか…事態は、色々考えられます…」

 戸田が説明する…

 そして、その説明を聞いて、あらためて、稲葉五郎が、私を待っていた理由がわかった…

 この戸田を使って、私を待っていた理由が、わかった…

 要するに、用心したのだ…

 あの町中華の女将さん同様、この先、なにが、起こるか、わからない…

 策士の大場代議士と狸(たぬき)の松尾会長が、タッグを組めば、なにをしでかすか、わからない…

 それに、用心したのだ…

 何事も、用心するに、越したことは、ないからだ…

 「…お嬢も、この先、色々気を付けて下さい…」

 戸田が、そう言ったときに、頼んだケーキがやって来た…

 私と戸田は、ウエイトレスが、

 「…お待たせしました…」

 と、言うと、会話を中断した…

 さすがに、ウエイトレスの前で、こんな会話を続けることはできない…

 ウエイトレスが立ち去ると、

 「…食いましょう…」

 と、戸田が言い、真っ先に、ケーキをパクついた…

 私は驚いた…

 正直、ヤクザの大男とケーキは、似合わない…

 しかし、目の前の戸田は、稲葉五郎同様のゴツイ顔にもかかわらす、実に、嬉しそうに、ケーキにかじりついたといおうか…

 そのギャップに萌えるというか(笑)…

 衝撃が強かった(笑)…

 私が、唖然としていると、

 「…どうしたんですか? お嬢?…」

 と、戸田がケーキを食べる手を止めた…

 それから、

 「…しまった…」

 と、顔をしかめた…

 そして、

 「…スイマセン…」

 と、いきなりテーブルに両手をついて、私に頭を下げた…

 「…客人のお嬢より、先に食べてしまいました…」

 私は、戸田の言葉に、

 「…」

 と、唖然とした…

 …そんなこと、大したことない…

 …別に、構わないのに…

 私は、思ったが、いつまでも、戸田が、私に頭をさげたままだった…

 だから、私は、

 「…どっちが先に食べても、いいじゃないですか…」

 と、戸田に言った…

 「…そんなこと、別に…」

 が、

 戸田は、

 「…いえ、大したことじゃないじゃありません…」

 と、言い張った…

 「…オヤジが、いつも言ってます、客人をもてなすことは、礼儀の一歩…どうやって、もてなすかに、知恵を絞れと…」

 「…そんな…おおげさな…」

 私は、空いた口が塞がらなかった…

 が、

 いつまでも、戸田は、頭を下げたままだ…

 「…いい加減に頭を上げてください…ひとが見ます…」

 私が、言うと、初めて、戸田が、

 「…ひとが?…」

 と、言いながら、頭を上げて、周囲をキョロキョロして、見た…

 「…やっと、頭を上げてくれました…」

 私が、笑うと、

 「…お嬢…オレをひっかけましたね…」

 と、戸田がへそを曲げた…

 「…そんなことはないです…このまま、ずっと、戸田さんが、頭を下げてれば、何事かと、周囲の人間が見ます…」

 私は、反論した…

 「…だって、私のような小柄な女に、戸田さんのような大男が、ずっと頭を下げていれば、誰だって、なにが、あったんだと、気になるでしょう…」

 私の言葉に、戸田は、

 「…」

 と、なにも、言わなかった…

 「…そんなことより、ケーキを食べましょう…」

 私は、言って、ケーキを食べだした…

 その方が、戸田が、気にすることがなくなると思ったからだ…

 「…おいしい…」

 私が、一口食べて、言うと、戸田が、

 「…この店のケーキは絶品なんです…」

 と、嬉しそうに、声を上げた…

 「…オヤジも、この店のケーキは、お気に入りで…」

 「…稲葉さんが?…」

 ありえない言葉だった…

 「…オヤジは、ああ見えて、すごく健康に気を使っていて、酒も付き合い程度しか飲みませんし、タバコなんて、もってのほかです…でも、甘いものには、目がなくて…」

 ありえない言葉の連続だった…

 「…だから、オレも、その影響と言うか…元々、甘いものが、大好きなんで…」

 戸田が言う…

 言いながら、戸田の顔が、真っ赤になった…

 ヤクザの大男が、ケーキを食べながら、顔を真っ赤にする…

 考えてみれば、これほど、おかしな話はなかった…

 だから、つい、ニヤッと笑ってしまった…

 それに気付いた戸田が、

 「…お嬢…一体、なにが、おかしいんですか?…」

 と、顔を真っ赤にしたまま、私に食ってかかった…

 「…だって、戸田さんとケーキって、まったく似合わなくて…」

 私が、苦笑すると、

 「…そうですね…オレもそう思います…」

 と、あっさり、戸田が認めた…

 「…でも、好きなものは、好きなんです…」

 そう言って、再び、戸田は、ケーキを食べだした…

 そんな戸田の姿を見て、私は、なんとなくホッとしたというか…

 あの高雄組組長が、自殺してから、もやもやした気持ちと言うか、なんとなく、気分が、落ち込んでいた…

 正直に言って、滅入っていた…

 やはり、なんといっても、自分の見知った人間が、自殺したと聞いて、平然としていられる人間は、いない…

 どんな人間も大なり小なり、動揺するものだ…

 私もまた例外ではない…

 大した付き合いではないにも、かかわらず、動揺した…

 気持ちが滅入った…

 そして、その気持ちは、まるで、水槽の下に、澱がたまるように、気持ちが落ち込んだ…

 しかし、今、この戸田と会って、心の底から、笑えた…

 やっと、普段の自分に戻った…

 そんな感じがした…

 まさに、戸田に感謝…

 感謝だった…

 
 事態は、まったく動かなかった…

 あれから、二週間…

 私が、日々、ネットを検索していると、初めて、動きがあった…

 松尾聡(さとし)…

 松尾会会長が、退院したというニュースだった…

 だが、それは、正直、真偽不明…

 フェイクニュースかもしれなかった…

 なによりツイッターで、拡散されている現状が、怪しかった…

 しかし、今は、ヤクザもツイッターを使う時代…

 どこそこの組に、銃弾を撃ち込んだと、ツイッターに拡散する時代だ…

 しかも、それは、真偽不明…

 本当か、ウソか、わからない…

 そんな真偽不明の情報が、ネット上に大量に行き交う…

 ただ、私は、あの松尾会会長が、退院したというのが、引っかかった…

 すでに、あの戸田が言ったように、大場代議士と、松尾会長は、同じ病院に入院していた…

 そして、一方の松尾会長が、退院…

 なにか、あると、考えるのが、普通だ…

 ちょうど、時を同じくして、中国の駐日大使の交代が、アナウンスされた…

 私は、この記事に釘付けになった…

 なにしろ、松尾会長は、自分の配下の組員が、杉崎実業が、中国に、不正に製品を輸出するのを、見て、自分も、儲けようと思い、杉崎実業にちょっかいを出した…

その結果、中国政府の差し向けた殺し屋から、自分の組員が、機関銃で、蜂の巣にされて、慌てて、病院に逃げ込んだのだ…

 病院に逃げ込んで、中国政府から、身を隠したのだ…

 それが、中国の駐日大使が、交代すると、同時に、病院を退院…

 なにか、あると思うのが、普通だ…

 一方、山田会は、無事、稲葉五郎が、二代目山田会会長に就任した…

 紆余曲折が、一部に、報道されたが、そんなことは、まったくなかったようだった…

 ただ、前述の、松尾会長は、出席しなかった…

 まだ、入院中だったからだ…

 ただ、それが、意図的だったのか、どうかは、わからない…

 しかし、私がネットで、検索すると、稲葉五郎と、松尾会長の不仲の証拠というか、明らかに仲が悪いであろう言葉が、いくつも、並んでいた…

 極めつけなのが、二人は、公の場で会っても、決して、目を合わさないというものだった…

 人間関係を評価するのに、さまざまな物差しが、存在するが、目を合わさないというのは、まさに致命的だ(笑)…

 稲葉五郎と、松尾会長は、よほど仲が悪いのであろう…

 そういえば、稲葉五郎の口から、松尾会長を褒める言葉は、聞いたことがなかった…

 稲葉五郎の若い衆である、戸田の口からも、同様だった…

 互いに犬猿の仲なので、あろう…

 私は、思った…

 ただ、私に関しては、動きがなにもなかった…

 私は、大学に行き、講義に出て、その合間に、いつものコンビニで、バイトに励んだ…

 すでに、就活は、全敗…

 今さらジタバタしても、仕方がない状態だった…

 後は、このまま、大学に留年して、翌年、再び、就活=就職活動に励むか…

 あるいは、

 このまま卒業して、無職のまま、社会人となり、就職に励むのか…

 その二択だ…

 もう何度も、考えた二択だった…

 それ以外の選択肢はない…

 頭がおかしくなるほど、考えたことだが、最近は、すっかり、それも忘れていた…

 何度も繰り返すが、あの高雄組組長の自殺は、私にとって、そんな普段の日常を忘れさせるほどの衝撃だった…

 本当は、普通に就職して、社会人になる…

 そんな当たり前のことを忘れさせるほどの衝撃だった…

 何度か、会ったに過ぎないが、私の心に、これまで感じたことのない衝撃を感じた…

 当たり前だ…

 ヤクザの大物で、それが、こともあろうに、拳銃自殺したのだ…

 忘れろと言われても、容易に忘れられない出来事だった…

 ただ、私が、口にせずとも、ボンヤリと、そんな思いを胸に抱いていると、

 「…稲葉さん…無事に、山田会の二代目に就任したね…」

 と、葉山が私に声をかけた…

 私が、ビックリして、葉山を見ると、

 「…妨害があるかと思ったけど、どうやら、杞憂に終わったようだ…よかった…よかった…」

 「…妨害?…」

 「…松尾会長が、山田会の友好団体の一部に、襲名披露の席をボイコットしろ、と、呼びかけているって、噂があって、一時はどうなることかって、思ったけど、無事、襲名披露が終わって良かった…これで、稲葉さんは、名実ともに、立派な山田会二代目会長だ…」

 葉山が断言する…

 私は、そんな葉山の言動に、あらためて、疑問を抱いた…

 一体、葉山は、どうして、そんなことを知っているのだろう?

 疑問を抱いた…

 「…店長は、稲葉さんを知ってるんです?…」

 「…ボクが? 稲葉さんを? そんなことあるわけないじゃない…山田会二代目会長だよ…いわば会社で言えば、大会社の社長…雲の上のひとだよ…」

 「…雲の上のひと…」

 「…ボクはヤクザウオッチャーというのかな…素人だけど、そんなヤクザの話題が好きなんだ…」

 葉山が説明する…

 しかし、一体誰が、そんな説明を真に受けるのか?

 私は、思った…

 「…でも、本当に良かったよ…まさかとは思うけど、襲名披露をボイコットでもされたら、大恥を掻く…そんなことは、他の組の親分衆もしないと思うけど、今の世の中、なにが起こるか、わからないからね…」

 葉山がしたり顔で言う。

 「…まあ、とにかく、良かった…」

 葉山が言った…

 そして、

 「…よかった…よかった…」

 と、言いながら、私の前を離れた…

 まさに、嵐の前の静けさだった…

               
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み