第105話

文字数 5,173文字

 「…高雄さんの息子が、逮捕?…」

 思わず、葉山の言葉を繰り返した…

 と、同時に、頭の中が真っ白になった…

 …どうして、高雄悠(ゆう)が、逮捕なんだ?…

 頭の中が、パニクった…

 そして、それだけでも、頭の中がいっぱいなのに、

 …どうして、いきなり、葉山は、私にそんなことを言うんだ?…

 という疑問が湧いた…

 …葉山が、高雄悠(ゆう)を知っている可能性は、皆無だからだ…

 だから、私は、つい大声で、

 「…どうして、葉山さんは、いきなり高雄さんの息子が、逮捕されたなんて、私に言うんですか?…」

 と、葉山を詰問した…

 私が、怒鳴ったのは、初めてだった…

 近くにいた、当麻が、目を丸くして、驚いて、私を見た…

 「…どうして、そんなことを言うんですか?…」

 私は、なおも怒鳴った…

 自分を抑えきれなかった…

 「…どうしてって、言われても…」

 葉山も私が大声で、怒鳴ったので、当惑したようだ…

 「…ただ、以前、高雄組組長が、この店にやって来て、竹下さんの知り合いみたいだったから、その息子さんが、逮捕されたって、報道で知って…」

 葉山が、思いのほか、冷静に言った…

 私は、自分でも、思いがけず、大声を出したことに、驚いた…

 そして、自分でも、必死になって、自分を落ち着かせようとした…

 それから、葉山の言葉を考えた…

 ゆっくりと、自分の中で、咀嚼(そしゃく)した…

 たしかに、葉山の言葉に、誤りはない…

 葉山の言葉に、矛盾はない…

 葉山は以前、このコンビニに、高雄組組長がやって来たことを、見ている…

 それに、今、国会で、杉崎実業の一件で、高雄組組長は世間に騒がれている…

 高雄組組長の顔は、今では、当麻も知っているだろう…

 大場小太郎同様、有名人だ…

 顔や名前では、あの稲葉五郎を大きく引き離して、世間にその顔と名前が知られた…

 すべては、あの杉崎実業の一件で、だ…

 私は、そこまで、考えて、葉山の言葉に、矛盾がないことを、確かめた…

 確認した…

 しかし、それでも、一抹の不安というか、疑問が残る…

 が、

 それを口にするのは、止めた…

 なにを、どう言おうと、葉山が、私に本当のことを言うはずがないからだ…

 だから、いったん、大きく深呼吸をして、

 「…どうして、逮捕されたんですか?…」

 と、聞いた…

 ひどく、もっともな、疑問だった…

 「…それは、ボクもわからない…杉崎実業に関する一件じゃないかな…」

 と、言葉を濁した…

 これも、ひどく当たり前の感想だった…

 国会は、杉崎実業の問題で、蜂の巣をつついたような、大騒ぎだ…

 なにしろ、日本政府を騙して、中国に製品を輸出したのだ…

 輸出してはいけない製品を輸出したのだ…

 これが、国会で、大問題にならないはずはない…

 アメリカは、激怒している…

 その杉崎実業の取締役である、高雄悠(ゆう)が逮捕されたのは、ある意味、想定内といおうか…

 ひどく当たり前のことだった…

 それでも、高雄悠(ゆう)が、逮捕されたのは、驚いた…

 あるいは、冷静に考えれば、想定内のことかもしれないが、そこまでは、考えなかった…

 すでに、杉崎実業が、中国に不正に製品を輸出した件で、逮捕者を数多く出している…

 その中には、私と同じく、杉崎実業の内定をもらった林の父親や、人事部長の人見、その部下の藤原綾乃も含まれている…

 つまり、当たり前だが、大半は、杉崎実業の関係者…

 社員だ…

 だから、杉崎実業の取締役である、高雄悠(ゆう)が、逮捕されても、別段、驚くことでも、なんでもない…

 と、そこまで、考えて、ようやく、落ち着いた…

 いや、

 自分を落ち着かせた…

 そして、

 「…たしかに、店長の言う通りかも…」

 と、葉山の言葉に、同意した…

 葉山は、私の言葉に、

 「…」

 と、なにも、言わなかった…

 ただ、

 「…しかし、杉崎実業の一件で、高雄組の関係者が逮捕されたのは、これが初めてだね…でも、高雄さんの息子さんは、ヤクザじゃない…ヤクザが関わっているのに、ヤクザの逮捕者が、一人も出ないなんて…」

 と、葉山は、苦笑する…

 たしかに、言われてみれば、その通り…

 高雄組が、関わっているが、誰一人逮捕されてない…

 いや、

 逮捕者が出れば、そもそも、高雄組に、40億円もの、大金を、政府が返すわけがない…

 高雄組の関係者が、誰一人、逮捕されないから、40億円、戻ってきたのだ…

 純粋に、高雄組は、投資として、杉崎実業の株を買い占めたと、判断したからだ…

 だが、もし、そうでないとしたら…

 私は、考えた…

 
 それから、まもなくだった…

 林から連絡があったのだ…

 思いがけず、私のスマホに連絡があった…

 私は、偶然、自分の部屋にいて、なにをすることもなく、ボンヤリしていた…

 なんというか、ここ最近、自分に起きた出来事を、今さらながら、反芻(はんすう)していた…

 思えば、杉崎実業の入社試験の内定をもらってから、嵐のような出来事の連続だった…

 それは、まるで、ドラマだった…

 ドラマのように、大きな変動があった…

 日本で、二番目に大きな暴力団の山田会の関係者と、この平凡な竹下クミが、知り合い、しかも、なぜだかわからないが、

 …お嬢…
 
 …お嬢…

 と、大切にされた…

 本当は、なぜだか、わからないのではない…

 私に身に覚えは、なにもないが、亡くなった山田会の古賀会長の唯一の血筋だと、誤解しているのだ…

 ウチの家庭は、みんな真面目で、周囲にヤクザはいない…

 だから、誤解だと、何度も言っているのだが、誰も信じようとしなかった…

 そして、私は、山田会の関係者のみならず、あの大場小太郎代議士や、大金持ちの林と知り合った…

 まるで、夢のような出来事だった…

 この平凡な竹下クミが、テレビや新聞で、報道されるような大物と知りあったのだ…

 誰が、どう考えても、あり得ない出来事…

 まさに、奇跡だった…

 これを奇跡と呼ばずして、なんといおうか(笑)…

 ただし、結果として、私は、この関係者に、関わったに過ぎなかった…

 事件でいえば、犯行現場に、偶然居合わせたとでも、言えば、いいのだろうか?

 たしかに、山田会のトップや、政界のトップの大場代議士と知り合ったが、それだけだった…

 ハッキリ言って、ただ知り合ったに過ぎない…

 だが、普通ならば、知り合うことなどない人たちだった…

 テレビや新聞、ネットで、その名前が、日本中に知れてはいるが、誰もが、そんな大物と知り会うことなどない…

 それが、この平凡な竹下クミが、知りあったのだ…

 ありえない奇跡の連続だった…

 そんなことを、考えていたときに、林から連絡があったのだ…

 スマホが、鳴り、誰からかと思ってみると、なんと、林からだった…

 私は、ビックリした…

 ちょうど、今、林を含めて、今度の杉崎実業の一件で、知り会った人たちのことを考えていたときだ…

 その最中に、その当人から、電話があるとは、思わなかった…

 そして、

 そして、

 なにより、林は、今、父親が、杉崎実業の一件で、逮捕されている…

 その一件が、真っ先に、脳裏に浮かんだ…

 着信に林の名前を見て、どうしていいか、わからなかった…

 どうしても、林の父親の逮捕に、触れないわけには、いかないからだ…

 私は手で、スマホを握り締めながら、考えた…

 出るべきか?

 出ないべきか?

 考えたのだ…

 すると、私のスマホから、林の声が洩れてきた…

 留守電に切り替わったことで、林がメッセージを入れたのだ…

 「…竹下さん…元気? …林です…お久しぶり…」

 そう、林は、メッセージを入れた…

 私は、動揺した…

 みっともないほど、動揺した…

 家にいるから、誰にも見られる心配はなかったが、どうしていいか、わからないほど、動揺した…

 うろたえた…

 父親が逮捕され、落ち込んでいるのは、わかる…

 容易に、想像できる…

 しかも、

 しかも、だ…

 林は、金に困っている…

 あの豪邸を失うかもしれないくらい金に困っていて、それだから、林の父親は、杉崎実業の中国への不正輸出に一枚加わって、儲けようとしたのだ…

 その事実を知っている、私は、林に、なんて、声をかけていいか、わからなかった…

 私が、そんなことを考えていると、スマホから、

 「…竹下さん…本当にアナタには、お世話になった…」

 と、いきなり切り出した…

 …お世話?…

 …なんのお世話だ?…

 私は、考える。

 私は、スマホから、流れてくる、林の次の言葉を待った…

 「…竹下さんも知ってるように、ウチは…林は、もうダメ…パパがあんな下手を打って…人見の口車に乗って…」

 林の口調が一転した…

 明らかに、恨みがましくなった…

 当たり前だった…

 「…でも…あの人見…絶対、背後に誰か、いる…」

 思いがけないことを言いだした…

 私は、慌てて、電話に出た…

 「…今、なんて言ったの?…」

 と、大声で言った…

 「…た、たけしたさん…い、いたの?…」

 スマホの向こう側から、林の驚く声が聞こえてきた…

 「…う、うん…」

 私は、曖昧に返事した…

 実は、今の今まで、スマホで、林が、私のスマホに留守電のメッセージを入れるのを、聞いていたとは言えなかった…

 「…へぇー…いたんだ? …」

 「…うん…」

 曖昧に返事を濁した…

 だが、今、林が言った、

 …人見の背後に誰かいるという言葉は見逃がせなかった…

 だから、いきなり、林の電話に出たのだ…

 「…あの…今、言った、人見の背後に誰かいるって? …それって…」

 「…証拠があるわけじゃない…」

 林が言った…

 私の期待に釘を刺したのだ…

 「…でも、誰かいると思う…いえ、たとえ、人見の背後に誰もいないとしても、この杉崎実業の一件は、おかしすぎる…」

 「…おかしすぎるって?…」

 「…今、国会で、揉めてるけど、まだまだ、そこで、明らかになってない事実が、あると思う…」

 「…」

 「…だって、おかしすぎるでしょ? 高雄組っていうヤクザが、一般に無名とはいえ、一部上場企業の株を買い占めて、その会社が、中国への不正輸出で、叩かれると、一転して、今度は、杉崎実業を国有化して、存続させるなんて…日産や、ダイエーのような大企業じゃないでしょ? 倒産しても、困る人間は少ないはずよ…しかも、高雄組が、杉崎実業の買収にかかった費用…40億円を、高雄組に返すなんて、ありえない…」

 「…でも、それは、中国との関係で…」

 「…それにしても、よ…」

 林が叫んだ…

 「…杉崎実業は、中国と関係が深い…潰せば、中国がなにを言ってくるか、わからないから、潰さないのは、わかる…これは、ネットでも、週刊誌でも言われてるから…でも、それだけじゃない…竹下さんも気付いているでしょ?」

 「…気付いている…」

 「…大場よ…」

 「…大場?…」

 「…今度の一件は、大場小太郎の一人勝ち…あの地味な大場小太郎が、全国区の知名度を得た…これで、間違いなく、次の首相ね…」

 「…」

 「…でも、こんなに都合よく、人気がでるわけがない…大場小太郎の背後には、誰かいる…」

 「…」

 「…それが、私の見立てよ…」

 林が、断言する。

 ひどく、当たり前のことだった…

 大場小太郎が、今回の一件で、全国的な知名度を上げた…

 元々は、派閥の領袖で、与党の実力者…

 総裁選にも、出たことがある…

 にもかかわらず、陰が薄かった…

 存在感が乏しかった…

 大場小太郎は、ルックスが悪くはないが、そもそも目立つキャラではなかったからだ…

 それが、今度の一件で、まるで、神風が吹いたように、大場小太郎の知名度が上昇した…

 それまで、地味で、世間的には、無名に近い扱いだったのが、まるで、国会にスターが現れたような扱いに変貌した…

 まるで、奇跡が起きたように、周囲の環境が、激変したのだ…

 国会では、今、林が、指摘したように、次の首相の声が高くなった…

 つまり、今度の一件は、見方を変えれば、すべて、大場小太郎の知名度を上げる作戦で、あるかのようだった…

 だから、

 「…林さんの言っていることは、わかる…」

 と、思わず、私も呟いた…

 つい、口に出してしまったのだ…

 「…でしょ!…」

 スマホの向こう側から、林がハイテンションで、言った…

 我が意を得たりの心境だったに違いない…

 「…誰かいる! で、なければ、こんなこと、一人でできるわけがない…」

 私もまた林の言葉に、同意だった…

 だから、

 「…」

 と、無言だった…

 あえて、なにも、言わなかった…

 そして、気付いた…

 あの高雄悠(ゆう)が、逮捕されたことを、思い出したのだ…

 だから、

 「…それは、ひょっとして、高雄…高雄悠(ゆう)さん…」

 と、私は、言った…

 その言葉に、

 「…」

 と、林は、沈黙した…

                
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