第78話

文字数 5,770文字

 …このお嬢さんって、もしかして、私?…

 …いや、もしかしなくても、私、だ…

 …竹下クミだ…

 なにしろ、この場にいるのは、私と、大場代議士と、高雄組組長、そして、松尾会会長の4人…

 その中で、お嬢さんと、呼べるのは、当たり前だが、私一人…

 竹下クミひとりだけだ…

 私は、考える…

 「…大場さん、アナタが、なにを狙っているのかは、わかりませんが、このお嬢さんを、私に会わせるのが、目的であることまでは、わかりました…」

 穏やかに言った…

 「…ただ、その先が、わからない…」

 「…このお嬢さんを、私に会わせて、なにをしたいのかが、わからない…」

 松尾会会長が、首をひねる…

 …同じだ…

 私は、思った…

 それは、私も同じだ…

 私は、叫び出したい気持ちだった…

 なにしろ、私は、当事者だ…

 一体、私を、松尾会会長に会わせて、なにをしたいのだろうか?

 それが、謎だった…

 「…今、このお嬢さんを、中心に、物事が回ってます…」

 大場代議士が、語る。

 「…会長も、それをご存じのはず…」

 「…それは、どういう意味ですか?…」

 「…林さんは、真っ先に、このお嬢さんを、取り込もうとしました…」

 …林?…

 …あの林か?…

 …杉崎実業に、集まった、5人の女…

 この大場代議士の娘の大場敦子を含めた、五人の女…

 皆、似たような、顔に、似たような身長の女だ…

 杉崎実業に、入社予定の女たちでもある…

 「…林君が?…」

 松尾会会長もまた、林の父親を知っている様子だった…

 それから、

 「…彼は、行動が素早いからね…」

 と、笑った…

 「…政府もまた、動いている可能性があります…」

 大場代議士が言う。

 「…政府? いえ、そこまで、大げさに言わずとも、今、この場に、大場さんと、高雄さんが、このお嬢さんを、ここに連れてきた以上、誰かが動いているのでしょう…」

 「…会長、それは、どういう?…」

 「…アナタたちの娘のような年齢のお嬢さんを、ここに連れてくるのに、大場さんも、高雄さんも、直接、声をかけたわけではないでしょう?…」

 「…」

 「…誰か、別の誰か? 例えば、大場さんならば、お嬢さんを介して、このお嬢さんを、誘って、ここに来てもらったんじゃないんですか?…」

 「…」

 「…この、お嬢さんに、しても、それは、同じでしょう…例えば、大場さんのお嬢さんから、頼まれて、ここにやって来るというのも、もちろんあります…ですが、案外、このお嬢さんも、誰かに、頼まれたというか、背中を押されて、ここにやって来た可能性もあります…」

 松尾会会長が、ジッと私を睨んで言った…

 …見抜いている…

 とっさに、私は、思った…

 おそらくは、当てずっぽうで、言ったに過ぎないかもしれない…

 が、

 それが、当たっている…

 いや、

 正確に言えば、外していない…

 この歳で、わかったことだが、ひとは、学歴ではないことだ…

 かといって、仕事でもない…

 では、なにかと言えば、それ意外なもの…

 この松尾会長が、ずばり、私が、ここに来た理由を、考察したのが、その最たる例だろう…

 つまりは、学歴でも仕事でもなく、単純に、機転が利いたり、洞察力に優れているということだ…

 昔、父が言ったことがある…

 私の父は、いわゆるバブル世代で、会社に入社した…

 すると、すぐに、父にわかったことがあるそうだ…

 それは、自分たちの世代というか、同じ年次に入社した会社の同期が、それまで数年前に入社した人数の数倍いたこと…

 要するに、景気がいいから、それまでの何倍もの人数を採用した…

 その結果、明らかに、それまでに、入社した人間よりも、レベルが落ちた…

 ありていに言えば、偏差値レベルが落ちた…

 例えば、わかりやすい例で言うと、この会社は、従来、偏差値60を超える大学でなければ、採用しなかったが、今では、50レベルの人間でも採用している現実に、だ…

 当たり前だが、当時は、バブルだから、世間は、好景気…

 どこの会社もひとを採用しようとすれば、おのずから、レベルが下がる…

 偏差値レベルの高い人間は、すでに他社が採用しているからだ…

 だから、採用を増やすには、偏差値レベルを下げるしかない…

 当たり前のことだ…

 当時は、どこの会社も、それをやったそうだ…

 その結果、誰の目にも、レベルが下がった…

 そして、それは、一目見て、父にもわかったそうだ…

 それは、例えば、地元の高校で、毎年東大を何人、あるいは、十人かそれ以上、輩出する高校と、失礼ながら、偏差値の低い工業高校を比べるようなもの…

 いっしょに、接すれば、誰の目にもその違いは、わかる…

 だが、それが、わからない人間もまたいるのが、現実…

 いっしょに仕事をしていれば、難しい仕事でもない限りは、東大卒でも、工業高校出でも、違いはない…

 むしろ、手が早く、飲み込みが早ければ、東大卒よりも、工業高校卒の人間の方が、優れてる場合すら、あるのも、普通だ…

 すると、中には、東大卒よりも、工業高校卒の自分の方が、仕事ができると、本気で、思い込む人間が、わずかだが、出てくる…

 そういう人間に、ここ数年で、採用レベルが明らかに落ちてきていると、説明しても、無駄だ…

 東大卒の人間よりも、工業高校卒の自分の方が、使えると、本気になって、信じ込んでいるからだ…

 父は、それを見て、思ったそうだ…

 この会社、数年後、相当、人を切るな…

 つまり、リストラを予言したわけだ…

 それに、気付いた父は、慌てて、その会社を逃げ出したそうだ(笑)…

 結局、父が入社した会社は、十年も経てば、相当数ひとが切られていたそうだ…

 というよりも、当時バブル入社で、採用された人間は、十年後、残っている方が、少なかったらしい(笑)…

 その事実を、風の噂に、人づてに、聞いたそうだ(笑)…

 話は少々長くなったが、これが、学歴でも仕事でもない能力…

 つまりは、バブル入社で、それまでの会社の採用レベルが、見る見る下がって、今は、景気がいいが、景気が悪くなったら、この会社は、相当ひとを切るよ…

 それを目の当たりにしても、それが、わかる人間と、わからない人間がいる…

 そして、それは、学歴は関係ない…

 わかる人間は、すぐにわかるし、わからない人間は、ずっと、わからない…

 そういうことだ(笑)…

 無論、偏差値がすべてではない…

 ただ、どうしても世間に知られた大会社は、東大を筆頭とした、偏差値の高い大学を卒業した人間を数多く採用しているのも、事実…

 逆に言えば、東大卒をいかに、多く採用しているかで、その会社が、優秀であるか、否かのバロメーターになる…

 そして、なにより、現実問題として、偏差値の高い大学を出た人間の方が、例えば、偏差値40の工業高校を出た人間よりも、人間的に優れていることの方が多い…

 優れているというのは、勉強もそうだが、性格もいい人間が多いということだ…

 頭がいい人間は、性格もいい人間が、多く、頭が悪ければ、性格も悪い人間も多い…

 残念ながら、それが、現実だ…

 ただし、それは、全体を通して、言ったもの…

 東大や京大を出ていれば、全員が、性格がいいものではないし、偏差値40の工業高校を出ていれば、全員が、性格が悪いわけでもない…

 おおむね、その傾向が強いというだけだ…

 全員が当てはまるわけでは、もちろん、ない…

 それを今、この松尾会会長を目の前にして、私は、思い出した…

 しかし、それにしても、私を、この松尾会長に会わせるのが、目的だったなんて?…

 私は、思った…

 一体、私を、この松尾会長に会わせて、どうするつもりだ?

 私は、あらためて、考える…

 私が、死んだ古賀会長の血縁者としても、私を、この松尾会長に会わせることで、どんなメリットがあると言うのか?

 私が、内心、そんなことを考えていると、松尾会長が、ジッと私を見ていることに、気付いた…

 私は、どうしようか、一瞬、考えたが、目をはずすのも、嫌だ…

 だから、そのまま、ジッと睨み返した…

 自分でも、不思議だった…

 ヤンキーや、ヤクザが大の苦手な私、竹下クミが、老人とはいえ、ヤクザの大親分を、間近にして、ジッと睨み返したのだ…

 自分でも、自分の行動に驚いた…

 驚愕した…

 相手が、見るからに、凶悪なヤクザには、見えないからかもしれない…

 一見すると、優しいお爺ちゃんにしか、見えないからかもしれない…

 が、

 そんなふうに、自分に対抗するように、見返した私に対して、むしろ、眼前の松尾会会長は、気に入ったようだ…

 「…さすが、古賀さんの血筋だ…」

 私を絶賛する。

 私は、その態度に、どうしていいか、わからなかったので、

 「…」

 と、黙った…

 が、

 これがいけなかったのかもしれない…

 「…と、言いたいところですが、この松尾聡(さとし)に、正面切って、睨み返すのは、ハッキリ言って、不愉快…不愉快の極み…」

 松尾会長が、そう断言するや、さっき、やったように、瞬時に、まるで、別人のような表情になって、私を睨みつけた…

 私は、驚いた…

 いや、

 恐怖したと言っていい…

 さっきは、高雄組組長に向かった怒りが、そのまま、私に向かった…

 私の顔が蒼ざめるのが、わかった…

 見る見る蒼ざめるのが、わかった…

 …これでは、まるで、蛇に睨まれた蛙…

 私は、なす術もなく、その場で、固まった…

 まるで、一瞬で、彫像のように、ガチガチに固まった…

 もはや、私は、どうして、いいか、わからない状態だった…

 ただ、ただ、怖かった…

 恐怖した…

 まっすぐに、私を睨む、松尾会長から、目を外して、同席した大場代議士や、高雄組君調に、目で助けを求めたかったが、それもできなかった…

 松尾会長から、目をそらすことで、大げさに言えば、殺さるかもしれないような恐怖が、心の中に、芽生えたというか…

 ただ、ただ、怖かった…

 だから、ただ、カッと、大きく目を見開いたまま、松尾会長の前に、座っていた…

 カッと、大きく目を見開いたままだった…

 そんな状態が、1分、いや、それ以上続いただろうか?

 正直に言って、どれほど続いたかは、わからない…

 ただ、誰もが、そうだが、こんなに怖い時間は、永久に続くかと思うほど、当人にとっては、長い時間だった…

 「…会長…そのへんで…」

 遠慮がちの、声がした…

 松尾会長が、その声を発した人物を見るために、私から視線を外した…

 それで、ようやく、私は、ホッとした…

 大げさに言えば、それまで、水中かなにかにいて、満足に呼吸もできない状態だったのが、水面上に出て、息ができる環境になったといってもいいのかもしれない…

 「…会長…お嬢をおもちゃにして、遊んでもらっては、困ります…」

 高雄組組長が、松尾会長に苦言を呈した…

 「…お嬢は、我々にとっての、宝です…」

 大げさなことを言った…

 「…宝?…」

 「…そう…宝です…」

 高雄組組長が返す…

 …宝って?…

 そんな大げさな…

 私の方が、驚愕した…

 宝の意味は、わかるが、その宝が、私であることが、わからない(笑)…

 私、竹下クミであることがわからない(笑)…

 「…高雄さんの言うように、少し遊びが過ぎましたか?…」

 松尾聡が、笑う…

 それから、なにげなく、

 「…たしかに、高雄さんが、このお嬢さんを大切にしているのは、わかります…なにより、高雄さんは、ご自分の息子の悠(ゆう)クンに、このお嬢さんを誘惑させようとしましたからね…」

 …誘惑?…

 …誘惑って?…

 凄いことを、言うな!…

 私は、思った…

 たしかに、高雄はイケメン…

 長身のイケメンだ…

 しかも、イケメンの上に、花屋や図書館が似合う、おとなしめの男子…

 だから、誰にも好かれる…

 いかに、イケメンでも、いわゆる、暴力の匂いのする、ヤンキー系だと、毛嫌いする女子が、必ずいる。

 だが、高雄悠(ゆう)のような、イケメンは、万人に好かれる…

 一般的に、男女を問わず、毛嫌いされることはない…

 いや、

 問題は、そこではない…

 今、この松尾会会長が、高雄悠(ゆう)を、知っていたことだ…

 それが、驚きだった…

 そして、高雄悠(ゆう)を、使って、私を誘惑させようとした?

 その事実を知っていたということだ…

 いや、

 それが、本当に事実なのか?

 この高雄組組長が、高雄悠(ゆう)を使って、私を誘惑させようとしたのか?

 それが、真実なのか?

 私は、唖然とした。

 文字通り、言葉もなかった…

 私は、ただ、高雄組組長を見て、なんと言うのか、見守った…

 「…高雄さん…」

 「…ハイ…」

 「…男は、美人が好き…女はイケメンが好き…誰もがルックスのいい異性に惹かれるものです…特に、若い頃は…」

 「…」

 「…このお嬢さんに、悠(ゆう)クンを、接触させたというのは、やはり、高雄さんに、山田会会長に色気があるということなんでしょうね…」

 松尾会長が言う。

 が、

 その言葉に、

 「…」

 と、高雄組組長は、反論しなかった…

 黙ったままだった…

 「…どうなんですか?…」

 再び、松尾会会長が、吼えた…

 それは、まるで、老いてはいるが、威厳のあるライオンが、雄叫びを上げたようだった…

                  
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