第23話

文字数 5,692文字

 高雄の父親は、まもなく、コンビニを出て行った…

 なにも、買わずに、出て行くのは、おかしいと思ったのか、2、3の商品を買って、出て行った…

 私は、それを横目で、見ていた…

 ずばり、誰にもわかる感じで、見ていたのではなく、それとなく、見ていた…

 だから、誰にも気づかれない…

 私自身は、そう思っていた…

 だが、そうではなかった…

 店長の葉山は気付いていた…

 私が、横目で、高雄の父親が、コンビニを出て行くのを、見届けたのと、ほぼ同時に、

 「…今のお客さん…竹下さんの知り合い?…」

 と、いつのまにか、私の隣で、店長の葉山がポツリと呟いた…

 私は、一瞬、どうして、いいか、わからなかった…

 だから、

 「…」

 と、答えなかった…

 沈黙した…

 だが、それが、むしろ、肯定したというか、私が、高雄の父親と、知り合いだと、認めたことになった…

 少なくとも、葉山は、そう思ったに違いない…

 これは、しまったと、思った…

 沈黙することが、知り合いだと、認めることになるとは、思わなかったからだ…

 だが、葉山の発した言葉は、意外だった…

 「…竹下さん…あのお客さん…堅気じゃないね…」

 と、ポツリと呟いたのには、驚いた…

 まさか、葉山の口から、そんな言葉が出てくるとは、思わなかったからだ…

 私は、つい、

 「…どうして、そう思うんですか?…」

 と、聞いてしまった…

 本当は、こんなことを聞くのは、私が、高雄の父親と、知り合いだと認めてしまった後なので、まずいとは思ったが、聞かずには、いられなかった…

 「…うん、簡単だよ…」

 葉山が答える。

 「…ボクも、昔、ヤクザの事務所が、近くにある、大きな繁華街で、店を任されていたことがあってね…ヤクザの匂いと言うか…どんな格好をしていても、その匂いを嗅ぎ分けられるようになったというか…」

 それだけ、言うと、葉山は私から、離れた…

 そして、それ以上、私に、高雄の父親との関係を聞かなかった…

 あるいは、私が、ヤクザと関わっていると知って、距離を置こうとしたのかもしれない…

 下手に、ヤクザが知り合いにいる、と知って、これ以上、関わらないというか、下手にその話題に突っ込まない方が、得策と判断したのかもしれない…

 あるいは、単純に、所詮、他人事なのだから、これ以上、この話題を避けるべきと、考えたのかもしれない…

 ただ、この一件でわかったのは、葉山が、思った以上に鋭いというか、ひとを見る目があるというか…

 それが、驚きだったし、正直な感想だった…

 ただのニコニコした中年のオヤジではない…

 私はあらためて、葉山をそう感じた…

 以前にも、葉山に関しては、ただのニコニコした中年のオヤジではないと思ったことがあると、書いた…

 店の中では、いつもニコニコと笑顔を絶やさない姿だったが、店の外で偶然見かけた葉山は、笑顔もまるでない、仏頂面に近かった…

 その姿を見たことで、私は、店の中での葉山の姿は、ただの営業スマイルに過ぎないことを知った…

 そして、今また、葉山は、高雄の父親の姿を見て、

 「…堅気じゃないね…」

 と、即座に見抜く眼力を見せた…

 正直、油断できない…

 それが、葉山に関する偽らざる感想というか、評価だった…

 あらためて、それがわかった瞬間でもあった…

 だが、それも束の間…

 私は、コンビニで、レジ打ちや、その他、諸々の業務で、忙しく、これ以上、葉山について、考えることはできなかった…

 そして、気ぜわしく、急ぎまわる中で、いつしか、葉山のことも、高雄の父親のことも、考えることはなくなった…

 ちょうど、この店にやって来たときに、遅刻しまいと、全力で、走っていたときと同じだった…

 全力で疾走する…

 全力で、コンビニで、働く…

 つまり、全力で、なにかに打ち込むことによって、他のなにか、別のことを考える余裕は、一切なくなった…

 そして、これこそが、私の追い求めていた理想というか、環境だった…

 なにも、考えることができない環境…

 それが、必要だった…

 ここ数日、高雄のことや、林のこと、その他諸々、色々なことを考え過ぎた結果、私は、無意識になにも考えない環境を追い求めていた…

 それが、幸か不幸か、今、手に入った…

 私は、今、それに気付いた(笑)…

 私が、バイトを終えて、コンビニから出たときは、当然ながら、夜も更けて、辺りも暗くなっていた…

 結構、クタクタになった…

 それが、正直な感想だった…

 だが、私は、それが心地よかった…

 むしろ、充実感を感じていた…

 率直に言って、いつもよりも、夢中になって、仕事に励んだ…

 いつも手を抜いているわけではないが、今日は、本気になったと言うか…

 マラソンに例えれば、普通は、体力を考えて、走るものだが、今日に限っては、まるで、400メートル走を走るように、全力で走った…

 ペース配分など、考えずに、無我夢中で、働いたということだ…

 だから、疲れた…

 なにも、考えずに、仕事に打ち込むことで、高雄のことも、林のことも、なにもかも忘れることができた…

 それが、実に、爽快だった…

 爽快そのものだったのだ…

 だから、

 「…竹下さん…」

 と、いきなり声をかけられたのには、驚いた…

 一瞬、自分が、声をかけられたのが、わからなかった…

 まして、今は夜…

 周囲は、暗闇だ…

 だから、余計に、気付かなかった…

 バイト帰りに、誰かに声をかけられた経験など、これまで、一度もなかった…

 「…竹下さん…」

 もう一度、誰かが、私の名前を呼ぶ声がして、私は、ようやく誰かが、私を呼んだことに、気付いた…

 私は、声をした方向を振り向く。

 すらりとした、長身の男が立っていた…

 暗闇で、一瞬、誰だか、わからなかったが、よく見ると、それが、さっき、コンビニで会った、高雄の父親であることがわかった…

 「…高雄さんのお父さん…」

 私は、声に出して、言った…

 私の呼びかけに、高雄の父親は、無言で、頭を下げた。

 私は、驚いた…

 まさか、高雄の父親が、私が、コンビニのバイトが終わるまで、私を待っていたとは、思わなかったからだ…

 当然だ…

 例え、息子の交際中の彼女でも、大の大人が、三時間も四時間も、外で待っていているとは、想像もできない…

 まして、相手は、ヤクザの大物組長…

 とても、そんな真似をする人間とは、思えない…

 「…私を待っていたんですか?…」

 聞かねばいいものを、私は、聞いてしまった…

 思えば、これも私の若さなのかもしれない…

 若さゆえの過ちなのかもしれない(笑)…

 「…ハイ…お嬢さんをお待ちしてました…」

 高雄の父親は、またも私に向かって、深々とお辞儀をして、言った…

 私は、どう答えていいか、わからなかった…

 誰でも、そうだろう…

 仮に、相手が、ヤクザの大物組長でなくても、自分の父親ぐらいの年齢の大人が、自分を三時間も四時間も、待っていたとしたら、どう対応していいか、わからないに決まっている…

 だから、私は、

 「…」

 と、黙った…

 どう答えていいか、わからない…

 どう対応していいか、わからない…

 …困った!…

 それが、偽らざる気持ちだった…

 それが、わかったのだろう…

 高雄の父が、

 「…お嬢さんを、困らせたのなら、申し訳ない…」

 と、言って、また頭を下げた…

 ヤクザの大物組長が、この竹下クミに何度も頭を下げる…

 ありえない光景だった…

 もはや、どうしていいか、わからない…

 どう対応していいか、わからなかった…

 文字通り、固まった…

 私のカラダが固まった…

 そして、ガチガチに固まった私に、

 「…お嬢さん…これから、私に少しばかり、お時間を頂けませんか?…」

 と、これも、丁寧に、高雄の父親が言った…

 私は、どうして、いいか、わからなかった…

 文字通り、どうして、いいか、わからなかった…

 「…いえ、お嬢さんに、なにか、よからぬことをするわけではありません…」

 高雄の父親が、軽く笑みを浮かべながら、言った…

 しかし、その笑みは固かった…

 というか、無理に笑顔を浮かべている様子だった…

 自分の娘ぐらいの年齢の私に、本当は、どう対応していいか、わからなかったに違いない…

 戸惑ったに違いない…

 私は、そう考えた…

 「…この通り、クルマも用意してあります…」

 「…クルマ?…」

 そのとき、初めて、高雄の背後に、大きなクルマがあることに気付いた…

 …このクルマの中で、私を待っていたんだ!…

 そんな当たり前のことに、今さらながら、気付いた…

 三時間も四時間も、暗闇の中、外で、立って待っていることは、ありえない…

 まして、相手は、大物組長だ…

 当然、クルマに乗って待っていたと考えるのが、普通というか、当たり前だ…

 「…このクルマに乗って、お嬢さんと少しお話したいのです…」

 高雄の父親が、言った。

 やはり、というか、その言葉を発したときは、これまで以上に、表情が強張っていた…

 私が、どうして、いいか、わからず、

 「…」

 と、なにも言わずに戸惑っていると、

 「…別に、お嬢さんを取って食おうとしているわけではありません…」

 と、丁寧な口調で、高雄の父親が語る。

 「…それは、ご安心下さい…それに、はばかりながら、この私も、少しばかりですが、同じ業界で、名が知れています…ですから、仮に、お嬢さんのような年齢の女性に、なにか手を出すような真似でもしたら、いい恥さらしというか、笑いものです…」

 高雄の父親が、真顔で言う…

 私は、少し悩んだが、その言葉を信じた…

 なにより、高雄の父親は、高雄組組長…

 大物ヤクザだ…

 その大物ヤクザが、私のような、平凡な小娘を拉致して、どうにか、することは、あるまい…

 まして、ヤクザは、なにより、面子を優先するというではないか?…

 面子=プライドに他ならない…

 私は以前も言ったが、そこそこの美人…

 決して、ブスではない…

 これは、自信を持って、断言できる(笑)…

 だが、果たして、今、眼前にいる、大物ヤクザ…

 高雄の父である、高雄組組長が、自分の面子を捨てて、私をどうにかしたいと考えるとなると、話は別だ…

 普通に、考えて、ありえない…

 それは、ありえない…

 私自身、コンビニで、バイトしていて、私以上の美人に数え切れないほど、出会ったことがある…

 見たことがある…

 そして、稀に、ごく稀に、

 …世の中には、こんなキレイな女(ひと)がいるんだ!…

 と、ビックリするほどの、美人を見たこともある…

 これは、本当に稀…

 ごく稀だ…

 そんな経験がある、私だから、余計に、自分自身の価値がわかるというか(笑)…

 少なくとも、眼前の高雄組組長が、自分の面子を捨てて、私を、どうにか、するとは、どうしても思えない(笑)…

 私に魅力がまったくないと考えるのは、さすがにないが、高雄組組長の面子を捨てて、私を、どうこうするとは、とても思えない…

 ずばり、私はそれほどの女じゃないからだ(苦笑)…

 と、そこまで、考えて、

 「…わかりました…」

 と、答えた。

 「…少しの時間でしたら…」

 「…ありがとうございます…」

 高雄の父親が、長身を折って、私に頭を下げた。

 「…では…」

 と、言って、高雄の父親が、自分の近くに停めた、大きなクルマの後部座席のドアを開けた…

 「…お嬢さん…お乗り下さい…」

 と、これも、私に向かって、丁寧に頭を下げて言った…

 …そんな大げさな…

 …これでは、まるで、どこかの国のお姫様みたいだ…

 私は内心、思った…

 思いながらも、当然、悪い気はしなかった…

 自分が、こんなふうに、丁重に扱われる経験はかつて、なかった…

 これから先もないだろう(笑)…

 そう考えると、どこか笑えてきた…

 すると、してはいけないことだが、表情がニヤついたというか…

 「…お嬢さん…なにか、おかしなことでも?…」

 と、高雄の父親が訊いた…

 私の表情に気付いたのだ…

 私は、しばし、悩んだが、

 「…なにか、こんなことをされると、自分が、どこかの国のお姫さまか、なにかになった気がして、それがおかしくて…」

 「…お姫様になった気分?…」

 私の言葉に、明らかに、高雄の父親は、面食らった様子だった…

 が、それも束の間、すぐに、表情が和んだ…

 まるで、私を誘う緊張が解けたように、高雄の父親の表情が緩んだ…

 「…素直なお嬢さんだ…」

 高雄の父が言う。

 「…実は、私も、お嬢さんのような、若い娘さんに、こんな真似をするのは、初めてです…」

 と、言って笑った…

 「…お互い初めての経験で、安心しました…」

 「…安心…ですか?…」

 「…ハイ…安心です…」

 高雄の父が、ホッとした表情で、言う。

 その言葉にウソはないのだろう…

 文字通り、ホッとした表情だった…

 私自身、そんな高雄の父の表情を見たことで、安心した…

 高雄組組長の誘うクルマに乗ることに、抵抗がなくなった…

 私は安心して、高雄の父の誘うクルマに乗った…

                
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