第91話

文字数 5,143文字

 私と、稲葉五郎がひとしきり話すと、さすがに、話が続かなくなった…

 正直言って、まだまだ聞きたいことは、あったが、さすがに、それを稲葉五郎に聞くわけには、いかない…

 だから、間が空いたというか、話す話題がなくなったというか…

 なにを話していいか、わからなくなった…

 それを敏感に察したのだろう…

 「…ちょっと、トイレに行ってくる…」

 と、漏らすや、すぐに席を立った…

 後には、私と戸田が残された…

 私は、あまりにも、早く、稲葉五郎が席を立ったので、唖然としていると、

 「…オヤジは、オレに気を使ったんです…」

 と、戸田が、意外なことを言った…

 「…気を使うって…どういう意味ですか?…」

 「…オヤジがいると、オレが、お嬢と話せないと思ったんだと思います…事実、オヤジが、いれば、オレはお嬢と話せない…この前、オレが、オヤジに殴られたのを、お嬢は見ています…だから、お嬢は、オレと話したいと思ってると思って…気を利かせたんです…」

 私は、戸田の言葉に、

 「…」

 と、言葉もなかった…

 「…そういうひとなんです…あのゴツイ顔と違って、内面は繊細そのものです…」

 「…繊細?…」

 「…高雄のオジキのことも、そうです…オヤジは、本気で、高雄のオジキを心配しています…」

 「…心配?…」

 「…高雄のオジキが、山田会から追放される危険がかなりあるんです…」

 「…それは、さっき、稲葉さんが、おっしゃった…」

 「…結構、ヤバイですよ…」

 戸田が、囁く。

 「…オレは、チンピラだから、普通は、こんなことは、わからないんですが、オヤジの近くにいるから、結構情報が入ってくるんです…」

 …さもありなん…

 戸田の言うことも一理ある…

 いや、

 一理どころか、百理も二百理もある…

 「…高雄のオジキは、経済ヤクザ…抗争には、強くない…」

 目の前の戸田が、稲葉五郎と同じことを言う。

 繰り返す。

 「…でも、オレに言わせれば、だから、松尾会長を頼ったんだと思います…」

 「…どういう意味ですか?…」

 「…さっき、オヤジが言ったように、高雄のオジキは、ケンカに強くない…だから、話し合いと言うか、うまく話をまとめて、抗争を終結させようとする…自分の弱点がわかっているから、それと、別の方法を模索するんです…」

 戸田が、言う。

 私は、うまいことを言うと思った…

 たしかに、ケンカに弱ければ、なにか、別の方法を模索するに限る…

 なにより、高雄組組長自身、自分がケンカ=抗争に弱いことは、自覚しているに違いない…

 だから、ケンカ=抗争はしない…

 あるいはケンカ=抗争をするときは、別の誰か…例えば、稲葉五郎を使ったに違いない…

 そういうものだ(笑)…

 しかし、この、戸田、案外、バカじゃない…

 いや、

 バカどころか、優れている…

 いや、

 それが、当たり前なのかもしれない…

 稲葉五郎は、次期山田会会長…

 戸田は、若いとはいえ、その側近だ…

 当然、優秀に違いない…

 組長=社長の側近が、バカなはずはない…

 社長=組長が、身近に置く人間は、当たり前だが、優秀に決まっている…

 おおげさに言えば、後継者…

 いずれは、自分の跡を継がせる後継者の可能性が高い…

 自分の後継者とすべく、自分の身近に置き、自分の仕事をすべて見せて、仕事を覚えさせる…

 いわゆる、帝王学だ…

 戸田は、おそらく、その後継者の一人なのだろう…

 今さらながら、気付いた…

 「…オヤジと高雄のオジキは、両輪…亡くなった古賀会長にとっては、大事な両輪でした…」

 「…両輪?…」

 「…オヤジはケンカに強く、高雄のオジキは、金儲けがうまい…その二人を使って、古賀会長は、山田会を大きくした…」

 私は、眼前の戸田が、あまりにも、予想外のことを言うので、驚いた…

 まだ、私と同じくらいの年齢なのに、随分物知りだ…

 「…戸田さんは、どうして、そんなことを知ってるんですか?…」

 思わず、聞いた…

 すると、戸田は、照れたように、

 「…受け売りです…」

 と、ちょっと、顔を赤らめて、答えた。

 「…山田会…いや、この稼業の人間なら、誰でも知ってることです…」

 「…」

 「…だから、あの二人は、争っちゃいけないんです…」

 戸田が、断言した…

 ちょうど、そのときに、稲葉五郎が、トイレから、戻って来た…

 稲葉五郎は、ニコニコと笑いながら、

 「…二人とも、随分、仲がいいんだな…」

 と、嬉しそうに語りかける。

 「…オレから、見ると、まるで、恋人同士だ…」

 嬉しそうに、言う。

 …恋人同士?…

 …まさか、稲葉五郎の口から、そんな言葉が出てくるとは、思わなかった…

 私が、内心慌てふためいていると、

 「…そんな…やめてください…」

 と、戸田が、顔中赤くなって言った…

 私は、むしろ、戸田が、こんな反応をするのが、以外と言うか、予想外だった…

 戸田の顔が、赤くなることで、戸田が、私を意識していることが、わかったからだ…

 「…いやいや、お似合いだぞ…」

 稲葉五郎が、からかった…

 戸田は、稲葉五郎の言葉に、

 「…」

 と、もうなにも、言わなかったが、顔は赤いままだった…

 私は、驚きの目で、戸田を見たが、それ以上に、稲葉五郎の嬉しそうな顔が印象的だった…

 結局、その日は、それで、戸田と稲葉五郎と別れた…

 ホントは、稲葉五郎と、もっと、話したかったが、やはり、立場の違いというものがある。

 私は、考える。

 ただ、当然のことながら、稲葉五郎は、色々と、将来というか、未来を見通している…

 ボンヤリと、そう思った…

 高雄の父?のことも、松尾聡(さとし)のことも、だ…

 しかし、そんなことを、考えると、どうして、そんな大物ヤクザが、私に優しいのだろうと、今さらながら、思う。

 やはり、一番の謎だ…

 亡くなった古賀会長の血筋を引くことが、そんなにも、重要なことなのだろうか?

 どうしても、考えが、そこにいってしまう…

 だが、一体、誰が、松尾会長を銃撃したのだろうか?

 これも、また謎だった…

 が、それは、まもなく、わかった…

 ただ、それ以上に、問題と言うか、意外だったのが、あの林だった…

 あの大金持ちの林だった…

 林の父親が、中国からのスパイ容疑で、逮捕されたが、その林の父親からの証言で、なんと、杉崎実業に、家宅捜査の手が入ったのだ…

 私は、その報道に唖然とした…

 容疑は、中国への輸出疑惑である。

 30年以上前の東芝機械ココム違反事件と同じ構図だった…

 要するに、当時、共産圏への輸出が認められてない工作機械を、東芝の子会社の東芝機械が、不正に輸出して、ソビエト連邦の潜水艦技術が、進歩した…

 それと同じ構図だった…

 杉崎実業は、当時の東芝機械同様、中国への輸出が認められていない、製品を、内容を偽って、輸出…

 いわゆる、技術の流出だった…

 容疑は、外国為替及び外国貿易違反である…

 中国は、今、現在、他国からの技術を盗み続けていると、言われている…

 その主な国は、当然のことながら、アメリカである…

 が、日本も当然、他国の中に入る…

 中国では、できない技術を、日本が持っている…

 ならば、その技術を手に入れようと、考えるのは、ある意味、当たり前というか…

 その先兵というと、いささか、大げさだが、その主要な会社が、今回は、あの杉崎実業だった…

 杉崎実業は、独立系の商社…

 規模も決して、大きくなく、目立つ会社ではない…

 それが、中国政府が目を付けた理由だった…

 どうしても、大手が関わると、目立つ…

 極端な話、三井や三菱が、関わると、目立つし、また、なにより、そんな不正な輸出に手は貸さないだろう…

 もし、バレたから、大げさに言えば、会社の存続に関わるからだ…

 そんな不正に手を染めた会社を、国が許すはずはない…

 公共事業は、もちろんのこと、あの手、この手で、会社を立ち行かなくさせることは、容易に想像できる…

 競争が激しい、今の時代ならば、大げさではなく、会社が倒産しても、おかしくはない…

 だから、大手が、そんなことに手を染めるはずは、まずない…

 もし、手を染めたならば、同じ大手グループに属しても、末端の子会社だろう…

 しかも、本社には、内緒に、だ(笑)…

 もし、本社にバレれば、大目玉を食らうことは、目に見えてるからだ(笑)…

 だから、中国政府は、大手ではなく、中堅で、あまり目立たぬ、杉崎実業に目を付けたともいえる…

 なにをやっても、目立たぬと、高をくくったのだろう…

 また、内通者というか、協力者も、杉崎実業の社内で、容易に、見つけることができた…

 それが、あの人見人事部長だった…

 普通は、技術を盗むのだから、技術者に目を付けるのが、当たり前だと、考えがちだが、今回は、違った…

 あの人見が、人事部長というのが、好都合だった…

 なぜなら、人事は、社員の家族構成やら、社員の個人情報を掴んでいる…

 これが、強みだった…

 人見は、人事部長という、人事部の責任者だから、社内の誰よりも、その個人情報を、優先的に、手に入れることができるというか…

 大げさに言えば、社内の誰が、どんな弱みを持っているか、わかっている…

 弱みと言えば、大げさだが、例えば、家族構成ひとつとっても、奥さんが、中国人だとか、高齢の母親が寝たきりだとかいう情報が手に入る位置にいる…

 それを手に入れれば、大いに有利というか、役に立つ…

 奥さんが、中国人であれば、中国政府が、接触するのに、楽だし、もし、こちらの要望を聞かなければ、中国国内にいる、奥さんの家族の身に危険が及ぶかもしれないと、匂わせればいい…

 そうすれば、相手も、いいなりになる…

 それを見越して、人事部長の人見に近付いた…

 人見自身が、どうして、中国政府のスパイになったのかは、わからない…

 お金かもしれないし、男だから、ハニートラップに引っ掛かって、誰か、若い女と、ホテルで、セックスしているところを、ビデオや写真に撮られて、それを元に、脅されたのかもしれない…

 原因は、どうあれ、人見が、スパイとなり、中国政府の言いなりになったのは、確かだった…

 そして、それゆえ、林の娘を人質に取った…

 いや、

 人質と言うのは、言い過ぎかもしれない…

 林の父親共々、双方の利害が一致したというのが、真相だった…

 林の父親は、事業に行き詰っていた…

 昨今の不況で、先祖代々、住んでいた、あの豪邸を失うかもしれないほど、追い詰められていた…

 人見が、杉崎実業の入社試験にやって来た、林が、大金持ちの娘だと知ったのは、偶然だった…

 たまたま、人見は、林と同郷だった…

 同じ地域の出身だった…

 それゆえ、住所から、なんとなく察しがつき、すぐに調べた…

 そして、あの大金持ちの林一族の娘だと知った…

 人見は、林に、興味を持った…

 なぜ、あんな大金持ちの娘が、名もない杉崎実業を受験したのか、謎だったからだ…

 当然、自分一人で、調べるのは、難しい…

 中国政府の力を借りた…

 その結果、林の実家が、事業に行き詰っている事実を突き止めた…

 しかしながら、それは、あの林の父親の目論見(もくろみ)でも、あった…

 林の父親は、杉崎実業が、あの東芝機械ココム違反事件同様に、国に内密に、中国に、輸出してはいけない、製品を輸出していることに、気付いていた…

 どこかで、情報を掴んでいた…

 それゆえ、ハニートラップではないが、あえて、自分の娘を、杉崎実業に受験させた…

 人事部長の人見が、同郷であることも、あらかじめ、調べておいて、あえて、人見の方から、接触してくることを、狙っていたのだ…

 あるいは、人見が、林に接触しない場合は、娘を使って、林の父親の方から、人見に接触するつもりだった…

 狙いは、ただ一つ…

 密貿易のうまみだった…

 当たり前だが、中国に輸出してはいけないものを、極秘裏に輸出しているのだ…

 自分もそれに、一枚加われば、莫大な儲けを得ることができる…

 林の父親は、そう考えた…

 それを、目当てに、自分の娘に、杉崎実業を受験させた…

 それが、目的だった…

 しかし、だとすれば、一体、私は、なんだというのだ…

 この竹下クミは、一体なんだというのだ…

 なぜ、そんな大事(おおごと)に、私が一枚噛んだのか?

 わざわざ、あの大豪邸に私を連れて行き、私の力になって欲しいと、林から、言われたのか? 

 さっぱり、わからない…

 これは、私が、中堅大学出身で、偏差値が高い大学を出ていないから、わからないということではない(笑)…

 断じて、そういうことではない…

 私は、考える。

 だが、これで、林の目的が、わかったことで、他のことも、色々、わかってきた…

                

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